第十六話 六本目の指
第三章「美濃の労咳」開幕です。
第七話で、中村の老婆が息子の話をしました。
覚えておいでの方は、今回、報われます。
永禄六年。
――勝てない。
桶狭間から三年。東の憂いが消えた織田家は、北へ向かった。
美濃。斎藤家。
義龍が死に、跡を継いだのは十四の龍興である。凡庸との評判だった。今なら獲れる、と誰もが思った。
――その、誰もが思ったことが、うまくいかなかった。
新加納で跳ね返された。木曽川を渡っては戻り、渡っては戻り、そのたびに手当所に人が運び込まれた。
俺は、その年だけで四百人を診た。
浮野の頃に比べれば、死ぬ者はずっと少ない。手当組は熟練し、唄は染みつき、布は煮られ、額には刻が書かれている。
だが。
「――勘十郎さま。この者、三度目にございます」
与一郎が、担ぎ込まれた男の顔を見て言った。
俺は、その顔を覚えていた。去年、脇腹を斬られた男だ。その前は、腕を。
俺は、そいつの傷を洗いながら、初めて、はっきりとした苛立ちを覚えた。
(――俺は、《《同じ男を三度助けている》》)
治しても、また同じ場所で傷つく。
治すたびに、また戦場へ返している。
これは、医者なのか。それとも、《《消耗品を修理しているだけ》》なのか。
◆
その夜。
俺は、木曽川べりの陣で、一人で焚火に当たっていた。
――そこへ、妙な男が近づいてきた。
「――もし。手当所のお医者さまで」
小さい男だった。
背は俺の肩ほどしかない。痩せていて、顔が細く、眼だけがぎょろりと大きい。歳は三十手前くらいか。
人足のような身なりだが、腰に脇差を差している。
「そうだが。どこか具合が悪いか」
「いえ、おれは頑丈でしてな」
男は、勝手に焚火の向かい側に座った。
「銭も持たずに三日歩いても死なぬのが取り柄で。……ちと、お尋ねしたきことがございましてな」
「言え」
「墨俣をご存じで」
俺は、顔を上げた。
「――木曽川と長良川の合流するあたりだな。湿地だ」
「よくご存じで」
男は、にっと笑った。歯が大きい。
「あそこに、《《城を建てとうござる》》」
◆
「城を」
「へえ。斎藤を正面から攻めても、跳ね返される。……当たり前でござる。あちらは山城、こちらは川を渡ってから。渡ってすぐの疲れた足で、坂を登れというのが無理な話で」
男は、枝で地面に絵を描いた。
「されば、《《川の向こうに、足場を作る》》。荷を置き、兵を置き、傷ついた者を休ませる場所を、先に作っておく」
――前進拠点である。
兵站の教科書に載っている考え方だ。
だがこの時代に、それを自分の頭で組み立てて、しかもこんな軽い口調で語る人間がいることに、俺は少し驚いた。
「面白い。だが、なぜそれを俺に」
「お医者さまだからで」
男は、こともなげに言った。
「城は、建て申す。おれが建てまする。……なれど、《《建てた後に兵が保つかどうか》》は、おれには分からん」
俺は、焚火の向こうの顔を、まじまじと見た。
「……お前、名は」
「木下藤吉郎と申しまする」
◆
俺は、盃を落とすところだった。
――木下藤吉郎。
のちの、羽柴筑前守秀吉。
そして最後には、この国を統一する男である。
俺は、動揺を悟られぬように、酒をあおった。
だが、その手が止まった。
――《《指》》。
男が枝を持った右手に、俺の目が吸い寄せられた。
親指の付け根の外側に、《《もう一本》》ある。
小さく、細く、爪がついている。動いている。
――多指。
生まれつき、指が一本多い。それだけのことだ。
俺の視線に気づいて、藤吉郎の顔から、すっと笑いが消えた。
彼は、さりげなく右手を袖の中に入れた。
「――お見苦しいものを」
「……いや」
「よう言われまする。猿だの、六つ目だの。……子供の時分は、それで随分と」
男の声が、初めて低くなった。
「――《《見せてみろ》》」
俺は言った。
藤吉郎が、怪訝な顔をした。
「は?」
「その手だ。診せろ。医者だと言ったろう」
彼は、ためらってから、そろそろと右手を出した。
俺は、それを両手で取って、焚火の明かりに近づけた。
指の付け根の形。骨があるか、皮だけか。動かせるか。他の指の並びに歪みはないか。
それから、俺は左手も取り、両足も見せろと言って、草鞋を脱がせた。
