第十八話 赤子の足に旗は生えぬ
※乳児の治療描写があります。
敵方の重臣の家に、足の曲がった子が生まれました。
永禄九年、冬。
美濃は、動かなかった。
半兵衛は、約束通り稲葉山城を斎藤龍興に返し、そして――何も変わらぬのを見届けて、静かに美濃を去った。
諫言は、届かなかったのである。
織田は、木曽川の線で押しつ押されつを繰り返していた。墨俣の砦は保っている。だが、山は落ちない。
俺は、その冬、清洲で『手当書』の三巻目を書いていた。
――そこへ、一通の文が届いた。
差出人の名を見て、俺は筆を落とした。
《《竹中半兵衛重治》》。
◆
文は、短かった。
病状の報告が三行。食っている、寝ている、日に当たっている、と。
そして、その後に、こうあった。
――《《舅の家に、足の曲がった子が生まれ申した。》》
――《《生まれて二月。両の足が、内へ捻じれて、地に着き申さぬ。》》
――《《祈祷師が、先祖の祟りと申したそうにて、家中は騒然としております。》》
――《《母は、乳をやりながら泣いておるとのこと。》》
――《《勘十郎さま。あの子は、生涯歩けませぬか。》》
俺は、文を握りしめた。
舅、といえば――安藤守就である。
西美濃三人衆の一人。稲葉山城下に城を持つ、斎藤家の重臣。
すなわち、《《敵の重臣》》だ。
◆
「――行かせていただきたい」
俺がそう言うと、清洲城の広間が凍りついた。
「勘十郎さま。安藤どのは、斎藤方にございますぞ」
「存じております」
「敵地にお一人で入られると。……人質に取られたらいかがなさる」
「――赤子の足を診るために、それがしを人質に取る家なら、それはそれで診に行く価値がござる」
家老たちが、絶句した。
上座の信長は、腕を組んだまま、じっと俺を見ていた。
そして、こう言った。
「――《《行け》》」
「兄上」
「安藤は、西美濃三人衆の一人だ。稲葉、氏家、安藤。……あの三人が動けば、稲葉山は落ちる」
俺の腹の底が、冷たくなった。
「兄上。それがしは」
「分かっておる」
信長は、手を振った。
「貴様は、赤子を診に行くのだろう。……それでいい。《《それがいい》》」
「――」
「勘十郎。貴様が調略に行けば、安藤は必ず疑う。裏があると思う。……だが貴様は、《《本当に赤子しか診に行かん》》。だから効く」
俺は、返す言葉がなかった。
――この人は、俺の一番きれいな部分を、一番冷たく使う。
「兄上」
「なんだ」
「それがしは、あの子が斎藤方の子であろうと、織田の子であろうと、同じように診まする」
「知っておる」
「――《《利用しないでいただきたい》》とは、申しませぬ」
俺は、頭を下げた。
「なれど、それがしが診ることで何が起きようと、それは兄上の御働きであって、それがしの功にはあらず。……それだけは、はっきりさせておきとうござる」
信長は、しばらく黙っていた。
それから、ぽつりと言った。
「――面倒な男だな、貴様は」
◆
安藤守就の館に着いたのは、雪の降る夕方だった。
俺は、丸腰で、与一郎と、薬箱と、竹の束を持って行った。
門前で、槍衾に囲まれた。
「――織田の者が、何用か」
「医者だ」
俺は、六年前と同じことを言った。
「赤子を診に来た」
◆
安藤守就は、五十がらみの、いかつい男だった。
俺を上座から睨みつけ、いきなりこう言った。
「――帰られよ」
「なにゆえ」
「あれは、《《家の恥》》にござる」
俺は、静かに聞き返した。
「赤子が、ですか」
「先祖の祟りと言う者もおれば、母の腹の中の行いが悪かったと言う者もおる。……いずれにせよ、外の者に見せるものではござらぬ」
「安藤どの」
俺は言った。
