第四十一話 木を焼く
第九章「渡した先で」開幕です。
天正十年十月十五日、大徳寺。
――勘十郎は、兄の葬儀に参列します。
天正十年、七月二十日。
――《《兄が、堺へ発った》》。
◆
供は、三人だった。
一人は、南蛮寺のロレンソどのが手配した、堺の商人の手代。四十がらみの、口の重い男である。この男が道中を差配する。
一人は、啓迪院の若い弟子。医者の見習いという体裁である。薬箱を担がせた。中身は、本当に薬である。
――そして、もう一人。
「――《《与一郎》》」
「はい」
「――《《お前が、行け》》」
◆
「――《《勘十郎さま》》」
与一郎は、その場に膝をついた。板の間に、両手をついた。
「――《《それがしは、勘十郎さまのお傍に》》」
「――《《俺は、死なん》》」
俺は、そう言った。
「――《《当分は、な》》」
「なれど」
「――《《与一郎》》」
俺は、その肩に手を置いた。二十五年、この肩を叩いてきた。骨が、以前より近くなった気がした。
「――《《あの人には、医者が要る》》」
◆
「右の肘は、動かさねば固まる。……毎日、曲げ伸ばしをさせねばならん。痛がるが、やらせろ」
俺は、指を折った。
「肺が傷んでおる。坂を登れば息が切れる。……それを『歳のせいだ』と言うて、無理をなさる」
「……」
「四十九だ。飯を減らさねば、血の道が硬くなる。……そして、《《この人は湯漬けを掻き込む》》」
俺は、続けた。
「――《《誰かが、傍で言い続けねばならん》》」
◆
「――《《それが、俺の仕事だった》》」
俺は、そう言った。
「――《《二十七年、それだけをやってきた》》」
俺は、与一郎の顔を見た。
三十七になっている。目尻に、皺ができていた。二十五年前、清洲の廊下で倒れていた小姓の顔が、まだそこにある。
「――《《渡す》》」
「……」
「――《《受け取れ》》」
◆
与一郎は、長いこと俯いていた。
板の間の木目を見ていた。
そして、顔を上げた。
――《《泣いていなかった》》。
「――《《承知いたしました》》」
彼は、そう言った。
「――《《ただし、勘十郎さま》》」
「なんだ」
「――《《一つ、条件がございます》》」
◆
「――《《月に一度、文を寄越してくださいませ》》」
俺は、その言葉に、《《笑ってしまった》》。
「――《《それは、俺の処方だ》》」
「――《《存じております》》」
与一郎は、真顔で言った。
「――《《そして、《《必ず一行、書いていただきたい》》》》」
「……」
「――《《今月、腹が立ったことを》》」
◆
――《《俺は、その場で、《《言葉に詰まった》》》》。
――《《明智十兵衛に出した処方である》》。
二年間、あの人はそれを守った。雪と、馬と、使者と、碁の相手と。
そして――《《効かなくなった》》。
「――《《与一郎》》」
「はい」
「――《《あれは、失敗した処方だ》》」
「――《《存じております》》」
弟子は、はっきりと言った。
「――《《なれど、《《効かなかったのは、返事が養生の話しかできなかったからにございます》》》》」
◆
俺は、顔を上げた。
「――《《勘十郎さまは、明智さまに、《《ご自分のことを何一つ書かれませなんだ》》》》」
与一郎は、言った。
「――《《よく寝ろ。よく食え。碁は寝つきによい。……それだけにございました》》」
「……」
「――《《一方通行にございました》》」
彼は、そこで一度、言葉を切った。
「――《《それがしは、返事に、《《それがしの腹の立ったことも書きまする》》》》」
彼は、頭を下げた。
「――《《それなら、続きましょう》》」
◆
――《《俺は、二十五年育てた弟子に、《《処方の改良》》を突きつけられていた》》。
