第二十二話 産屋の外
※出産の描写、母子の死に関する描写があります。
前話で、道三は言いました。
この国で一番多く死んでいるのは、赤子と、産む女だと。
勘十郎は十四年間、産屋を一度も覗いたことがありません。
永禄十二年、夏。
岐阜に帰ってからも、俺は道三先生の言葉が抜けなかった。
――《《お前の書は、武士のための書じゃ》》。
――《《この国で一番多く死んでおるのは、赤子と、産む女じゃ》》。
俺は、『手当書』を四巻とも開いて、一頁ずつ数えてみた。
傷の項、六十一。
陣中の項、四十四。
行軍の項、二十二。
熱と腹の項、三十八。
――《《産の項、零》》。
――《《赤子の項、一》》。
俺は、筆を置いた。
十四年である。
俺は十四年、この国で医者をやって、《《産屋を一度も覗いたことがなかった》》。
◆
「――産屋に入りたい、と仰せですか」
帰蝶さまは、そう言って、めずらしく本気で驚いた顔をした。
「はい」
「勘十郎どの。……ご存じないわけではありますまい」
「産屋には、男は入れぬ」
俺は言った。
「血は穢れであり、産は穢れであり、男が触れれば祟るとされておる。……知っております」
「では、なぜ」
「――《《その考えが、女を殺しておるからにござる》》」
部屋が、静まった。
「義姉上。産で死ぬ女は、この国でどれほどおりますか」
「……数えたことなど、誰もございませぬ」
「それが答えにござる」
俺は言った。
「誰も数えておらぬ。数えぬから、減ったかどうかも分からぬ。減らそうと思う者もおらぬ。……戦で死ぬ男は数えられ、供養され、名を残しまする。なれど産で死ぬ女は」
俺は、拳を握った。
「――《《当たり前のこと》》として、片づけられておる」
帰蝶さまは、しばらく黙っていた。
そして、静かに言った。
「――わたくしの乳母は、産で死にました」
「……」
「その娘も、二人目で死にました。……勘十郎どの。この国の女は、《《産むことを、戦だと思うております》》。生きて帰れぬかもしれぬ戦だと」
彼女は、顔を上げた。
「――《《集めましょう》》」
「義姉上」
「産婆を集めます。城下と近在から、腕のよい者を」
帰蝶さまは、立ち上がった。
「ただし、勘十郎どの。一つだけ、お約束を」
「なんなりと」
「――《《まず、聞いてくださいませ》》」
彼女は、まっすぐに俺を見た。
「あの者たちは、何十年も産屋におります。あなたさまが一度も入ったことのない場所に、何百回も。……教えに行くのではなく、《《教わりに行く》》と思うてくださいませ」
俺は、深く頭を下げた。
「――肝に銘じまする」
◆
十日後、岐阜城の一室に、十四人の女が集まった。
みな、四十より上だった。一番の年嵩は、《《とめ》》という名の、六十を過ぎた小柄な老婆である。
俺が入っていくと、空気が、あからさまに硬くなった。
――当然だ。
男が、しかも領主の弟が、産婆を呼びつけた。何を言われるか分かったものではない。
俺は、上座には座らなかった。
畳に直接座り、両手をついて、こう言った。
「――《《教えていただきたい》》」
◆
その日、俺は一言も教えなかった。
六刻、《《聞き続けた》》。
与一郎が、隣で必死に筆を走らせていた。
――知らないことばかりだった。
陣痛の波の読み方。腰を撫でる方向。いつ息ませ、いつ止めさせるか。座って産ませるのと、横になって産ませるのの違い。
産道が裂けそうなときに、掌をどう当てて支えるか。
子の頭が出てから、肩を出すときの回し方。
――全部、《《俺の教科書には載っていた》》。
載っていたが、俺は《《読んだだけ》》で、この女たちは《《やってきた》》。
その差は、絶望的だった。
「――とめどの」
日が暮れる頃、俺は老婆に聞いた。
「そなたは、何人取り上げた」
老婆は、少し考えて答えた。
「……千は、超えておりましょうな」
「そのうち、母が死んだのは」
――老婆の顔から、表情が消えた。
「……三十を、超えまする」
◆
「――とめどの。その三十が、どのように死んだか、覚えておられるか」
老婆は、俺を睨んだ。
「一人残らず、覚えております」
「教えていただきたい」
「なにゆえ」
「――《《数えるためだ》》」
俺は言った。
「どういう死に方が多いのかが分からねば、どこを直せばよいかも分からぬ。……三十のうち、《《どの死に方が一番多かった》》か」