顔をじろじろと見て、耳の形を見て、脈を取った。
「――なんでござる、いったい」
「静かにしろ」
俺は、一通り診てから、手を離した。
そして、言った。
「――《《それだけだ》》」
「は」
「指が一本多い。それ以外、お前の身体にはどこにも変わったところがない」
俺は、焚火に枝をくべた。
「生まれつき指が多い者は、時々おる。珍しくもない。多くは、それ一つきりで、他は何ともない。……たまに、他にも生まれつきの変わりを持って生まれる者がおるゆえ、それを一通り調べた」
俺は、藤吉郎の顔を見た。
「お前は、《《何もない》》。ただ指が一本多いだけの、丈夫な男だ」
◆
藤吉郎は、口を半分開けたまま、動かなくなった。
やがて、彼は、変な声で笑った。
「……ははっ。は。……そりゃあ」
彼は、自分の右手を見た。
「そりゃあ、まあ、そうでござるわな。指が一本、多いだけで」
「そうだ」
「……三十年、《《誰にもそう言われたことがござらん》》」
男は、袖で目のあたりを乱暴に擦った。
「みな、有難がるか、気味悪がるか、どちらかで。日輪の子だの、天の徴だのと言う者もおれば、親が悪いことをしたゆえだと言う者もおる」
「馬鹿馬鹿しい」
俺は言った。
「切りたければ、切ってやってもいい。骨がほとんど通っておらん。括って落とせば、二十日で治る」
「――いや」
藤吉郎は、首を振った。
そして、右手を広げて、しみじみと眺めた。
「置いておきまする」
「そうか」
「これがあるゆえ、おれは餓鬼の頃から《《人に覚えられた》》。針売りをしても、薪を担いでも、あいつは指が六本ある小僧だと。……覚えられるというのは、下から這い上がる者には、悪くない話でござる」
俺は、思わず笑ってしまった。
――ああ。
この男は、たぶん本物だ。
◆
「藤吉郎」
「へえ」
「お前、生まれはどこだ」
「愛知郡の、中村と申す村で。まあ、田も持たぬ貧しい家で」
――やはり。
俺は、酒を置いた。
「六年前、俺はその村へ行った」
藤吉郎の顔が、変わった。
「疫が出た。腹を下して血の混じる病だ。……七人死んだ後に、俺が入った」
「……」
「そのとき、一人の婆さまに、馬の前で手をつかれた」
俺は、六年前の顔を思い出しながら言った。
「猿のような面をした、口ばかり達者な倅が村を出た、と。どこで何をしておるやら知れぬが、もし会うことがあれば――」
俺は、そこで一度、言葉を切った。
「――《《母は達者だ、と伝えてくれ》》と」
◆
藤吉郎は、動かなかった。
焚火が、ぱちんと爆ぜた。
「……勘十郎さま」
声が、掠れていた。
「その婆さまは」
「その後、俺は井戸を埋め、肥溜めを移させた。……村では、それきり誰も死んでおらん」
「……」
「六年前だ。あれから会っておらんが、《《死んだという報せは、俺のところには来ておらん》》」
小男は、両手で顔を覆った。
しばらくして、指の間から、掠れた声が漏れた。
「……六年、《《文の一本も出しており申さぬ》》」
「そうか」
「字が、書けなんだもので。……いや、今は少し書けまする。近頃、覚え申した」
「なら、書け」
俺は言った。
「明日でいい。俺の手当所の書き役に言え。清洲へ戻る荷駄がある。中村なら、三日で着く」
藤吉郎は、うずくまったまま、何度も頷いた。
◆
落ち着いた後、彼は洟をかんで、言った。
「――勘十郎さま。話を戻してもよろしいか」
「墨俣か」
「へえ。……で、いかがでござる。あそこに城を建てて、兵は保ちましょうか」
俺は、地面の絵を見た。
そして、正直に答えた。
「――《《保たん》》」
◆
「城は建つだろう。お前ならやる」
俺は言った。
「だが、あそこは湿地だ。二つの川が合流し、水が淀み、葦が生え、水溜まりが無数にある」
「はあ」
「――《《三月で、兵が溶ける》》」
「溶ける」
「まず腹だ。淀んだ水を飲めば、腹を下す。これは俺が防げる。水を煮させ、厠を掘り、井戸を分ける」
俺は、指を折った。
「問題は、その次だ」
俺は、藤吉郎の眼を見た。
「――《《瘧》》だ」
◆
瘧。わらわやみ。
この国では古くから知られた病である。
突然、身体の芯から凍えるような悪寒が来る。歯の根が合わぬほど震え、その後、猛烈な高熱が出て、汗をかいて下がる。
