第二十四話 膿は出さねば治らぬ
※開腹手術と排膿の描写があります。苦手な方はご注意ください。
姉川で勝ちました。
しかし、敵は死んでいません。
元亀元年、六月二十八日。
姉川。
織田・徳川の連合と、浅井・朝倉の連合が、川を挟んでぶつかった。
俺は例によって後方の手当所にいたので、戦そのものは見ていない。
届いてくるのは、負傷者と、その口から漏れる断片だけである。
――織田の先手が崩れかけたこと。
――徳川勢が朝倉の横腹を突いたこと。
――そして、日が高くなる頃には、浅井・朝倉が退きはじめたこと。
勝った。
運び込まれた者、三百二十一人。死んだ者、二十七人。
――だが、俺は数字を書きながら、腹の底が冷たくなるのを感じていた。
◆
「――《《浅井は、小谷に戻っただけ》》か」
俺は、報告を持ってきた与一郎に確かめた。
「はい。城には手をつけておりませぬ。……朝倉も、越前へ引き上げたとのこと」
「――勝ってはおらんな」
「え」
「《《追い散らしただけだ》》」
俺は言った。
「浅井は生きておる。朝倉も生きておる。石山では本願寺が兵を挙げた。三好も畿内に戻ってきておる。……叩いても、叩いても、《《元に戻る》》」
与一郎が、ぽつりと言った。
「――膿のようでございますな」
俺は、その言葉を聞いて、少し笑った。
――笑ったことを、俺は後で悔いることになる。
◆
その、五日後である。
俺の手当所に、一人の老人が担ぎ込まれてきた。
顔を見て、俺は思わず声を上げた。
「――《《秀貞どの》》」
林秀貞。
織田家の筆頭家老。かつて――十四年前、俺に「家督を継がれよ」と持ちかけ、俺に断られた男である。
あれから、この人は俺を避け続けてきた。城で行き合っても、目を合わせない。
その老人が、今、俺の筵の上で脂汗を流していた。
五十七になるはずだ。
「――秀貞どの。どこが痛みまする」
老人は、答えなかった。
答えなかったが、《《両手で左の下腹を押さえていた》》。
◆
俺は、着物をはだけさせた。
まず、顔色。土気色。目が落ち窪んでいる。唇が乾いている。
脈。速い。百二十を超えている。
額。――熱い。
「いつからだ」
「……四日ほど、前から」
声が掠れていた。
「初めは、ただの腹下しかと。……なれど、日ごとに痛みが強うなり」
「便は」
「――出ておりませぬ。三日」
「屁は」
「……出ており申す」
俺は、少し安心した。
――完全に詰まってはいない。
「では、腹を触る。……痛かったら言え。我慢するな」
◆
俺は、掌を老人の腹に置いた。
まず、《《痛い場所から遠いところ》》から始める。右の上。右の下。臍のあたり。
柔らかい。
そして、左の下腹へ。
――《《硬い》》。
筋肉が、板のように緊張している。指を沈めようとすると、老人が息を呑んで身をよじった。
俺は、その硬い部分を、そっと探った。
――《《ある》》。
拳ほどの、丸い塊。境目がはっきりしない。押すと、猛烈に痛がる。
俺は、次に、そこをゆっくり押し込んで――《《ぱっと手を離した》》。
「――《《ぐあっ》》」
老人が、絶叫した。
押したときより、《《離したときのほうが痛い》》。
与一郎が、隣で息を呑んだ。
「勘十郎さま。今のは」
「――《《腹の中で、膿が漏れておる》》徴だ」
◆
「与一郎。よく聞け」
俺は、老人の腹に掌を置いたまま説明した。
「歳を取ると、腸の壁に、《《小さな袋》》がいくつもできることがある。壁の弱いところが、外へぽこりと膨らむのだ」
「袋、にございますか」
「普段は何ともない。あることにすら気づかん。……だが、その袋の中に糞が詰まって、腐ると」
俺は、指を一本立てた。
「袋が、《《腫れて、破れる》》」
