第三十話 逃げ場が一つ減った
天正四年、明智光秀が倒れました。
第二十三話で、勘十郎はこう書きました。
「主訴、なし。所見、なし。ただし、この男は溜める」
六年経って、初めてこの人を診ます。
天正四年、五月。
石山本願寺との戦は、六年目に入っていた。
――《《終わらない戦》》である。
叩いても、和議を結んでも、また兵を挙げる。
毛利が海から兵糧を入れ、雑賀の鉄砲衆が加勢し、そして本願寺は落ちない。
五月、天王寺の砦が囲まれた。
守っていたのは、明智十兵衛光秀である。
信長は、自ら三千を率いて救援に走り、砦を解囲した。
このとき、兄は《《足に鉄砲傷を受けた》》。
浅かった。俺が診て、洗って、三日で歩けるようになった。
――だが、その報せの陰で、俺は別の報せを受け取っていた。
◆
「――《《明智さまが、倒れられました》》」
七月である。
俺は、その報せを聞いた瞬間、筆を落とした。
「――どこで」
「坂本のお城にて。……天王寺から戻られてすぐ、床に就かれたまま起き上がれぬと」
「症は」
「悪寒と、高熱を繰り返しておられるとか。……何日かに一度、《《震えが来る》》と」
――《《何日かに一度》》。
俺の頭の中で、警鐘が鳴った。
「――兄上に、お伺いを立てろ。それがしを坂本へやっていただきたい」
◆
兄の返事は、早かった。
「――行け」
彼は、絵図から目も上げずに言った。
「京にも使いを出す。……《《曲直瀬道三》》を呼べ。あれは今、京におろう」
俺は、顔を上げた。
「兄上。道三先生を」
「二人で診ろ」
信長は、そこで初めて顔を上げた。
「――《《十兵衛は、惜しい》》」
その言い方に、俺は少し引っかかった。
――《《惜しい》》。
人に対して使う言葉ではない。
そして、この兄は、たぶん《《意識せずに》》それを使った。
◆
坂本城は、湖のほとりにあった。
水面に石垣が直接立ち上がる、美しい城だった。
――そして、その城から見上げると。
《《比叡山が、正面にあった》》。
俺は、馬を下りて、しばらくそれを見上げた。
五年前、俺はあの山を歩いた。焦げた柱と、甘い匂いと、痛みを訴えぬ者たちのあいだを。
明智光秀は、あの山を焼いた功で、この地を与えられた。
そして――《《五年間、毎日、あれを見ながら暮らしている》》。
◆
奥の間には、先客がいた。
文机の前に、小さな老人が座っていた。
――《《曲直瀬道三》》。
六十九になったはずだ。
背は、さらに丸くなっていた。手が、はっきりと震えている。
だが、細い眼だけは、変わっていなかった。
「――おう」
彼は、俺を見るなり言った。
「《《尾張の若造》》か」
「――お久しゅうございます、先生」
俺は、深く頭を下げた。
「四十四になり申した」
「若造は若造じゃ」
老人は、ふん、と鼻を鳴らした。
――八年ぶりだった。
◆
「先生。もう診られましたか」
「診た」
「――お見立ては」
道三は、俺を見た。
そして、いきなりこう言った。
「――《《お前が言え》》」
「は」
「わしは、もう見立てた。……お前がどう見るかを聞きたい。《《同じであれば、たぶん正しい》》」
俺は、思わず笑ってしまった。
――《《二人で診る、というのは、そういうことか》》。
◆
明智光秀は、床の上にいた。
五十を少し過ぎたはずだ。
――《《痩せていた》》。
六年前、金ヶ崎で見たときは、鎧を泥だらけにしながら襟だけはきちんとしている男だった。
今は、頬がこけ、目の下に影があり、そして――
《《それでも、寝間着の襟が、まっすぐに合わせてあった》》。
「――勘十郎さま」
彼は、俺を見ると、床の上で身を起こそうとした。
「――《《寝ておられよ》》」
俺は、慌てて押しとどめた。
「なれど、御一門の方に、寝たままなど」
「――《《患者は、寝ておるものにござる》》」
俺は、その肩を押さえた。
……硬い。
肩が、板のように硬かった。
◆
俺は、順に診ていった。
脈。速い。だが不規則ではない。
