第二十六話 返ってきた書
武田信玄、三万を率いて西上。
そして第十五話で、あの人はこう言いました。
「必ず書き足します。そして、必ずお返しいたす」
元亀三年、十月。
――《《武田が、動いた》》。
甲斐・信濃・駿河から、三万。
総大将は、武田大膳大夫晴信入道信玄。五十二歳。
この時代の日本で、《《最も戦の強い男》》である。
徳川の領国を南から削りながら、まっすぐ西へ。狙いは、明らかだった。
――《《上洛》》。
石山本願寺が兵を挙げ、浅井・朝倉が健在で、将軍義昭が反織田に傾き、そこへ武田三万。
包囲網が、《《ついに完成した》》。
◆
岐阜城の広間は、通夜のようだった。
誰も何も言わない。言えることがない。
「――勘十郎」
上座から、兄が呼んだ。
「はい」
「《《武田を診ろ》》」
俺は、顔を上げた。
「――信玄公を、にございますか」
「そうだ」
信長は、絵図を睨んだまま言った。
「十二年前、貴様は今川治部大輔を診た。輿から降りられぬと言うた。……当たった」
「……」
「――《《もう一度、やれ》》」
◆
俺は、三日間、寝なかった。
やることは、十二年前と同じである。
商人を捕まえた。甲斐から来た行商。駿河を回ってきた薬種屋。武田領で商いをして戻った者。信濃の湯治場に出入りする者。
銭を払い、酒を飲ませ、そして――《《病の話ばかりを聞いた》》。
与一郎と、そして今は書き役が五人いる。全員を走らせた。
集まった話を、俺は一枚の紙に整理していった。
◆
――《《一つ目》》。
信玄は、《《咳をしている》》。
三年ほど前からだという。近習が、陣中で咳の音を聞いたと。
――《《二つ目》》。
《《血を吐いた》》という話が、複数の筋から出てきた。
時期は、一昨年あたりから。
――《《三つ目》》。
これが、俺の手を止めさせた。
「――《《膈》》、と申したか」
「へえ」
甲府から来た薬種屋の老人は、盃を舐めながら言った。
「お館さまは、《《膈をお患い》》だと。……近習衆が、そう漏らしたとか」
「膈とは、どういう意味で使う」
「胸のあたりが痞えて、《《物が下りぬ》》ことにございます」
老人は、自分の胸を指した。
「食うたものが、ここでつかえる。飲み込んでも、下へ落ちてゆかぬ。……ひどうなると、吐き戻す」
――俺は、盃を置いた。
◆
「――もう一つ、教えてくれ」
「へえ」
「その《《つかえ方》》に、順序はあったか」
「順序、と申されますと」
「――《《何から通らなくなった》》」
俺は、身を乗り出した。
「餅か。飯か。粥か。汁か。水か。……どういう順で、通らなくなった」
老人は、しばらく考えた。
「……そういえば」
彼は、思い出すように言った。
「初めは、《《干し飯や餅のような、固いものだけ》》がつかえたそうにございます。だから、粥にした」
「うむ」
「なれど、今年に入ってからは、《《その粥もつかえる》》と。……近頃は、汁と重湯ばかりだとか」
俺は、その言葉を書き取る手が、少し震えた。
◆
――《《決まりだ》》。
俺は、岐阜城で兄の前に立った。
紙を一枚、広げる。
「――《《症例・武田大膳大夫信玄。五十二歳》》」
「言え」
「まず、それがしが《《除いた》》病から申し上げまする」
俺は、指を一本立てた。
「咳と、喀血。この二つだけを見れば、《《労咳》》を疑い申す」
「竹中の病か」
「はい。……なれど、労咳ではござらぬ」
「なぜだ」
「三つ、合いませぬ」
俺は、指を折った。
「一つ。労咳は、《《夕方に熱が出て、夜に汗をかく》》。信玄公にその話が、一つも出てこぬ」
「二つ。労咳で死ぬのは、三十代から四十代が多うござる。五十二まで持って、そこから急に悪くなるのは、いささか妙にござる」
「三つ――《《これが決め手にござる》》」
俺は、顔を上げた。
「――《《物が、下りぬ》》」
◆
「労咳は、肺の病にござる」
俺は言った。