「――破れれば、腹の中に糞が」
「そうだ。……普通なら、それで死ぬ」
俺は言った。
「腹じゅうに広がれば、まず助からん。……だが」
俺は、老人の左下腹の塊を、そっと示した。
「時に、《《周りの腸や脂が、それを包み込む》》ことがある。破れた場所の周りに壁ができて、糞と膿がその中に閉じ込められる」
「――それが、この塊」
「そうだ」
俺は、頷いた。
「《《膿瘍》》という」
◆
「――治りまするか」
背後から、掠れた声がした。
林秀貞が、脂汗の浮いた顔で、俺を見ていた。
「……治りまするか、勘十郎さま」
俺は、しばらく黙った。
そして、正直に言った。
「――《《このままでは、死にまする》》」
老人の顔が、こわばった。
「膿は、そこにある限り、身体を灼き続けまする。熱が下がらず、食えなくなり、痩せ、そして――壁が保たなくなったとき、《《腹じゅうに広がって、終わり》》にござる」
「……」
「早ければ、あと五日。もっても、十日」
俺は、はっきりと言った。
――嘘は、つかない。
十四年、それだけは守ってきた。
「手立ては」
「一つだけ、ござる」
俺は言った。
「――《《切って、出す》》」
◆
膿瘍というものには、たった一つの原則がある。
《《切開して、排膿すること》》。
薬では治らない。祈っても治らない。温めても、冷やしても、揉んでも治らない。
溜まった膿は、《《出さねば、治らない》》。
これは、二千年前から変わらず、そして俺のいた時代でも変わっていなかった。
医学の中で、これほど単純で、これほど揺るがない原則は珍しい。
「――なれど、切るのは腹にござる」
俺は、続けた。
「麻酔はござらぬ。腹を開けるあいだ、秀貞どのは全部感じることになり申す」
「……」
「そして、切れば死ぬかもしれぬ。膿が腹じゅうに散れば、その場で終わる。血が止まらねば終わる。切った後に熱が出れば終わる。……《《五分と五分より、少し悪い》》」
俺は、老人の目を見た。
「切らねば、必ず死ぬ。切れば、五分と五分より少し悪い。……どちらを選ばれる」
◆
林秀貞は、長いこと天井を見ていた。
そして、こう言った。
「――勘十郎さま」
「はい」
「それがしは、十四年前、あなたさまに家督をお勧め申した」
俺は、黙っていた。
「兄君に弓を引かせようといたしました。……あのとき、あなたさまが頷いておられれば、織田は割れ、それがしは林家の家格を守れたやもしれませぬ」
「……」
「あなたさまは、お断りになった。それがしを、《《正面から叱られた》》」
老人の目尻から、汗とも涙ともつかぬものが流れた。
「――あれから十四年、それがしはあなたさまの顔を見られませなんだ」
「秀貞どの」
「今、それがしは、あなたさまの前で腹を出しておりまする」
彼は、掠れた声で笑った。
「……面白いものにござるな」
◆
「――お切りくだされ」
俺は、頭を下げた。
「承知いたした」
「勘十郎さま」
「はい」
「――《《一つ、教えていただきたい》》」
老人は、天井を見たまま言った。
「なにゆえ、それがしを診てくださる」
俺は、少し考えてから答えた。
「――《《腹に、家紋は生えておらぬゆえ》》」
林秀貞は、しばらく黙っていた。
そして、声を出さずに、泣いた。
◆
俺は、その日のうちに切った。
――前の晩から、水以外は何も与えなかった。腹を切るときに胃の中に物があると、吐いて、それが肺に落ちる。
湯を沸かし、布を煮て、糸を煮て、刃物を煮た。
酒を飲ませ、口に布を噛ませ、屈強な男を六人配して手足を押さえさせた。
与一郎に、俺の手の届く位置で器具を渡す役をやらせた。
――そして、俺は、《《切る場所を選んだ》》。
これが、一番大事だ。
