第二十八話 穴は小さく、中はひどい
第六章「長篠、死なない軍隊」開幕です。
※銃創の処置、動物の解剖に関する描写があります。
岐阜の武器蔵に、火縄銃が千挺ありました。
天正二年、九月。
伊勢長島。
一向一揆の籠る城砦群を、織田軍が囲んだ。
降を申し出た者たちが船で出てくるところを、鉄砲で撃った。
残った中江・屋長島の砦を、柵で囲んで、火をかけた。
――《《二万》》と伝わる。
俺は、そこにいなかった。
行かせてもらえなかった、という言い方が正しいかもしれない。
兄は、俺を岐阜に置いた。理由は言わなかった。
――たぶん、《《見せたくなかった》》のだと思う。
あるいは、《《見られたくなかった》》のか。
俺は、報せを聞いて、数字だけを書き留めた。
それしか、できることがなかった。
◆
その冬。
俺は、岐阜城の武器蔵の前に立っていた。
「――《《何挺ある》》」
案内した鉄砲奉行の男は、少し得意げに答えた。
「岐阜だけで、千を超えており申す」
「――千」
「堺と、国友と、日野から。……近頃は、月に百挺の割で入っておりまする」
俺は、蔵の中を見た。
黒光りする火縄銃が、棚に整然と並んでいた。
――《《異様な光景》》だった。
俺がこの時代に来た十九年前、鉄砲は「珍しい南蛮の道具」だった。一つの家に十挺もあれば大したものだった。
それが今、《《千》》である。
◆
俺は、そこで、一つのことに気づいた。
――《《俺は、鉄砲傷を、ほとんど診ていない》》。
十九年、俺は戦傷を診続けてきた。
斬られた傷。突かれた傷。矢の傷。潰された傷。焼かれた傷。
その全部について、俺は『手当書』に書いた。
だが、鉄砲の傷については――《《三行しか書いていなかった》》。
これまでは、それでよかった。運ばれてくる鉄砲傷は、百人に二人か三人だったからだ。
だが。
俺は、千挺の火縄銃を見た。
――《《次の戦から、変わる》》。
◆
「――《《猪を、十頭ほど手に入れたい》》」
俺がそう言うと、与一郎はきょとんとした。
「猪、にございますか。……食されるので」
「撃つ」
「は?」
「――《《鉄砲で、撃つ》》」
◆
三日後、俺は岐阜城下の外れの河原にいた。
筵で囲った一角に、猪の死骸を吊るしてある。
そのうち何頭かには、《《具足を着せた》》。
胴丸を巻いたもの、革の胴だけのもの、小袖を三枚重ねただけのもの、何も着せていないもの。
鉄砲足軽を五人、借りてきた。
彼らは、俺の指図の意味がまったく分からないという顔をしていた。
「――勘十郎さま。これは、その、何の御修行で」
「修行ではない」
俺は答えた。
「《《調べておる》》」
「調べる、と申されますと」
「――《《弾が身体に入ると、中で何が起きるか》》を、だ」
◆
俺は、距離を決めた。
十間。三十間。五十間。
それぞれの距離から、それぞれの装備の猪を撃たせた。
そして、撃った後、《《全部、俺が解体した》》。
――正確に言えば、《《解剖した》》。
周りの者たちは、露骨に嫌な顔をしていた。
猪を捌くのは構わない。食うためなら誰でもやる。
だが、俺がやっていることは、《《食うためではない》》。
弾の入った穴から、まっすぐに刃を入れて、《《弾の通った道》》を追いかけているのだ。
与一郎だけが、隣で必死に筆を走らせていた。
◆
――そして、《《分かった》》。
俺は、河原に座り込んで、書き付けを見返しながら、頭の中を整理した。
《《一つ目》》。
――《《穴は、小さい》》。
入り口の穴は、指が一本入るかどうかである。矢傷より小さいことすらある。
だが、中を開けてみると。
――《《肉が、拳ほどの範囲で潰れていた》》。
弾は、まっすぐ通っているのではない。中で肉を《《押しのけ、揺すり、潰しながら》》進んでいる。
外から見える穴の大きさと、中の壊れ方が、《《まるで釣り合っていない》》。
《《二つ目》》。
これが、最も重要だった。
具足を着せた猪の傷の中から――《《具足の破片と、革と、布が出てきた》》。
