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転生軍医、織田信勝 ―本能寺を消す処方箋―  作者: 東雲 諒杏
第四章 南蛮の鏡(第20〜22話)

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第二十一話 量を書かなかった

第四話で、勘十郎は「熱には柳の皮を煎じて飲め」と教えました。

 あれから十三年が経ちます。

 永禄十二年、春。


 京の四条坊門に、《《三階建ての建物》》が建っていた。


 瓦葺きの、日本風の造りである。だが屋根の頂に十字の飾りがあり、そして――《《鐘》》が吊るしてあった。


 南蛮寺なんばんじ


 信長が建立を許した、切支丹キリシタンの寺である。


 俺は、与一郎と二人でその門前に立っていた。


「勘十郎さま。ほんとうに、入られるので」


「入る」


「兄君に、お叱りを受けませぬか」


「――兄上は、《《先月ここの坊主と会っておる》》」


 信長は、二条の普請場で、南蛮の坊主と半刻ばかり話したという。


 通詞を通し、日輪の運行だの、南蛮の国のことだのを、次々と問い詰めたらしい。


 俺の兄は、そういう男だ。


          ◆


 通されたのは、板張りの一室だった。


 畳がない。椅子がある。壁に、俺の知らない字が書かれた紙が貼ってある。


 そこに、二人の男が座っていた。


 一人は、南蛮人だった。


 鼻が高く、髭が濃く、そして――《《目が青い》》。黒い長衣を着ている。三十半ばか。


 もう一人は、日本人だった。


 小柄で、痩せていて、そして――片方の目が、白く濁っていた。


「――《《ロレンソ》》と申しまする」


 日本人のほうが、口を開いた。


 声が、驚くほど良かった。低く、よく通り、言葉の切り方に妙な心地よさがある。


「こちらは、ルイス・フロイスと申す、我らの司祭にございます。……それがしは、通詞を務めております」


「織田勘十郎と申す」


 俺は、椅子の座り方が分からず、とりあえず腰を下ろした。


「――医者だ」


          ◆


 フロイスという男は、俺の言葉を聞くと、身を乗り出して、早口で何か言った。


 ロレンソが、通訳した。


「司祭は、こう申しております。『織田の御一門に医者がおられると聞いて、ぜひ会いたいと思っていた』と」


「――ほう」


「『我らの仲間に、アルメイダという者がおります』と」


 俺は、身を乗り出した。


「アルメイダ」


「はい。もとは南蛮の商人で、外科医げかいにございます。十二年ほど前、豊後の府内ふないに《《病院》》を建てました」


「病院」


「病者を集め、寝かせ、養い、治す家にございます。……南蛮では、そういう建物がございます」


 ――《《日本初の西洋式病院》》。


 俺は、その名を知っていた。だが、実際に同じ時代に生きている人間の口から聞くと、まったく違う重さがあった。


「そこでは、何をしておる」


「刀傷を縫い、腫れ物を切り、骨を継ぎ、そして――《《らいを病んだ者も、捨て子も受け入れておる》》と聞いております」


 俺は、しばらく黙った。


 ――この国の誰も、それをやっていない。