「肺を病んで、《《飯が喉を通らなくなる》》ということは、ござらぬ」
「では、何だ」
「――《《食い物の通る道が、塞がっておりまする》》」
俺は、自分の喉から胸へ、指を滑らせた。
「口から胃までは、一本の管で繋がっておりまする。胸の真ん中を、まっすぐに」
「うむ」
「その管の内側に、《《腫れ物》》ができておる。それが少しずつ大きくなって、管を塞いでいっておりまする」
俺は、指で輪を作り、それを少しずつ狭めてみせた。
「初めは、固いものだけが通らぬ。次に、粥が通らぬ。……そして最後には」
俺は、輪を閉じた。
「――《《水も、通らなくなり申す》》」
◆
信長は、じっと絵図を見ていた。
「――咳と血は」
「その腫れ物が、隣の息の道を圧しておるか、あるいは破れて血が出ておるものと」
俺は言った。
「兄上。この病は、《《治り申さぬ》》」
俺は、はっきりと言った。
「南蛮にも、明にも、この国にも、治す手立てはござらぬ。……それがしにも、ござらぬ」
「――どれほど持つ」
「順序で、測れまする」
俺は答えた。
「固いものが通らなくなってから、粥が通らなくなるまで――《《一年ほど》》と伺い申した。今、汁と重湯にござる」
俺は、目を閉じた。
「――《《半年》》」
俺は言った。
「もって、一年。……それより先は、ござらぬ」
◆
広間が、静まり返った。
家老の一人が、掠れた声で言った。
「――勘十郎さま。それは、その」
「はい」
「――《《待っておればよい》》と、仰せか」
「そうは申しませぬ」
俺は、首を振った。
「今日明日死ぬわけではござらぬ。半年あれば、京まで来られまする。……なれど」
俺は、兄を見た。
「兄上。もし武田が、《《どこかで急に止まった》》ら」
「――止まったら」
「――《《そのときが、来たとお思いくだされ》》」
◆
十二月二十二日。
三方ヶ原。
徳川家康は、浜松城から打って出て、そして――《《完膚なきまでに叩き潰された》》。
織田からの援軍、佐久間信盛、平手汎秀の勢も、まともに崩れた。
平手汎秀は、討死した。
――《《平手》》。
あの、兄を諫めて腹を切った平手政秀の、孫にあたる男である。
報せを聞いた夜、兄は何も言わなかった。
ただ、朝まで灯を消さなかったと聞いた。
◆
俺は、年が明けてすぐ、浜松へ入った。
手当組を三百人連れていった。
――そして、驚いた。
「――勘十郎さま! お待ちしておりました!」
浜松城下の外れに、《《手当所があった》》。
筵が敷かれ、竈が並び、大鍋で湯が沸いている。担架が二列で動いている。
そして、傷ついた者の額に――《《炭で、刻が書いてあった》》。
俺は、しばらく声が出なかった。
「――与一郎」
「はい」
「……《《書が、生きておる》》」
◆
徳川家中の若い医者が、走り寄ってきた。
「織田勘十郎さまとお見受けいたします! 三河守さまより、必ずお迎えするよう申しつかっております!」
「――その額の炭は」
「『手当書』の通りにございます」
彼は、誇らしげに言った。
「十年前に賜りましてから、家中で写しを作り、郷士にまで配りましてございます。……此度、それがどれほど有難かったか」
俺は、その手当所を歩いた。
――回っている。
俺の手当所ほど手際はよくない。筵は三つに分かれておらず、湯の沸かし方も甘い。
だが、《《回っている》》。
三方ヶ原は、徳川にとって壊滅的な敗戦だった。数千が死んだと聞く。
それでも――《《生きて帰った傷者が、生きている》》。
◆
徳川三河守家康は、浜松城の一室にいた。
三十一歳。
――《《痩せていた》》。
十年前に清洲で会ったときの、あのどっしりとした若者が、頬を削げさせている。
目の下が黒い。
だが、その眼は――《《死んでいなかった》》。
「――勘十郎さま」
彼は、俺を見ると、深く頭を下げた。
「よくぞ、お越しくださいました」
「三河守どの。……お顔の色が」