――《《返す言葉が、なかった》》。
「――《《承知した》》」
俺は、そう答えた。
◆
出立は、朝だった。
まだ暑くなる前の刻限である。啓迪院の裏門に、四人が立っていた。
兄は、町人の小袖に、旅の笠を被っていた。
髭を伸ばしたままである。頬がこけ、日に焼けて、そして――《《首に、傷跡があった》》。
筆の軸を抜いた跡は、まだ塞がりきっていない。皮膚が引き攣れて、小さな窪みになっている。その上を、晒しではなく手拭いで隠していた。
背は、以前より丸かった。ひと月半、寝ていた身体である。
――《《誰も、織田上総介だとは思わない》》。
「――《《勘十郎》》」
「はい」
「――《《書は、書けたか》》」
◆
俺は、懐から冊子を出した。
三日かけて書いたものである。
右手がすぐ疲れるので、一日に十枚しか書けなかった。
「――《《これにござる》》」
表には、こう記した。
――《《一人の身体の書》》。
名前は、書かなかった。落としても、拾った者には何のことか分からない。
「――《《中身は》》」
「――《《食うてよいもの、悪いもの。寝る刻。歩く量。……肘の動かし方の図を、二十四枚》》」
俺は、言った。
「――《《それと、《《どうなったら、それがしのところへ戻るか》》を、十二か条》》」
◆
兄は、それを受け取って、《《その場で開いた》》。
笠を上げて、朝の光にかざした。
そして、しばらく読んだ。頁を繰る音が、静かな裏門に響いた。
やがて、こう言った。
「――《《勘十郎》》」
「はい」
「――《《字が、《《でかい》》》》」
◆
「――《《四十を過ぎれば、近くが見えにくうなりまする》》」
俺は、そう答えた。
「――《《兄上も、そろそろにござる》》」
「……」
「――《《南蛮の靉靆を、堺で買われよ》》」
俺は、頭を下げた。
「――《《それも、書いてござる。十一か条目に》》」
兄は、冊子を持ったまま、しばらく黙っていた。
――《《たぶん、十一か条目を探していた》》。
◆
兄は、その冊子を懐に入れた。
そして、こう言った。
「――《《勘十郎》》」
「はい」
「――《《俺は、いつ戻ればよい》》」
◆
俺は、その問いを、《《予期していなかった》》。
「――《《兄上》》」
「――《《いつまで、死んでおればよい》》」
彼は、そう言い直した。
俺は、しばらく考えた。
裏門の脇の柿の木で、蝉が鳴きはじめていた。
そして、答えた。
「――《《船が、浮かんだときにござる》》」
◆
「――《《なんだと》》」
「――《《兄上が、南蛮の船を、この国で作らせて、そして海に浮かべたとき》》」
俺は、言った。
「――《《そのときは、《《隠しようがござらぬ》》》》」
「……」
「――《《誰が作ったのだと、必ず問われまする》》」
俺は、顔を上げた。
「――《《そのときに、名乗られよ》》」
◆
兄は、しばらく俺を見ていた。
そして、《《笑った》》。
嗄れた、低い笑いだった。声が壊れているので、笑い声も壊れている。
「――《《それは、何年かかる》》」
「――《《十年か、十五年かと》》」
「――《《長いな》》」
俺は、いつもの通り答えた。
「――《《短うござる》》」
◆
――《《それが、俺たちの、いつもの締めくくりだった》》。
二十七年、何十回とやってきた。
兄は、笠を被り直した。
そして、歩き出しながら、こう言った。
「――《《勘十郎》》」
「はい」
「――《《七十まで、生きるぞ》》」
◆
俺は、その背中に、深く頭を下げた。
――《《顔を上げたときには、もういなかった》》。
裏門の外は、土塀に挟まれた細い道である。四人の足音が、遠ざかっていった。
俺は、その道を、しばらく見ていた。
◆
八月。