          ◆


 そこから、俺とフロイスの問答が始まった。


 ロレンソが、間に入って通す。この男の通訳は、恐ろしく的確だった。医学の言葉を、一度も取り違えなかった。


 俺は、聞きたいことを片端から聞いた。


 ――南蛮では、人の身体をどう考えるか。


 ――骨は何本あると教えるか。


 ――心の臓は何をしておると考えるか。


 フロイスの答えは、半分が俺の知っていることで、半分が《《まったく違っていた》》。


 彼らは、血が心の臓から全身を巡って戻ってくることを知らなかった。それが分かるのは、この五十年ほど先である。


 彼らは、人の身体は四つの液の釣り合いでできていると考えていた。血、粘液、黄胆汁、黒胆汁。この釣り合いが崩れると病になる、と。


 ――《《四体液説》》。


 千数百年、西洋医学を支配し、そして間違っていた理論である。


 そして、そこから当然、《《ある治療》》が出てくる。


「――《《瀉血しゃけつ》をなさると」


 俺は、聞き返した。


「はい」


 ロレンソが通訳した。


「熱のある者、頭の痛む者、腫れておる者。……血が多すぎるゆえに病むと考え、腕の血の管を切って、血を抜きまする。碗に一杯、二杯と」


 俺は、しばらく黙っていた。


 与一郎が、隣で顔をしかめた。


          ◆


「――ロレンソどの。司祭に伝えてくれ」


 俺は、慎重に言葉を選んだ。


「それがしは、《《瀉血には賛同いたしかねる》》」


 ロレンソが訳すと、フロイスの眉が上がった。


 彼は、静かに何か言った。


「『理由をお聞かせ願いたい』と」


「――《《見てきたからだ》》」


 俺は言った。


「それがしは、十四年、戦場で人を診てまいった。血を失った者を、何百人と見た」


「……」


「血を失うと、人はどうなるか。顔が白くなり、脈が速く弱くなり、汗が冷たくなり、そして冷える。冷えれば血が止まらなくなり、止まらねばもっと冷える。……そうやって死ぬ」


 俺は、指を折った。


「それがしの手当所では、《《血を一滴でも減らさぬ》》ことに全力を注ぎ申す。押さえ、括り、温め、水を入れる。それでようやく、十人に一人しか死なぬところまで来た」


 俺は、顔を上げた。


「その同じ手で、《《熱があるからと、碗一杯の血を抜く》》。……それがしには、どうしてもできませぬ」


          ◆


 ロレンソが訳した。


 フロイスは、しばらく考え込んでいた。


 そして、こう返した。


「『しかし、瀉血で良くなる者もおります』と」


「――おるでしょうな」


 俺は認めた。


「風邪をひいた者は、瀉血しても治り申す。しなくても治り申す。……ここが難しいところにござる」


 俺は、身を乗り出した。


「ロレンソどの。司祭に、こう伝えてくれ」


「はい」


「――《《同じ病の者を、二つに分けて試したことがおありか》》と」


          ◆


 ロレンソの片眼が、こちらを向いた。


「……二つに」


「そうだ。同じ病の者を、二十人ずつ、くじで二組に分ける。一方には瀉血をし、一方にはせぬ。他は全部同じにする。……そして三十日後、《《どちらが多く生きておるかを数える》》」


