第三十二話 働けなくなる日
天正八年八月。石山本願寺が退去し、十一年の戦が終わりました。
その数日後、織田家中で粛清が始まります。
――そして第五話で起きなかったはずの謀反が、二十四年後に人を殺します。
天正八年、八月。
その月、二つのことが起きた。
一つ目は、《《十年戦争の終わり》》である。
石山本願寺が、ついに退去した。
元亀元年から数えて十一年。畿内を血で染め続けた戦が、勅命による和睦という形で幕を下ろした。
――織田家中は、沸いた。
もう一つは、《《その、わずか数日後》》に起きた。
◆
「――勘十郎さま。折檻状が」
与一郎が、蒼白な顔で入ってきた。
「誰に」
「――《《佐久間右衛門尉さまに》》」
俺は、筆を置いた。
佐久間信盛。
織田家の《《筆頭家老》》である。
兄が家督を継ぐ前から仕え、桶狭間にも、姉川にも、比叡山にもいた。俺が浮野で手当所を作ったときも、あの人はそこにいた。
三十年である。
「――内容は」
「――《《十九か条》》にございます」
◆
俺は、その写しを読んだ。
――《《読み進めるほどに、指が冷たくなった》》。
天王寺に五年在陣して、何も戦果を挙げていないこと。
自ら攻めもせず、調略もせず、報告もせず、ただ在陣していたこと。
人を雇わず、金銀を溜め込んでいたこと。
そして――
三十年前の、桶狭間より前の《《些細な諍い》》まで、細かく数え上げられていた。
――《《覚えていたのだ》》。
兄は、三十年間、《《全部覚えていた》》。
◆
文の末尾には、こうあった。
――《《何処までも軍功を挙げて帰参せよ。さもなくば、頭を丸めて高野山へ入れ。》》
高野山。
――事実上の、《《追放》》である。
佐久間信盛は、息子と二人、その日のうちに高野山へ向かった。
禄は召し上げられた。
三十年の家臣が、《《一枚の紙で、消えた》》。
◆
そして、俺が本当に凍りついたのは、その翌々日である。
「――《《林佐渡守さまも》》」
俺は、立ち上がっていた。
「――《《秀貞どのが》》」
「はい。……それと、安藤伊賀守さま、丹羽右近さまも」
与一郎は、震える声で続けた。
「林さまの追放の理由が――」
「――言え」
「――《《二十四年前の、御謀反の企て》》にございます」
◆
俺は、しばらく動けなかった。
――《《二十四年前》》。
弘治二年、夏。
末森城の一室で、林秀貞と柴田権六が、俺に頭を下げた。
――《《勘十郎さまこそ、織田の家督を継がれるべきだ》》。
俺は、断った。
そして、柴田勝家の飲水病を言い当てて、謀反を潰した。
――《《稲生の戦いは、起きなかった》》。
あの日、俺がこの世界で最初に変えた歴史である。
起きなかった謀反で、二十四年後に、人が捨てられている。
◆
俺は、岐阜へ走った。
いや、この頃、兄はもう岐阜にいない。安土である。
湖の上に、七層の天主が立っていた。
俺は、その最上階まで駆け上がった。
――兄は、そこにいた。
金と朱で塗り込められた部屋の中央に、一人で座っていた。
「――《《来ると思うておった》》」
◆
「兄上」
俺は、その場に膝をついた。
「――《《秀貞どのの一件、お考え直しくだされ》》」
「聞くと思うか」
「聞いていただくまで、申し上げまする」
――九年前と、同じ言葉だった。
あのときは、比叡山だった。
「勘十郎。言うてみよ」
「――《《あの謀反は、起きており申さぬ》》」
俺は、顔を上げた。
「弘治二年、確かにあの方はそれがしに家督を勧め申した。……なれど、それだけにござる。兵は挙がらず、血も流れず、そして」
俺は、続けた。
「――《《その後の二十四年、あの方は忠勤を尽くされました》》」
◆
「――《《起きなかったのは》》」
信長は、俺を見た。
「――《《貴様が、止めたからだ》》」
俺は、息を呑んだ。