俺は、啓迪院で《《講義》》を始めた。
――《《五十の身体で、坂も登れぬ男が、できることは、それしかなかった》》。
◆
最初の日、集まったのは十七人だった。
みな若い。二十前後である。道三先生の孫弟子にあたる者たちだった。
場所は、南向きの講堂である。板の間に、筵が敷いてある。窓を全部開けても、この時期は暑い。若い者たちが、団扇を膝に置いていた。
俺は、床几に腰かけた。
――《《立って喋ると、息が切れるからである》》。
「――《《織田勘十郎と申す》》」
俺は、そう名乗った。
「――《《医者だ》》」
――《《その名を聞いて、後ろのほうがざわめいた》》。
織田という姓が、この夏、京でどう響くかは分かっている。
俺は、それには触れなかった。
◆
「――《《ここに、五巻の書がある》》」
俺は、傍らに積んだ『手当書』を指した。
紙が黄ばんで、綴じ紐が擦り切れかけている。何度も開かれた本の姿である。
「――《《二十七年かけて書いた》》」
「……」
「――《《写しは、十二部作らせた。……これから、もっと作る》》」
俺は、その若者たちを見渡した。
「――《《だが、今日、俺が言いたいのは、その中身ではない》》」
◆
「――《《書に、書けなかったことがある》》」
俺は、そう言った。
「――《《そして、それが、たぶん一番大事だ》》」
◆
「――《《一つ目。《《臭い》》だ》》」
俺は、指を立てた。
「傷が腐るとき、《《甘く腐った臭い》》がすることがある。……皮が青黒くなり、押すとぷつぷつと鳴る。雪を握ったような手応えだ」
「……」
「――《《半日で、足一本ぶん進む》》」
俺は、言った。
「――《《これは、書いても伝わらん》》」
◆
「俺は、七年前、それを九人に見た」
俺は、続けた。
「切って、六人が生きた。三人が死んだ。……《《三人は、俺が半日遅れたからだ》》」
「……」
「――《《臭いを、覚えねばならん》》」
俺は、若者たちを見た。
「――《《ゆえに、これから、腐った傷が出たら、《《全員で嗅ぎに行く》》》》」
◆
――《《ざわめきが起きた》》。
団扇を動かす手が、いっせいに止まった。
「――《《先生。それは、その》》」
一人が、恐る恐る言った。
「――《《汚うございます》》」
「――《《そうだ》》」
俺は、あっさり認めた。
「――《《臭い。汚い。吐く者もおるだろう》》」
俺は、続けた。
「――《《だが、《《嗅いだ者だけが、次に助けられる》》》》」
◆
「――《《二つ目》》」
俺は、指を二本立てた。
「――《《静かな者を、疑え》》」
「……」
「戦場でも、火事場でも、疫の村でもだ。……《《泣き喚いておる者は、たいてい助かる》》」
俺は、言った。
「――《《痛いと言えるのは、痛みを感じる仕組みが生きておるからだ》》」
俺は、そこで一度、言葉を切った。
「――《《黙って横たわっておる者は、《《焼き切れておる》》》》」
◆
「三つ目」
俺は、指を三本立てた。
「――《《先に答えを持って、患者の前に座るな》》」
俺は、言った。
「人は、一つ答えを持つと、それに合う証拠ばかり拾って、合わぬ証拠を捨てる。……《《これは、医者が最も陥る罠だ》》」
「……」
「――《《俺の弟子も、一度落ちた》》」
俺は、少し笑った。
「――《《そして、俺も、何度も落ちた》》」
◆
「四つ目」
俺は、そう言った。
「――《《病人のおる家に入ったら、《《まず、看ておる者を診よ》》》》」
俺は、若者たちを見渡した。
「病人は、診てもらえる。……《《看ておる者は、誰にも診てもらえん》》」
「……」
「――《《俺は、それで一人、死なせた》》」
俺は、そう言った。
――《《明智熙子どののことである》》。
