第三十五話 貝を殺せばいい
天正十年三月、武田氏滅亡。
勘十郎は甲斐へ入り、そこで
この国が四百年かけて戦うことになる病に出会います。
天正十年、三月。
――《《武田が、滅んだ》》。
二月に始まった甲州征伐は、拍子抜けするほど早く終わった。
木曾義昌が寝返り、穴山梅雪が寝返り、そして雪崩を打つように武田の家臣が離れた。
三月十一日、天目山。
武田四郎勝頼、自害。
――《《甲斐源氏の嫡流が、消えた》》。
◆
俺は、その月の末に甲斐へ入った。
手当所を張るためではない。
――《《戦闘が、ほとんど無かった》》からである。
運ばれてくる傷者は、驚くほど少なかった。
俺は、五十になった身体で、鼻に靉靆を乗せながら、甲府の盆地を歩いていた。
◆
そして、《《それ》》に気づいたのは、四日目である。
俺は、占領地の民情を見るために、河尻与兵衛の手の者と一緒に村々を回っていた。
その、三つ目の村でのことだった。
「――《《待て》》」
俺は、道端で足を止めた。
畑の脇に、一人の男が座っていた。
四十くらいか。
――《《腹が、膨れていた》》。
◆
俺は、その男に近づいた。
「――失礼する。医者だ」
男は、力なく顔を上げた。
――《《顔は、痩せている》》。
頬がこけ、腕が枯れ枝のようだ。
なのに、腹だけが、《《臨月の女のように》》膨れている。
俺は、その腹に手を当てた。
「――触るぞ」
両手を左右に当てて、片方を叩く。
――《《ぽちゃん、と波が伝わった》》。
――《《腹水》》である。
俺は、指を左の肋骨の下に差し込んだ。
――《《当たった》》。
硬い縁が、はっきりと触れる。しかも、《《臍のあたりまで下りている》》。
――《《巨大な脾の腫れ》》。
◆
「――《《いつからだ》》」
「……五年ほど、前から」
男は、掠れた声で答えた。
「初めは、腹が張るだけで。……それが、だんだん」
「――《《吐いたことは》》」
「へえ」
男は、あっさりと言った。
「――《《去年、血を》》」
「――《《どれほど》》」
「桶に、半分ほど」
◆
俺は、その男の眼を見た。
――《《黄色く、ない》》。
俺は、手の甲を見た。爪を見た。舌を見た。
――《《黄疸が、ほとんどない》》。
俺は、しばらく動けなかった。
――《《おかしい》》。
腹水が溜まり、脾が臍まで腫れ、血を吐く。
これだけ肝が壊れていれば、《《身体は黄色くなるはず》》だ。
酒飲みの肝の病では、必ずそうなる。
だが、この男は――《《黄色くない》》。
◆
「――《《村の者に、同じ者はおるか》》」
俺が聞くと、案内の男は、当然のような顔で答えた。
「――《《おりまする》》」
「何人だ」
「……数えたことは、ございませぬが」
彼は、村を見渡した。
「――《《どこの家にも、一人か二人は》》」
◆
俺の背中に、《《氷が走った》》。
「――《《病の名は》》」
「――《《水腫脹満》》と申しまする」
案内の男は、そう言った。
「あるいは、《《はらっぱり》》とも。……この土地の病にございます」
「――《《この土地の》》」
「へえ。甲府の盆地では、昔からのことにございます」
彼は、こともなげに続けた。
「――《《嫁に行くなら、あの村へは行くな》》と申しまして」
◆
俺は、その日、村を歩き回った。
与一郎に、《《絵図を描かせた》》。
――二十五年前、中村でやったのと、同じことである。
家を一軒ずつ四角で描き、そして――《《腹の膨れた者のいる家を、炭で塗り潰した》》。
三日かけて、五つの村を回った。
そして、板の上に浮かんだ模様を見て、俺は――《《座り込んだ》》。
◆
――《《偏っていた》》。
だが、二十五年前の中村とは、《《偏り方が違った》》。
あのときは、一つの井戸を中心に黒が集まっていた。
今度は――
《《川筋と、田に沿って》》黒が伸びていた。
しかも。
「――与一郎。この家は、何をしておる」
「……百姓にございます」
「こちらは」
「百姓にございます」
「――《《この、白いままの家は》》」
与一郎は、その家を見た。
「――《《名主の家にございます》》」
◆
俺は、立ち上がった。
「――《《もう一度、確かめる》》」
俺は、黒く塗った家を、一軒ずつ回った。