「あの男が思いとどまったのではない。柴田が改心したのでもない。……貴様が断り、柴田の病を言い当てて、《《潰した》》」
兄は、静かに言った。
「勘十郎。もし貴様が頷いておったら、あの男は《《やっておった》》」
「――兄上」
「違うか」
俺は、答えられなかった。
――《《違わない》》。
林秀貞は、あのとき本気だった。
「……なれど兄上。それを言えば、《《人は、思うたことで裁かれることになり申す》》」
「そうだ」
信長は、あっさりと言った。
「――《《俺は、それをやっておる》》」
◆
「兄上。それは」
「勘十郎。よく聞け」
兄は、身を乗り出した。
「――《《これは、罰ではない》》」
「……」
「佐久間も、林も、安藤も。……あれは、《《見せしめ》》だ」
彼は、指を一本立てた。
「本願寺が終わった。畿内が片づいた。……ここから先、織田は《《一気に広がる》》。毛利、上杉、北条、九州、四国。……人がいくらでも要る」
「……はい」
「そのとき、家中の者に何を教えておくべきか」
兄は、俺を見た。
「――《《働け》》。それだけだ」
◆
「三十年仕えても、働かねば捨てる。二十四年前の企ても忘れておらん。……そう分かれば、家中の者は必死に働く」
信長は、こともなげに言った。
「一人を捨てて、千人が働くなら、安いものだ」
――《《また、これだ》》。
九年前の比叡山と、まったく同じ算術だった。
「――兄上」
俺は、顔を上げた。
「――《《それがしは、医者にござる》》」
「知っておる」
「ゆえに、医者として申し上げまする」
俺は、はっきりと言った。
「――《《人は、必ず働けなくなり申す》》」
◆
部屋が、静かになった。
「……なんだと」
「兄上。人の身体には、《《予備の力》》がござる」
俺は、掌を広げた。
「若い者は、これが有り余っておる。三日寝ずに走り、傷を負ってもすぐ治り、腹を下してもすぐ戻る。……余っておるゆえ、多少無理をしても表に出ぬ」
「……」
「歳を取るとは、《《その余りが減ってゆくこと》》にござる」
俺は、指を折った。
「五十を過ぎれば、傷の治りが遅くなる。夜通し働けば、翌日戻らぬ。冬に一度寝込めば、春まで引きずる。……これは、《《怠けておるのではござらぬ》》」
「――《《身体が、そうなっておる》》」
俺は、言った。
「そして、これは《《誰にも起きまする》》。柴田権六にも。丹羽五郎左にも。明智十兵衛にも」
俺は、そこで一度、言葉を切った。
「――《《兄上にも》》」
◆
「勘十郎」
「兄上。働きで人を計る仕組みは、《《一見、公平にござる》》」
俺は、続けた。
「家柄でも、縁故でもなく、働きで計る。……理に適っておりまする。それがしも、そこは正しいと思うており申す」
「では、何が問題だ」
「――《《人は、必ず衰えるということにござる》》」
俺は、言った。
「働きだけで計る仕組みは、《《いずれ、家中の全員を捨てることになり申す》》。なぜなら、全員がいつか衰えるゆえに」
俺は、頭を下げた。
「――そして家中の者は、それを《《知っております》》」
◆
「兄上」
「……」
「今日、佐久間どのと林どのが捨てられました。……家中の者は、必死に働きましょう」
俺は、顔を上げた。
「――《《同時に、こう思いまする》》」
「言え」
「――《《いつか、自分の番が来る》》と」
◆
長い沈黙があった。
兄は、金の壁を見ていた。
やがて、こう言った。
「――《《それでいい》》」
「兄上」
「思わせておけ。……そう思う者ほど、よく働く」
俺は、床に手をついた。
「――《《それは、膿にござる》》」
◆
俺は、そう言った。
言ってしまってから、後悔した。
――《《この比喩を、俺は九年前に渡してしまった》》。
だが、もう遅い。