あの人は、五日眠らずに夫を看ていた。目の下に隈があり、瞼の裏が白かった。俺が脈を取ったのは、五日目である。
「――《《五日目まで、俺は、あの人を診ておらなんだ》》」
◆
「――《《五つ目》》」
俺は、そこで、少し間を置いた。
「――《《治せぬときに、逃げるな》》」
「……」
「治せる病は、《《誰でも医者になれる》》」
俺は、言った。
「――《《治せぬときに、その場に留まって、頭を下げられるか》》」
俺は、若者たちの顔を見た。
「――《《それが、医者かどうかを分ける》》」
◆
「――《《俺は、それを、この学び舎を作った男から教わった》》」
俺は、そう言った。
「――《《曲直瀬道三先生だ》》」
十七人が、いっせいに姿勢を正した。
――《《この者たちにとって、あの人は、もう伝説である》》。
「――《《十四年前、俺は先生の診療を見ておった》》」
俺は、続けた。
「唐瘡を病んだ男が来た。鼻が落ちておった。……先生は、五十年探して薬がないと言われ、そして」
俺は、言った。
「――《《その患者に、頭を下げられた》》」
◆
「――《《すまぬ、と》》」
俺は、そう言った。
部屋が、静まり返っていた。蝉の声だけが、外から入ってきていた。
「――《《それが、この学び舎の始まりだ》》」
俺は、床几から立ち上がった。
――《《少し、ふらついた》》。
だが、立った。
「――《《俺は、たぶん、そう長くない》》」
◆
「――《《心の臓の血の管が、詰まった》》」
俺は、自分の胸を押さえた。
「――《《二月前だ。……肉が、一部死んでおる》》」
「……」
「――《《だから、俺は、もう手術ができん》》」
俺は、言った。
「――《《縫えん。走れん。夜通し立てん》》」
俺は、若者たちを見た。
――《《みな、俺より三十も若い》》。
「――《《ゆえに、《《お前たちを作る》》》》」
◆
「――《《俺が百人治すより、《《お前たちが百人おるほうが、万人治せる》》》》」
俺は、そう言った。
「――《《それだけの話だ》》」
◆
その日から、俺は毎日、二刻ずつ喋った。
立てない日は、座って喋った。
喋れない日は、書かせた。俺が口述し、若い者が写す。それを回して、また写す。
――《《そして、患者が来れば、必ず全員で診に行った》》。
九月に入る頃には、聴く者が二十六人になっていた。
◆
十月十五日。
――《《大徳寺》》。
羽柴筑前守秀吉が、《《織田信長の葬儀》》を執り行った。
◆
俺は、それに《《参列した》》。
――《《行かねばならなかった》》。
織田勘十郎信勝は、《《生きていることになっている》》。
兄の弟が、兄の葬儀に出ないほうが、よほど怪しい。
◆
――《《壮大だった》》。
その一言に尽きた。
僧が三千人と聞いた。宗派を問わず、畿内じゅうから集められたという。
行列は、京の町を延々と練り歩いた。
先頭が大徳寺の門を入っても、最後尾はまだ町中にいる。そういう長さである。
沿道には、人が出ていた。
二重にも三重にもなって、町屋の屋根に上っている者までいた。誰も、声を出さない。ただ、見ていた。
――《《見物である》》。
これだけの行列を見る機会は、一生に何度もない。
◆
位牌を持ったのは、羽柴筑前守の養子である。
――《《太刀を持ったのも、羽柴の一族だった》》。
柴田修理亮は、来なかった。
三七信孝さまも、来なかった。
――《《そういう葬儀だった》》。
誰が持つかで、誰が跡を継ぐかを示す。この行列は、そのために組まれている。
◆
そして、《《棺があった》》。
黒漆に金の金具を打ったもので、八人がかりで担いでいた。
――《《中身は、木像である》》。
沈香を彫って作った、織田信長の像。