弾は、鎧を突き破るとき、《《その鎧の破片を、一緒に肉の奥へ押し込んでいる》》。
小袖三枚を着せた猪の傷からは、《《布の切れ端が三枚とも》》出てきた。
しかも、それは傷の入り口ではなく、《《一番奥》》にあった。
「――与一郎」
「はい」
「これを書け。《《太い字》》で書け」
俺は言った。
「――《《鉄砲の傷には、必ず、着ていたものが中に入っている》》」
◆
「……それが、何か」
「――《《人を殺すのは、弾ではない》》」
俺は、猪の傷の奥から摘まみ出した布切れを掲げた。
「弾は、鉛の塊だ。無菌ではないが、まあ、熱で焼けておる。……だが、これは違う」
俺は、その布を指で揉んだ。
「汗を吸い、垢を吸い、泥を吸った小袖だ。それが、《《傷の一番奥に押し込まれておる》》」
俺は、続けた。
「そして、周りは潰れた肉だ。血の通わぬ、死んだ肉。……《《死んだ肉は、腐る》》」
俺は、立ち上がった。
「――《《これが、鉄砲傷で人が死ぬ理由だ》》」
◆
――五年前、俺は南蛮寺で、フロイスから面白い話を聞いていた。
南蛮では、鉄砲傷は《《火薬の毒》》によるものだと信じられていたという。
だから、傷に《《煮え立った油を注いで、毒を焼く》》治療が行われていた。
それを変えたのが――《《アンブロワーズ・パレ》》である。
俺が二十年近く前、権蔵の腿で真似をした、あのフランスの軍医だ。
ある戦で、彼は油を切らした。
仕方なく、卵黄と油とテレビン油を混ぜた軟膏を塗って、包帯を巻いた。
――そして、翌朝。
《《油を注がれた兵は苦しみ、軟膏を塗った兵は、穏やかに眠っていた》》。
彼は、それきり油を使うのをやめた。
――《《火薬に毒はない》》。
傷を悪くしていたのは、《《治療のほうだった》》。
◆
俺は、その冬、鉄砲傷の手当てを、《《六つ》》にまとめた。
「――一つ。《《傷口の大きさで判断するな》》」
俺は、集めた手当組の頭たちに言った。
「穴が小さいからと、軽く見るな。中は拳ほど壊れておる。……《《外から見えるものは、当てにならん》》」
「二つ。《《弾を探すな》》」
全員が、意外そうな顔をした。
「勘十郎さま。弾は、抜かねばならんのでは」
「――《《無理に探すな》》と言うておる」
俺は答えた。
「浅いところにあって、指で触れるものは取れ。……だが、《《深いところの弾を探して、傷を掘り返すな》》」
「なにゆえで」
「探すために掘れば、そのぶん肉が壊れ、血が出て、汚れが広がる。……《《弾そのものは、たいてい悪さをせん》》」
俺は、指を立てた。
「取らねばならんのは、《《弾ではない》》」
◆
「三つ。《《傷を開け》》」
これが、最も重要だった。
「弾の入った穴は小さい。だが、《《その穴を、大きく切り開け》》」
「傷を、広げるのでございますか」
「そうだ」
俺は言った。
「小さい穴のままでは、中に手が届かん。中が見えん。……そして、《《中こそが問題》》なのだ」
俺は、続けた。
「四つ。《《中の物を、全部取り出せ》》」
俺は、掌を広げた。
「布、革、鎧の破片、髪、泥、骨のかけら。……《《目に見えるものは、全部だ》》。指を入れて、探って、掻き出せ」
「五つ。《《死んだ肉を、切り捨てろ》》」
俺は、猪の潰れた肉を思い浮かべながら言った。
「弾の道の周りは、《《色が違う》》。生きた肉は赤く、切れば血が滲む。死んだ肉は、《《くすんで、切っても血が出ん》》」
「……」
「その死んだ肉を、鋏で切り取れ。惜しむな。《《残せば腐る》》」
◆
「そして、六つ目」
俺は、そこで一度、間を置いた。
「――《《縫うな》》」
場が、ざわめいた。
「勘十郎さま。傷を開いて、中を掻き出して、肉を切って……そのまま、開けておくのでございますか」
「そうだ」
「――それでは、汚うございましょう」
「――《《縫えば、死ぬ》》」
俺は、はっきりと言った。
「よいか。鉄砲傷の中は、《《どれだけ掃除しても、汚れが残っておる》》」
俺は、指を組んでみせた。
「そこを縫って塞げば、汚れは中に閉じ込められる。そして、閉じ込められた汚れは――」