そして、同じことを聞いた。
――《《この家の者は、田に入るか》》。
答えは、全部同じだった。
「――入りまする」
「――毎日、入りまする」
「――子供の頃から、入っておりまする」
そして、白いままの家。
「――《《田には、人を雇うておりますゆえ》》」
◆
――《《田だ》》。
俺は、その場で確信した。
――《《田の水に、何かがおる》》。
俺は、村の者に聞いた。
「――《《田に入ると、痒くなることはあるか》》」
村人たちは、いっせいに顔を見合わせた。
そして、一人が言った。
「――《《泥かぶれ》》にございましょう」
◆
「田植えの頃に、足がぷつぷつと赤くなりまして、ひどく痒うなりまする」
彼は、こともなげに言った。
「二、三日で治りますで、誰も気にいたしませぬ。……子供の頃から、毎年のことにございます」
「――《《どの田でもか》》」
「いえ」
彼は、首を振った。
「――《《痒うなる田と、ならぬ田がございます》》」
俺の心臓が、跳ねた。
「――《《案内しろ》》」
◆
彼が案内したのは、村の東の、《《じめじめした一角》》だった。
水はけが悪い。田の縁に葦が生え、溝が浅く、水がほとんど流れていない。
俺は、その水路の縁にしゃがみ込んだ。
――そして、靉靆を鼻に乗せた。
水際の、土と草の境目。
じっと、見た。
――《《いた》》。
◆
小さな巻貝だった。
――《《七分か、八分》》。指の先ほどしかない。
細長い円錐形で、茶色い。
水の中ではなく、《《水際の湿った土の上》》にへばりついていた。
一匹ではない。
目が慣れると――《《無数にいた》》。
草の根元に、土の窪みに、石の裏に。
俺は、それを一匹つまみ上げて、掌に乗せた。
◆
「――与一郎」
「はい」
「――《《痒くならぬ田を、見せてもらえ》》」
半刻後、与一郎が戻ってきた。
「勘十郎さま。……村の西の田は、痒うならぬそうにございます」
「――《《貝は》》」
「……」
弟子は、掌を開いた。
――《《空だった》》。
「――《《おりませぬ》》」
◆
俺は、その日の夜、宿で一人になった。
そして、掌の中の小さな巻貝を、灯明の下で見つめていた。
――《《これだ》》。
俺は、この病を知っている。
いや。
――《《知っていた、はずだった》》。
◆
俺の頭の中には、断片がある。
――水の中の虫が、皮膚から入る。
――肝に住み着き、卵を産み、その卵が肝を固める。
――そして中間の宿主が、《《巻貝》》である。
――日本の甲府盆地が、世界有数の流行地であった。
――そして、この病は――《《俺のいた時代には、日本から消えていた》》。
消したのだ。
水路を石で固め、貝を殺し、田を乾かし、百年近くかけて。
俺が生まれるより少し前に、終息した。
――《《だから、俺はこの病を、実物で見たことがなかった》》。
教科書の中の、《《過去の病》》だった。
◆
俺は、掌の貝を見た。
――《《四百年》》。
この小さな貝を潰しきるのに、この国は四百年かかる。
俺は、その答えを知っている。
――《《貝を、殺せばいい》》。
人を治す薬はない。虫を殺す薬もない。
だが、《《この貝がいなくなれば、病は消える》》。
虫は、貝の中でしか育てないからだ。
◆
翌日、俺は河尻与兵衛の陣所へ行った。
甲斐一国を任された男である。
「――《《お願いがござる》》」
俺は、板に描いた絵図を広げた。
「この盆地には、《《腹の膨れる病》》がござる。土地の者は水腫脹満と呼んでおる」
「――存じております」
河尻は、頷いた。
「甲斐の宿業と申しますな。……祟りだの、地の毒だのと」
「――《《違う》》」
俺は、掌を開いた。
小さな巻貝が、そこにいた。
「――《《これにござる》》」
◆
河尻与兵衛は、俺の顔と、貝を、交互に見た。
「……勘十郎さま。それは、貝にございますが」
「はい」
「――《《貝が、人の腹を膨らませると》》」
「――《《この貝の中に、目に見えぬ虫が育ちまする》》」
俺は、言った。
「その虫が、貝から水の中へ出て、田に入った者の《《皮膚から、直に入る》》」
「……」