遺骸が出なかったからである。
俺は、担ぎ込まれるときに、一度だけそれを間近で見た。等身大だという。彫りは、悪くなかった。
――《《だが、顔は似ていなかった》》。
彫った者は、たぶん、この人を見たことがない。
◆
――《《それを、火にかけた》》。
◆
俺は、末席で、それを見ていた。
境内の隅である。庭木の陰で、そこだけ日が当たらない。
読経が、始まっていた。三千人の声である。
――《《声というより、地鳴りだった》》。
腹に響く。板の間に座っていると、床が震えているのが分かる。
そして、火が入った。
◆
――《《香木が、焼ける匂いがした》》。
甘い。
沈香というものは、燃やすと甘く匂う。それが、香として珍重される理由である。
だが、これは香炉で一片焚くのとは訳が違う。
――《《人一人ぶんの沈香が、まるごと燃えている》》。
匂いが、境内に満ちた。濃すぎて、鼻の奥が痛くなるほどだった。
――《《俺は、その匂いを知っていた》》。
十一年前、比叡山の焼け跡で嗅いだ匂いに、《《少しだけ似ていた》》。
あちらは、もっと、生々しかったが。
◆
俺は、その煙を見上げながら、《《妙な感慨に打たれていた》》。
――《《これは、俺の兄の葬儀である》》。
――《《そして、兄は、堺で船を見ている》》。
――《《焼かれているのは、木だ》》。
俺は、掌を見た。
節が浮いて、皮が薄くなった、五十の手である。
――《《この手が、あの人を担いで、北の塀を越えた》》。
◆
――《《笑いそうになった》》。
俺は、慌てて袖で口を押さえた。
肩が揺れた。
周りの者は、俺が泣いていると思ったらしい。隣に座っていた誰かが、そっと膝を寄せてきた。
――《《それでよかった》》。
◆
式が終わった後。
俺は、控えの間で休んでいた。
――《《人混みが、こたえた》》。
立っているだけで、息が切れる。座って、四半刻経っても、まだ動悸が収まらなかった。
控えの間は、庭に面していた。障子を開け放してあり、秋の光が入っている。
庭には、苔と、石と、一本の楓があった。まだ紅葉には早い。
――《《そこへ、人が来た》》。
◆
「――《《勘十郎どの》》」
俺は、顔を上げた。
――《《女性だった》》。
尼の姿である。
髪を落とし、墨染めの衣を着ている。四十半ばというところだが、背筋がまっすぐで、それより若く見えた。
だが、俺は、その眼を知っていた。
――《《兄と、同じ種類の眼》》である。
人を見るとき、顔の真ん中ではなく、少し奥を見る眼だ。
「――《《義姉上》》」
俺は、そう言った。
――《《帰蝶さま》》である。
◆
「――《《お久しゅうございます》》」
彼女は、静かに一礼した。
「――《《お加減が、悪いと伺いました》》」
「――《《心の臓にござる》》」
俺は、正直に答えた。
「――《《六月に、詰まり申した》》」
「――《《歩けますか》》」
「――《《ゆっくりなら》》」
◆
帰蝶さまは、俺の隣に座った。
衣擦れの音がして、そして静かになった。
そして、しばらく黙っていた。
庭のほうを見ている。楓の葉が、風で一枚だけ揺れていた。
――《《やがて、こう言った》》。
「――《《勘十郎どの》》」
「はい」
「――《《遺骸は、出なかったそうですね》》」
◆
――《《俺の背中が、《《一瞬で冷たくなった》》》》。
「――《《はい》》」
俺は、そう答えた。
「――《《日向守どのが、三日かけて焼け跡を篩にかけさせたと伺いました》》」
「……」
「――《《それでも、出なんだと》》」
◆
帰蝶さまは、庭を見ていた。
「――《《勘十郎どの》》」
「はい」
「――《《人は、火の中で、どうなります》》」
◆
――《《俺は、答えた》》。
