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転生軍医、織田信勝 ―本能寺を消す処方箋―  作者: 東雲 諒杏
第四章 南蛮の鏡(第20〜22話)

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第二十話 治せぬときに

第四章「南蛮の鏡」開幕です。


 ※病による身体の変形の描写があります。


 九年ぶりに、あの老人に会いに行きます。

 永禄十一年、十月。


 京は、九年前より荒れていた。


 いや――荒れ方が、変わっていた。


 九年前は「戦の後の廃墟」だった。今は「戦のさなかの都」である。三好の残党が近郊で暴れ、兵が市中を横行し、商家は板を打ちつけて閉じている。


 その中を、俺は与一郎を連れて歩いていた。


 目当ての屋敷は、九年前と同じ場所にあった。


 そして――《《同じように、人が並んでいた》》。


 二十人ほど。公家風の従者も、荷駄の人足も、裸足の子供も、同じ列に。


 俺は、最後尾に並んだ。


「勘十郎さま。今や織田の御一門にございます。名を告げれば」


「――並ぶ」


 俺は言った。


「この列は、《《この屋敷の作法》》だ」


          ◆


 二刻後、通された。


 文机の前に、老人が座っていた。


 ――老いていた。


 九年前より、明らかに小さくなっている。背が丸まり、手の甲に染みが増え、髪はほとんど白い。


 だが、細い眼の奥の光だけは、《《まったく変わっていなかった》》。


「――おう」


 道三は、俺の顔を見るなり、こう言った。


「《《尾張の若造》》か」


「――お久しゅうございます」


 俺は、深く頭を下げた。


「九年ぶりにございます、道三先生」


「知っておるわ。列に並んだのが見えておった」


 老人は、じろりと俺を見た。


「そのまま並びおって。名乗れば通したものを」


「作法にございます」


「――ふん」


 道三は、鼻を鳴らした。


 だが、その口の端が、少しだけ上がっていた。


          ◆


「して」


 老人は、いきなり本題に入った。九年前と同じだ。


「――《《何を持ってきた》》」


 俺は、風呂敷を解いた。


 四冊の写本を、文机の上に並べる。


「『手当書てあてがき』と申しまする」


 道三は、何も言わずに一冊目を取った。


 そして、読みはじめた。


 ――速い。


 ぱらぱらと繰っているようにしか見えないのに、時々ぴたりと止まって、一点をじっと見る。また繰る。止まる。


 俺と与一郎は、黙って座っていた。


 半刻。一刻。


 老人は、四冊を全部読み終えると、静かに閉じて、こう言った。


「――《《渡したな》》」


 俺は、頭を下げた。


「九年前、先生に言われました。受け取ったのなら次へ渡せ、と」


「うむ」


「――三百人に唄を教え、八百人に育て、二人の弟子を得ました。書は四巻になり、写しは織田家と、三河の松平家に。……そして今、先生の手元に」


 道三は、しばらく黙っていた。


 それから、こう言った。


「――《《よう、やった》》」


 俺は、その一言で、危うく目頭が熱くなるところだった。


 六十を過ぎた男が、六十三年生きて死んだ男に向かって、二十七の若造の身体越しに、そう言ったのである。


          ◆


「――じゃが」


 道三は、そこで指を一本立てた。


「二つ、《《足りぬ》》」


 俺は、顔を上げた。


「一つ目。この書には、《《薬がない》》」


「――は」


「傷の洗い方、血の止め方、水の飲ませ方、寝かせ方、運び方。……見事じゃ。じゃが、《《処方が一つも書いてない》》」


 俺は、言葉に詰まった。


 ――その通りだ。


 俺の頭に入っている薬は、この世に存在しない。抗生剤も、鎮痛剤も、降圧薬も。


 だから俺は、薬について書けなかった。書けるのは、柳の皮くらいのものだ。


「先生。それがしは……薬を、あまり知り申さぬ」


「知っておる」


 道三は、あっさりと言った。


「お前の医は、《《手と、水と、段取り》》でできておる。それはそれで完成しておる。……じゃが、それだけでは足りぬ日が来る」


「……」


「わしは五十年、草根木皮ばかり見てきた。何が効き、何が効かず、何が毒か。……《《それを、わしが書き足す》》」


 俺は、思わず身を乗り出した。


「先生が」


「お前の書に、わしの巻を継ぐ。それでよかろう」


 ――《《共著》》である。


 戦国の京で、この老人は、たった今、それを提案した。


「もう一つは」


 俺が聞くと、道三は少し声を落とした。


「――こちらのほうが、大きいぞ」


          ◆


「お前の書はな」


 老人は、四冊を指で叩いた。


「――《《武士のための書》》じゃ」


 俺は、動きを止めた。


「戦場。陣中。行軍。傷。……全部それじゃ。戦う男を生かすことばかり書いてある」


「……」


「お前は、《《女を診たか》》」


 俺は、答えられなかった。


「産む女を診たか。乳の出ぬ母を診たか。年を取って腰の曲がった婆を診たか。……子はどうじゃ。生まれて三日で死ぬ子は、この国では珍しゅうもないぞ。この書に、《《赤子の項が一つしかない》》」


