第十五話 医は誰のものでもない
切り落とした足が、痛むことがあります。
そして今回、あの男が出てきます。
永禄三年、秋。
桶狭間から、四月が過ぎていた。
尾張は勝った。今川は割れ、三河では松平が動きはじめ、東の脅威は消えかけている。
城下は活気づき、恩賞に沸き、みなが次の話をしていた。
――俺は、末森城の一室で、片足の男と向き合っていた。
「勘十郎さま」
喜三郎である。
膝の上で切った左脚の断端は、四月かけて、ようやく落ち着いた。腫れは引き、皮膚は厚くなり、膿も出なくなった。
だが、彼の顔は晴れなかった。
「……おかしなことを、申し上げてもよろしいか」
「言え」
喜三郎は、しばらくためらった後、こう言った。
「――《《ない足が、痛みまする》》」
◆
与一郎が、傍で目を丸くした。
「ない足、とは」
「切り落とした、左の足にございます」
喜三郎は、何もない虚空を指した。
「夜中に、ふくらはぎが攣りまする。爪先が、内側に折れ曲がったまま戻らぬような、そんな痛みが」
「……」
「足は、そこにございませぬ。焼いて埋めました。おれはそれを見ておる。……なれど、痛むのです」
男の声が、少しずつ震えはじめた。
「勘十郎さま。……おれは、気がふれたのでございましょうか」
与一郎が、俺を見た。
俺は、静かに首を横に振った。
「――違う」
俺は、はっきりと言った。
「それは、《《よくあることだ》》」
「よく……ある」
「切った者の、半分以上に起こる。いや、もっと多いかもしれん」
喜三郎の顔が、みるみる歪んだ。
そして、両手で顔を覆った。
「……よかった」
俺は、その肩に手を置いた。
――《《病に名を与えることが、その人を救う》》。
京で、道三先生が言おうとしていたのは、たぶんこういうことだ。
◆
「なにゆえ、ない足が痛むのですか」
与一郎が聞いた。
俺は、自分の頭を指で叩いた。
「足を感じておるのは、足ではない。《《ここだ》》」
「頭」
「そうだ。足から来る報せを受け取る場所が、頭の中にある。足があった頃、そこはずっと足の報せを受け取っておった」
俺は、掌を広げた。
「ある日、足がなくなった。だが、頭の中のその場所は、《《まだそこにある》》。報せが来なくなっても、消えはせん」
「……」
「報せの来ない部屋で、その場所が勝手に騒ぐ。それが、ない足の痛みだ」
俺は、そう説明した。
――現代でも、この痛みは完全には御せない。薬も、鏡を使う工夫も、効く者と効かぬ者がいる。
だが。
この時代に、俺が知っていることが一つある。
俺と同じ十六世紀、フランスにアンブロワーズ・パレという軍医がいた。
傷を焼くな、血の管を括れ――俺が二年半前に権蔵の腿で使った、あの考え方を打ち立てた男だ。
その同じ男が、《《切った兵が、ない手足の痛みを訴える》》ことを、きちんと書き残している。
海の向こうで、同じ時代に、同じ患者を診て、同じことに気づいた男がいる。
――それだけで、俺は少し、心強かった。
「喜三郎」
「はい」
「痛むときは、残っておる腿を、掌でよく擦れ。強くだ。それから、《《ない足を動かす形を、頭の中で思い描け》》。爪先を伸ばす、指を開く。そういうことを、毎日やれ」
「……効きまするか」
「効く者がいる。効かん者もいる」
俺は正直に言った。
「だが、《《やっても損はない》》。それに――」
俺は、少しだけ笑った。
「痛みは、たいてい、年を経るごとに薄れる。これは確かだ」
◆
その翌月から、俺は木工の職人を城へ呼びつけた。
――義足を作るためである。
「殿さま。木の足、とおっしゃいましたか」
「そうだ」
「そりゃあ、寺の仁王さまの脚なら彫れますが」
「彫るのではない。《《歩かせる》》のだ」
最初の一本は、まったくの失敗だった。
俺は、単純に「切った断端に木の棒を括りつける」ものを作らせた。
――喜三郎は、三歩で悲鳴を上げた。
当たり前だ。切った断面には、体重を支える構造がない。骨の先が、直接、木に押し当てられる形になる。
「勘十郎さま、これは無理にございます」
「――いや。俺の設計が悪い」
俺は、地面に絵を描いた。
「体重を、断端で受けてはならん。……ここだ」
俺は、自分の尻の下、坐骨のあたりを指した。
