第二十五話 一番静かな者
※比叡山焼き討ちを扱います。非戦闘員の死、熱傷の描写を含みます。
元亀二年九月十二日。
勘十郎は、この日が来ることを十六年前から知っていました。
元亀二年、九月。
この日が来ることを、俺は十六年前から知っていた。
◆
前の年、志賀の陣で、織田は苦杯を舐めた。
浅井・朝倉の連合が近江に出て、そして――《《比叡山に籠った》》。
延暦寺は、山を貸した。兵糧を与え、僧兵を出し、朝倉勢を匿った。
信長は、二度、使者を送っている。
――《《味方せよ。それが嫌なら、せめて中立を守れ。》》
――《《さすれば、召し上げた山門領は全て返す。》》
――《《もし、いずれにも従わぬなら、堂塔伽藍をことごとく焼く。》》
返事は、なかった。
その冬、織田は森可成を失い、弟の織田信治を失い、志賀で三千の兵を失った。
――そして、元亀二年、九月十二日。
◆
俺が知ったのは、三日前だった。
岐阜から急ぎ京へ上る途中で、行軍の方角がおかしいことに気づいた。
与一郎が、先に走って戻ってきた。
「勘十郎さま。……坂本に、兵が集まっております」
「――どれほどだ」
「三万とも」
俺は、馬の腹を蹴った。
◆
陣所で、俺は兄の前に膝をついた。
「――兄上。お考え直しくだされ」
信長は、絵図を見たまま、顔も上げなかった。
「聞くと思うか」
「聞いていただくまで、申し上げまする」
俺は、頭を上げた。
「山門には、僧兵がおりまする。それは戦う者にござる。斬られても、文句は言えますまい」
「うむ」
「――なれど、山には《《それ以外の者》》もおりまする」
俺は、声を張った。
「学僧がおりまする。書物を写しておるだけの者どもにござる。稚児がおりまする。坂本から逃げ込んだ女子供がおりまする。年寄りがおりまする」
「知っておる」
「――知っておって、なお焼かれると」
「焼く」
信長は、絵図から目を上げた。
あの、乾いた眼だった。
◆
「勘十郎。去年、志賀で何人死んだ」
「……三千と、伺っており申す」
「森三左衛門が死んだ。俺の弟も死んだ」
兄は、淡々と言った。
「山門は、二度断った。味方せよと言うた。嫌なら黙って見ておれと言うた。領地は全部返すと言うた。……返事はなかった」
「……」
「そして、朝倉に飯を食わせ、寝床を貸し、兵を出した」
信長は、指を一本立てた。
「あれは、寺ではない。《《城だ》》」
「兄上」
「勘十郎。ここで見逃せばどうなる」
彼は、身を乗り出した。
「本願寺も、雑賀も、根来も、興福寺も、みな見ておる。……《《寺は焼かれぬ》》と分かれば、この国じゅうの寺が、明日から兵を集めて城になる。俺はそれを、一つずつ、これから三十年かけて潰すことになる」
「……」
「――《《一度で、終わらせる》》」
◆
「兄上」
俺は、言った。
「それがしは、兵を焼くなとは申しませぬ」
「ほう」
「僧兵は戦う者にござる。武器を持って坂を下りてくるなら、斬られても道理にござる。……なれど」
俺は、拳を握った。
「《《山ごと焼けば、区別ができませぬ》》」
「そうだな」
「三つ子の稚児が、朝倉に飯を食わせましたか。腰の曲がった婆が、志賀で兵を出しましたか」
「出しておらん」
「――ならば!」
「勘十郎」
兄は、俺を遮った。
そして、静かに言った。
「――《《貴様は、四十七人を置いてきたな》》」
◆
俺は、息が止まった。
「金ヶ崎だ」
信長は、続けた。
「四十七人のうち、三十人は運べば助かったと、貴様は言うた」
「……はい」
「置いてきた」
「――はい」
「なぜだ」
俺は、答えた。答えるしかなかった。
「――《《運べば、全員が死んだゆえ》》」
「そうだ」
兄は、頷いた。
「三十人を助ければ、千人が死ぬ。だから三十人を捨てた。……《《俺は、それをやっておる》》」
俺は、床に手をついた。
――《《違う》》。
違う、と叫びたかった。
あれは、運べなかったのだ。俺は誰も殺していない。ただ運べなかっただけだ。
だが。
――《《殺していないのか》》。
俺は、あの四十七人の顔を、一人ひとり覚えている。
俺は、彼らの死を、《《より多くの生存と引き換えに選んだ》》。