とめは、しばらく黙っていた。
そして、指を折りはじめた。
「一番多いのは……《《血が、止まらぬ》》のでございます」
「うむ」
「子が出た後に、どっと出る。桶に受けきれぬほど。……あれは、どうにもなりませぬ。手のつけようがない」
「次は」
「――《《産んで、三日か四日して、熱が出る》》」
俺は、身を乗り出した。
「どういう熱だ」
「初めは、たいしたことがないのでございます。産後は誰でも少し熱っぽうございますから。……なれど、その熱がどんどん上がる。腹を押すと痛がる。悪露が臭う。そして、七日ほどで」
老婆は、そこで口をつぐんだ。
「――《《うわ言を言うて、死になさる》》」
◆
俺は、掌に爪を立てていた。
――《《産褥熱》》。
産後に、傷ついた子宮の内側から、身体の中へ菌が入り込む。
熱が出て、腹が痛み、悪露が臭い、そして全身に毒が回って死ぬ。
この病は、後の世で、《《数え切れぬ数の母を殺した》》。
そして――
そして、その原因を突き止めた男が、ずっと後に現れる。
ハンガリーの若い産科医だ。彼は、医者が診た産婦のほうが、産婆が取り上げた産婦より《《はるかに多く死んでいる》》ことに気づいた。
なぜか。
――医者たちは、《《死体を解剖した手で、そのまま産婦を診ていた》》からだ。
彼は、手を洗わせた。塩素の水で、念入りに。
産褥熱は、劇的に減った。
そして彼は、《《同僚の医者たちに嘲笑され、追放され、精神を病んで死んだ》》。
自分たちの手が母親を殺していると認められる医者は、そのときほとんどいなかったのである。
「――とめどの」
俺は、老婆を見た。
「一つだけ、聞かせてくれ」
「なんでございましょう」
「――《《産屋に入る前、手を洗われるか》》」
◆
部屋が、しんとした。
とめは、怪訝そうに答えた。
「……洗いまする。汚れておれば」
「汚れておらねば」
「……いちいちは、洗いませぬな」
「その前に、何をしておられる」
「――何を、と申されましても」
老婆は、少し苛立ったように言った。
「田を打っておることもございます。厠を掃除しておることも、鶏を絞めておることもございましょう。呼ばれれば、すぐ走らねばなりませぬので」
俺は、目を閉じた。
「――そのまま、産道に指を入れられるか」
「……入れまする」
◆
「とめどの」
俺は、居住まいを正した。
「今から言うことは、そなたを責めるものではない。……信じてくれ」
「……」
「産んで三、四日で熱を出して死ぬ女がいる。その死に方の元は、《《産屋に入る、我らの手》》にござる」
部屋が、爆発した。
「――何を仰せか!」
「産婆の手が汚いと!」
「無礼な!」
俺は、頭を下げたまま、その罵声を受けた。
「――《《我らの手だ》》と申し上げた」
俺は、顔を上げた。
「医者の手も、産婆の手も、同じにござる。……それがしも、十四年、手当所で人を殺してきた。傷を素手で触り、洗わずに次の者に触れて」
俺は、自分の掌を広げて見せた。
「――《《見えぬのだ》》」
◆
「目に見えぬほど小さな、生き物のようなものがおる」
俺は、静かに話した。
「土にも、糞にも、血にも、人の手にもおる。目には見えぬ。匂いもせぬ。手が汚れて見えなくとも、《《おる》》」
「……」
「それが、傷から中へ入ると、熱が出て、膿んで、人が死ぬ。……産んだ後の女の腹の中は、《《まるごと一つの大きな傷》》にござる。子が離れた跡が、ぱっくりと開いておる」
女たちが、息を呑んだ。
「そこへ、洗わぬ手で触れれば――どうなるか」
とめは、震えていた。
その皺だらけの手を、じっと見つめていた。
「……勘十郎さま」
「なんだ」
「――《《わたくしが、三十人を》》」
「違う」
俺は、はっきりと言った。
「知らなかったことで、人は責められん。《《知る手立てが、なかったのだ》》」
――何度目だろうか、この言葉を口にするのは。
「だが、今、そなたは知った。ここから先は、違う」
◆
その日から、俺は五つを教えた。
「一つ。《《産屋に入る前に、手を洗え》》」
俺は、桶と灰と手拭いを並べた。
「ただ水で流すのではない。灰か、糠か、莢を揉んだ汁でよく擦れ。爪の間だ。爪の間を、《《別の手の爪で掻き出せ》》。それから、たっぷりの湯で流せ」