「腰の骨の、この出っ張り。ここで椅子に座るようにして体重を受ける。断端は、《《添えるだけ》》にする」
職人が、うなった。
「――ということは、腿を包む器のようなものを」
「そうだ。腿を丸ごと入れる筒を作れ。上の縁を、この骨に当たる高さに」
「筒の中は、当たって痛みましょう」
「布を巻く。羊毛か、真綿がいい。それと、《《汗を吸うもの》》を必ず入れろ。汗が溜まると皮が破れる」
――そこから、七本作った。
筒の深さを変え、縁の形を変え、膝の代わりの継ぎ手を入れてみては壊し、また作った。
喜三郎は、そのたびに転んだ。庭で、板の間で、階段で。
六本目の途中で、彼は座り込んで泣いた。
「……もう、ようございます。勘十郎さまのお手を、こんなことに」
「喜三郎」
俺は、その隣に座った。
「お前、俺に借りがあると思っておるだろう」
「……当たり前にございます。命を」
「ならば、返せ」
俺は言った。
「返し方はな。《《歩くことだ》》」
「……」
「片足を切った男が、それでも歩いておるのを、この城の者に見せろ。……次に足を切られる誰かが、それを見て、生きようと思う」
喜三郎は、しばらく黙っていた。
それから、また立ち上がった。
◆
七本目で、彼は庭を横切った。
八本目で、階段を降りた。
永禄四年の春、喜三郎は、杖を一本ついて、城下まで歩いていった。
俺は、その背中を見送りながら、隣の与一郎に言った。
「――与一郎。あれを、なんと思う」
「感服いたしました」
「そうではない。《《人手》》だ」
「は?」
「あの男は、槍は持てん。だが、《《人に教えることはできる》》」
俺は、その日、喜三郎を手当組の指南役に任じた。
新しく入った者に、唄を教え、止血を教え、担架の向きを教える。
――そして、彼にはもう一つ、誰にもできぬ役目があった。
新しく手足を切られた者の前に、《《自分の足で立って現れる》》ことだ。
それは、俺が百の言葉を尽くすより効いた。
◆
永禄五年、正月。
清洲城に、三河から客が来た。
――松平蔵人佐元康。
二十一歳。
桶狭間で今川が崩れた後、岡崎に戻り、今川から独立し、そして今、かつて自分を人質に取っていた織田と同盟を結ぼうとしている男である。
俺は、末席でその姿を見た。
――そして、心臓が跳ねた。
(……徳川家康)
太っている、とは言えない。だが、若いのに、どっしりとしていた。
背は高くない。肩幅が広く、首が太い。座り方が異様に安定している。目つきは柔和だが、瞬きが少ない。
喋り方は丁寧で、遅い。一言ずつ、噛んで確かめてから出しているような喋り方だった。
――この男が。
俺は、盃を見つめながら考えた。
この男が、二十年後、《《本能寺の変によって天下を手に入れる》》。
いや。
直接に手に入れるのは秀吉だが、最後に全部を持っていくのは、この男だ。二百六十年続く泰平を作る。武家諸法度を作り、参勤交代を作り、そして――
――そして、《《鎖国》》を作る。
俺が今、必死になってやろうとしていることは、この男から天下を取り上げることだ。
この、二十一歳の、瞬きの少ない若者から。
(……勝手なものだな)
俺は、盃を干した。
俺は歴史を「良くしよう」としている。だが良い悪いを決めているのは、俺一人の物差しだ。
この男には、この男の二百六十年がある。
俺は、それを消そうとしている。
◆
同盟の話がまとまった後、酒宴になった。
俺が縁側で夜風に当たっていると、後ろから、丁寧な声がした。
「――失礼いたす。織田勘十郎どのでござろうか」
振り返ると、元康が立っていた。
供も連れずに、一人で。
「これは、蔵人佐どの。……このような場所へ」
「うるそうござってな」
彼は、隣に座った。座り方が、やはり安定していた。
「勘十郎どののことは、三河にも聞こえておりまする」
「はて。それがしのような者が」
「――《《手負うても死なぬ軍》》」
元康は、こちらを見ずに言った。
「桶狭間の後、織田勢の帰りを見た者が申しておりました。負傷した者が、驚くほど多く生きて帰っておったと。……そして、片足を切られた足軽が、木の足で歩いておるのを見たと」
俺は、答えなかった。
「わたくしは、駿府で十二年、人質でございました」
彼は、静かに続けた。