俺は、指を握り込んだ。
「――《《膿になる》》」
――膿は、出せる場所があるうちは溜まらない。
俺が三年前、兄に語ってしまった言葉だ。
「開けておけ。煮た布を軽く詰めて、毎日替えろ。……四日か五日して、傷の中が赤く、きれいになったら、そのとき初めて縫え。それでも遅くはない」
俺は、言い切った。
「――《《急いで閉じるのが、一番の敵だ》》」
◆
その冬のうちに、この六つは唄になった。
とめどのが産婆に唄を作ったように、喜三郎が手当組に唄を作った。
――ひとつ、《《穴は小せえが 中はひでえぞ》》
――ふたつ、《《玉は探すな 掘るんじゃねえ》》
――みっつ、《《開けよ 広げよ 中を見ろ》》
――よっつ、《《布も鎧も みんな出せ》》
――いつつ、《《血の出ぬ肉は 切って捨てろ》》
――むっつ、《《縫うな。四日は開けておけ》》
……節が乱暴なのは、喜三郎の趣味である。
だが、《《覚えやすかった》》。
◆
年が明けて、天正三年。
二月に、播磨から文が届いた。
――竹中半兵衛からである。
――《《咳は増えました。血は、月に一度ほど。》》
――《《五つは守っております。ただ、寝るのが遅うなりました。》》
――《《筑前どの(藤吉郎)が、無茶をなさるゆえ、止めるのに難儀しております。》》
――《《弥五郎は、達者です。冬を越しました。》》
――《《残り、五年ほどでございましょうか。》》
――《《まだ、やることがございます。》》
俺は、その文を三度読んだ。
そして、返事を書いた。
――《《寝ろ。》》
それだけを、大きく書いた。
◆
そして、四月。
武田勝頼が、一万五千を率いて三河へ入った。
長篠城が、囲まれた。
徳川からの使者が、岐阜へ走った。
――兄は、《《三万を動員した》》。
そして、鉄砲を、《《千挺》》持って行くと言った。
俺は、その報せを聞いた夜、手当組を全員集めた。
「――《《次の戦は、これまでと違う》》」
俺は言った。
「斬られた者も、突かれた者も出る。だが、《《鉄砲傷が、これまでの十倍出る》》」
全員が、静まり返った。
「唄は、覚えたな」
「――《《おうっ》》」
「もう一度、頭から」
◆
五月。
三河、設楽原。
俺は、後方に手当所を張った。
これまでで、最大の規模である。
筵は八百枚。竈は二十。手当組は千二百人。
そして、《《三つの筵を分ける役》》には、二十人を置いた。
――そのうち十人は、喜三郎が育てた者たちだった。
木の足の男は、指南役として杖をつきながら、彼らに最後の確認をしていた。
「よいか、見るのは三つだ! 息をしてるか。血が噴いてるか。呼べば返事をするか!」
「――《《おうっ》》」
「間違えても構わん。俺も間違えた。……だが、《《誰も決めなきゃ全員死ぬ》》」
――十七年前、俺が浮野で言った言葉である。
俺は、それを聞きながら、少しだけ笑った。
◆
五月二十一日。
夜明けとともに、それは始まった。
――《《音が、違った》》。
これまでの戦は、喊声で始まった。
だが、この日の音は、《《雷》》だった。
連続する、腹に響く破裂音。
それが、途切れない。
俺は、手当所の板囲いの上に登って、遠くを見た。
――《《白い煙が、地平線に沿って湧いていた》》。
◆
最初の負傷者が来たのは、それから半刻後である。
――そして、俺は、自分の予想が甘かったことを知った。
「――《《来ます! 来ます、勘十郎さま!》》」
与一郎の声が裏返っていた。
街道が、担架で埋まっていた。
二十。五十。百。
途切れない。
「――《《赤い布、足りませぬ!》》」
「白い布を裂け! 何でもいい!」
俺は、赤い筵に飛び込んだ。
そして、最初の男の傷を見た。
右の太腿。穴は、指一本分。
――《《だが、周りが硬い》》。
俺は、迷わず小刀を入れた。
「――《《開ける》》」
◆
その日、俺は自分の手で、三十七人を開けた。
どの傷からも、《《何かが出てきた》》。
布。革紐。籠手の鉄片。草摺の破片。