「入った虫は、腹の中の血の道に住み着き、卵を産みまする。その卵が、肝を少しずつ石のように固める。……肝が固まれば、血が通らなくなり、行き場を失うた血が脾を腫らし、腹に水を溜め、そして」
俺は、続けた。
「――《《喉の血の管を膨らませて、破れさせまする》》」
◆
河尻は、しばらく黙っていた。
「――勘十郎さま」
「はい」
「――《《証は、ござるか》》」
「――《《ござらぬ》》」
俺は、即答した。
「虫は、目に見えませぬ。それがしは、見たことがござらぬ。……見る道具が、この世にござらぬゆえ」
「では」
「――《《なれど、三つ、申し上げられる》》」
俺は、指を折った。
「一つ。《《田に入る者だけが病む》》。田に入らぬ名主の家は、白いままにござる」
「二つ。《《痒くなる田と、ならぬ田がある》》。そして、痒くなる田には貝がおり、ならぬ田にはおらぬ」
「三つ。《《病は、川筋と田に沿って広がっておる》》。井戸でも、風でも、家柄でもござらぬ」
俺は、顔を上げた。
「――《《これで、証にはなり申さぬ》》」
俺は、認めた。
「なれど――《《手を打っても、損はござらぬ》》」
◆
――《《二十年前と、同じ言い方だった》》。
墨俣で、蚊帳を五百張買うときに、俺は兄にこう言った。
――もし間違うておっても、失うのは布代だけにござる。
そして、当たった。
「――河尻どの。それがしが願いたいのは、四つにござる」
俺は、言った。
「一つ。《《田に入る者に、脚絆を巻かせ、油を塗らせること》》」
「二つ。《《水の淀んだ田と溝を、水はけよく作り替えること》》。流れる水には、貝は住みませぬ」
「三つ。《《田を、時期を決めて乾かすこと》》。貝は、乾いた土では生きられませぬ」
「四つ――」
俺は、掌の貝を見た。
「――《《貝を、拾わせること》》」
◆
「――《《貝を、拾う》》」
河尻は、間の抜けた顔をした。
「箸で、一匹ずつ」
俺は言った。
「拾った数に応じて、《《銭を出していただきたい》》。子供でもできまする」
「……勘十郎さま。それは」
「――《《気の遠くなる話にござる》》」
俺は、認めた。
「あの田一枚に、何万おるか分かり申さぬ。拾っても拾っても、湧いてまいりましょう」
「では、なにゆえ」
俺は、答えた。
「――《《始めねば、終わらぬゆえにござる》》」
◆
俺は、その夜、『手当書』を開いた。
そして、《《一番長い項》》を書いた。
――《《一、甲斐の盆地の「水腫脹満」のこと。》》
――《《 顔は痩せ、腹のみ膨れる。腹を叩けば水の波を打つ。》》
――《《 左の肋の下に、硬き縁を触れる。臍まで下りることあり。》》
――《《 やがて血を吐く。桶に半分に及ぶこともあり。》》
――《《 ――《《ただし、身体は黄色くならぬ。》》》》
――《《 これが、酒の肝の病との違いである。》》
――《《 肝そのものは、案外、働いておる。》》
――《《 詰まっておるのは、《《肝を通る血の道》》である。》》
――《《 ※病むのは、田に入る者のみ。名主の家は病まぬ。》》
――《《 ※田植えの頃、足が痒くなる田と、ならぬ田がある。》》
――《《 ※痒くなる田の水際には、七、八分の小さき巻貝がおる。》》
――《《 ――《《これが元と、俺は考える。》》》》
――《《 ――《《証は、立てられぬ。》》》》
――《《 ――《《ゆえに、証の立たぬまま、そう書き残す。》》》》
――《《 (――道三先生に、そう教わった)》》
――《《 打つべき手、四つ。》》
――《《 一、田に入る者に脚絆を巻かせ、肌に油を塗らせよ。》》
――《《 二、淀んだ溝を掘り直し、水を流せ。》》
――《《 三、時期を定めて田を乾かせ。》》
――《《 四、貝を拾わせよ。銭を出して、拾わせよ。》》
――《《 ※これは、一代では終わらぬ。》》
――《《 十代かかっても、終わらぬかもしれぬ。》》
――《《 ――《《それでも、始めねば終わらぬ。》》》》
◆
筆を置いて、俺は、しばらく灯明を見ていた。
――《《俺は、この病を消せない》》。
俺は、五十だ。
そして俺は、《《あと三か月で、この国の歴史が割れることを知っている》》。
六月二日。
その日、俺の兄が死ぬ――《《はずだった》》日である。
――《《俺は、それを止めるために来た》》。