そして数日後、《《またそれが来る》》。
三日おきに来るもの、四日おきに来るもの、日を追うごとに崩れていくもの。
繰り返すうちに顔色が土気色になり、腹の左側が硬く腫れ、痩せて、力が抜けていく。
平清盛を殺したのは、これだったとも言われる。
「瘧は、湿地に多い」
「へえ、それはよう言われまする。悪い気が、沼から立ちのぼると」
「――違う」
俺は、はっきりと言った。
「気ではない。《《蚊だ》》」
藤吉郎が、ぽかんとした。
「……蚊、でござるか」
「そうだ。沼に湧く蚊が、病んだ者の血を吸い、次の者を刺すときに、その病を移す。……悪い気が漂っておるのではない。《《蚊が運んでおる》》」
しばらく、沈黙があった。
やがて藤吉郎は、真顔で言った。
「勘十郎さま。それは、どちらでも同じでござろう」
「――なに」
「悪い気が沼から出ようが、蚊が運ぼうが、《《沼を避ければよい》》のは同じで」
俺は、思わず言葉に詰まった。
「……いや、違う。同じではない」
「なにゆえで」
「悪い気なら、《《防ぎようがない》》。風は防げん。逃げるしかない」
俺は、身を乗り出した。
「だが蚊なら――《《防げる》》」
◆
俺が藤吉郎に授けたのは、五つだった。
「一つ。《《寝るときは必ず蚊帳を吊れ》》。全員分だ。麻でも、目の粗い布を二重でもいい。堺から買え、銭は俺が兄上に掛け合う」
「二つ。《《城の周りの水溜まりを、片端から潰せ》》。埋めるか、溝を掘って流すか。城を建てるついでに、そこらの窪地を全部埋めろ。……お前、普請は得意だろう」
藤吉郎の眼が、ぎらりと光った。
「――得意でござる」
「三つ。《《蚊は、日暮れと夜明けに刺す》》。その刻限は、兵を屋内に入れろ。見張りは仕方ないが、《《肌を出させるな》》。手甲と脚絆をつけさせ、首に布を巻かせろ」
「四つ。《《蚊遣りを絶やすな》》。青い草でも、松の葉でも、燻すものは何でもいい。夕方から夜明けまで、絶やすな」
「五つ――」
俺は、最後に言った。
「《《震えて熱を出した者を、すぐ隔てろ》》。同じ小屋に寝かせるな。蚊は病んだ者から吸って、次へ運ぶ。……一人を放っておけば、《《城が全部やられる》》」
藤吉郎は、そのすべてを、身を乗り出して聞いていた。
そして、最後にこう言った。
「――勘十郎さま。それ、書いていただけますか」
「書く」
「おれ、まだ字が下手でござるゆえ、ゆっくりと」
「――《《唄にしてやる》》」
「へ?」
「そのほうが早い」
◆
三日後、俺は清洲城で兄の前に立っていた。
「――蚊帳を、三百張」
「……なんだと」
「それと、麻布を反物で。墨俣に築く砦のために」
家老たちが、あからさまに顔をしかめた。
「勘十郎さま。城を建てるのに蚊帳とは」
「兵が瘧で倒れまする」
「瘧は運にございましょう。祓いをすればよい」
「――蚊が運びまする」
場が、静まり返った。
そして、誰かが、こらえきれずに吹き出した。
俺は、それを黙って受けた。
――当然だ。
蚊が病を運ぶことが証明されるのは、この三百三十年ほど後、英国の軍医がインドで蚊の胃袋の中に病の元を見つけるまで待たねばならない。
今、この場で、俺には証明する手立てが何一つない。
「兄上」
俺は、上座を見た。
「――それがしには、証を立てられませぬ」
「うむ」
「ただ、こう申し上げることはできまする。《《蚊帳を吊っても、損はござらぬ》》。兵はよく眠れ、士気も上がりまする。もしそれがしが間違うておっても、失うのは布代だけにござる」
「――そして、当たっておれば」
信長は、俺の言葉を引き取った。
「墨俣の兵が、溶けずに済む」
「はい」
兄は、しばらく黙っていた。
そして、こう言った。
「――買え」
「兄上」
「三百と言わず、五百張だ。堺の今井に言え」
家老が、慌てて口を挟んだ。
「殿。しかし、蚊が病を運ぶなどと」
「――《《こいつの言うことは、たいてい後で役に立つ》》」
信長は、こともなげに言った。
「麦飯のときも、井戸のときも、貴様らはそう言うて笑うたな。……で、どうなった」
誰も、何も言わなかった。
◆
墨俣の砦は、建った。
一夜で建ったなどという話は、後の世の誇張である。実際には、何度も水に流され、何度も斎藤に焼かれ、藤吉郎はそのたびに人足を掻き集めて建て直した。