 ――足の曲がった子の項だ。


 俺は、それしか書いていなかった。


「……先生」


「勘十郎」


 道三は、身を乗り出した。


「この国で、《《一番多く死んでおるのは誰じゃ》》」


 俺は、答えた。


 答えは、知っていた。知っていたのに、俺は書かなかった。


「――《《赤子と、産む女にございます》》」


「そうじゃ」


 老人は、机を叩いた。


「戦で死ぬ男の何倍も死んでおるわ! 毎年、毎年、どの村でもじゃ! そして誰も数えておらん!」


 俺は、畳に手をついた。


 ――十三年。


 俺は、この身体で十三年、《《軍隊の中にいた》》。


 兵を診て、傷を診て、陣を診て、行軍を診て。それが医療だと、いつの間にか思い込んでいた。


 俺は、前世で消化器外科医だった。産科医でも小児科医でもなかった。


 だがそれは、《《書かない理由にはならない》》。


「――先生。それがしは」


「詫びるな。書け」


 道三は、こともなげに言った。


「まだ十四年もあろうが」


 俺は、はっとして顔を上げた。


「……先生。なにゆえ、十四年と」


「知らんわ。適当に言うた」


 老人は、しれっと言った。


 ――嘘だ、と俺は思った。


 この人は、たぶん、何かを見抜いている。


          ◆


 その日の午後、俺は道三の診療を見学した。


 半分は、教えを乞うためである。半分は、単純に見たかったからだ。


 流れるようだった。


 脈を取る。舌を見る。腹に触れる。二つ三つ問う。そして処方を告げる。


 ――速いのに、雑ではない。


 同じ「腹が痛い」でも、一人ひとり違う薬が出る。冷えているのか、詰まっているのか、こじれているのか。それを、指と眼で分けている。


 《《察証弁治さっしょうべんち》》。


 目の前の一人を診て、その一人に合わせる。古い書物の処方を、機械的に当てはめない。


 道三が生涯かけて叩き込もうとしたのは、この一点だと聞いていた。


 ――そして。


 その日の最後の患者が、入ってきた。


          ◆


 三十くらいの男だった。商人風。頭巾を目深に被り、顔を隠している。


 道三の前に座ると、彼は震える手で頭巾を取った。


 ――俺は、息を呑んだ。


 鼻の付け根が、《《陥没していた》》。


 そして額と首筋に、赤褐色の、盛り上がった発疹が散っている。ところどころ潰れて、じくじくと膿んでいた。


「――《《唐瘡とうがさ》》じゃな」


 道三は、静かに言った。


「先生……三年前に、股の付け根に小さなかさが出まして。それはすぐ治りましたのですが」


「うむ」


「その後、身体じゅうに赤い斑が出ました。それも半年ほどで消えまして、治ったと思うておりました。……なれど、去年から、こうなり申した」


 ――教科書通りだ。


 俺は、頭の中で三つの段階を並べた。


 まず、感染した場所に、痛くない硬い瘡ができる。放っておいても消える。


 次に、数か月して、全身に発疹が出る。手のひらと足の裏にも出るのが特徴だ。これもまた、放っておいても消える。


 そして――《《何年も、何十年も潜んだ後》》。


 骨を、皮膚を、内臓を、そして最後には心の臓の太い血の管と、脳を蝕む。


 鼻が落ちるのは、その途中の姿である。


 俺は、この病の名を知っている。


 海の向こうから、船に乗ってきた病だ。


 この国で最初に記録されたのは、五十六年前――永正九年の京だという。


 ――《《南蛮船と一緒に、これも来た》》。


          ◆


「先生」


 男が、すがるように言った。


「――《《水銀を、いただけませぬか》》」


 道三の眉が、ぴくりと動いた。


「誰に聞いた」


「唐瘡には水銀がよう効くと、堺の薬種屋で。……粉にして飲むか、いぶして身体に当てるとか」


「――やめておけ」


 道三は、即答した。


「なぜでございます。効くと」


「効く」


 老人は、認めた。


「――《《効くゆえに、質が悪い》》」


          ◆


 道三が説明したことは、驚くほど正確だった。


「水銀を続けるとな。まず、《《よだれが止まらなくなる》》。次に歯茎が腫れて、黒ずんで、歯が抜ける。口の中がただれて、飯が食えぬようになる」


「……」


「それから、《《手が震え出す》》。箸が持てぬ。字が書けぬ。しまいには、頭のほうがおかしくなる。人が変わったようになって、怒りっぽくなり、物を忘れ、辻褄の合わぬことを言い出す」