二十六年、そのために生きてきた。
そして今、俺の手の中には、《《四百年かかる病》》がある。
◆
「――《《与一郎》》」
俺は、隣の部屋に声をかけた。
「はい」
三十七になった弟子が、入ってきた。
「――《《座れ》》」
俺は、書きかけの項を指した。
「これを、読め」
与一郎は、それを読んだ。
読み終えて、顔を上げた。
「――勘十郎さま。これは」
「――《《お前に、渡す》》」
◆
「え」
「――《《この病は、俺の代では終わらん》》」
俺は、言った。
「俺は五十だ。長くて、あと二十年。……その二十年で、この盆地の貝は減らん」
「……」
「お前は三十七だ。お前の代でも、終わらん」
俺は、続けた。
「――《《だから、お前の弟子に渡せ》》」
◆
「与一郎。俺は、京の老人に言われた」
俺は、言った。
「――《《受け取ったのなら、次へ渡せ。持ったまま死ぬのが一番いかん》》と」
「……はい」
「あのとき、俺は『渡す』というのは、《《書を写して配ること》》だと思うておった」
俺は、首を振った。
「――《《違った》》」
「……」
「――《《終わらぬ仕事を、渡すことだ》》」
◆
与一郎は、しばらく黙っていた。
そして、こう聞いた。
「――勘十郎さま。この病は、いつか終わりまするか」
俺は、答えた。
――《《これだけは、嘘をつかずに答えられた》》。
「――《《終わる》》」
「――なにゆえ、そう言い切れます」
「――《《貝を、殺しきればよいからだ》》」
俺は、言った。
「虫は、あの貝の中でしか育たん。……ゆえに、《《貝を絶やせば、虫も絶える》》」
俺は、掌を開いた。
「人を治す薬は、要らんのだ。……《《貝を、殺せばいい》》」
◆
「――なれど、途方もない数にございます」
「そうだ」
「拾っても、拾っても」
「そうだ」
「――《《何百年かかるか》》」
「――《《かかる》》」
俺は、頷いた。
そして、こう言った。
「――《《だが、終わる》》」
俺は、その小さな貝を、紙に包んだ。
「与一郎。世の中には、二つの病がある」
「……」
「一つは、《《終わらせ方が分からぬ病》》だ。……労咳がそうだ。唐瘡がそうだ。それがしは、竹中どのを治せなんだ」
俺は、包みを弟子に渡した。
「もう一つは――《《終わらせ方は分かっておるが、途方もなく時がかかる病》》だ」
「……」
「――《《こちらのほうが、まだいい》》」
俺は言った。
「――《《なぜなら、《《諦めさえしなければ、必ず勝つ》》からだ》》」
◆
四月三日。
――《《恵林寺が、焼かれた》》。
武田の残党を匿ったという理由である。
快川紹喜以下、百人を超える僧が、山門の楼上で焼き殺された。
俺は、その報せを、甲府で受け取った。
――《《行かなかった》》。
行けば、また焼け跡を歩くことになる。
また、痛みを訴えぬ者を診ることになる。
俺は、その代わりに、村を回っていた。
貝を拾う銭の触れを出し、溝を掘り直す普請の話をつけ、脚絆と油の使い方を教えていた。
――《《それが、逃げだということは、分かっていた》》。
◆
四月半ば、俺は甲斐を発った。
富士を見ながら、東海道を西へ。
兄は、この帰り道を、《《凱旋》》として演出していた。
道は普請され、宿は整えられ、徳川三河守が至れり尽くせりの接待をした。
――《《機嫌が、よかった》》。
二十六年、俺は兄を見てきた。
あれほど上機嫌な兄を、俺は初めて見た。
武田が滅び、上杉は追い詰められ、毛利は羽柴が押している。
――《《天下が、見えた》》のだ。
◆
そして、安土へ戻った俺を待っていたのは――
《《一通の文》》だった。
明智十兵衛光秀から、四月分の文である。
俺は、それを自室で開いた。
いつも通りの、丁寧な字。
天気。丹波の作柄。寝る刻を守れた日と、守れなかった日。
――そして、最後の一行。
◆
――《《今月、腹が立ちしこと。》》
――《《 ――《《これなく候。》》》》
――《《 ――《《近ごろ、腹の立つことがなく候。》》》》
――《《 ――《《立てても詮なきことと存じ候ゆえ、立てぬようになり申し候。》》》》
◆
俺は、その一行を読んで――
《《立ち上がった》》。
「――《《与一郎》》!」
「はい!」
