第7話
ベルゴらが王都へ旅立ってから、数日が経った。
初日こそ、前世一人っ子おじさんにとっては初めての「家族ロス」が響き、ベビーベッドの上で寂しくてちょっぴり(いや、かなり)泣いていた。だが、この千載一遇のお留守番期間という貴重な時間を無駄には出来ないと思い立ち、今ではすっかりメンタルを切り替えている。
普段よりも人目を盗んで自由に検証できる時間が圧倒的に増えた分、いつもよりも魔法の上達スピードが劇的に早く感じていた。
子供の成長――というか、肉体と精神の成長は、本当に早いものだなと我ながら感心してしまう。
鏡を見たわけではないが、視点が高くなったというか、身長も少し高くなった気がする。
そういえば、出発前にルクス兄さんがやっていた『ウォーターボールからの鳥への形状変化』は、今や完全にマスターしてだいぶ形になってきた。
現在では、この応用で他の動物に形状変化が出来ないか、ソースコードをいじりながら絶賛練習中だ。
ちなみに、ルクス兄さんの領域に到達した時、俺はとんでもない『新たな可能性』を発見していた。
それは、形状変化させた水の鳥が飛び立った瞬間――ほんの一瞬だけ、その鳥の「視界」が俺の脳内に直接流れ込んできたのだ。
その時はまだ解像度が死ぬほど粗く、モザイク画、あるいはブロックノイズのようで、何が映っているのかさっぱり分からないレベルではあったが……。
間違いない、鳥との『視界の共有』ができたのだ
もし、このシステムをモノにできたのなら。
歩くこともままならない自分が、直接確認できない距離や、死角となる場所へいくらでも視野を広げることができる。
それに、何よりも――この狭い部屋から、外の世界を見ることができる。
今までは、窓から差し込む光の先に見える景色や、メアリーに抱っこされての短い庭の散歩くらいしか外の世界を知る由がなかった。だが、この世界の歴史や地理を本で知れば知るほど、俺の中で外の世界への憧れは風船のように膨らむ一方だったのだ。
誰か外へ連れ出してくれないかなぁ……。メアリーに『バブー(お散歩連れてって)』ってお願いしてみようかな?
まあ、生後数ヶ月の赤ちゃん言葉が通じるわけもないので、そんな都合のいい願いは叶わないわけだが……。
…あれ…?
ベッドの上で仰向けになりながら、俺の脳が閃きを告げる。
形状変化させた鳥の視界がバグってモザイク画になるなら……。
そういえば、固有魔法の『最適化』って、この視界の共有の最適化でもいけるのかな?
思い立ったら即実験だ…!
【固有魔法:『最適化』がアクティブ中です】
システムログが脳内に走る。俺は小さな手のひらを上に向け、静かに魔力を練り上げた。
まずは……ウォーターボール……からの、形状変化【鳥】……ッ!
手乗りサイズの、透明で美しい小鳥が手のひらの上に出来上がった。よし、まずは第一段階、オブジェクトの生成はクリアだ。
ここからが本番。脳内のモザイク画のような不完全な概念を書き換えていく。
最適化……。不要な情報の破棄、解像度を向上、表示速度を………最適化……最適化しろ……ッ!
直後、パチリと脳内で何かのスイッチが繋がる音がした。
【固有魔法:『最適化』により形状変化【鳥】が最適化されました。】
【視界の共有(リモート映像同期)を開始します。】
――瞬間。
俺の脳内ディスプレイに、圧倒的な光の濁流が流れ込んできた。
すごい……! これが、小鳥の視界か……!
以前見た、あのモザイク画のドット絵のような粗い映像ではない。鮮明で、クリアで、まるで最新のカラーテレビを見ているかのように鮮やかな世界が広がっていた。
水の小鳥が、ゆっくりと首を振る。
すると、カメラのレンズが回るように映像が動き、目の前にあるベビーベッドと……そこに転がっている「自分の姿」が映し出された。
うおっ……! 俺って、客観的に見るとこんな顔してたんだな……
まさに「The・赤ん坊」といった感じの、むちむちで丸っこい顔立ちだ。だけど、じっと見つめていると、うっすらと母ヴェルディアの気品あるラインや、父ベルゴの精悍な顔立ちに似ている気がして、なんだか妙に気恥ずかしく、それでいて嬉しい気分になる。
……よし、飛ばすこともできるかな?
念じるように試してみると、水の小鳥は俺の意思を正確に受信し、音もなく難なく天井へと飛び立った。
ラジコンどころではない、完全に自分の身体の一部を動かしているような感覚だ。
小鳥を部屋の外へと滑空させ、屋敷の中を自由に飛び回らせてみるが、通信の遅延もノイズも一切なく、全く問題ないことが分かった。
あ、あれはメイドたちだ
廊下を進むと、数人のメイドたちがせっせと屋敷の掃除をしている姿が映る。
どうやら、主人が留守の間もだれることなく、丁寧に棚のホコリを拭き取っているようだ。彼女たちの手元の細かな動きまで、フルHD画質ばりによく見えている。
よし、この勢いのまま、外の世界も見てみよう……!