「兄上。それがしは九年前、膿の話を申し上げました。芯を切れ、出し切れ、塞ぐなと」
「――覚えておる」
「――《《あのとき、それがしは肝心なことを申し上げておりませなんだ》》」
俺は、顔を上げた。
「膿は、《《どこかで必ず破れまする》》」
俺は、拳を握った。
「出す道を塞がれた膿は、身体の中で行き場を探しまする。そして、《《一番弱いところ》》を選んで、そこから破れる」
俺は、言った。
「――《《医者にも、どこから破れるかは分かり申さぬ》》」
「……」
「腸から破れることもござる。皮から出ることもござる。……そして時に、《《まったく思わぬところ》》から」
◆
信長は、しばらく黙っていた。
そして、こう聞いた。
「――勘十郎。誰のことを言うておる」
俺は、答えられなかった。
――《《言えるはずが、なかった》》。
言えば、それは讒言になる。何の証もない。所見もない。
そして――俺が名を挙げれば、その男は《《その日のうちに終わる》》。
この兄は、そういう人だ。
「――《《誰でもござらぬ》》」
俺は、そう答えた。
「――そうか」
兄は、それ以上は聞かなかった。
◆
「勘十郎」
「はい」
「一つ、聞いてもよいか」
「なんなりと」
兄は、金の壁を見たまま言った。
「――《《貴様は、俺が貴様も捨てると思っておるか》》」
◆
俺は、しばらく黙った。
そして、正直に答えた。
「――《《思うており申す》》」
「ほう」
「それがしは、戦をいたしませぬ。城も持たず、兵も持たず、政もいたしませぬ。……《《働きで計れば、それがしは何もしておりませぬ》》」
俺は、続けた。
「そして、それがしも歳を取り申す。四十八にござる。……いずれ、手が震えて縫えなくなり、眼が霞んで傷が見えなくなりまする」
俺は、頭を下げた。
「――《《そのとき、それがしは捨てられまする》》」
◆
「――《《捨てん》》」
兄は、あっさりと言った。
「なにゆえにござる」
「――《《貴様は、俺が死ぬまで俺を診る》》」
信長は、こちらを向いた。
あの、乾いた眼だった。
「二十五年前、貴様はそう言うた。家督は要らぬ、代わりに俺の身体を預けろと。……俺は、それを承知した」
「……はい」
「貴様が手が震えて縫えなくなろうが、眼が霞もうが、《《その約定は変わらん》》」
彼は、そこで少し声を変えた。
「――《《そして、それが済んだら》》」
「……」
「――《《好きにせよ》》」
◆
俺は、その言葉の意味を、しばらく考えていた。
――《《それが済んだら》》。
この人は、自分が死ぬ日のことを、《《すでに勘定に入れている》》。
そして、その日から先の俺の人生を、《《自由にしてくれる》》と言っている。
俺は、床に額をつけた。
「――《《兄上》》」
「なんだ」
「それがしの願いは、《《その日を、できるだけ遠くすること》》にござる」
「知っておる」
兄は、そう言って、立ち上がった。
「――勘十郎。佐久間と林の一件は、変えん」
「……」
「――だが」
彼は、去り際に言った。
「――《《命は、取らん》》」
◆
俺は、林秀貞に会いに行った。
六十七になっていた。
尾張の在所で、荷をまとめているところだった。
俺を見ると、老人は驚いた顔をして、それから――《《深く頭を下げた》》。
「――勘十郎さま。このような者のところへ」
「――《《診に来た》》」
俺は、そう言った。
◆
俺は、その痩せた身体を診た。
十年前、俺が腹を切って膿を出した男である。
腹の傷跡は、白く硬い線になって残っていた。その下に、指で押すと少し窪む部分がある。
――《《穴は、塞がっている》》。
だが。
俺は、脈を取り、瞼を見て、脛を押し、そして、その手を握らせてみた。
――《《弱い》》。
立ち上がらせて、歩かせた。歩幅が狭い。方向を変えるのに、時間がかかる。