「それを、産婦に触れるたびにやれ。一人終わったら、次の家へ行く前にやれ」
「二つ。《《臍の緒を切る刃物を、必ず煮よ》》」
女たちが、顔を見合わせた。
「……いつも使うておる小刀ではいけませぬか」
「――駄目だ」
俺は言った。
「土に触れた刃物、藁を切った刃物、竹を割った刃物。……それで臍の緒を切ると、生まれて七日ほどして、《《赤子の口が開かなくなる》》」
とめが、はっと顔を上げた。
「――《《七日目の風》》」
「そう呼んでおるか」
「はい。……生まれて七日か八日して、乳を吸わなくなり、口が開かず、身体が弓なりに反って死になさる。……あれは、《《取り替え子の祟り》》と」
「祟りではない」
俺は、断言した。
「あれは、《《臍の緒から入る》》。刃物か、当てる布か、扱う手からだ」
俺は、五年前に自分が殺してしまった槍足軽の顔を思い出していた。
――《《同じ病だ》》。
あのとき、俺は「浅い傷も洗え」と『手当書』に書いた。
だが、《《臍の緒のことは、一行も書いていなかった》》。
「刃物を煮ろ。切った端を縛る糸も煮ろ。臍に当てる布も煮ろ。……そして、《《臍に何も塗るな》》。灰も、土も、油も、糞も」
「――糞、を」
「塗る土地がある」
俺は言った。
「よく効くと言われておる。……あれで、赤子が死ぬ」
◆
「三つ。《《生まれた子は、まず拭いて、温めろ》》」
俺は続けた。
「泣かぬからと、慌てて逆さに吊るして尻を叩く者がおる。あれはやめろ。……まず、《《乾いた布で、力を入れて拭け》》」
「拭くだけで、よろしいので」
「拭くのが、《《一番の刺激だ》》。背中と、頭と、手足を、しっかり拭け。たいていの子は、それで泣く」
「泣かねば」
「口と鼻の中を、指に巻いた布で拭って、《《顎を少し上げてやれ》》。喉が真っ直ぐになる。……それでも泣かねば、胸を軽く叩き続けろ。諦めるな。四半刻は諦めるな」
俺は、指を立てた。
「そして――《《濡れたまま放っておくな》》。赤子は、あっという間に冷える。冷えた赤子は死ぬ。拭いたら、乾いた布で包んで、《《母の胸の上に置け》》」
「母の、胸に」
「一番あたたかい。それに――」
俺は、そこで四つ目に繋げた。
◆
「四つ。《《産んだ後に血が止まらぬときは、乳を吸わせろ》》」
女たちが、いっせいに顔を上げた。
「……乳を、でございますか」
「そうだ」
「血が出ておるときに、乳など」
「――《《それが薬だ》》」
俺は、身を乗り出した。
「子が生まれた後、母の腹の中では、子の家であった袋が縮んで、血の出ておる面を締めなければならぬ。……それが縮まぬと、血が止まらん。産で血が止まらぬのは、たいていこれだ」
俺は、自分の腹を押さえてみせた。
「そして、《《赤子に乳首を吸わせると、その袋が縮む》》」
とめが、ぽかんとした。
「……なにゆえ、そのようなことが」
「理屈は、それがしにも半分しか分からぬ」
俺は正直に言った。
「乳首を吸われると、身体の奥から《《縮めよという報せ》》が出て、それが腹の袋まで届く。……そういう仕掛けになっておる」
「……」
「試してみられよ。血の多い女に吸わせてみて、腹に手を当ててみればよい。《《硬くなるのが、掌で分かる》》」
俺は、続けた。
「それともう一つ。血が多いときは、《《臍の下を、外から掴んで揉め》》」
俺は、自分の下腹に両手を当てた。
「柔らかく、ぶよぶよしておったら、それがいかん。掌でぐっと掴んで、揉んで、《《硬い塊にしろ》》。硬くなれば血は止まる。柔らかく戻ればまた揉め。……痛がるが、やれ」
◆
「五つ。――これは、《《その場でしか役に立たぬ技》》だ」
俺は、そこで一度、深く息をした。
「子の頭は出た。だが、《《肩が引っかかって出てこぬ》》。そういうことがある」
とめの顔色が、変わった。
「――ございます」
老婆の声が、掠れていた。
「ございます。……あれが、一番恐ろしゅうございます。頭は出ておるのに、そこから動かぬ。首を引っ張っても出ぬ。……四つ数える間に、子の顔が紫になりまする」
「そのとき、どうしておられる」
「引っ張りまする。ほかに、何ができましょう」
「――《《引っ張るな》》」
俺は、はっきりと言った。
「首を強く引けば、《《子の腕が一生動かなくなる》》。それでも出ぬ。……代わりに、《《母の脚を動かせ》》」