――《《医者として、答えるしかなかった》》。
「――《《焼けきれば、誰か分かり申さぬ》》」
俺は、そう言った。
「顔は残らず、歯も割れ、身体は縮み申す。……骨は白くなって、指で触れれば崩れまする」
「……」
「――《《それがしは、比叡山でそれを見申した》》」
◆
「――《《では、《《出ないのが、当たり前》》なのですね》》」
彼女は、そう言った。
「――《《さようにござる》》」
「――《《あれだけの火であれば》》」
「――《《はい》》」
◆
帰蝶さまは、しばらく黙っていた。
そして、こう言った。
「――《《勘十郎どの》》」
「はい」
「――《《あの人は、《《首を取られるのを、何より嫌うておりました》》》》」
◆
――《《俺は、動けなくなった》》。
――《《この人は、知っている》》。
いや。
――《《知っているのではない》》。
――《《《《当てている》》のだ》》。
◆
二十二年前。
岐阜城の一室で、俺は下手な絵と格闘していた。
字の読めぬ三百人に、どうやって手当てを教えるか。紙を三十枚も無駄にして、頭を抱えていた。
そこへ、この人が来て、絵を一枚だけ覗いて、こともなげに言った。
――《《唄になさいませ》》。
――《《この人は、いつも、答えの側から来る》》。
◆
「――《《義姉上》》」
俺は、そう呼んだ。
「はい」
――《《俺は、そこで、《《言葉を探した》》》》。
嘘は、つきたくない。
だが、《《言えない》》。
言えば、この人は知る者になる。
――《《知る者は、《《危うくなる》》》》。
◆
――《《これは、選別だ》》。
俺は、そう思った。
二十七年、俺は筵を三つに分けてきた。
赤い布。白い布。そして、木陰。
――《《今、俺がやっているのは、それと同じことだ》》。
――《《誰に、真実を渡すか》》。
◆
俺は、口を開いた。
――そして。
《《帰蝶さまが、俺を遮った》》。
「――《《勘十郎どの》》」
「……」
「――《《お答えにならなくて、結構でございます》》」
◆
俺は、顔を上げた。
彼女は、庭を見たまま、微笑んでいた。
「――《《わたくしは、《《知りたくて伺ったのではございませぬ》》》》」
「……義姉上」
「――《《ただ》》」
彼女は、そこで一度、言葉を切った。
「――《《《《知っておる者がおるかどうか》》を、知りたかったのでございます》》」
◆
――《《俺は、何も言えなかった》》。
帰蝶さまは、こちらを向いた。
そして、こう言った。
「――《《勘十郎どの。あなたさまは、二十二年前、わたくしにこう仰せになりました》》」
「……」
「――《《『それがしは、字の読めぬ三百人に、これを教えねばなりませぬ』と》》」
彼女は、少し笑った。
「――《《あのとき、わたくしは唄になさいませと申しました》》」
◆
「――《《あれから、二十二年》》」
彼女は、言った。
「――《《先だって、近江の村を通りましたら》》」
「……」
「――《《子供が、唄っておりました》》」
◆
――《《ひとつ、押さえよ 離すな覗くな》》
――《《ふたつ、寝た者 横向けよ》》
◆
帰蝶さまは、その節を、小さく口ずさんだ。
尼の姿で、庭を見ながら、二十二年前に自分が作らせた節を。
そして、こう言った。
「――《《誰も、あなたさまの名を存じませぬ》》」
「……」
「――《《わたくしの名も、存じませぬ》》」
彼女は、微笑んだ。
「――《《それで、よろしゅうございます》》」
◆
――《《俺は、そこで、《《泣いた》》》》。
人前で泣くのは、二度目だった。
帰蝶さまは、何も言わなかった。
ただ、俺が泣き終わるまで、《《隣に座っていた》》。
庭で、鵯が鳴いていた。
◆
別れ際、彼女はこう言った。