「――秀貞どの」
「はい」
「――《《歳を、召されましたな》》」
「――《《六十七にござる》》」
老人は、少し笑った。
◆
「……勘十郎さま」
「はい」
「――《《それがしは、腹が立っておりませぬ》》」
俺は、顔を上げた。
「殿が二十四年前のことを持ち出されたと聞いて、家の者は皆、憤っております。……なれど、それがしは」
老人は、荷の紐を結びながら言った。
「――《《事実にござる》》」
「……」
「それがしは、二十四年前、確かに謀反を勧め申した。……そのとき、あなたさまに断られた」
彼は、手を止めた。
「もしあのとき、あなたさまが頷いておられれば」
「――」
「――《《それがしは、その年のうちに死んでおりました》》」
◆
俺は、返す言葉がなかった。
「勘十郎さま。それがしは、二十四年、《《余分に生きました》》」
老人は、静かに言った。
「そのうち十年は、あなたさまに腹を切っていただいてからの十年にござる」
「……」
「孫の顔を見ました。三人おります。……上の子は、もう元服いたしました」
彼は、荷を持ち上げた。
「――《《十分にござる》》」
◆
「――秀貞どの」
俺は、そう呼び止めた。
「はい」
「――《《それがしは、止められませなんだ》》」
俺は、頭を下げた。
「兄に、掛け合い申した。……勝てませなんだ」
老人は、しばらく俺を見ていた。
そして、こう言った。
「――《《勘十郎さま》》」
「……」
「――《《それがしは、それを聞きに来ていただけただけで、十分にござる》》」
◆
同じ月、俺は安藤守就にも会いに行った。
こちらは、林ほど穏やかではなかった。
武田への内通を疑われての追放である。
安藤守就は、俺を見ると、開口一番こう言った。
「――《《利子は、払えませなんだな》》」
俺は、その言葉を、十三年ぶりに聞いた。
――《《医者どのの手当てには、利子がつきまする》》。
あのとき、この男はそう言った。
そして三年後、西美濃三人衆は織田に内応し、稲葉山は落ちた。
「――安藤どの」
「勘十郎さま。孫は、達者にござる」
老人は、それだけ言った。
「――走っておりまする」
◆
俺は、その言葉だけを持って帰った。
――《《それだけしか、持って帰れなかった》》。
◆
安土へ戻る途中。
俺は、坂本を通った。
――そして、《《明智光秀に会った》》。
城下の道で、偶然である。
彼は、供を連れて馬に乗っていた。
俺を見ると、すぐに下馬して、あの丁寧な一礼をした。
「――勘十郎さま。これは、奇遇にございます」
「――明智どの」
俺は、その顔を見た。
五十半ばのはずだ。
四年前に瘧で倒れたときより、《《顔色がいい》》。太ってはいないが、痩せてもいない。
丹波を平定し、その功で丹波一国を与えられ、今や織田家中でも屈指の地位にある。
「――お顔の色が、よろしゅうござるな」
「おかげさまで」
彼は、微笑んだ。
「あれから、《《五つを守っております》》」
「……食う、寝る、日に当たる、風を通す、と」
「――五つ目は、《《人と寝所を分かつ》》でございましたな」
彼は、少し寂しそうに笑った。
「――《《今は、一人で寝ておりますゆえ》》」
◆
俺は、しばらく黙った。
そして、聞いた。
「――明智どの。佐久間どののこと、お聞きになりましたか」
光秀の表情は、《《まったく動かなかった》》。
「――伺いました」
「……」
「三十年お仕えになった方が、一枚の紙で。……《《驚きました》》」
彼は、そう言った。
言葉は、正しい。
驚いた、と言っている。
だが、《《その顔は、驚いていなかった》》。
◆
「――明智どの」
「はい」
「――《《何を、お思いになりましたか》》」
俺は、そう聞いた。
直球だった。
こんな聞き方をしたのは、初めてだった。