それは、《《数の計算》》だった。
そして今、兄がやろうとしていることも――
◆
「――兄上」
俺は、掠れた声で言った。
「一つだけ、違うことがござる」
「言うてみよ」
「金ヶ崎の四十七人は、《《それがしが手を下したのではござらぬ》》。運べなかっただけにござる」
「詭弁だな」
「――詭弁にござる」
俺は、認めた。
「なれど兄上。その詭弁が、《《人を人でいさせる》》のではござらぬか」
俺は、顔を上げた。
「手を下す者と、手を下さぬ者。そこに線を引かねば――《《人は、どこまでも行き申す》》」
信長は、しばらく俺を見ていた。
そして、こう言った。
「――勘十郎。貴様は去年、俺に何と言うた」
◆
俺の背中を、氷が滑り落ちた。
「――膿は、周りを叩いても治らぬと言うたな」
「……兄上」
「芯を、狭く、深く切れと。出し切るまで、《《中を指で崩せ》》と。そして塞ぐなと」
「――あれは」
「そして俺は聞いた。膿を出した後、その袋はどうすると」
兄は、俺を見た。
「――貴様は、答えなかった」
「兄上、あれは病の話にござる」
「病に、女子供はおらぬのか」
◆
俺は、そこで言葉を失った。
――そうだ。
腸を切除するとき、そこには何万という細胞がある。悪くない細胞も、たくさんある。
だが、外科医は《《一節まるごと》》切る。
そうしなければ再発するからだ。
俺は、四十年、それをやってきた。
癌を取るとき、俺は必ず、《《正常な部分も一緒に切った》》。それが治療だと信じてきた。
――《《同じ理屈だ》》。
俺の医学の根幹にある考え方を、兄は今、人間の集団に適用しようとしている。
そして俺には、それを《《論理では否定できない》》。
「――兄上」
俺は、床に額をつけた。
「……それがしには、兄上を止める言葉がござらぬ」
「そうか」
「なれど」
俺は、額を床につけたまま言った。
「――《《それがしは、反対でござる》》」
「理由は」
「――《《ござらぬ》》」
俺は、言った。
「理屈は、兄上のほうが通っておる。それがしは、それを崩せませぬ。……なれど、それでも反対でござる」
俺は、顔を上げた。
「それがしは医者にござる。人を数で数えることを、四十年やって参りました。三十人と千人を秤にかけて、三十人を捨てたこともござる」
「……」
「――《《なれど、それを平気でやれるようになったら、それがしは終わりにござる》》」
俺は、兄を見た。
「兄上。それがしは今日、《《平気ではない》》と申し上げに来ました。それだけにござる」
◆
信長は、長いこと黙っていた。
やがて、彼は絵図に目を戻して、こう言った。
「――勘十郎」
「はい」
「貴様は、それでいい」
「……兄上」
「《《平気になるな》》」
彼は、絵図を見たまま言った。
「――俺は、平気になる」
◆
九月十二日。
山が、燃えた。
俺は、坂本の陣から、それを見ていた。
夜になっても、山は明るかった。根本中堂のあたりが、一番長く燃えていた。
与一郎が、隣に立っていた。
この弟子は、一言も喋らなかった。
俺も、喋らなかった。
――俺は、この光景を、《《目を逸らさずに見る》》と決めていた。
止められなかった人間には、それくらいしか、できることがない。
◆
翌朝、俺は兄の前に立った。
「――《《山へ、上らせていただきたい》》」
信長は、顔を上げた。
「何をしに」
「生き残った者を、診に」
俺は言った。
「兄上。焼け跡には、必ず生き残りがおりまする。逃げ遅れて、焼かれて、それでもまだ息をしておる者が」
「敵だぞ」
「――《《火傷に、旗は生えており申さぬ》》」
兄は、俺を見た。
そして、あっさりと言った。
「行け」
「――兄上」
「兵を五十つけてやる。連れ帰りたい者は連れ帰れ。誰も咎めん」
彼は、また絵図に目を戻した。
そして、こう付け足した。
「――《《焼くのは、俺の仕事だ》》」
「……」
「《《拾うのは、貴様の仕事だろう》》」
◆
山は、まだ熱かった。
地面から湯気が上がり、焦げた柱がところどころに突き立っていた。
空気が、《《甘かった》》。
俺は、その匂いを知っていた。焼けた人間の匂いである。
与一郎が、途中で吐いた。