一人からは、《《鉄砲玉に潰された銭》》が出てきた。懐に入れていたのだろう。
俺は、その銭を洗って、本人の枕元に置いた。
「――《《これが、お前の肉を守った。だが、肉の中に入った》》」
男は、朦朧としながら、それを握った。
◆
昼過ぎ。
与一郎が、血相を変えて走ってきた。
「勘十郎さま! 息をせぬ者が!」
「――どこだ」
「白い筵に! 運ばれてきたときは歩いておりました! それが急に――」
俺は、走った。
――《《歩いていた者が、急に》》。
その言葉が、俺の頭の中で警鐘を鳴らしていた。
◆
男は、白い筵の上で、《《座り込んで、喘いでいた》》。
二十代半ば。
――《《左の胸に、小さな穴》》。
俺は、駆け寄って、まず顔を見た。
唇が――《《紫》》。
目が飛び出しそうに見開かれ、口を金魚のようにぱくぱくさせている。
だが、《《息が入っていない》》。
「――寝かせるな! 座らせておけ!」
俺は、その首を見た。
――《《太い血の管が、浮き上がっている》》。
まるで縄のように、皮膚の下で膨れ上がっていた。
俺は、喉のあたりを覗き込んだ。
――《《喉仏が、右に寄っている》》。
そして、俺は男の胸に耳を当てた。
右――《《風の音がする》》。
左――
《《無音》》。
◆
俺の全身が、氷になった。
――《《これは、間に合わなくなる》》。
「――与一郎! 《《竹の管》》を! 太いやつだ! あと、煮た小刀!」
「はい!」
「――《《走れ》》!」
俺は、男の胸に手を当てた。
――《《膨らんでいる》》。
左の胸が、右より明らかに盛り上がっている。
◆
――《《肺が、破れている》》。
弾が胸を貫き、肺に穴を開けた。
息を吸うたびに、《《破れた肺から、空気が胸の中へ漏れる》》。
だが、その空気は、《《出ていく道がない》》。
――だから、溜まる。
溜まった空気が、肺を押し潰す。それだけなら、まだ片肺で生きられる。
だが、空気は溜まり続ける。
やがて、《《胸の真ん中を押しはじめる》》。
心の臓と、そこへ血を戻す太い管が、《《反対側へ押しやられる》》。
血が、心の臓に戻れなくなる。
――《《だから、首の血の管が膨れる》》。
――《《だから、喉仏がずれる》》。
そして。
――《《血が回らなくなって、死ぬ》》。
息ができぬから死ぬのではない。
《《心の臓が、絞め殺される》》のだ。
◆
――《《時間がない》》。
俺は、男の左の鎖骨を指で辿った。
その下、肋骨の間。
乳首より上、脇の前寄り。ここだ。
――《《肋骨の、上の縁に沿って刺す》》。
下の縁には、血の管と神経が走っている。上縁に沿えば、それを避けられる。
「――《《押さえろ! 四人だ!》》」
与一郎が、竹の管と小刀を持って走り込んできた。
俺は、小刀を受け取り、焼酎をかけ、そして――
肋骨の間に、刃先を《《一寸ほど》》入れた。
◆
――《《しゅうううう》》。
音がした。
空気が、《《噴き出す音》》である。
傷口から、勢いよく風が出た。俺の手にかかるほどの勢いだった。
俺は、そこへ竹の管を差し込み、外の端を《《水を張った桶に沈めた》》。
――そうしないと、今度は逆に空気が入ってしまう。
管の先から、ぼこぼこと泡が出た。
そして。
――男の顔から、《《紫が引いた》》。
◆
「――……ぁ」
男が、声を出した。
「――《《は、入る》》」
「喋るな」
俺は、震える手で管を押さえていた。
「――息が、入りまする」
「――黙って吸え」
俺は、そう言うのが精一杯だった。
首の血の管が、《《すうっと平らになっていく》》のが見えた。
俺は、そこで初めて、自分が息を止めていたことに気づいた。
◆
「――与一郎」
「はい」
「今の、《《見たな》》」
「……はい」
「書け。今すぐ書け。忘れるな」
俺は、管を押さえたまま言った。
「胸を撃たれた者が、《《運ばれたときは歩いておったのに、急に息ができなくなる》》。……このとき、四つを見ろ」
「四つ」
「一つ。《《首の血の管が、浮き出ておる》》」
「二つ。《《喉仏が、反対側へずれておる》》」