「あの十二年で、多くの者が死ぬのを見ました。戦でではござらぬ。腹を下して、熱を出して、傷が膿んで。……三河から供をしてくれた者の半分が、駿府で死に申した」
「……」
「戦をせずに人が減るというのは、あれは、応えまする」
俺は、その横顔を見た。
――ああ。
この男は、後の世で、異常なほど健康に気を遣うことになる。自分で薬を調合し、粗食を守り、鷹狩りで身体を動かし、そして当時としては驚くほど長生きする。
その原点が、たぶん、今ここにある。
「勘十郎どの」
元康は、こちらへ向き直った。
そして、深々と頭を下げた。
「――《《書を、お分けいただけませぬか》》」
◆
その願いは、その場で兄の耳に入った。
当然だ。この城で、兄の知らぬことは何も起きない。
翌朝、俺は呼び出された。
「勘十郎。三河に医書をやると申したそうだな」
「まだ、返答はしており申さぬ」
「――やめておけ」
信長は、簡潔だった。
「あの男は、いずれ敵になる」
「兄上」
「今は味方だ。二十年は味方だろう。だが、それより先は分からん。……貴様の書は、《《兵を強くする》》。敵になるかもしれん男に、なぜ渡す」
これは、正論である。
完全に、正論だ。
兵の生存率を上げる知識は、そのまま軍事力だ。俺自身が、浮野と桶狭間でそれを証明してしまった。
「兄上。それがしの考えを、申し上げてもよろしいか」
「言え」
俺は、正座した。
「一つ。……仮にそれがしが断ったとして、あの書は《《いずれ漏れまする》》」
「ほう」
「唄はもう城下で歌われております。手当組は三百人、そのうち何人かは他国へ流れましょう。喜三郎の木の足を見た者も、大勢おる。……止められませぬ。医術は、《《隠せぬ性質のもの》》にござる」
「二つ目は」
「二つ。――渡せば、《《三河の兵が死ににくくなり申す》》」
「それが困ると言うておるのだ」
「困りませぬ」
俺は言った。
「なにゆえなら、我らが三河と戦うことになったとき、《《相手の兵が死ににくいことは、我らの兵が死ににくいことと釣り合う》》からにござる。戦の勝ち負けを決めるのは、兵の丈夫さではない。兄上のお働きにござる」
信長の眉が、わずかに動いた。
「三つ目を言え」
「――三つ」
俺は、少し間を置いた。
「これは、理屈ではござらぬ」
「構わん」
「《《医は、誰のものでもない》》」
俺は、そう言った。
「傷は、織田の兵も、松平の兵も、今川の兵も、同じように膿みまする。腹は、同じように下り申す。血は、同じように止まらぬ。……病は、旗印を見ませぬ」
「……」
「それがしは、京で一人の老医に言われ申した。『受け取ったのなら、次へ渡せ。持ったまま死ぬのが一番いかん』と」
俺は、頭を下げた。
「兄上。それがしの持っておるものは、もともと、それがしのものではござらぬ。……渡す相手を、旗で選ぶことは、それがしにはできませぬ」
◆
長い沈黙があった。
信長は、庭を見ていた。
やがて、こう言った。
「勘十郎。貴様は、時々ひどく甘い」
「――はい」
「そして、その甘さで、俺の軍を強くしてきた」
俺は、顔を上げた。
「渡せ」
信長は、あっさりと言った。
「兄上」
「ただし条件がある」
彼は、指を一本立てた。
「《《俺の名で渡せ》》」
「……は」
「貴様が個人で渡すのではない。織田上総介信長が、松平蔵人佐に下賜する。そう記して渡せ」
俺は、しばらく考えて、それから思わず笑ってしまった。
――この人は、恐ろしい。
医書を渡す。三河の兵は死ににくくなる。松平は感謝する。
そして三河の兵は、傷つくたびに、《《織田からもらった書》》で助かることになる。
同盟は、恩義で固まる。
この兄は、俺の「甘さ」を、そのまま政治に変換した。
「……御意にございます」
「それと勘十郎」
「はい」
「あの男を、どう診た」
俺は、少し考えて、答えた。
「――長生きなさいます」
「ほう」
「あの座り方は、身体の芯が強うござる。喋り方が遅いのは、腹を立てにくいということにござる。腹を立てぬ者は、血の道が詰まりにくい。……そして何より」
俺は言った。
「あの方は、《《死ぬのを、心底から嫌がっておられる》》」
信長が、声を立てて笑った。
「それが長生きの秘訣か」
「――一番の秘訣にござる」
俺は、真顔で言った。
「兄上にも、それを持っていただきたい」
◆