俺は、背中をさすってから、こう言った。
「――吐け。全部吐いてから来い」
「……申し訳ござ」
「謝るな。吐かん奴のほうが心配だ」
◆
生き残りは、沢筋にいた。
水を求めて、焼かれた者が這っていったのだろう。
――三十人ほど。
俺は、その場に手当所を開いた。持ってきた桶、布、湯を沸かす釜。
「与一郎。今から《《火傷の見方》》を教える」
俺は、一人目の腕を取った。
「火傷は、三つに分ける」
「はい」
「一つ。《《赤いだけ》》のもの。日に焼けたのと同じだ。触ると痛い。これは、放っておいても治る」
俺は、次の男の背中を示した。
「二つ。《《水膨れができておる》》もの。皮が剥け、下が赤くじくじくしておる。これは――《《一番痛い》》。悲鳴を上げる。だが、《《治る》》」
俺は、指を三本立てた。
「三つ」
俺は、離れた場所に横たわる男のところへ歩いた。
その男の胸から腹にかけての皮膚は、《《白かった》》。
乾いて、革のようになり、ところどころ黒く炭化している。
俺は、その白い部分を指で強く押した。
男は、《《何も言わなかった》》。
「――与一郎。この者は、痛がっておらん」
「……焼けが、浅いので」
「――《《逆だ》》」
◆
「痛みを感じる仕組みは、皮の中にある」
俺は言った。
「浅い火傷は、その仕組みが《《生きたまま焼かれる》》。だから、狂うほど痛い。……深い火傷は」
俺は、白い皮膚を撫でた。
「――《《痛みを感じる仕組みごと、死んでおる》》」
与一郎の顔が、白くなった。
「ゆえに、痛くない」
俺は、続けた。
「よく覚えておけ。火傷の手当てで、《《一番危ういのは、一番静かな者だ》》」
「……」
「泣き喚いておる者は、たいてい助かる。……黙って横たわって、痛みを訴えぬ者。白い者。触っても顔をしかめぬ者。……《《そちらへ、先に行け》》」
◆
その日、俺は三つのことに全力を注いだ。
一つ目は、《《水》》である。
広く焼けた者は、身体から《《途方もない量の水が抜けていく》》。焼けた面から、汁になって滲み出し続けるのだ。
血を失って死ぬのと、同じことが起きる。
「甘い塩湯だ! 作れるだけ作れ! 飲める者には片端から飲ませろ!」
――十六年前、俺がこの世界で最初に作らせたもの。
それが、比叡山の焼け跡で、また役に立っていた。
二つ目は、《《体温》》である。
焼けた人間は、熱い。だから、《《温めねばならない》》とは誰も思わない。
だが違う。皮膚が壊れると、身体は熱を保てなくなる。焼けた者は、《《冷えて死ぬ》》。
「濡らした布を当てるな! 一度冷やしたら、すぐ乾いた布に替えて、上から包め! 火を焚け!」
三つ目が――
三つ目が、最も厄介だった。
◆
一人の若い僧が、俺の前に座っていた。
二十歳くらいだろうか。
――《《見た目は、軽い》》。
顔と手に赤みがある程度で、水膨れも少ない。歩けている。喋れている。
だが、俺は、その顔を見た瞬間に、《《背中が冷えた》》。
――《《鼻の毛が、焦げている》》。
俺は、彼の顎を上げさせた。
「口を開けろ」
口の中と、喉の奥。
――《《煤が、ついている》》。
「咳をしてみろ」
僧が咳をすると、《《黒い痰》》が出た。
そして、その咳をしたときの声が――
《《嗄れていた》》。
◆
「――与一郎。この者を、《《一番前へ運べ》》」
「え。……なれど、火傷は軽う」
「《《肌の話ではない》》」
俺は、言った。
「この者は、《《煙を吸っておる》》」
俺は、自分の喉を指した。
「熱い煙を吸うと、喉と、その奥が焼ける。……そして、焼けた場所は《《腫れる》》」
「腫れる」
「そうだ。少しずつ、少しずつ腫れて――」
俺は、両手の指で輪を作り、それをゆっくり狭めてみせた。
「――《《息の道が、塞がる》》」
与一郎が、息を呑んだ。
「今は喋れておる。歩けておる。だが、《《数刻後に、息ができなくなる》》」
俺は、拳を握った。
「そして、そうなってからでは――《《俺には、何もできん》》」
◆
現代であれば。
こういう患者は、《《症状が出る前に》》、喉に管を通す。
まだ腫れていないうちに、気道を確保してしまう。腫れてからでは入らないからだ。