「三つ。《《片方の胸だけ、息の音がせん》》」
「四つ。《《撃たれた側の胸が、膨れておる》》」
俺は、竹の管を指した。
「この四つが揃ったら、《《迷うな》》。肋骨の間に穴を開けろ。……《《骨の上の縁に沿って刺せ》》。下の縁には血の管が走っておる」
「――はい」
「そして、必ず《《管の外の端を、水に沈めろ》》。でないと、逆に空気を吸い込んで、元の木阿弥だ」
◆
その日、俺の手当所に運ばれた者は――
《《千七十四人》》。
これまでの、どの戦の三倍以上だった。
そのうち、鉄砲傷が《《七百二十九人》》。
――八割が、《《武田方》》だった。
◆
俺は、その数字を見て、しばらく動けなかった。
「勘十郎さま」
与一郎が、恐る恐る言った。
「――《《敵方も、診まするか》》」
俺は、顔を上げた。
――そして、二十年間、何度も言ってきた言葉を、もう一度言った。
「――《《傷に、旗は生えておらん》》」
◆
天正二年〜三年
※猪十頭にて実射。距離十間・三十間・五十間。装備を変えて比較。
――《《入口は小さく、内部の破壊は大きい。》》
――《《衣・革・鎧の破片が、必ず創の最深部に押し込まれている。》》
人を殺すのは弾ではない。《《弾が押し込んだものと、潰れた肉である。》》
鉄砲傷の手当て、六則――
一、創口の大小で判断するな
二、弾を探して掘るな
三、創を大きく開け
四、異物を全て取り出せ
五、血の出ぬ肉は切除せよ
六、《《縫うな。四〜五日開けておけ》》
長篠。傷病者一〇七四。うち鉄砲傷七二九。
――八割は武田方であった。
※胸部銃創一例。歩行して来所、その後急変。
頸静脈の怒張/気管の偏位/患側呼吸音消失/患側胸郭の膨隆。
――《《胸に気が溜まり、心の臓を絞めていた。》》
肋間(《《肋骨の上縁に沿って》》)を切開、竹管を挿入し、外端を水中へ。
――噴出音。直後に紫色消退。頸の血管、平坦化。
残り、七年。
今回は銃創の話です。
銃で撃たれた傷の最大の特徴は、外から見える穴の大きさと、内部の損傷がまったく釣り合わないことです。入口は指一本ほどでも、中では広い範囲の組織が押しのけられ、潰れています。
そして最も重要なのが、弾丸が衣服や防具の破片を体内深部へ押し込むという点です。汗と垢を含んだ布が、潰れて血の通わない組織の中に埋まる——感染にとって、これ以上ない条件になります。
ですから銃創の処置は、次の順序になります。創を大きく開き、異物をすべて除去し、壊死組織を切除する。この一連の処置をデブリードマンといいます。
弾丸そのものは、無理に探しません。深部の弾を探索して掘り返すと、かえって組織を破壊し、汚染を広げてしまうためです。触れる範囲にあるものは取り、それ以外は残しておくのが原則です。
そして最後の一つ——縫わない。
汚染された創を初期に閉鎖すると、内部で感染が閉じ込められ、重篤な結果を招きます。数日開放したまま経過を見て、清浄化を確認してから閉じる。この方針は第一次世界大戦の膨大な犠牲から確立されたもので、現在も戦傷外科の原則です。
なお作中で触れたアンブロワーズ・パレの逸話は史実です。当時、銃創は火薬の毒によるものと考えられ、煮えた油を注ぐ治療が行われていました。ある戦いで油を切らしたパレが、やむなく穏やかな軟膏を用いたところ、そちらの兵のほうが良好だった——彼はそこから、傷を悪化させていたのは治療のほうだと結論します。
後半の胸部外傷については、緊張性気胸という状態です。
肺に開いた穴から胸腔内へ空気が漏れ続け、しかも逃げ道がないと、溜まった空気が肺を潰し、さらに縦隔を反対側へ押しやります。すると心臓へ戻る血流が阻害され、患者は窒息ではなく循環不全で亡くなります。
徴候は四つ。頸静脈の怒張、気管の偏位、患側の呼吸音消失、患側胸郭の膨隆。これが揃えば、診断を待たずに脱気します。
次話、長篠の後始末です。
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