額。今は熱がない。だが《《汗の跡》》がある。
瞼の裏。――《《白い》》。
俺は、そこで手を止めた。
「――明智どの。震えが来るのは、何日ごとにござるか」
「……三日に一度、でございましょうか」
「三日」
「はい。丸一日、何ともない日がございまして、その次の日に、また」
――《《一日おき》》。
俺は、次に、彼の腹に手を当てた。
左の肋骨の下。深く息を吸わせながら、指を潜り込ませる。
――《《当たった》》。
硬いものの縁が、指先に触れた。
「――《《脾が、腫れておる》》」
◆
「――勘十郎さま。それは」
光秀が、初めて不安そうな顔をした。
「明智どの。まず、悪い話ではござらぬ」
俺は、はっきりと言った。
「これは、《《瘧》》にござる」
「――瘧」
「はい。夏に、湿地におった者がかかる病にござる。……天王寺は、川と湿地に囲まれた土地にござろう」
「――さようでございます」
「そこで、蚊に刺され申した」
光秀の眉が、上がった。
「蚊、でございますか」
「――《《蚊が、この病を運びまする》》」
俺は言った。
「悪い気ではござらぬ。沼から立つ瘴気でもござらぬ。……病んだ者の血を吸うた蚊が、次の者を刺すときに移すのにござる」
そのとき。
背後で、老人が唸った。
「――《《ほう》》」
◆
俺は、振り返った。
道三が、目を見開いてこちらを見ていた。
「勘十郎。それは、どこで得た」
「――《《墨俣で、試し申した》》」
俺は答えた。
「十三年前にござる。湿地に砦を築くにあたり、蚊帳を五百張買い込み、水溜まりを埋め、蚊遣りを絶やさず、夜明けと日暮れに肌を出さぬよう触れを出しました」
「……それで」
「――《《砦の兵は、十一人で止まり申した》》」
俺は、続けた。
「対岸の斎藤方の砦では、三割が瘧で使い物にならなくなったと、後に聞き申した。……同じ湿地に、同じ夏にござる」
道三は、しばらく黙っていた。
そして、《《文机を叩いた》》。
「――《《なぜ、それを書に載せておらん》》!」
「え」
「『手当書』じゃ! わしは五巻とも読んだ! どこにもそんなことは書いておらんぞ!」
「――《《証が、立てられませぬゆえ》》」
「馬鹿もん!」
老人は、震える手で俺を指した。
「――《《証が立たぬなら、そう書けばよいのじゃ》》!」
◆
俺は、殴られたような気がした。
「『これは確かめられておらぬ。なれど、こうすれば病が減った。理由は分からぬ』――そう書けばよい!」
道三は、まくし立てた。
「お前は、確かなことしか書かぬ癖がある。……それは誠実に見えて、《《怠慢じゃ》》」
「先生」
「わしが五十年で分かったことがある。医の書はな、《《正しいことだけ書いておっては、痩せる》》」
彼は、指を立てた。
「『こうしたら、こうなった。理由は知らぬ』――これを書き残せ。百年後の誰かが、その理由を見つける」
俺は、床に手をついた。
「――《《書き足しまする》》」
◆
道三の見立ては、俺と同じだった。
――瘧。三日に一度の熱。脾の腫れ。貧血。
「この型は、しつこいが、《《たいてい死なぬ》》」
老人は、光秀に向かって言った。
「何度も繰り返しますな。年を越して、また出ることもございましょう。……なれど、これで死ぬ者は少のうございます」
「――さようですか」
光秀の表情が、わずかに緩んだ。
「――《《ただし》》」
道三は、そこで声を変えた。
「明智さま。……この病は、《《弱った者を選んで、深く食い込みまする》》」
◆
俺は、そこで口を挟んだ。
「――明智どの。ひとつ伺いたい」
「はい」
「この一年、《《何日、休まれましたか》》」
光秀は、答えなかった。
「――《《数えられぬ》》ということにござるな」
「……」
「丹波の攻略。天王寺の守り。京の政務。将軍家の始末。……それに加えて、兄からの下知」
俺は、指を折った。
「明智どの。それがしが調べたところ、貴殿はこの一年で、《《坂本と京と丹波と大坂を、二十七度往復》》しておられる」