三月後、清洲を発つ元康に、俺は書を渡した。
『手当書』の写しである。
冒頭には、兄の指示通り、織田上総介信長より下賜の旨が記されていた。
元康は、それを両手で押し戴いた。
「――かたじけのうござる」
「蔵人佐どの。ひとつだけ、お願いが」
「なんなりと」
「その書に、《《書き足していただきたい》》」
彼は、顔を上げた。
「そこに書いてあるのは、それがしが尾張で見たものだけにござる。三河には三河の傷があり、三河の病がござろう。……お気づきのことがあれば、書き足して、そして」
俺は言った。
「――《《また、それがしにも見せていただきたい》》」
元康は、しばらく俺を見つめていた。
そして、初めて、心から笑ったような顔をした。
「……勘十郎どの。あなたは、変わったお方でござるな」
「よく言われまする」
「わたくしは、人にものを乞われることは多うございますが、《《ものを差し出せと言われた》》のは、初めてでござる」
彼は、書を懐に納めた。
「必ず、書き足しまする。……そして、必ず、お返しいたす」
◆
その背中が門を出ていくのを、俺は見送っていた。
――もし俺が本能寺を消したら。
この男は、天下を取らない。
二百六十年の泰平も、生まれない。
(……それでも)
俺は、拳を握った。
(俺は、消す)
良いか悪いかは、俺には決められない。
だがあの夜、あの一夜さえなければ、この国はもっと早く海へ出て、もっと早く学び、もっと早く――《《人が死ななくなった》》はずだ。
俺は、それに賭ける。
賭けて外れたら、そのときは、地獄で言い訳を考える。
「勘十郎さま」
与一郎が、隣に来た。
「次は、どちらへ」
俺は、北を見た。
濃尾平野の向こう、稲葉山が霞んでいる。
美濃。斎藤家。
――そして、あの山のどこかに、労咳を病んだ若い軍師がいるはずだ。
「――北だ」
◆
永禄五年 正月
喜三郎、義足七本目にて歩行成る。手当組指南役に任ず。
※ない足の痛み――狂気にあらず。名を与うるだけで人は救われる。
『手当書』写し一部、松平蔵人佐どのへ。兄上の名にて。
――医は、誰のものでもない。
症例・松平蔵人佐元康、二十一歳。健。
所見――《《死を、心底から嫌がっておられる》》。長命の相なり。
残り、二十年。
今回の前半は、幻肢痛です。
失った手足が痛む——これは切断を受けた方の半数以上、報告によっては八割に起こるとされる、ごくありふれた現象です。ふくらはぎが攣る、爪先が折れ曲がったまま戻らない、握った拳が開かない。存在しないはずの部位の、極めて具体的な痛みとして感じられます。
なぜ起こるのか。手足の感覚を受け取る領域が脳の中にあり、手足を失った後もその領域は消えずに残るためだと考えられています。報せの来なくなった部屋が、勝手に騒ぐ——作中の説明は、そういうイメージです。
これを最初に医学的に記載した一人が、アンブロワーズ・パレでした。第四話で勘十郎が「傷を焼くな、血管を括れ」と言ったとき、地球の反対側で同じ結論に達していた、あの十六世紀フランスの軍医です。同じ時代に、同じ患者を診て、同じことに気づいていた人がいる——書いていて、少し胸が熱くなりました。
治療は現代でも難しく、確実に効くものはありません。ただ、断端をよく擦る、失った側を動かす様子を思い描く、といった方法が有効な方もいます。そして多くの場合、年月とともに軽くなります。
義足の設計についても少し。切断した断面で体重を支えることはできません。骨の先が直接あたって、皮膚が破れてしまいます。ですから大腿切断の義足では、坐骨——お尻の下にある骨の出っ張り——で椅子に座るようにして荷重を受ける構造が古くから使われてきました。作中で七本作り直しているのは誇張ではなく、義足の適合は今でも試行錯誤の連続です。
そして後半、松平元康——のちの徳川家康が登場します。
彼は生涯にわたって健康に異様な執着を示し、自分で薬を調合し、粗食を守り、当時としては驚くほど長生きしました。その原点を、駿府での人質時代に置いてみました。戦ではなく病で供の者が死んでいくのを、十二年見続けた少年、という設定です。
次話から、物語は美濃へ向かいます。
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