 部屋が、しんとした。


「それをせぬうちは、『瀉血で治った』のか『瀉血をしても治った』のか、誰にも分かり申さぬ」


 俺は続けた。


「それがしは、麦飯でそれをやり申した。四百人を二つに分け、片方に麦を食わせた。……三月後、足をえさせた者は、白飯の組に十一人、麦の組に一人でござった」


 ロレンソが、ゆっくりと通訳した。


 フロイスは――


 椅子から、立ち上がっていた。


          ◆


 彼は、俺に向かって何か言った。長く、熱っぽく。


 ロレンソが、少し困った顔で訳した。


「……司祭は、こう申しております」


「言ってくれ」


「『あなたは、どこでその考え方を学んだのか』と」


 ――また、それか。


 俺は、九年前に道三先生に聞かれたのと同じ問いを、今度は南蛮人から聞かされていた。


「……夢で見た、と申し上げるほかござらぬ」


 ロレンソが訳すと、フロイスは笑った。そして、真顔に戻ってこう言った。


「『我らの神は、時に人に夢を見せます』と」


 ――勘弁してくれ。


          ◆


 そのときだった。


 外が、騒がしくなった。


 扉が開いて、若い南蛮人の修道士が飛び込んでくる。日本人の男を二人がかりで抱えていた。


「――どうした」


 俺は、椅子を蹴って立ち上がった。


 運び込まれた男は、四十がらみだった。商人風。目を見開き、しきりに何か言っている。


 そして――


 俺は、その《《息》》を見た。


 ――速い。


 いや、速いだけではない。


 《《深い》》。


 大きく、大きく、吸って吐いている。まるで走った後のように。だが男は運ばれてきただけで、走ってはいない。


 俺は、駆け寄って胸に耳を当てた。


 ――肺は、きれいだ。


 喘鳴もない。水も溜まっていない。


 それなのに、《《この息》》。


「与一郎、脈を」


「――速うございます。それと、熱が」


 俺は、額に手を当てた。熱い。だが、汗をかいている。


「おい。聞こえるか。名は」


 男は、俺を見た。目は合う。だが、少し焦点がずれている。


 そして、震える手で――《《両耳を押さえた》》。


「……み……」


「なんだ」


「――《《耳が、鳴るのでございます》》」


          ◆


 俺の全身に、鳥肌が立った。


 ――《《耳鳴り》》。


 ――《《異様に深く速い息》》。


 ――《《熱と発汗》》。


 ――《《意識の混濁》》。


 この組み合わせを、俺は知っている。


 四十年、救急の現場で何度も見た。


「――何を飲んだ」


 俺は、男の肩を掴んだ。


「答えろ。この三日、《《何を飲んだ》》」


 男は、朦朧としながら答えた。


「……く、薬を」


「どんな薬だ」


「――《《柳の、皮》》を」


          ◆


 俺の手から、力が抜けそうになった。


「……柳の皮」


「へえ。歯が、ひどく痛みまして。……煎じて飲めば、熱が下がり、痛みが和らぐと」


「――誰に聞いた」


 男は、朦朧としたまま、こう言った。


「――《《唄で》》」


          ◆


  ――よっつ、煮た布 洗うた手


  ――熱には柳の 皮を煎じて


 俺は、その場に立ち尽くした。


 十三年前、俺が作った唄だ。


 尾張の兵に教え、城下に広がり、街道を伝って、今や京の商人まで知っている。


 俺が、広めた。


「……どれほど、飲んだ」


「歯がいとうて、痛うて」


 男は、うわ言のように言った。


「一杯では効きませなんだゆえ、二杯。二杯でも効かぬゆえ、濃く煎じまして。……三日、ずっと」


 ――《《飲み続けた》》。


 柳の皮に含まれるものは、体内で変じて、熱を下げ、痛みを和らげる。


 俺の知る世界では、それを精製したものが、世界で最も飲まれている薬になった。


 ――そして。


 《《その薬は、飲みすぎれば人を殺す》》。


          ◆


「与一郎! 炭を持て!」


「炭、にございますか」


「《《木炭だ》》! 消し炭でいい、それを細かく砕いて粉にしろ! 擂鉢すりばちを借りろ!」


 俺は、フロイスとロレンソを振り返った。


「ロレンソどの。木灰もっかいはござるか。竈の灰だ。上等な灰がよい」


「――ございます。厨に」


「それを湯に溶いて、しばらく置いて、《《上澄みだけ》》を取ってくれ。濁ったところは要らん。上の澄んだところだけだ」


「それは、灰汁あくにございますが」


「――《《それが要る》》」


          ◆


 俺は、男の顔を覗き込んだ。


 ――《《ここが分かれ目だ》》。


 毒を飲んだ者に炭を飲ませるのは、腹の中に残った毒を吸い取らせるためである。


 だが、《《意識のはっきりせぬ者に飲ませてはならない》》。


 むせて、肺に落ちる。そうなれば、毒より先に肺で死ぬ。


「おい。名を言え」


「……ぜ、善兵衛」


「歳は」


「四十、二」


「今日は何日だ」


「……存じませぬ」


 ――日付は分からない。だが、名前と歳は答える。呼びかけに応じる。喉の反射も生きている。


 俺は、決めた。


「――《《飲ませる》》。座らせろ、寝かせるな」


          ◆


 炭の粉を、水に溶いて泥のようにする。それを、少しずつ飲ませた。


 男は嫌がったが、無理やり飲ませた。


 次に、灰汁の上澄みを、水で薄めて飲ませた。


 与一郎が、不安そうに言った。


「勘十郎さま。灰汁は……苦うございましょう。それに、飲んでよいものなのですか」


「濃ければ毒だ。だが、《《薄めれば薬になる》》」


 俺は、手を止めずに答えた。


「与一郎。この毒は、《《身体が酸っぱくなると、頭へ入り込む》》」


「酸っぱく」


「――言い方が悪いな。うまく言えん」


 俺は、少し考えて言い直した。


「身体には、《《酸っぱいものと、灰汁のようなものの釣り合い》》がある。この毒は、身体が酸っぱいほうへ傾くと、頭の中へ入りやすくなる。頭へ入れば、痙攣を起こして死ぬ」