光秀の眼が、初めて動いた。
「……そこまで、お調べに」
「医者にござるゆえ」
俺は言った。
「――《《瘧は、貴殿を倒した病ではござらぬ》》」
◆
「――え」
「瘧は、《《最後の一押し》》にござる」
俺は、はっきりと言った。
「貴殿は、この一年、いや、この六年、《《ずっと倒れる直前におられた》》。蚊は、たまたま最後に刺しただけにござる」
「勘十郎さま。それは、いささか」
「――《《六年前、金ヶ崎で》》」
俺は、遮った。
光秀の動きが、止まった。
「――《《手が、震えておられた》》」
◆
部屋が、しんとした。
道三が、こちらを見ているのが分かった。
「あのとき、それがしは伺いました。お身体は悪くないか、と。……貴殿は、『冷えたようでございます』と答えられた」
「……」
「――《《あれは、嘘にござろう》》」
光秀は、天井を見ていた。
長い沈黙の後、彼は言った。
「――《《嘘でございます》》」
◆
「四十七人を、寺に運びました」
彼は、静かに言った。
「銭を置き、米を置き、書状を書きました。……段取りは、全て整えました」
「……」
「そして、《《書き終えたときに、手が止まらなくなりました》》」
彼は、自分の右手を見た。
「筆が、上下いたしました。……あれは、みっともないものでございます」
「――みっともなくは、ござらぬ」
俺は言った。
「あれは、《《人として、当たり前》》にござる」
「……」
「四十七人を置いてきて、手が震えぬほうがおかしい。……それがしも、震え申した」
俺は、続けた。
「そして、それがしは、《《それを弟子に見られました》》。隠しませなんだ」
光秀は、ゆっくりとこちらを向いた。
「――勘十郎さまは」
「はい」
「――《《それを、隠さずにおられるのですか》》」
◆
俺は、この問いに、少し驚いた。
――《《本気で聞いている》》。
この男は、俺が「隠さない」ということを、《《理解できていない》》。
「……明智どの。隠す必要が、ござるか」
「――《《ございましょう》》」
彼は、当然のように言った。
「それがしは、将にございます。将が震えておれば、兵は逃げまする。……それに」
彼は、そこで少し言葉を切った。
「――《《それがしは、余所者にございます》》」
◆
「明智どの」
「勘十郎さま。上総介さまの御家中で、それがしのように《《後から来た者》》は、少のうございます」
彼は、静かに言った。
「柴田さまは、清洲の頃から。丹羽さまも、佐久間さまも、林さまも。……木下どのですら、美濃より前からでございます」
「……」
「それがしは、《《足利の家臣》》として来た者にございます。しかも一時は、両方にお仕えしておりました」
彼は、天井を見た。
「――《《隙を見せるわけには、参りませぬ》》」
◆
俺は、その言葉を聞いて――
《《背筋が、寒くなった》》。
――《《これだ》》。
六年前、俺はカルテにこう書いた。
――主訴、なし。所見、なし。ただし、この男は溜める。
俺は、それを《《性分》》だと思っていた。
だが違った。
この男は、《《溜めなければならない立場にいる》》。
外様である。前歴が複雑である。実力で這い上がっている。だから、一度でも隙を見せれば、居場所がなくなる。
――《《だから、逃げ場を作れない》》。
膿は、出せる場所があるうちは溜まらない。
だが、《《出す場所を持つことを許されない人間》》が、この世にはいる。
◆
「――明智どの」
俺は、言った。
「――《《一人、お作りなされ》》」
「は」
「言えぬことを言える相手を、一人。……家臣でなくともよい。奥方でも、坊主でも、それがしでもよろしい」
俺は、身を乗り出した。
「三年前、それがしは徳川三河守どのに、同じことを申しました。あの方は、三方ヶ原で負けた翌日、《《ご自分の情けない顔を絵師に描かせて》》おられた」
光秀は、少し驚いた顔をした。
「――絵に」
「そうにござる。外へ出しておられる。……それが、あの方が壊れぬ理由にござろう」