「その二つは、《《どちらも違う》》」
守就の眉が、動いた。
「なんと」
「先祖は関わり申さぬ。母御の行いも関わり申さぬ。……あれは、《《ただ、そういう形で生まれてくる子がおる》》というだけのことにござる」
俺は続けた。
「千人に一人か二人。男に多い。……それがしは、これまで幾人も見申した」
――前世で、という言葉は飲み込んだ。
「そして、《《治り申す》》」
部屋の空気が、変わった。
「……治る、と申されたか」
「早ければ早いほどよい。生まれて二月なら、ちょうど良い頃合いにござる」
守就は、立ち上がった。
声が、震えていた。
「――こちらへ」
◆
奥の間には、若い母親と、二人の赤子がいた。
「二人?」
「一人は、それがしの孫。もう一人は、家中の者の子にございます」
母親が、涙で腫れた目で言った。
「……あちらの子も、足が曲がっておると。同じ祟りだと言われて、母親が離縁されそうになっておりまする」
俺は、両方を並べて寝かせさせた。
――これは、好都合だ。
「与一郎。見ておけ。今から、《《見分け方》》を教える」
◆
俺は、まず二人目――家中の者の子のほうを取った。
小さな足を、掌に乗せる。
なるほど、前足部が内側を向いている。指先が、内へ寄っている。
「一見、曲がっておる。だが――」
俺は、《《踵》》を掴んだ。
「与一郎。ここを見ろ。踵の向きだ」
「……まっすぐ、にございます」
「そうだ。《《踵は、まっすぐ下を向いておる》》」
俺は、次に足首を掴んで、足を上へ反らせた。
――すっと、上がった。
「足首も、素直に曲がる。爪先が上を向く」
最後に、俺は前足部を親指で、外側へそっと押した。
――《《すっと、まっすぐになった》》。
「見たか。押せば直る」
俺は、赤子の足を離した。足は、また少し内へ戻った。
「これは、《《中足骨内転》》というものだ。腹の中で窮屈な形で入っておっただけのこと」
「では」
「――《《放っておいてよい》》」
俺は、はっきりと言った。
「大半は、育つうちに自然に治る。気になるなら、乳をやりながら日に何度か、こうやって優しく押してやればいい。……固定も、切ることも要らん」
家中の者の妻が、悲鳴のような声を上げて泣き崩れた。
夫らしき男が、床に額をつけた。
「――ですが、祈祷師が」
「祈祷師は、《《踵を見ておらん》》」
俺は言った。
「足が内を向いておるという一点だけを見て、二つの違うものを一緒くたにしておる。……それは診断ではない」
◆
そして、俺は安藤守就の孫のほうを取った。
――違う。
触れた瞬間に分かった。
硬い。
前足部は同じように内を向いているが、《《踵が、内側へ捻じれている》》。しかも爪先が下を向いたまま、上へ反らせようとしても《《びくともしない》》。
足の裏の土踏まずが、異様に高く盛り上がっている。
ふくらはぎが、反対側より細い。
「――こちらは、《《違う》》」
俺は言った。
「与一郎。四つある」
俺は、赤子の足を指しながら数えた。
「一つ、土踏まずが高い。二つ、前足部が内を向いておる。三つ、踵が内へ捻じれておる。四つ、爪先が下がったまま上がらぬ」
俺は、顔を上げた。
「――《《内反足》》だ」
◆
「治り、まするか」
母親が、震える声で聞いた。
俺は、正直に答えた。
「治る。……だが、時がかかる。そして、《《痛くはないが、母御には辛い》》」
「……」
「毎週、この子の足を、手で少しずつ捻じり戻す。そして固めて動かぬようにする。七日経ったら外して、また少し捻じり戻して、また固める。……これを、五度から七度」
「五度から七度」