「脚、を」
「そうだ。母を仰向けに寝かせ、《《両膝を、思い切り胸に引きつけろ》》。抱え込むように、腹につくまでだ。二人がかりで押しつけろ」
俺は、身振りで示した。
「そうすると、母の骨盤の傾きが変わって、《《引っかかっておった肩が抜ける》》」
「――それだけで」
「それだけで、半分は出る」
俺は言った。
「それでも出ねば、誰かが臍の上を、《《骨盤の際に向かって斜めに押せ》》。真下ではない、斜めだ。……この二つで、たいてい出る」
◆
とめは、その夜、帰らなかった。
俺の部屋の前に座り込んで、明け方まで問い続けた。
膝を胸に。斜めに押す。乳を吸わせる。腹を揉む。刃物を煮る。手を洗う。
何度も、何度も、繰り返させた。
――そして、七日後。
それは、来た。
◆
夜半、俺の部屋の戸が叩き壊されるかと思った。
「勘十郎さま! 勘十郎さま!」
若い産婆の一人だった。裸足で、髪を振り乱していた。
「城下の、鍛冶屋の女房が! 頭が出たきり、動きませぬ! とめさまが、来てくれと!」
俺は、寝間着のまま飛び出した。
――走りながら、頭の中で数えていた。
肩が引っかかってから、子が助かる時間は、そう長くない。
四半刻もない。
◆
家の前に着いた。
――そして、俺は足を止めた。
産屋である。
軒下に注連縄が張られ、戸口に筵が下がっている。
中から、女の悲鳴が聞こえてくる。
俺は、その筵に手をかけた。
――かけて、止めた。
(――入れば、全部壊れる)
男が産屋に入った。その一事で、この十日間の全部が無になる。産婆たちは俺を憎み、二度と話を聞かなくなる。城下の女は俺を穢れと呼ぶ。
そして、《《この後に生まれる何千人》》が、俺の教えを受けられなくなる。
俺は、筵から手を離した。
そして――《《戸口の外に、膝をついた》》。
「――《《とめどの!》》」
◆
俺は、腹の底から叫んだ。
「聞こえるか! 勘十郎だ! 俺は入らん! 《《外から言う》》!」
中から、老婆の掠れた声が返ってきた。
「――《《言うてくだされ!》》」
「引っ張っておるか!」
「引いております! 出ませぬ!」
「――《《手を離せ!》》」
「な……」
「《《引くのをやめろ》》! 引けば引くほど出ん! 子の腕が潰れるだけだ!」
筵の向こうで、動く気配があった。
「母を仰向けにしろ! 身体をまっすぐに!」
「――仰向けに! そこ、支えて!」
「両膝だ! 《《両膝を、胸に引きつけろ》》! 二人がかりだ! 思い切りやれ、遠慮するな! 腹に膝がつくまで押せ!」
中で、女たちが動く音がした。産婦が絶叫した。
「もっとだ! もっと引きつけろ! ――そのまま!」
――《《数を、数えていた》》。
一つ。二つ。三つ。
「――とめどの! 肩に触れておるか!」
「――《《動きました》》!」
老婆の声が、裏返っていた。
「動きました! 肩が! 抜けて――」
筵の向こうで、《《ぐらり》》と何かが動く気配がした。
そして。
――《《赤子の、泣き声》》。
◆
俺は、戸口の外で、膝をついたまま動けなくなった。
夜風が、汗をかいた背中に冷たかった。
中から、女たちの声が聞こえてくる。
「布! 乾いた布を!」
「拭きなされ、しっかり拭きなされ! 背中を!」
「――《《母御の胸へ!》》」
「血が! 血が多うございます!」
「――《《乳を吸わせなされ!》》」
俺は、目を閉じた。
「腹を! 臍の下を掴んで揉みなされ! 硬くなるまで!」
――全部、覚えている。
七日前に教えたことを、全部。
俺が中にいなくても、この産屋は回っている。
◆
夜明け前、筵が上がって、とめが出てきた。
全身、血と汗まみれだった。
老婆は、俺の前に立ち、そして――《《いきなり平伏した》》。
「――やめてくれ」
俺は、慌てて言った。
「立ってくれ、とめどの。……子と母は」
「――両方、生きております」
老婆は、地面に額をつけたまま言った。
「勘十郎さま」
「なんだ」
「……わたくしは、四十年、産屋におりました」
声が、震えていた。
「肩の引っかかった子を、これまで《《九人》》見ました。九人とも、引っ張って、引っ張って、そして――《《九人とも、死なせました》》」
俺は、返す言葉がなかった。