「……」


「ゆえに、灰汁を飲ませて、身体を《《灰汁のほうへ引き戻す》》。そうすれば毒は頭へ入りにくくなり、そのうえ――《《小便に混じって出やすくなる》》」


 俺は、桶を指した。


「水を飲ませ続けろ。小便が出るだけ出させろ。それが一番の薬だ」


          ◆


 夜通しかかった。


 明け方近く、男の息が、《《ゆっくりになった》》。


 あの、走った後のような深く速い息が、少しずつ収まっていく。


 俺は、男の耳元で聞いた。


「善兵衛。耳は」


 男は、しばらくして、掠れた声で答えた。


「……鳴りが、遠うなりました」


 俺は、椅子に座り込んだ。


 ――間に合った。


          ◆


 朝の光が板窓から差し込む頃、フロイスが俺の前に立った。


 彼は、深く頭を下げた。そして、何か言った。


 ロレンソが訳した。


「『あなたは、一晩でこの人を救った。神に感謝します』と」


「――神ではない」


 俺は、掌で顔を擦った。


「――《《俺が、この男を殺しかけたのだ》》」


          ◆


「勘十郎さま」


 与一郎が、慌てて言った。


「なにを仰せです。この者は、勝手に飲みすぎたので」


「――《《俺が、量を書かなかった》》」


 俺は、そう言った。


「十三年前、俺は唄を作った。熱には柳の皮を煎じて飲め、と。……三百人に教え、八百人に広げ、書にも記した」


「はい」


「――だが、《《どれほど飲めばよいかを、一度も書いておらん》》」


 与一郎の顔が、こわばった。


「一杯なのか、三杯なのか。何日まで飲んでよいのか。飲みすぎたらどうなるのか。……全部、書いておらん」


 俺は、拳を握った。


「昨日、道三先生に言われた。『この書には薬がない』と。……それは、《《書き忘れ》》ではなかった」


 俺は、自分の書を思い浮かべた。


「俺は、薬を《《軽く見ていた》》のだ。手当てこそが医の本体で、薬などは添え物だと。……そう思っていたから、量を書かなかった」


「……」


「薬は、《《量が全てだ》》」


 俺は、はっきりと言った。


「少なければ効かん。多ければ毒だ。同じものが、《《量だけで薬にも毒にもなる》》。……それを書かずに広めたのは、刀を配って持ち方を教えなかったのと同じだ」


          ◆


 俺は、その場で紙を借り、筆を執った。


 そして、書き出した。


  ――《《一、柳の皮のこと。》》

  ――《《 熱と痛みによく効く。なれど、飲みすぎれば人を殺す。》》

  ――《《 まず耳が鳴る。これが最初の徴なり。》》

  ――《《 次いで息が深く速くなり、熱が出て汗をかき、やがて頭が朦朧となる。》》

  ――《《 耳が鳴りはじめたら、《《その日のうちにやめよ》》。》》

  ――《《 濃く煎じるべからず。三日を超えて続けるべからず。》》

  ――《《 幼き子には、決して用いるべからず。》》


 最後の一行を書いた手が、少し止まった。


 ――子供には、この薬を使ってはならない。


 その理由を、俺は説明できない。この時代の誰にも分からない。ずっと後の世で、子供が熱のときにこれを飲むと、ごく稀に、脳と肝が同時に壊れる病を起こすと分かる。


 だから俺は、理由を書かず、《《禁じるだけ》》にした。


 ――これでいい。


 医書とは、そういうものだ。


          ◆


 南蛮寺を出るとき、フロイスとロレンソが門まで見送りに出た。


 ロレンソが、片眼で俺を見上げて言った。


「勘十郎さま」


「なんだ」


「――《《書に、量を書き足される》》と伺いました」


「ああ」


「それは、あなたさまの負けを、書に残すということにございますな」


 俺は、足を止めた。


 この、片方しか見えぬ男は、鋭すぎる。


「――そうだ」


「なにゆえ、そこまでなさいます」


 俺は、少し考えてから答えた。