光秀は、少し驚いたように俺を見た。
そして――《《微笑んだ》》。
「――《《殿の御思案は、それがしごときには測りかねまする》》」
◆
完璧な答えだった。
何も言っていない。
批判もしていない。同調もしていない。感想すら述べていない。
――《《これを、俺は診断できない》》。
「明智どの」
「はい」
「――《《年に一度、診せていただく約束を、覚えておられるか》》」
光秀は、少し困った顔をした。
「……申し訳ございませぬ。丹波の仕置きに追われまして」
「――四年、経ちますな」
「――《《面目次第もございませぬ》》」
彼は、深く頭を下げた。
◆
「――明智どの」
俺は、言った。
「――《《来月、坂本へ参る》》」
「え」
「兄には、それがしから申し上げる。……《《診に参る》》」
俺は、その眼を見た。
「――《《来月だ》》」
光秀は、しばらく俺を見返していた。
そして、あの丁寧な一礼をして、こう言った。
「――《《お待ち申し上げております》》」
◆
俺は、馬を進めながら、後ろを振り返った。
光秀は、まだ道に立って、こちらを見送っていた。
――《《正面に、比叡山があった》》。
◆
天正八年 八月
佐久間右衛門尉、折檻状十九か条により追放。仕えて三十年。
林佐渡守、安藤伊賀守、丹羽右近、同じく追放。
――林どのの理由は《《二十四年前》》。
(起きなかった謀反である。俺が止めた)
※兄上に諫言。敗れたり。
「働きで人を計る仕組みは、いずれ全員を捨てることになる。
なぜなら、人は必ず衰えるゆえに」
――兄上「それでいい。思わせておけ。そう思う者ほどよく働く」
※膿は、どこかで必ず破れる。出す道を塞がれた膿は、
《《一番弱いところ》》を選んで破れる。
――《《どこから破れるかは、医者にも分からぬ。》》
症例・林秀貞、六十七歳。
握力低下、歩幅短縮、方向転換の遅延。――《《老いである。》》
「二十四年、余分に生きました。十分にござる」
症例・明智十兵衛光秀。五十半ば。
顔色良好。五つを守れる由。――《《身体は、健である。》》
所見――なし。
佐久間の件を問うも、「殿の御思案は測りかねまする」。
――《《完璧な答えであった。ゆえに、何も分からぬ。》》
――《《来月、坂本へ行く。》》
残り、二年。
史実では、天正八年八月、織田信長は佐久間信盛父子に十九か条の折檻状を突きつけて追放しました。同月、林秀貞、安藤守就、丹羽氏勝も追放されています。
林秀貞の追放理由として挙げられたのが、二十四年前——弘治二年の謀反でした。
二十四年前です。しかもその間、彼は織田家の筆頭家老として仕え続けていました。
本作では第五話で稲生の戦いを回避させているため、この史実をそのまま使うことができません。そこで「起きなかった謀反の企て」そのものが理由になる、という形にしました。歴史を変えたはずの主人公の行為が、二十四年後に別の形で人を追い詰める——そういう構造です。
今回、医学的な知識としては「予備力」の話を書きました。
若い体には余裕があります。徹夜をしても、怪我をしても、体調を崩しても、余裕の範囲で吸収してしまうため、表に出ません。
加齢とは、その余裕が減っていくことです。心臓も、肺も、腎臓も、免疫も、筋肉も、若い頃と同じようには働きません。同じ負荷が、若い人には無害で、高齢の方には致命的になる。
医療の現場では、これを予備力の低下と呼びます。高齢の方の手術リスクを判断するとき、実際の年齢よりも、この予備力がどれだけ残っているかを重視します。
そして重要なのは、これが誰にでも起こるということです。例外はありません。
次話、いよいよ坂本へ向かいます。
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