 道三は、静かに言った。


「――《《瘡は治って、人が壊れる》》」


 俺は、その場で震えた。


 ――水銀中毒。


 涎が止まらなくなり、歯肉が侵され、手指が震え、そして人格が変わっていく。


 この老人は、顕微鏡も化学も知らないまま、《《水銀中毒の症状を、完全に把握している》》。


 五十年、患者を見続けただけで。


          ◆


「では、先生」


 男は、涙声で言った。


「――《《どうすれば、よろしいのでございますか》》」


 道三は、しばらく黙っていた。


 そして、こう言った。


山帰来さんきらいを煎じて飲め」


「それで、治りましょうか」


「――《《治らん》》」


 老人は、正直に言った。


「楽にはなる。瘡の出方が穏やかになる者もおる。……じゃが、根を絶つ薬を、わしは持っておらん」


「……」


「五十年探した。唐の書も明の書も読んだ。南蛮の医者にも尋ねた。……ない」


 道三は、頭を下げた。


 ――《《この老人が、患者に頭を下げた》》。


「すまぬ」


          ◆


 男が帰った後、部屋には長い沈黙が残った。


 やがて、道三が口を開いた。


「――勘十郎。お前なら、どうする」


 俺は、答えられなかった。


 ――俺は、答えを知っている。


 この病を根絶やしにする薬が、いつか生まれる。青カビから採れる。三百七十年ほど先の話だ。


 それを注射一本打てば、あの男の病は、《《止まる》》。


 鼻は戻らない。だがそれ以上は進まない。


 俺の頭の中には、その薬の名前がある。作り方の大筋すら、うっすらとある。


 ――だが、《《作れない》》。


 純粋培養も、抽出も、精製も、無菌操作も、この時代には何一つない。俺一人の頭では、百年かかっても届かない。


「――先生」


「なんじゃ」


「それがしも、《《持っておりませぬ》》」


 俺は、正直に言った。


「山帰来より良いものを、それがしも知り申さぬ。……水銀を止めることには、賛成にござる」


「うむ」


「ただ、一つだけ」


 俺は、顔を上げた。


「あの病は、《《人から人へ移りまする》》。それも――《《むつみ合いによって》》」


 道三の眼が、細くなった。


「……知っておるわ」


「では、あの男に告げましたか」


「――」


 老人は、初めて口ごもった。


「言えば、女房を疑う。女房を疑えば、家が壊れる。……そうやって壊れた家を、わしはいくつも見た」


「先生」


 俺は、静かに言った。


「――なれど、《《言わねば、女房も同じ病になり申す》》」


          ◆


「そして」


 俺は、続けた。


「もし、その女が身籠みごもれば――《《腹の子にも、移りまする》》」


 道三が、はっと顔を上げた。


「……なんと」


「生まれた子は、鼻がつぶれ、歯が変な形に生え、耳が聞こえず、目が濁ることがござる。あるいは、生まれる前に死に申す」


 俺は、言った。


「――先生。それがしは、この病について、《《一つだけ先生より多く知っておるようです》》」


 道三は、しばらく俺を見つめていた。


 そして、深く息を吐いた。


「――《《書け》》」


「先生」


「今すぐ書け。それは、わしの五十年に《《なかった》》ことじゃ」


 老人は、身を乗り出した。


「腹の子に移るなら、話がまるで変わる。……女に告げねばならん。産む前に告げねばならん。家が壊れるのを恐れて黙っておったわしは、《《赤子を殺しておった》》ことになる」