「予防的挿管」という。
俺には、それができない。
喉に通す管もなければ、それを入れる道具もない。
――《《首を切って穴を開ける》》ことなら、できる。
喉仏の下、輪状の軟骨の隙間。あそこを横に切って、竹の管を差し込めば、腫れた場所を飛び越えて空気が入る。
俺は、その術式を知っている。前世で、何度かやった。
だが。
「……与一郎」
「はい」
「――《《俺は、迷っておる》》」
◆
俺は、その若い僧の前に座った。
「聞いてくれ」
「……はい」
「お前は、煙を吸っておる。今は息ができておるが、これから喉が腫れて、数刻のうちに息が詰まるかもしれん」
僧は、静かに聞いていた。
「詰まってからでは、間に合わん。……ゆえに、《《今のうちに、首を切って穴を開ける》》という手立てがある」
「――首を」
「喉仏の下だ。そこに竹の管を入れる。喉が腫れても、そこから息ができる」
俺は、正直に続けた。
「だが、痛い。血も出る。そして――《《腫れずに済んだかもしれん》》。煙を吸っても、何ともない者もおる」
僧は、しばらく黙っていた。
そして、こう聞いた。
「――《《切らねば、どうなりまする》》」
「腫れれば、死ぬ」
「腫れねば」
「――何ともない」
「……どちらが多うございますか」
俺は、答えた。
「――《《分からん》》」
◆
僧は、目を閉じた。
そして、こう言った。
「……昨夜、堂に火が入りましたとき」
「うむ」
「わたくしは、老僧を背負って逃げました。……途中で、背中の息が止まりました」
「……」
「捨てて、走りました」
彼の声は、驚くほど静かだった。
「――《《切ってくださいませ》》」
「なぜだ」
「わたくしは、《《生きねばなりませぬ》》」
僧は、目を開けた。
「昨夜、山で何があったかを、覚えておる者が要りまする。……わたくしが死ねば、《《一人分、忘れられまする》》」
◆
俺は、切った。
喉仏の下、指で軟骨の隙間を探り、横に一寸。
煮た竹の管を、差し込んだ。
――《《ひゅう》》。
管から、空気の出入りする音がした。
その音を聞いて、俺はようやく息を吐いた。
――そして、四刻後。
僧の喉は、《《外から見て分かるほど腫れた》》。
声は完全に出なくなり、口からの息は、ほとんど通らなくなっていた。
もし切っていなければ、彼は、そのときに死んでいた。
◆
俺は、その夜、焼け跡の沢筋で、火を囲んで座っていた。
連れ帰れる者は、二十二人。
その場で死んだ者は、八人。
――そして。
俺が最初に「白い」と言った男は、夜半に死んだ。
最後まで、痛いとは言わなかった。
◆
「勘十郎さま」
与一郎が、火の向こうから言った。
「……お一つ、伺ってもよろしいか」
「言え」
「――《《これは、正しいのでございますか》》」
俺は、火を見ていた。
「山を焼いたのは、殿にございます。そして焼かれた者を拾うておるのが、その弟君にございます」
「……」
「片手で焼いて、片手で拾う。……それは、《《どちらも本気》》なのでございますか」
――鋭い。
この弟子は、時々、俺の一番痛いところを刺す。
俺は、しばらく黙ってから、こう答えた。
「――《《本気だ》》」
「両方が」
「両方だ」
俺は言った。
「兄上は本気で焼いた。俺は本気で拾っておる。……そして、《《どちらも間違っておらんとは、俺は言わん》》」
「……」
「与一郎。俺は今日、兄上を止めようとして、失敗した」
俺は、火を見つめた。
「言葉が足りなかったのではない。……《《理屈で、負けた》》のだ。兄上の言うことは、筋が通っておった」
「では、勘十郎さまが間違っておられたと」
「――そうは、思わん」
俺は言った。
「筋が通っておることと、正しいことは、《《別だ》》」
◆
「与一郎。今日、俺が教えたことを覚えておるか」
「火傷の、三つの見方にございますか」
「そうだ。一番危ういのは、どういう者だと言うた」
「――《《一番静かな者》》にございます」
「そうだ」
俺は、火に枝をくべた。
「泣き喚く者は、まだ浅い。痛いと言えるのは、《《痛みを感じる仕組みが生きておる》》からだ」
「……はい」
「――黙っておる者は、《《焼き切れておる》》」