「膝を、胸に。……それだけのことで」
とめは、地面に手をついたまま、泣いた。
「――《《それだけのことで、よかったのでございますか》》」
◆
俺は、その背中に手を置いた。
――四十年。
この老婆は、四十年、正しい答えの《《すぐ隣》》に立っていた。
誰も教えてくれなかった。書物もなかった。教える者が、この国のどこにもいなかった。
「――とめどの」
「はい」
「そなたに、頼みがある」
俺は言った。
「――《《教えてくれ》》」
「わたくしが、でございますか」
「そうだ。俺は産屋に入れん。だが、そなたは入れる」
俺は、老婆の顔を上げさせた。
「城下の産婆に、近在の産婆に、そなたが教えろ。……俺の言葉ではなく、《《そなたが今夜やったこと》》として教えろ。そのほうが、百倍効く」
とめは、しばらく俺を見つめていた。
そして、皺だらけの顔で、笑った。
「――《《唄に、いたしましょう》》」
◆
その年の秋、『手当書』に五巻目が加わった。
題を、こう記した。
――《《女と赤子の巻》》
書いたのは、俺ではない。
俺と、与一郎と、そして――《《とめ以下、十四人の産婆》》である。
巻頭には、道三先生に言われた言葉を、そのまま置いた。
――《《この国で一番多く死んでおるのは、赤子と、産む女である。》》
そして、その次の行に、俺はこう書いた。
――《《これまで誰も数えなかった。ゆえに、これより数える。》》
◆
永禄十二年 秋 岐阜
産婆十四人より聴取。六刻。――俺の知らぬことばかりであった。
産で母の死する因、第一は産後の出血、第二は産褥の熱。
※後者は、我らの手より入る。産後の子宮内面は一個の巨大な創なり。
教えたるは五つ。
一、手を洗う(爪の間を掻き出せ)
二、臍の緒の刃物・糸・布を煮る(「七日目の風」は祟りにあらず)
三、生児は拭いて温め、母の胸へ
四、産後出血には吸啜と子宮底の圧迫
五、肩の嵌頓には――《《引くな。母の両膝を胸へ》》
※本夜、城下にて肩の嵌頓一例。産屋の外より指示。母子ともに生存。
――とめどの、四十年で九人を失いし由。
《《それだけのことで、よかったのか》》と問われたり。
答えられなかった。
『手当書』第五巻、起筆。――《《女と赤子の巻》》。
残り、十三年。
今回は出産の話です。
産後に母親が亡くなる原因として、歴史上最も多かったのが産後出血と産褥熱です。
産後出血の多くは、子宮がうまく収縮しないことで起こります。胎盤が剥がれた跡は大きな傷口で、子宮が縮んで血管を締めなければ出血が止まりません。ですから対処は、子宮を収縮させること。腹の上から子宮底を掴んで揉む方法と、赤ちゃんに乳首を吸わせる方法があります。乳首への刺激が体内でホルモンの分泌を促し、それが子宮を収縮させる——現代でも用いられる、薬を使わない確実な方法です。
産褥熱は、産後数日で発熱し、腹痛と悪臭のある悪露を伴い、全身に感染が広がって命を奪う病です。原因は、出産に立ち会う人の手でした。
これを突き止めたのがイグナーツ・ゼンメルヴァイスというハンガリーの医師です。彼は一八四七年、医師が担当した産婦の死亡率が助産師の担当より著しく高いことに気づきました。理由は、医師たちが解剖を行った手のまま産婦を診ていたこと。彼が手指消毒を義務づけると、死亡率は激減しました。
しかし彼の主張は同僚の医師たちに受け入れられませんでした。自分たちの手が母親を殺しているという指摘を、当時の医学界は認められなかったのです。彼は職を追われ、精神を病んで亡くなりました。細菌の存在が証明されるのは、その後のことです。
そして最後の場面、肩甲難産について。
頭は出たのに肩が引っかかって出てこない状態で、分娩における最も緊迫した事態の一つです。ここで首を引っ張ると、赤ちゃんの腕の神経が損傷し、麻痺が残ることがあります。
最初に行うべきは、母親の両膝を胸に強く引きつけること。マクロバーツ体位といいます。骨盤の角度が変わることで、多くの場合これだけで肩が抜けます。次に、恥骨の上を斜めに圧迫します。器具も薬も要らず、知っているかどうかだけで結果が変わる——そういう手技です。
次話から、時代は元亀へ入ります。
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