「――《《馬を出せ》》」
「え。……どちらへ」
「――《《坂本だ》》」
俺は、文を掴んだ。
「――《《今すぐ出る》》」
◆
与一郎が、慌てて言った。
「勘十郎さま。なりませぬ」
「なぜだ」
「――《《明智さまは、坂本におられませぬ》》」
俺は、動きを止めた。
「――《《どこにおる》》」
「――《《安土にございます》》」
与一郎は、言った。
「――《《来月、徳川三河守さまが安土へ参られます》》」
「……」
「――《《その御接待の役を、明智さまが仰せつかったとのこと》》」
◆
俺は、その場に立ち尽くした。
――《《五月十五日》》。
――《《徳川家康、安土に至る》》。
――《《接待役、明智日向守光秀》》。
俺は、それが《《どうなるか》》を知っている。
二十六年前から、知っている。
俺は、文を握りしめた。
――《《残り、四十日》》。
◆
天正十年 三月〜四月 甲斐
武田滅亡。恵林寺焼失。――《《行かなかった。》》
※甲府盆地の風土病、「水腫脹満」。
所見――著明な腹水/巨大な脾腫/吐血/
――《《しかるに黄疸は目立たず。》》
肝そのものは働いておる。塞がっておるのは肝を通る血の道である。
絵図を作る。――《《田に入る者のみが病む。名主は病まぬ。》》
――《《痒くなる田と、ならぬ田がある。》》
――《《痒くなる田の水際に、七八分の小さき巻貝あり。》》
――《《証は立たぬ。ゆえに、証の立たぬまま書き残す。》》
打つべき手、四つ。脚絆と油/溝の掘り直し/田を乾かす/貝を拾わせる。
――《《これは一代では終わらぬ。十代でも終わらぬかもしれぬ。》》
――《《それでも、始めねば終わらぬ。》》
――《《与一郎に渡した。あれの弟子に渡させる。》》
※終わらせ方の分からぬ病より、
《《終わらせ方は分かっておるが、途方もなく時のかかる病のほうが、まだよい。》》
――《《諦めさえしなければ、必ず勝つゆえ。》》
症例・明智十兵衛光秀。
四月の文――《《「腹の立つことがなくなり候。立てても詮なきことゆえ」》》
――《《これは、治ったのではない。》》
――《《書けなくなったのだ。》》
残り、四十日。
今回の病は、日本住血吸虫症です。
甲府盆地は、世界有数の流行地でした。地元では「水腫脹満」「はらっぱり」などと呼ばれ、原因不明の風土病として長く恐れられてきました。「嫁に行くならあの村へは行くな」という言い伝えも、実際に各地に残っています。
病態を簡単に説明します。
水中に泳ぎ出た幼虫が、皮膚から直接体内へ侵入します。成虫は肝臓へ向かう血管(門脈)に住みつき、大量の卵を産みます。その卵が肝臓の中に詰まり、周囲に線維化を起こす。すると肝臓を通る血流が滞り、行き場を失った血液が脾臓を腫らし、腹水を溜め、食道の静脈を膨らませて、やがて破裂させます。
ここで重要なのが、作中で勘十郎が引っかかった点です。
これだけ重症でありながら、黄疸が目立ちません。理由は、詰まっているのが肝細胞ではなく、肝臓を通る血管の手前だからです。肝細胞自体の働きは比較的保たれるため、アルブミンも作れるし、ビリルビンも処理できる。ですから患者は、肝機能が保たれたまま吐血で亡くなることがあります。通常の肝硬変との、決定的な違いです。
そして最大の弱点が、中間宿主です。
この寄生虫は、ミヤイリガイという体長七〜八ミリの小さな巻貝の体内でしか成長できません。つまり、貝を絶やせば、寄生虫も絶えます。
日本はこれを実行しました。水路をコンクリートで固め、殺貝剤を撒き、田を乾かし、そして人々が箸で一匹ずつ貝を拾いました。奨励金を出して、子どもたちも拾いました。
開始から数十年を要し、山梨県が流行終息を宣言したのは、一九九六年です。
日本は、住血吸虫症の根絶に成功した世界で唯一の国とされています。
なお、中間宿主が貝であることを突き止めたのは、大正二年の宮入慶之助と鈴木稔です。虫体そのものの発見は明治三十七年の桂田富士郎で、勘十郎の時代からは三百三十年以上あとの話になります。
次話、五月十五日。徳川家康が安土へ参ります。
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