俺は、そこで手を止めた。
――《《去年、俺は同じことを書いた》》。
金ヶ崎の夜。
誰にも見られていないと思って、震える手を握りつぶした男。そして次の瞬間には、何の表情もない顔になった男。
――《《主訴、なし。所見、なし。》》
――《《ただし、この男は溜める。》》
――《《――なきことこそ、危うし。》》
俺は、火を見つめたまま、動けなくなった。
――《《同じだ》》。
人の皮膚も、人の心も、《《一番深く焼けたところは、痛みを訴えない》》。
俺は、去年それに気づいた。
気づいて――
――《《何も、していない》》。
◆
俺は、立ち上がった。
「与一郎」
「はい」
「――《《明智十兵衛どのは、どこにおられる》》」
「明智さま? 昨夜の攻めでは、坂本口を受け持たれたと伺いましたが」
俺は、暗い山を見上げた。
――《《あの男は、昨夜、この山で何をした》》。
俺の知る史書によれば、明智光秀はこの焼き討ちで功を挙げ、そして戦後、《《坂本の地を与えられて城を築く》》。
焼いた山の、麓にである。
そこで彼は、十一年暮らすことになる。
毎日、《《焼いた山を見上げながら》》。
◆
元亀二年 九月十二日〜十三日 比叡山
兄上を止められず。――理屈で負けたり。
「平気になるな」と言われたり。「俺は、平気になる」とも。
焼け跡にて三十名を診る。連れ帰りしもの二十二。即死八。
※火傷の三分――
一、赤きのみ。痛む。治る。
二、水疱。剥離。――《《最も痛い。そして治る。》》
三、白く、乾き、革のごとし。――《《痛まぬ。ゆえに最も深い。》》
《《火傷の手当てにて、最も危ういのは、最も静かな者なり。》》
※広範囲の火傷は、焼け面より水が失われ続ける。――甘い塩湯を絶やすな。
※焼けた者は冷える。冷やしすぎるな。乾いた布で包め。
※鼻毛の焦げ/煤を含む痰/嗄れ声――《《見た目が軽くとも、数刻で息の道が塞がる》》。
症状の出る前に、喉を開けよ。出てからでは遅い。
――若き僧一名に施行。四刻後、頸は外から見て分かるほど腫れたり。
――《《一番深く焼けた者は、痛みを訴えない。》》
俺は去年、それと同じことを人について書いた。
書いて、何もしなかった。
残り、十一年。
今回は熱傷、つまり火傷です。
深さは大きく三つに分けられます。赤くなるだけのもの、水疱ができて皮が剥けるもの、そして白く乾いて革のようになるもの。
このうち、最も痛いのは二番目です。そして最も深いのは三番目——ですが、三番目は痛みません。
理由は単純です。痛みを感じる神経の終末は皮膚の中にあります。浅い火傷ではそれが生きたまま焼かれるため、狂うほど痛い。ですが深い火傷では、神経ごと死んでしまっているのです。
ですから、熱傷の現場で最も注意すべきなのは、泣き叫んでいる人ではなく、黙って横たわっている人になります。「一番危ういのは、一番静かな者」というのは、そのままの事実です。
もう一つ、広範囲の熱傷では焼けた面から体液が大量に失われ続けます。出血していないのに、循環する血液量が減っていく。ですから輸液——この時代であれば経口補水が命綱になります。
そして体温です。焼かれた人は熱いはずだと思われがちですが、実際には逆で、皮膚のバリアが壊れているため急速に低体温に陥ります。冷却は初期の短時間にとどめ、その後は保温が必要です。
最後に気道熱傷について。これが熱傷診療で最も恐ろしいものかもしれません。
熱い煙を吸い込むと、喉から気管にかけて焼けます。そして焼けた粘膜は、時間をかけて腫れていきます。受傷直後は喋れて歩けていた人が、数時間後に窒息する。しかも腫れてしまってからでは、気道を確保する処置そのものが不可能になります。
ですから現代では、鼻毛が焦げている、煤を含んだ痰が出る、声が嗄れている——こうした徴候があれば、症状が出る前に気道を確保します。予防的挿管といいます。勘十郎が輪状甲状間膜を切開したのは、道具のない環境で同じ判断を下したということです。
次話も元亀の続きです。
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