「十日ほど、眠れておりませぬ」
家康は、率直に言った。
「――負けました」
「……」
「わたくしの、誤りにございます」
彼は、拳を膝の上で握った。
「城に籠っておれば、よかったのでございます。武田は素通りしようとしておりました。それを、《《目の前を通られて、黙って見ておれるか》》と……そう思うてしまいました」
俺は、黙っていた。
「三千が、死にました」
家康は、言った。
「わたくしの、《《面目》》のために」
◆
「――三河守どの」
俺は、口を開いた。
「一つ、伺ってもよろしいか」
「なんなりと」
「――《《その話を、どなたかにされましたか》》」
家康は、きょとんとした。
「は?」
「今、それがしに申された話にござる。『わたくしの誤りだ』『面目のために三千を死なせた』と。……それを、家中の者に話されましたか」
「――いえ」
彼は、目を伏せた。
「言えるはずが、ございませぬ。……主が、そのようなことを」
俺は、頷いた。
――そして、こう言った。
「三河守どの。それがしは医者にござる。ゆえに、身体のことを申し上げる」
「はい」
「――《《人は、外へ出せぬものを抱えると、内側から壊れまする》》」
◆
「膿と同じにござる」
俺は言った。
「膿は、出せる場所があるうちは、溜まり申さぬ。傷が開いておれば流れ出る。……塞がった傷の奥で、逃げ場を失うたとき」
俺は、拳を握った。
「――《《溜まりまする》》」
「……」
「そして溜まった膿は、その場で腐り、周りを灼き、やがて、《《どこか思わぬところで破れまする》》」
家康は、じっと俺を見ていた。
「――三河守どの。誰でもよい。一人でよい。話せる相手をお作りなされ」
俺は言った。
「家臣でなくともよい。奥方でもよい。坊主でもよい。……《《言えぬことを言える相手を、一人》》」
「勘十郎さま」
「はい」
「――《《それは、医者の言葉にございますか》》」
俺は、少し考えてから答えた。
「――《《医者の言葉にござる》》」
◆
家康は、しばらく黙っていた。
やがて、彼は立ち上がり、床の間から、《《一つの包み》》を持ってきた。
「勘十郎さま。お返しするものがございます」
「――お返し」
「十年前、お約束いたしました」
彼は、包みを解いた。
中から出てきたのは――《《書物の束》》だった。
俺が渡した『手当書』の写しである。
だが、《《厚さが、倍になっていた》》。
◆
「――《《書き足しましてございます》》」
家康は、静かに言った。
「三河は、尾張とは違いまする。山が深く、湿地が多く、川が多い。……病も違いまする」
俺は、震える手でそれを開いた。
――びっしりと、書き込まれていた。
筆跡は、何種類もある。家康自身のものもあれば、医者のものも、郷士のものもあるらしい。
――《《山中にて蛇に噛まれし者のこと》》。
噛み口を切って血を吸うべからず。かえって悪し。
噛まれし手足を心の臓より低く保ち、動かさず、速やかに運ぶべし。
――《《川に落ちて溺れし者のこと》》。
腹を押して水を吐かせるは無益なり。かえって胃の中身が肺へ入る。
まず息の道を開け、胸を押すべし。
――《《漆にかぶれし者のこと》》。
――《《茸を食いて狂いし者のこと》》。
――《《牛に踏まれし者の骨のこと》》。
俺は、頁を繰る手が止まらなかった。
――《《俺の知らないことが、書いてある》》。
蛇の項など、俺が書けば「安静にして運べ」で終わっていただろう。
だがそこには、三河のどの蛇が危険で、どの季節に多く、噛まれた跡がどう変われば急ぐべきかまで、《《実際に見た者の言葉》》で書かれていた。
◆
「――三河守どの」
俺は、顔を上げた。
声が、うまく出なかった。
「これは」
「お気に召しましたか」
「――《《これは、それがしの書ではござらぬ》》」
俺は言った。
「これは、《《三河の書》》にござる」