「そのあいだ、赤子は泣く。足を固められて、機嫌が悪くなる。母御は、それを何度も見ることになる」
俺は、母親の目を見た。
「――《《それに、耐えられるか》》」
母親は、赤子を抱きしめて、はっきりと言った。
「耐えまする」
◆
――ここからが、俺の記憶との勝負だった。
この病の直し方には、《《順序がある》》。
順序を間違えると、どこかを直したつもりで別のところを壊す。
俺は、四十年前に読んだ教科書の図を、必死に頭の中に呼び戻した。
「――まず、土踏まずからだ」
俺は、赤子の足を掌に乗せ、親指の付け根の骨を、そっと持ち上げた。
「高くなった土踏まずを、先に下ろす。これを先にやらねば、後で足の裏が壊れる」
次に、俺は指を足首の外側に当てた。
――《《ここだ》》。
踝の少し前、骨の出っ張り。ここを支点にする。
「与一郎。ここを覚えろ。ここを押さえて、《《前足部を外へ回す》》」
「踵は、どういたします」
「――《《触るな》》」
俺は言った。
「これが一番大事だ。踵を直接掴んで捻じるな。壊れる」
「なれど、踵が捻じれておるのでは」
「前足部を外へ回してやれば、《《踵は、ひとりでについてくる》》」
俺は、ゆっくりと、赤子の前足部を外側へ回した。
――ほんの少し。
握りつぶすのではない。押し込むのでもない。数える間に、じわりと。
赤子が、むずかった。だが泣き叫びはしなかった。
「痛めつけてはならん。《《嫌がるが、悲鳴は上げない》》。それがちょうどよい力だ」
◆
固定には、竹と晒を使った。
薄く割った竹を添え木にし、膠を溶かした湯に晒を浸して、それを何重にも巻きつける。乾けば、驚くほど硬くなる。
膝の上まで巻いた。膝を曲げた形で固めるのが肝要だ。そうしないと、赤子が動くうちに抜ける。
「これを七日。決して外すな。濡らすな。……指先の色を毎日見よ。紫になったり、冷たくなったり、赤子が異様に泣き続けたりしたら、《《すぐに切って外せ》》。そして俺を呼べ」
「勘十郎さま」
守就が、後ろから言った。
「七日ごとに、と申されましたな」
「そうだ」
「――《《毎週、来られるのか》》」
俺は、振り返った。
「来る」
「ここは、斎藤方にござるぞ」
「――《《赤子は、斎藤方ではあるまい》》」
◆
それから、俺は毎週、雪の中を通った。
木曽川を渡り、敵地に入り、赤子の足を捻じり戻して、また巻いて、帰る。
二度、斎藤の物見に見つかった。
二度とも、安藤家の者が迎えに出てきて、事なきを得た。
――四度目の巻き直しで、踵が正面を向いた。
――六度目で、前足部がまっすぐになった。
だが。
最後の一つが、どうしても残った。
《《爪先が、上がらない》》。
足首を反らせようとしても、板のように硬い。踵の上の筋が、突っ張って動かない。
「――やはりか」
俺は、呟いた。
この病の直し方で、最後に残るのが、これだ。
そして、ここまで来た子の七割から八割で、《《どうしても、この筋を切らねばならない》》。
◆
「――《《赤子の踵を、切る》》と」
安藤守就の顔が、蒼白になった。
「はい」
「なりませぬ」
「安藤どの」
「ここまで直っておるのだ! これでよいではないか! 爪先が少し下がっておるくらい、何が――」
「歩けませぬ」
俺は、遮った。
「爪先が下がったままだと、この子は生涯、《《爪先立ちで歩く》》ことになり申す。踵が地に着かぬ。ほどなく足の裏が痛み、足首が変形し、そして――ここまで直したものが、《《全部戻り申す》》」
「……」
「ここで止めるのは、九合目で山を下りるのと同じにござる」
守就は、拳を握りしめていた。
「――どこを、どれほど切る」
「踵の上の、太い筋を一本」