 その声が、震えていた。


「勘十郎。お前は今、わしに、五十年分の後悔をくれたぞ」


「先生。それは」


「――《《礼を言うておるのじゃ》》」


          ◆


 その夜、俺と道三は、灯明の下で向き合っていた。


 老人は、酒を舐めながら言った。


「勘十郎。わしは、学び舎を作る」


「――ついに」


「銭の目処がついた。場所も決めた。京の東じゃ」


 道三は、細い眼で笑った。


「《《啓迪院けいてきいん》》と名づける。医を秘伝にせぬ場所じゃ。誰でも来て、誰でも学べる。……弟子は百人でも二百人でも取る」


「――先生」


「約束したな。尾張から弟子を寄越すと」


「――必ず」


 俺は、頭を下げた。


「今、二人おります。一人は与一郎。もう一人は喜三郎と申しまして、片足がござらぬ」


「足のない医者か」


「歩けまする。木の足で」


「――よい」


 道三は、あっさりと言った。


「医者に足は要らん。要るのは眼と手と、《《それから頭じゃ》》」


          ◆


「勘十郎」


「はい」


「お前、いつまで戦の中におる」


 俺は、盃を止めた。


「――あと、十四年にございます」


「十四年か」


 道三は、天井を見上げた。


「わしは、その頃には死んでおろうな」


「先生」


「よいわ。人は死ぬ」


 老人は、こともなげに言った。


「――勘十郎。十四年経ったら、《《ここへ来い》》」


「……」


「わしの学び舎は、その頃には形になっておるじゃろう。わしはおらんが、弟子はおる。……そこへ来て、お前の書の続きを書け。《《女と赤子の巻》》をな」


 俺は、盃を置いて、両手をついた。


「――承知いたしました」


          ◆


 屋敷を出たのは、夜半だった。


 与一郎が、隣を歩きながら、ぽつりと言った。


「勘十郎さま」


「なんだ」


「あの唐瘡の方は……お救いできぬのでございますね」


「――ああ」


「なにゆえ、この世には、《《治せぬ病ばかりあるのでございましょう》》」


 俺は、しばらく歩いてから答えた。


「与一郎。今日、道三先生が患者に頭を下げたな」


「はい」


「あれが、《《医者の一番難しい仕事》》だ」


 俺は言った。


「治せるときは、誰でも医者になれる。……治せぬときに、逃げずにその場に留まって、頭を下げられるかどうか。それが、医者かどうかを分ける」


 与一郎は、黙って頷いた。


 ――荒れた京の夜道に、遠くから、聞いたことのない鐘の音が響いてきた。


 寺の鐘ではない。


 もっと乾いた、澄んだ音。


 俺は、足を止めた。


「――与一郎。あれは」


南蛮寺なんばんじの鐘かと。近頃、都に建ったそうにございます」


 俺は、その方角を見た。


 ――《《南蛮》》。


 あの唐瘡を、この国に運んできた船。


 そして――鉄砲と、時計と、ガラスと、《《解剖の知識》》を運んでくる船。


 俺は、しばらくその音を聞いていた。


「与一郎」


「はい」


「近いうちに、《《あそこへ行くぞ》》」


          ◆


  永禄十一年 十月 京

  道三先生、健在。ただし老いたり。

   ――『手当書』四巻、お目通し。二つの不足を指摘さる。

    一、薬がない。(先生、巻を継ぐと仰せ)

    二、《《武士のための書である》》。

      ――この国で最も多く死んでおるのは、赤子と産む女なり。

        俺は十三年、軍隊の中にいた。書かぬ理由にはならぬ。

  

  症例・唐瘡(第三期)。鼻梁陥没、皮膚のゴム様腫。

    水銀――効く。ゆえに危うい。涎、歯、振戦、そして人格の崩壊。

    山帰来――楽にはなる。治らぬ。

    ※先生に、《《母子感染》》を伝えたり。先生の五十年になかった由。

  

  ――治せぬときに、その場に留まって頭を下げられるか。

  残り、十四年。


今回の症例は梅毒です。


 日本で最初に記録されたのは永正九年(一五一二年)、京都の医師・竹田秀慶の記録によるとされます。ヨーロッパで大流行したのが一四九〇年代ですから、わずか二十年ほどで海を渡ってきたことになります。当時の日本では唐瘡、琉球瘡、楊梅瘡などと呼ばれました。


 この病の恐ろしさは、経過が三段階に分かれ、その間に「治ったように見える」時期があることです。まず感染した場所に痛みのない硬いしこりができ、放っておいても消えます。数か月後、全身に発疹が出る——手のひらと足の裏にも出るのが特徴です。これもまた消えます。そして何年も、時に何十年も潜伏したあと、皮膚や骨、心臓の大血管、脳を侵しはじめます。作中の患者の鼻梁陥没は、その段階の像です。


 治療には長く水銀が使われました。実際にある程度は効くのですが、水銀中毒を起こします。唾液が止まらなくなり、歯肉が侵されて歯が抜け、手が震え、そして人格が変わっていく。作中で道三が語った症状は、水銀中毒そのものです。当時の日本には山帰来(土茯苓)という生薬もあり、症状を和らげる目的で用いられました。


 根本的な治療薬であるペニシリンが登場するのは二十世紀に入ってからです。勘十郎はその名を知っていますが、作れません。純粋培養も抽出も精製も無菌操作も、この時代には何一つないからです。知識だけでは、どうにもならないことがあります。


 そして母子感染について。妊娠中の母から胎児に感染すると、死産や、生まれた子の骨・歯・耳・眼などに障害が生じることがあります。現代では妊婦健診で必ず検査され、治療によって防ぐことができます。


 次話、南蛮寺へ向かいます。


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― 新着の感想 ―
この時代で梅毒に効く可能性がある治療といえばペニシリン作るとかいうファンタジーが理想だけど 意図的にマラリアにかかって高熱で死ぬか直るかやるぐらいしか現実的にはないのかなあ キニーネが無いから現代的に…
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