「――さようでございましょうか」
家康は、初めて、少しだけ笑った。
「わたくしは、そうは思いませぬ」
彼は、その書を指した。
「これは、十年前にあなたさまがくださった一冊が、三河で根を張って伸びたものにございます。……そして」
彼は、俺を見た。
「――《《また、お返しいたします》》。次は、尾張で伸びましょう」
◆
俺は、その書を胸に抱えて、しばらく動けなかった。
――《《これだ》》。
十四年前、京の老人が言った。
――受け取ったのなら、次へ渡せ。持ったまま死ぬのが一番いかん。
俺は、渡した。
そして、《《返ってきた》》。
俺が渡したものより、《《厚くなって》》。
◆
「三河守どの」
「はい」
「――もう一つ、お願いがござる」
「なんなりと」
「この書に、《《項を一つ増やしていただきたい》》」
俺は言った。
「――《《負けた後のこと》》を」
家康の顔が、こわばった。
「……負けた、後」
「はい。負け戦の後、傷者をどう扱うか。逃げるとき、誰を運び、誰を置くか。置くならどうするか」
俺は続けた。
「それと――《《負けた将が、どう立ち直るか》》を」
「勘十郎さま」
「三河守どの。この国には、《《勝ち戦の書》》しかござらぬ」
俺は言った。
「兵法書も、軍記物も、みな勝った話にござる。……なれど、人は負けまする。必ず負けまする。そして、《《負けた後のほうが長うござる》》」
「……」
「今、この国で《《負けたばかりの大将》》は、貴殿にござる」
俺は、頭を下げた。
「――書けるのは、貴殿しかおられませぬ」
◆
家康は、長いこと黙っていた。
そして、ぽつりと言った。
「……勘十郎さま」
「はい」
「わたくしは、逃げ帰った日に、《《自分の顔を、絵師に描かせました》》」
俺は、顔を上げた。
「――なにゆえ」
「忘れぬためにございます」
彼は、静かに言った。
「あのときの、あの情けない顔を。……一生、手元に置いておこうと」
俺は、その言葉を聞いて、思わず笑ってしまった。
「――《《見事な処方にござる》》」
「は?」
「三河守どの。それがしが今日申し上げたかったことを、貴殿はもう、ご自分でなさっておられる」
俺は言った。
「――外へ、出しておられる」
◆
元亀四年、二月。
――《《武田が、止まった》》。
三河の野田城を落とした後、武田軍は、そこから動かなくなった。
勝っている。誰も止めていない。にもかかわらず、《《止まった》》。
俺は、その報せを聞いた瞬間、岐阜城の廊下で立ち尽くした。
そして、兄の部屋へ走った。
「――兄上」
「聞いた」
信長は、絵図の前に座っていた。
「止まったな」
「はい」
「――貴様は、なんと言うた」
俺は、答えた。
「――《《そのときが、来たと》》」
◆
四月十二日。
武田信玄、死去。
享年五十三。
――俺の見立てから、《《ちょうど半年》》であった。
◆
報せが確かなものになった夜、俺は一人で酒を飲んでいた。
珍しく、酔いたかった。
「――勘十郎」
兄が、入ってきた。
手には瓢箪。
彼は、俺の隣にどかりと座った。
「当たったな」
「……はい」
「三万が、消えた」
信長は、庭を見て言った。
「俺は、指一本動かしておらん。兵も損じておらん。銭も使っておらん。……ただ、《《待った》》」
「……」
「――《《貴様が、待てと言うたからだ》》」
俺は、盃を置いた。
「兄上」
「なんだ」
「――《《それがしは、人を殺しており申さぬ》》」
俺は、そう言った。
言ってから、自分でも、なぜそれを言ったのか分からなかった。
信長は、俺を見た。
そして、こう言った。
「知っておる」
「……」
「――《《武田信玄は、病で死んだ》》。貴様は、それを《《言い当てただけ》》だ」
彼は、瓢箪を傾けた。
「勘十郎。貴様は、時々、己を責めすぎる」
「……」
「今川のときもだ。貴様は義元の足を痛くしたのではない。《《痛いと知っていただけ》》だ」