俺は、自分のアキレス腱を指してみせた。
「傷は、《《これくらい》》」
俺は、親指の爪の幅を示した。
「切って、足首を反らせて、また巻く。三週間で筋は繋がる。……いや、繋がるというより、《《伸びた形で治る》》」
「血は」
「ほとんど出ん。ここには太い血の管が通っておらん」
「……痛みは」
「泣く」
俺は、正直に言った。
「切る間だけだ。刀を入れておるのは、《《十を数える間もない》》」
◆
母親が、口を開いた。
「――お切りくださいませ」
「そなた」
「父上」
若い母親は、まっすぐに舅を見た。
「わたくしは、この二月半、七度この子の足を巻きました。その七度とも、この子は泣きました。……七度耐えて、あと一度耐えられぬ道理がございませぬ」
彼女は、赤子を抱いたまま、頭を下げた。
「――勘十郎さま。お願い申し上げます」
◆
俺は、その日のうちに切った。
湯で洗い、焼酎で拭き、煮た小刀を使った。
左手で足首を持ち、踵の上の筋を指で確かめ、皮膚のすぐ下で、横に一度。
――ぷつり、という手応え。
赤子が、火のついたように泣いた。
俺はすぐに足首を反らせた。
――《《上がった》》。
板のようだった足首が、するりと、あるべき角度まで曲がった。
俺は、そのまま巻いた。
「終わりだ。もうやらん」
母親は、泣きながら赤子をあやしていた。
安藤守就は、部屋の隅で壁に手をついて、こちらを見ないようにしていた。
――肩が、震えていた。
◆
三週間後、俺は最後の固めを外した。
現れた小さな足は、《《まっすぐだった》》。
俺は、その足の裏を、そっと畳につけてやった。
――ぺたり、と踵が着いた。
「……着いた」
誰かが、そう言った。
俺は、母親に草履のようなものを渡した。二枚の小さな板を、横木で繋いだものだ。木工に作らせた。
「これを、夜のあいだ履かせろ。当分は昼もだ。……何年か続ける」
「なにゆえ」
「《《戻るからだ》》」
俺は言った。
「この病は、直しても戻ろうとする。戻さぬために、夜これを履かせる。……面倒だ。子は嫌がる。だが、これをやめた家の子は、たいてい戻る」
母親は、それを押し戴いた。
◆
安藤守就は、門の外まで送りに出た。
雪が止んで、月が出ていた。
「――勘十郎さま」
「はい」
「それがしは、斎藤の家臣にござる」
「存じております」
「――《《なにゆえ、あの子を》》」
俺は、月を見上げて答えた。
「赤子の足に、旗は生えておらん」
守就は、しばらく黙っていた。
それから、こう言った。
「……上総介どのは、よい弟御をお持ちでござるな」
「兄には、よく叱られまする」
「勘十郎さま」
彼は、俺を呼び止めた。
そして、低い声で言った。
「――《《それがしは、いずれ、あなたさまに借りを返さねばなりませぬ》》」
俺は、振り返った。
「安藤どの。それは」
「言わずともよろしゅうござる」
彼は、頭を下げた。
「なれど――医者どのの手当てには、《《利子がつきまする》》。それだけは、覚えておいていただきたい」
◆
永禄十年、八月。
西美濃三人衆――稲葉一鉄、氏家卜全、そして安藤守就が、揃って織田方に内応した。
その報せが清洲に届いたとき、俺は、自分の書斎で筆を持ったまま、動けなくなった。
半月後、稲葉山城は落ちた。
斎藤龍興は、長良川を舟で逃げた。
信長は稲葉山を岐阜と改め、「天下布武」の印を使いはじめた。
――美濃が、落ちた。
◆
岐阜城の新しい広間で、兄は俺を呼んで、こう言った。
「勘十郎。安藤が、貴様に礼を言うておったぞ」
「……はあ」
「孫が、歩いておるそうだ」
俺は、頭を下げた。
「――兄上」
「なんだ」