俺は言った。
「明智どの。人は、《《出せぬものを抱えると、内側から壊れまする》》」
「――なにゆえ、そうまで仰せになります」
光秀が、聞いた。
「それがしは、あなたさまの御家中ですらございませぬ」
「――《《医者だからにござる》》」
俺は、答えた。
二十一年間、何度も言ってきた言葉だった。
◆
光秀は、しばらく黙っていた。
そして、こう言った。
「――ありがとうございます」
丁寧な、完璧な礼だった。
「なれど、勘十郎さま」
「……」
「――《《それがしには、もう、おりまする》》」
彼は、襖のほうを見た。
◆
襖が開いて、女が入ってきた。
四十半ばだろうか。
小柄で、地味な小袖を着て、そして――《《目の下に、はっきりと隈があった》》。
「――妻の、熙子にございます」
光秀が言った。
彼女は、静かに手をついた。
「――このたびは、遠方より」
「奥方」
俺は、その顔を見ていた。
「――《《何日、寝ておられませぬ》》」
◆
彼女は、きょとんとした。
「は」
「――何日、眠っておられませぬか」
熙子どのは、少し困ったように微笑んだ。
「……いえ、眠っております」
「――《《嘘にござる》》」
俺は、はっきりと言った。
「瞼の下の色。唇の乾き。手の甲の皮の張り。……そして、《《座られたときの、腰の落とし方》》」
俺は、立ち上がった。
「――《《脈を、取らせていただく》》」
「勘十郎さま、わたくしは病人では」
「――《《取らせていただく》》」
◆
速い。
そして、《《弱い》》。
俺は、瞼の裏を見た。
――《《白い》》。夫より、《《白い》》。
俺は、その手を離して、光秀を振り返った。
「――明智どの」
「はい」
「――《《奥方は、貴殿より悪うござる》》」
◆
光秀の顔から、血の気が引いた。
「――なんと」
「五日ほど、床から離れておられませぬな。……いや、《《離れられぬのは、貴殿の床から》》か」
俺は、熙子どのを見た。
「奥方。貴女は、この五日、どれほど眠られた」
彼女は、答えなかった。
「――《《食っておられぬ》》な」
俺は、そう言った。
「食う時間があれば、その分、看ておられるのだろう。……そういう顔をしておられる」
熙子どのは、俯いた。
そして、小さな声で言った。
「――《《後ほど、休みまする》》」
◆
――《《後ほど》》。
俺は、その言葉を、四十年間、何百回と聞いてきた。
そして、その《《後ほど》》が来なかった人間を、何人も見てきた。
「――奥方」
俺は、その前に膝をついた。
「今から、粥を食っていただく。それと甘い塩湯を、椀に三杯」
「なれど、殿が」
「――《《それがしと道三先生が、二人おりまする》》」
俺は言った。
「日本で一番の医者と、二番目の医者にござる。……四半刻ほど、任せていただきたい」
道三が、後ろで鼻を鳴らした。
「――誰が二番目じゃ」
◆
俺は、その日、熙子どのを無理やり寝かせた。
部屋を替え、光秀から離し、粥を食わせ、塩湯を飲ませ、そして侍女に見張らせた。
彼女は、横になった途端、《《一瞬で眠った》》。
――限界だったのだ。
俺は、その寝顔を見ながら、光秀に言った。
「――明智どの。奥方が倒れれば、貴殿も倒れまする」
「……はい」
「そして、貴殿は――《《それを、生涯背負われることになる》》」
俺は、そう言った。
――そのつもりで、言った。
◆
俺は、坂本に十日いた。
光秀の熱は、その間に三度来て、そして四度目は来なかった。
脾の腫れも、少しずつ引いた。
道三は、五日目に京へ戻った。帰り際、彼は俺にこう言った。
「――勘十郎」
「はい」
「あの男の身体は、治る」
「……はい」
「――《《それ以外は、治らんぞ》》」
俺は、老人の顔を見た。
「先生も、そう思われますか」
「五十年、人を診てきた」
道三は、駕籠に乗りながら言った。
「――《《あれは、逃げ場のない人間の顔じゃ》》」
◆
俺が坂本を発つ日。
光秀は、門まで送りに出た。
もう、自分の足で歩いていた。