だが、最後には建った。
そして、その砦には――
《《瘧が、出なかった》》。
いや、正確には出た。十一人。だが、そこで止まった。
震えて熱を出した者は即座に別の小屋へ移され、蚊帳の中に寝かされ、蚊遣りを焚かれた。
湿地に築かれた砦で、夏を越えて、兵はほとんど減らなかった。
――同じ夏、対岸の斎藤方の砦では、兵の三割が瘧で使い物にならなくなったと、後に聞いた。
◆
秋。
俺が墨俣を訪ねると、藤吉郎が門まで走ってきた。
右手を大きく振っていた。もう、袖に隠していなかった。
「勘十郎さま! 勘十郎さま!」
「――どうした。落ち着け」
「文が! 文が参りました!」
彼は、懐から皺くちゃの紙を引っ張り出した。
「村の坊さまに、婆さまが代筆させたもので!」
俺は、それを受け取った。
たどたどしい字で、こう書いてあった。
――《《たっしゃにおります。みずを、にてのんでおります。》》
俺は、その一行を、しばらく見つめていた。
六年前、俺が村の辻に立てた板の、一行目である。
「勘十郎さま」
藤吉郎が、洟をすすりながら言った。
「おれは、《《この御恩は忘れませぬ》》」
「――俺は、井戸を埋めただけだ」
「それが、恩でござる」
小男は、大きな歯を見せて笑った。
俺は、この笑顔が、二十数年後にどうなるかを知っている。
知っているが――
(……今は、いい)
俺は、そう思うことにした。
◆
その帰り道、俺は北を見た。
濃尾平野の果てに、稲葉山が立っている。
あの山を落とさぬ限り、美濃は獲れない。
そして俺は、知っている。
――あの山を、ほんの数年後に、《《たった十六人で乗っ取ってしまう男》》がいることを。
竹中半兵衛重治。二十歳そこそこの、色の白い若者。
美濃三人衆にも劣らぬ知略を持ちながら、三十六で死ぬ男だ。
死因は――
俺は、馬の上で、拳を握った。
――《《労咳》》。
◆
永禄六年
症例・木下藤吉郎。右手多指。他に異常なし。
――「それだけだ」と告げたるに、三十年言われたことがないと申せり。
医者の言葉は、時に、切るより効く。
墨俣砦。蚊帳五百張、水溜め埋め立て、蚊遣り。
瘧、十一人にて止まる。対岸の斎藤方、三割倒るる由。
――《《蚊である。証は立てられぬが、蚊である。》》
残り、十九年。
豊臣秀吉の右手に指が六本あった——これは実在の記録です。
前田利家が語ったとされる記述に加え、宣教師ルイス・フロイスも『日本史』の中で、秀吉の右手に指が一本多かった旨を書き残しています。当時の人々はこれを日輪の子の徴と噂したり、逆に不吉だと言ったりしました。
医学的には多指症といい、決して珍しいものではありません。多くは他の異常を伴わない、単独の生まれつきの特徴です。ただし、まれに他の先天的な特徴と一緒に現れることがあるため、医師は他の部位も一通り確認します。作中で勘十郎が手足や顔や耳を診て回ったのは、そのためです。
そして、何もなければ——本当に、それだけのことです。
後半の瘧は、マラリアです。日本にも古くから土着のマラリアがあり、三日熱マラリアが「三日ごとに熱が出る病」として恐れられていました。突然の激しい悪寒、歯の根が合わないほどの震え、続いて高熱、そして発汗とともに解熱する。それが一定の間隔で繰り返される、極めて特徴的な経過をとります。平清盛の死因もこれではないかと言われています。
当時の日本では、湿地から立ちのぼる悪い気(瘴気)が原因と考えられていました。実際には蚊が媒介します。これが証明されるのは一八九七年、英国の軍医ロナルド・ロスがインドで蚊の体内に原虫を見つけたときで、勘十郎の時代から三百三十年以上先の話です。
作中で藤吉郎が言った「悪い気だろうが蚊だろうが、沼を避ければ同じでござろう」——これは実は鋭い指摘です。ですが決定的な違いがあります。気は防げませんが、蚊は防げるのです。蚊帳、水溜まりの除去、日暮れと夜明けの露出を避けること、燻煙。この四つは現在も基本的なマラリア対策として有効です。
次話、いよいよ稲葉山へ向かいます。そこに、二十歳そこそこの天才がいます。
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