「――俺が死んだ後にも、《《同じ間違いをする医者が出る》》からだ」


「……」


「そのとき、書に『これは俺が失敗した』と書いてあれば、そいつは俺の失敗を繰り返さずに済む。……人が同じところで転ぶのは、《《前に転んだ者が黙っているから》》だ」


 ロレンソは、しばらく黙っていた。


 そして、深く頭を下げた。


「――勘十郎さま。あなたさまは、切支丹ではございませぬ」


「そうだな」


「なれど」


 彼は、顔を上げて、微笑んだ。


「――《《我らと、同じことをしておられる》》」


          ◆


 その帰り道、与一郎が言った。


「勘十郎さま。あの南蛮の方々とは、また会われますか」


「会う」


 俺は答えた。


「あの連中は、《《俺の知らんことを知っておる》》。骨のこと、器具のこと、豊後の病院のこと。……そして」


 俺は、少し笑った。


「――《《俺の知っておる間違いも、たっぷり持っておる》》」


「間違いを、学ばれるのですか」


「学ぶとも」


 俺は言った。


「与一郎。他人の間違いを見るのは、《《己の間違いを見つける稽古》》だ。……瀉血は間違いだ。それは分かる。だが、俺の中にも、必ず同じ種類のものがある」


 俺は、掌を見た。


 ――柳の皮の、量。


「今日、一つ見つかった」


          ◆


  永禄十二年 春 京・南蛮寺

  南蛮人フロイス、通詞ロレンソと会う。

   豊後・府内に、アルメイダなる外科医の建てし《《病院》》あり。

    ――癩者、捨て子をも受け入るる由。この国の誰もやっておらぬ。

   彼ら、瀉血を行う。四つの液の釣り合い、という考え方による。

    ――比べて数えた者が、まだ誰もおらぬ。

  

  症例・善兵衛、四十二歳。柳皮の過量摂取。

    耳鳴り/深く速い息/発熱発汗/意識混濁。

    処置――炭(意識を確かめてから)、灰汁の薄めたるもの、大量の水。

     一夜にて軽快。

  

  ――《《俺は、量を書かなかった。》》

    薬は量が全てなり。同じものが、量だけで薬にも毒にもなる。

    『手当書』に加筆せり。《《己の失敗として》》書き残すべし。

  残り、十三年。


柳の樹皮には、体内で変化して熱と痛みを抑える成分が含まれています。それを精製・改良したものが、後にアスピリンとして世界で最も広く使われる薬になりました。


 そして、飲みすぎると中毒を起こします。


 最初に現れる徴候が耳鳴りです。これは非常に特徴的で、経験のある医師なら耳鳴りと聞いた時点で薬の量を疑います。次に、呼吸が異様に深く速くなります。呼吸を司る中枢が直接刺激されるためで、肺には何の異常もないのにこうなるのが不気味なところです。さらに、体内でエネルギーを作る仕組みが乱れるため、熱が出て汗をかき、やがて意識が濁っていきます。


 治療の柱は三つです。まだ胃に残っている分を吸着させる(活性炭)、体液をアルカリ側に傾ける、そして尿として排出させる。


 二つ目が重要です。この毒は、体が酸性に傾くほど脳へ移行しやすくなる性質を持っています。逆にアルカリ側へ戻せば、脳へ入りにくくなり、かつ腎臓からの排出も促進されます。現代では炭酸水素ナトリウムを点滴で用います。勘十郎が使った灰汁は木灰から取った上澄みで、炭酸カリウムを含むアルカリ性の液です。


 なお、活性炭は意識のはっきりしない方には使えません。誤嚥して肺に入ると致命的だからです。勘十郎が投与前に名前と歳を答えさせ、飲み込む力を確かめていたのは、そのためです。


 最後の「幼き子には決して用いるべからず」について。子どもがウイルス感染時にこの系統の薬を服用すると、ごく稀に脳と肝臓が同時に障害される重篤な病態が起こることが知られています。勘十郎はその理由を説明できないため、禁止だけを書き残しました。


 次話も南蛮寺のあたりです。


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