「それがしは、《《美濃を落としており申さぬ》》」
「知っておる」
「あの三人が寝返ったのは、斎藤の政道が乱れ、兄上の勢いが増したからにござる。それがしは、赤子の足を七度巻いただけにござる」
「そうだ」
信長は、こともなげに言った。
「――だが勘十郎。《《七度巻いた者を、人は忘れん》》」
俺は、顔を上げた。
兄は、新しい印を手のひらで転がしていた。
「調略は銭で買える。銭で買った者は、より高い銭で寝返る。……だが貴様が買ったものは、銭では買い戻せん」
「兄上。それがしは、買うたつもりは」
「そうだろうな」
信長は、俺を見た。
「――《《だから、効くのだ》》」
◆
その夜、俺は岐阜城の一室で、『手当書』を開いた。
新しい項に、俺はこう書いた。
――《《一、生まれつき足の曲がりたる児のこと。》》
――《《 まず踵を見るべし。》》
――《《 踵まっすぐならば、放置してよし。案ずるな。》》
――《《 踵捻じれ、爪先上がらざれば、直ちに手当てすべし。》》
――《《 早きほどよし。生まれて二月にて始むるが上なり。》》
――《《 順序――土踏まず、前足、踵、最後に爪先。》》
――《《 踵を直に掴むべからず。前足を回せば、踵はひとりでについてくる。》》
筆を止めて、俺は最後に一行、書き足した。
――《《一、祈祷師は、踵を見ぬ。》》
◆
永禄十年
症例二件。
一、中足骨内転。踵中立、他動的に矯正可。――経過観察。母を安心させよ。
二、内反足。矯正七回+踵の腱切り。踵接地を得たり。装具にて維持中。
※順序を違えるべからず。土踏まず→前足→踵→爪先。
稲葉山落城。岐阜と改まる。「天下布武」。
――《《俺は美濃を落としておらぬ。赤子の足を、七度巻いただけである。》》
残り、十五年。
今回は先天性内反足、いわゆるクラブフットです。
千人に一人ほどの割合で生まれ、男児にやや多い、決して珍しくない状態です。原因は完全には分かっていませんが、祟りでも母親のせいでもありません。
最初の見せ場は鑑別でした。よく似た「中足骨内転症」との違いは、踵を見れば分かります。前足部だけが内を向いていて、踵がまっすぐで、足首も素直に反り、手で押せばまっすぐになる——それは中足骨内転症で、多くは自然に治りますから、経過観察と親御さんへの説明で足ります。一方、踵が内へ捻れ、爪先が上がらず、土踏まずが高く盛り上がっていれば、内反足です。
治療は、ポンセティ法という方法が世界標準になっています。手で少しずつ矯正しては固定する、を週に一度、五〜七回繰り返します。
順序が決定的に重要です。まず高くなった土踏まず(凹足)を下ろし、次に前足部の内転と踵の内反を、足首の外側にある骨の出っ張りを支点にして外へ回していきます。ここで最も大切なのが、踵を直接掴んで捻らないこと。前足部を回せば、踵は自然についてきます。
そして最後に残るのが、爪先が上がらない状態(尖足)です。ここまで来た児の七〜八割で、踵の上の腱を切る処置が必要になります。皮膚のすぐ下で腱を横に切る、数ミリの傷です。出血はほとんどなく、三週間ほどで、伸びた状態でつながります。
治療後、装具による維持が数年必要になるのも実際のとおりです。この病は治しても戻ろうとするため、ここを怠ると再発します。作中で勘十郎が「面倒だ。子は嫌がる。だが、やめた家の子はたいてい戻る」と言うのは、そのままの事実です。
適切に治療を受けた子は、走ることも、スポーツをすることもできます。
次話も美濃です。天下布武の印が、動きはじめます。
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