腹を大きく開けてはならない。開ければ、閉じ込められていた膿が、《《腹じゅうに散る》》。
俺は、掌で塊を探り、その《《一番浅いところ》》、皮膚のすぐ下まで膿が寄っている一点を、指で確かめた。
――ここだ。
「秀貞どの。切り申す」
「――《《どうぞ》》」
◆
皮膚を、三寸ほど。
その下の脂を分け、筋を《《切らずに、割る》》。繊維の走る方向に沿って、指で押し開く。そのほうが、後で塞がりやすい。
老人が、獣のような声を上げた。
「押さえろ! 動かすな!」
――そして、その下に、《《それ》》があった。
黄白色の、膨隆した膜。
指で触れると、《《波を打った》》。
中に、液体が詰まっている手応え。
俺は、そこへ小刀の先を、《《ほんの少しだけ》》入れた。
――《《ぶしゅり》》。
◆
噴き出した。
黄色く、灰色がかった、どろりとしたもの。
そして、《《匂い》》。
与一郎が、後ろで嘔ずいた。手当組の若い連中が、顔を背けた。
俺は、匂いを吸い込んだ。
――嗅がねばならない。膿の匂いは、情報である。
(――糞便の臭い。やはり腸だ)
「布! いくらでも寄越せ! 桶を近づけろ!」
膿は、出続けた。
拳大の空洞に、それだけの量が溜まっていた。
俺は、指を差し入れて、中を探った。
――《《壁が、いくつかに仕切られている》》。
膿瘍というものは、しばしば内部に隔壁を作る。一箇所を開けただけでは、隣の部屋の膿が残る。
「――《《指で崩す》》」
俺は、指を中で動かして、その仕切りを一つずつ破っていった。そのたびに、新しい膿が流れ出す。
老人は、途中で気を失った。
――《《それでいい》》。
◆
膿を出し切った後、俺は空洞を、煮て冷ました湯で洗った。
何度も、何度も。出てくる湯が澄むまで。
そして――《《閉じなかった》》。
煮た布を細く縒ったものを、空洞の底まで差し込み、端を外に出しておく。
「与一郎。よく見ておけ」
俺は言った。
「膿を出した後、《《傷を塞いではならん》》」
「なにゆえです。開けておけば、外から悪いものが」
「――塞げば、《《また溜まる》》からだ」
俺は、布の端を指で押さえた。
「膿の出た跡は、しばらく汁を出し続ける。それが逃げる道がなければ、中でまた溜まる。溜まれば、また熱が出て、また切ることになる」
俺は、続けた。
「開けておくのは、汚いようで、《《一番清い》》。……この布は毎日替えろ。少しずつ短くしていけ。奥から順に肉が埋まってくる」
◆
その夜。
林秀貞の熱は、《《下がった》》。
三十七度台まで落ちた。脈も百を切った。
夜半に目を覚ました老人は、開口一番、こう言った。
「――《《腹が、軽うござる》》」
俺は、思わず笑った。
「膿が一升ほど出ましたゆえ」
「一升」
「軽くもなりましょう」
――だが、俺は、まだ安心していなかった。
◆
「秀貞どの。まだ終わっており申さぬ」
「……と、申されると」
「膿は出し申した。なれど、《《膿を作った元》》が、まだ腹の中に残っておりまする」
俺は、真剣に言った。
「破れた袋にござる。あれが、腸から膿の袋へ《《穴を通したまま》》になっておることがある」
「――穴」
「腸の中身が、少しずつ漏れ続ける道にござる。それが残れば――」
俺は言った。
「――《《また、溜まりまする》》」
◆
俺の見立ては、当たった。
十日ほどして、出していた布に、《《便のようなものが混じりはじめた》》。
――腸と、外が繋がってしまっている。
現代なら、腸のその部分を切り取って繋ぎ直す。あるいは、しばらく腸の中身を別ルートに逃がしておいて、後で戻す。
この時代には、どちらもできない。
できるのは――《《待つこと》》だけだ。
「秀貞どの」
俺は、老人に告げた。