俺は、黙っていた。
――兄の言う通りだった。
だが、それでも。
俺の頭の中には、あの匂いが残っている。
比叡山の焼け跡の、甘い匂いが。
◆
「――兄上」
「なんだ」
「信玄公の病は、《《治せぬもの》》にござった」
俺は言った。
「もし治せるものであったら、……それがしは、どうしたでしょうな」
信長が、こちらを向いた。
「敵の大将だぞ」
「はい」
「治すのか」
「――《《分かり申さぬ》》」
俺は、正直に言った。
「診てくれと言われれば、たぶん診まする。……なれど、診てくれと言われぬうちに、《《治しに行くか》》と問われれば」
俺は、盃を見つめた。
「――行かぬでしょうな。それがしは、《《兄上の弟》》にござる」
信長は、しばらく黙っていた。
そして、こう言った。
「――《《それでいい》》」
彼は、立ち上がった。
「勘十郎。医者が全部を治しに行ったら、この世は回らん」
去り際、兄は言った。
「――《《貴様は、俺の医者だ》》。それ以上を背負うな」
◆
元亀三年〜四年
症例・武田大膳大夫信玄、五十二歳。(伝聞による)
三年来の咳/一昨年より喀血/そして――《《膈》》。
※労咳を除外す。夕の熱・盗汗の報なし。年齢も合わず。
何より――《《肺を病んで、物が下りぬということはない》》。
所見の核――《《つかえの順序》》。
固形→粥→汁・重湯。この順に通らなくなりたる由。
――食い物の通る管が、内側から塞がりつつある。
治療の術なし。余命、半年と見立てたり。
※元亀四年二月、武田軍、野田城にて停止。
――勝ちながら止まる軍は、大将が動けぬのである。
※四月十二日、逝去。――見立てより、ちょうど半年。
三方ヶ原。徳川方の手当所、機能せり。
――《《書が、生きていた。》》
三河守どの、『手当書』を倍の厚さにして返却さる。
蛇、溺水、漆、茸、獣による外傷。――俺の知らぬことばかりであった。
新たに一項を依頼せり。《《負け戦の巻》》。
――「貴様は、俺の医者だ。それ以上を背負うな」
残り、九年。
武田信玄の死因については諸説あり、確定していません。今回は、『甲陽軍鑑』などに見える「膈」という記述を手がかりに、食道の悪性腫瘍という解釈を採りました。
膈とは、漢方における病名で、胸のあたりでつかえて食べ物が下りていかない状態を指します。
診断の決め手として作中で扱ったのが、つかえ方の順序です。
食道が内側から徐々に狭くなっていく場合、最初に通らなくなるのは固形物です。次に半固形、そして最後に液体が通らなくなる。この「固いものから順に」という進行は極めて特徴的で、現在も問診の重要なポイントとされています。逆に、固形も液体も最初から同じように詰まる場合は、別の病態を考えます。
そして今回、勘十郎は労咳を除外しています。咳と喀血だけを見れば結核を疑いますが、夕方の発熱と寝汗という特徴的な症状の報告がないこと、年齢が合わないこと、そして何より——肺の病では、食べ物が喉を通らなくなることはありません。第十七話で竹中半兵衛を診た経験が、ここで除外診断に使われています。
もう一つ。作中で徳川方が書き足した項目のうち、蛇咬傷と溺水について補足します。
蛇に咬まれたとき、傷口を切って毒を吸い出す方法は、現在では推奨されていません。効果が乏しいうえ、組織を傷つけ感染の危険を増やすためです。咬まれた部位を心臓より低く保ち、動かさず、速やかに医療機関へ運ぶことが基本になります。
溺れた人の腹を圧迫して水を吐かせる行為も、現在では行いません。肺に入った水はごくわずかであることが多く、それより胃の内容物を逆流させて誤嚥させる危険のほうが大きいためです。まず気道を確保し、胸骨圧迫を行います。
次話、天正の世が始まります。
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