「――勘十郎さま。この御恩は」
「恩ではござらぬ。……ただ」
俺は、その顔を見た。
「――《《一つ、お約束いただきたい》》」
「なんなりと」
「――《《年に一度、それがしに診せていただきたい》》」
光秀は、驚いた顔をした。
「毎年、でございますか」
「はい。身体だけではござらぬ」
俺は言った。
「――《《何を溜めておられるかも、伺いたい》》」
◆
光秀は、しばらく黙っていた。
そして、あの丁寧な一礼をして、こう言った。
「――《《ありがたきことにございます》》」
それは、《《承知した》》とは、言っていなかった。
――俺は、それに気づいた。
気づいて、《《食い下がらなかった》》。
なぜなら、この男が微笑んで礼を言っている以上、それ以上どう言えばいいのか、俺には分からなかったからだ。
◆
――十一月。
坂本から、報せが来た。
《《明智熙子、死去》》。
俺は、その報せを岐阜で受け取った。
――四月前、俺が無理やり寝かせた女である。
あのとき、彼女は眠った。四半刻ではなく、半日眠った。
俺は、それで足りると思った。
――《《足りなかった》》。
夫が回復した後も、彼女は自分の身体を戻さなかったのだろう。
あるいは、戻す前に、また何かを看ていたのかもしれない。
◆
俺は、その夜、カルテを開いた。
そして、書けなかった。
――何を、書けばいい。
「奥方を、五日目に発見した。手遅れであった」と書くのか。
「四半刻ではなく、四十日寝かせるべきであった」と書くのか。
「夫の看病を、他人に任せさせるべきであった」と書くのか。
――全部、《《後から言えること》》だ。
俺は、筆を持ったまま、長いこと動かなかった。
そして、結局、こう書いた。
――《《症例・明智熙子。四十半ば。》》
――《《 所見――睡眠不足、食事摂取不良、貧血。》》
――《《 ――《《看病する者を、誰も診ていなかった。》》》》
――《《 俺も、五日目まで診ていなかった。》》
――《《一、病人のおる家に入ったら、《《まず、看ておる者を診よ》》。》》
――《《 病人は診てもらえる。看ておる者は、誰にも診てもらえぬ。》》
◆
筆を置いて、俺は、もう一枚の紙を取り出した。
六年前に書いた、あのカルテである。
――症例・明智十兵衛光秀。四十過ぎ。
――主訴、なし。所見、なし。
――ただし、この男は溜める。
――なきことこそ、危うし。
俺は、その下に、一行だけ書き足した。
――《《天正四年十一月。》》
――《《 ――《《逃げ場が、一つ減った。》》》》
残り、六年。
天正四年、明智光秀が重病に陥ったことは史実として伝わっています。信長がその平癒を気にかけていたことも、記録に残っています。病名は明らかではありません。
今回は、天王寺の陣という湿地での長期滞在を踏まえ、瘧——マラリアと解釈しました。
三日に一度、あるいは一日おきに規則正しく発熱を繰り返すのが特徴で、悪寒戦慄から始まり、高熱、そして発汗とともに解熱します。脾臓が腫れ、貧血が進みます。日本に土着していた型は、繰り返しはするものの、多くの場合は命を奪うまでには至りません。
もう一つ、今回の主題は看病する人です。
病人には医者がつきます。家族が世話をし、周囲が気遣います。ですが、その看病をしている人を診る人は、しばしば誰もいません。
睡眠が削られ、食事が不規則になり、自分の不調を後回しにする。「後ほど休みます」という言葉は、医療の現場で最もよく聞かれ、そして最も守られない言葉かもしれません。
現代では介護者の健康問題として広く認識されるようになりましたが、それでも見落とされ続けています。
作中で勘十郎が『手当書』に書き加えた一行——「病人のおる家に入ったら、まず、看ておる者を診よ」——は、四百年以上経った今でも有効な指針だと思います。
次話も天正の続きです。
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