「――《《勘十郎どの》》」
「はい」
「――《《お身体を、大事になさいませ》》」
そして、少し悪戯っぽく、こう付け足した。
「――《《医者は、《《ご自分を診るのが一番下手》》と伺いました》》」
「――《《……誰にでござる》》」
「――《《あなたさまに》》」
◆
彼女が去った後。
俺は、控えの間で、しばらく一人でいた。
――《《香木の煙が、まだ流れていた》》。
境内のほうから、風に乗って入ってくる。甘い匂いは、もう薄くなっていた。
俺は、それを見ながら、こう思った。
◆
――《《本能寺は、消えなかった》》。
俺は、二十七年かけて、それを消そうとした。
麦を食わせ、井戸を埋め、蚊帳を買い、傷を洗い、書を五巻書いた。
――《《消えなかった》》。
寺は焼けた。明智十兵衛は死んだ。三千の兵が死んだ。
――《《歴史は、動いた》》。
◆
――《《だが》》。
俺は、掌を見た。
――《《一人、助けた》》。
そして。
――《《唄が、残った》》。
◆
天正十年 七月〜十月
七月二十日、兄上、堺へ。供三名。与一郎を付す。
――《《渡した。》》
――《《「一人の身体の書」を持たせた。十二か条。図二十四枚。》》
――《《字を大きく書いた。あの人も、そろそろ近くが見えぬ頃合いである。》》
※与一郎より、処方の改良を突きつけられた。
――「効かなかったのは、一方通行だったからにございます」
――《《返す言葉がなかった。》》
八月より、啓迪院にて講義開始。十七名。九月には二十六名。
――《《書に書けなかった五つを、まず教えた。》》
一、臭いを覚えよ(全員で嗅ぎに行くこと)
二、静かな者を疑え
三、先に答えを持って患者の前に座るな
四、まず、看ておる者を診よ
五、治せぬときに、逃げるな
十月十五日、大徳寺。――《《葬儀に参列した。》》
僧三千。行列は、先頭が門を入っても最後尾が町中にあった。
棺の中身は、沈香の木像であった。――《《顔は、似ていなかった。》》
――《《焼かれているのは、木である。》》
※帰蝶さま、御来訪。
――《《何も申し上げなかった。》》
――《《何も、お尋ねにならなかった。》》
「知りたくて伺ったのではございませぬ。
――知っておる者がおるかどうかを、知りたかったのでございます」
――《《近江の村で、子供が唄っておられたとのこと。》》
「誰も、あなたさまの名を存じませぬ。わたくしの名も、存じませぬ。
――それで、よろしゅうございます」
――《《本能寺は、消えなかった。》》
――《《なれど、一人助けた。そして、唄が残った。》》
残り――《《分からぬ。》》
今回は、医学的な新しい知識はほとんど出てきません。代わりに、勘十郎が二十七年かけて得たものを、講義の形で並べました。
書物に書けないことがあります。
臭い。触った感触。「なんとなくおかしい」という印象。
ガス壊疽の甘く腐敗した臭いは、文章で説明できます。ですが、実際に嗅いだことのない人が、初めてその臭いに遭遇して即座に判断できるかというと、難しいのです。
だから、経験のある者が若い人を連れていって、一緒に嗅ぐ。それ以外に伝える方法がありません。
医学教育において、書物と実地の両方が必要とされる理由が、ここにあります。
史実について少し補足します。
天正十年十月十五日、羽柴秀吉は大徳寺で信長の葬儀を執り行いました。僧侶三千人を集めた大規模なもので、遺骸がなかったため、沈香を彫って作った信長の木像を棺に納め、これを荼毘に付したと伝えられます。
柴田勝家も、織田信孝も、参列していません。
この葬儀が、秀吉の立場を決定的なものにしたとされています。
次話、続きます。
お読みいただきありがとうございました。