「これから、しばらく飯を控えていただく。重湯と、澄まし汁だけにござる」
「なにゆえ」
「腸を、《《休ませる》》ためにござる」
俺は言った。
「腸に物が通らねば、漏れる量が減り申す。漏れる量が減れば、傷が塞がる目がござる。……何十日かかるか分かり申さぬが、道が細くなり、そして塞がることがある」
「――塞がらねば」
「――《《一生、そこから漏れ続けまする》》」
俺は、正直に言った。
「布を当てて暮らすことになる。臭い、汚れる、辛うござる。……なれど、《《死にはしませぬ》》」
林秀貞は、しばらく天井を見ていた。
そして、こう言った。
「――《《生きておれば、上等にござる》》」
◆
――そして、そこへ、兄が来た。
◆
信長は、林秀貞の顔を一目見て、こう言った。
「――生きておるな」
「……殿。お見苦しいところを」
「寝ておれ」
兄は、そのまま俺を廊下へ連れ出した。
そして、歩きながら聞いた。
「勘十郎。あれは何の病だ」
「――《《腹に膿が溜まる病》》にござる」
「治したのか」
「膿は出し申した。……なれど、元が残っておりまする」
「元」
「はい。膿を作った袋が、腸に穴を開けたまま残っておる。……そこを塞がぬ限り、また溜まり申す」
俺は、歩きながら説明した。
――医者として、ごく当たり前の説明を。
「兄上。膿瘍というものには、一つだけ動かせぬ理がござる」
「言え」
「《《周りをいくら叩いても、治らぬ》》」
俺は言った。
「熱いから冷やす、腫れておるから揉む、痛いから薬を塗る。……すべて無駄にござる。膿は、そこにある限り、身体を灼き続けまする」
「では、どうする」
「――《《芯を、一点切って、出し切る》》」
俺は、指で一点を示した。
「大きく開けてはならぬ。開ければ散って、かえって全身に回り申す。……《《一番浅いところを、狭く、深く》》。そして、出し切るまで指で中を崩す」
「――ふむ」
「そして、出した後は、《《塞がずに開けておく》》。塞げばまた溜まりますゆえ」
信長は、廊下の途中で足を止めた。
俺は、そこでようやく、《《自分が何を喋っているか》》に気づいた。
◆
「――兄上」
「勘十郎」
兄は、庭を見たまま言った。
「浅井は小谷におる。朝倉は越前におる。三好は畿内に戻り、本願寺は石山で兵を挙げた」
「……」
「叩いた。姉川で叩いた。だが、《《戻っておる》》」
俺の背中に、汗が伝った。
「――兄上。それは、人の身体の話とは」
「同じだろう」
信長は、あっさりと言った。
「――違い申す」
俺は、必死に言った。
「人の身体と、国は違い申す。膿には心がござらぬ。切られても恨み申さぬ。なれど人は」
「勘十郎」
兄は、俺を遮った。
そして、俺を見た。
あの、乾いた眼で。
「――《《膿を出した後、その袋はどうする》》」
◆
俺は、答えられなかった。
答えは、知っている。
現代の外科であれば、答えは決まっている。
――《《切り取る》》。
膿を作り続ける部分を、腸ごと、その一節を切除する。それをしない限り、何度でも再発する。
根治とは、そういうことだ。
俺は、口を開いた。
開いて、閉じた。
だが――
俺の沈黙が、《《答えになっていた》》。
「……そうか」
信長は、それだけ言った。
そして、歩き去った。
◆
俺は、廊下に一人で立っていた。
――何を、言ってしまったのか。
俺は、患者の話をしただけだ。
膿瘍の治療法を、医者として、当たり前に説明しただけだ。
だが。
俺は、《《比喩を渡してしまった》》。
――叩くな。切れ。
――狭く、深く、芯を。
――出し切るまで、中を崩せ。
――そして、元を断て。
俺は、両手を見た。
この手は、今日、林秀貞を助けた。
同じ口が、今、《《別の何かを、兄に渡した》》。
◆
その夜、俺は与一郎に聞いた。
「与一郎」
「はい」
「医者の言葉は、《《どこまでが医者の言葉だ》》」
弟子は、意味が分からぬという顔をした。
「……と、申されますと」
「――いや」
俺は、首を振った。
「いい。忘れろ」
――言えるはずがなかった。
俺は、この一年後に、《《比叡山で何が起きるか》》を知っている。
三千とも四千とも言われる人間が、山ごと焼かれる。
僧も、女も、子供も。
俺は、それが起きることを知っていて、そして今日、その理屈を《《医学の言葉で兄に説明した》》。
――俺は、勧めていない。
――勧めていないが、《《止めてもいない》》。
◆
林秀貞の腹の穴は、四十日ほどで細くなり、六十日目に塞がった。
老人は、痩せこけた身体で、自分の足で歩いて帰っていった。
帰り際、彼は俺に深く頭を下げて、こう言った。
「――勘十郎さま。それがしは、あなたさまに二度救われました」
「二度」
「一度は、この腹」
彼は、腹を撫でた。
「もう一度は、十四年前にござる」
老人は、皺だらけの顔で笑った。
「あのとき断っていただかねば、それがしは謀反人の家老として、とうに首を刎ねられておりました」
◆
元亀元年 六月〜八月
姉川。傷病者三二一、死二七。――《《されど、敵は死んでおらぬ》》。
症例・林秀貞、五十七歳。
左下腹部の激痛、圧痛、反跳痛、腫瘤、四日の発熱、便秘(放屁あり)。
――腸壁の袋の破裂による限局性膿瘍と診断。
処置――最浅点を狭く切開、隔壁を指にて破壊、排膿約一升。
洗浄。《《閉創せず》》、布を挿入。毎日交換。
十日目、便様の排液あり。――腸との交通。
絶食に近い食餌にて、六十日目に閉鎖。生存。
※膿瘍の原則――《《周囲を叩いても治らぬ。芯を切り、出し切り、塞がずにおく。》》
そして、元を断たねば再発する。
――《《この理を、兄上に語ってしまった。》》
人の身体と国は違うと申したが、兄上は「同じだ」と言われた。
俺は、反駁できなかった。
残り、十二年。
今回の症例は、大腸の憩室が破れてできた膿瘍です。
加齢とともに、大腸の壁の弱い部分が外へ袋状に膨らむことがあります。これ自体は珍しくなく、多くの方は何の症状もありません。ですが、その袋に便が詰まって炎症を起こし、破れることがあります。腹全体に広がれば命に関わりますが、周囲の腸や脂肪組織が破れた部分を包み込むと、膿が一箇所に閉じ込められた状態——膿瘍になります。
診察で決定的だったのが、押したときより手を離したときのほうが痛い、という所見です。反跳痛といい、腹膜が刺激されている徴候として、現在も重要視されます。
そして治療について。膿瘍には、二千年変わらない大原則があります。
切開して、排出する。
薬でも、温めても、冷やしても治りません。溜まった膿は、出さなければ治らない。抗生物質が発達した現在でも、大きな膿瘍に対してはドレナージが治療の柱です。
作中の手技には、いくつか要点があります。まず、切開は最も浅い一点を狭く。大きく開けると閉じ込められていた膿が腹腔全体に散り、かえって危険です。次に、膿瘍の内部にはしばしば隔壁があり、一箇所開けただけでは隣室の膿が残るため、指で崩す必要があります。そして、洗浄後に傷を閉じないこと。閉じれば再び溜まるためで、これは現在も同じです。
最後に、憩室と外部が通じたままになる(瘻孔)問題。腸管を安静にすることで自然閉鎖することがあり、作中の処置はそれを狙ったものです。現代では、根本的には原因となった腸管を切除します。
次話、元亀の動乱は深まります。
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