俺の興奮最高潮のコントロールにより、水の小鳥はパッと窓の隙間をすり抜け、一気に大空へと飛び出した。
ぐんぐんと上空へと舞い上がり、アレクサンド公爵家の広大な屋敷、そしてその周囲に広がる大自然を見下ろす。
……世界は、こんなにも綺麗なのか……
前世の灰色に汚れたオフィス街とは違う。どこまでも澄み切った青空、生命力に満ちた緑の森、キラキラと輝く街並み。
俺は時間を忘れて、まるで初めておもちゃを買ってもらった子供のように、しばらく屋敷周辺の空を縦横無尽に飛び回った。
上空からの視界共有成功させた俺は、ベビーベッドの上でさらなる可能性を模索し始めた。
ウォーターボールからの形状変化って、鳥以外にもできたよな……という事は…
思い立ったら即、検証を実行する。
練習を重ねると、水の魔法は俺の魔力制御に従って、鳥、蛇、ネズミ、ウサギ……と、次々にその形状を変えていった。
それぞれに異なる特性があり、その内部仕様を夢中で研究しているうちに、気がつけば窓の向こうから朝日が昇り始めていた。
……あ、やべ。久しぶりに、徹夜しちゃったな……
前世のブラック企業時代、望んでやった徹夜なんて人生で一度もなかった。いつもバグ修正に追われる地獄の残業だったからだ。
だが、今回は違った。自分の知的好奇心のままに没頭する魔法の研究は、心の底から楽しくて、時間を忘れて徹夜をしてしまったのだ。
研究を深めれば深めるほど、形状変化させる動物によって明確な特徴があることが分かった。
例えば、創り出したネズミやウサギは聴覚が異常に過敏になっており、遠くのメイドたちの他愛のない話し声までハッキリと音声を受信できる。
逆に蛇は、視覚による解像度こそ他と比べて死んでいるが、完全に物音を消して隠密移動ができる上に、嗅覚が非常に鋭い。
動物ごとの特性を理解し、最適化していく作業が面白すぎて、完全に時間を忘れていた。
……とはいえ、さすがにこの赤ん坊の肉体で完徹は、エラーが起きるレベルで疲れたな……
急速にシャットダウンしていく意識の中、俺は押し寄せる猛烈な睡魔に身を委ねた。
おやすみ、世界……
満足そうな顔をして意識を失った。
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ユークリッドが深い眠りに落ちてから、しばらく経った頃。
早朝の静寂に包まれたアレクサンド公爵家の敷地内に、影のように溶け込む黒い服の男たちが潜入していた。
ターゲットの部屋の窓を見上げた男の一人が、低く冷酷な声で詠唱を唱える。
「『闇の精霊よ、すべての光を遮断。我が領域を暗黒で満たせ』――」
瞬間、せっかく昇りかけていた太陽の光が嘘のように掻き消え、屋敷の一帯が、夜のように真っ暗闇に染まった。
物陰に身を隠した黒服の男が、下卑た笑みを浮かべた。
「ターゲットを発見しやしたね。……よし、騒がれる前にさっさと回収しやすよ」
「了解、これより回収します」
完璧な連携、手慣れた解錠…
ユークリッドの意識がないのをいいことに、黒い服の男たちは音もなく部屋へ侵入し、小さな身体をそのまま掠め取っていった。
悲しきかな、元SEのおじさんは生まれ変わって数ヶ月で最大のピンチを迎えるのであった…
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しばらくの時間が経過した後、アレクサンド家を覆っていた不自然な暗闇が、潮が引くようにサーッと晴れていった。
何も知らずに眠る主人のいない、もぬけの殻になった赤ん坊の部屋。
ガチャリ、と静かに扉が開いて、朝の御用聞きのためにメアリーが入ってきた。
「おはようございます、ユークリッド様。朝の……」
いつものようにベッドへ歩み寄り、メアリーの言葉がピタリと止まる。
そこに、いつもなら愛嬌よく手を挙げて「あい!」とシステム応答を返す、愛おしい赤ん坊の姿はなかった。
「……ユークリッド様……?」
無造作に、乱暴に剥ぎ取られたベビーベッドの布団。
残されたわずかな、闇魔法の残滓を感知したメアリーの顔からサーッと血の気が引いていった。
「あぁ……」
メアリーはその場に膝から崩れ落ち、小さく震える手で、主の消えたシーツを強く握りしめた。
脳裏をよぎるのは、彼女が過去に刻んだ、決して消えない最悪のトラウマ
「私はまた……また、大切なものを失うのですか……?」
ぽつり、と。
部屋の温度を凍りつかせるような呟きが漏れる。
「そんなの……絶対にあってはなりません。……絶対に、許さない……!」
メアリーの声から、一切の感情が削ぎ落とされ、静かに、しかし絶対的な冷徹さへと移行していく。
同時に、その華奢な身体から、大気そのものを圧壊させるほどの、凶悪で莫大な『魔力』が爆発的に解放された。
ガタガタガタガタッ!!!
ユークリッドの部屋の壁が、家具が、床が、彼女から放たれる圧倒的なプレッシャーに耐えかねて悲鳴を上げ、屋敷全体が激しく揺れ始める。
この屋敷における『真の最高峰』は、精鋭の護衛部隊でも、ベルゴでもなかった。
そう――メアリーの正体は、かつて国を支え、戦場を支配した【元王宮魔導士】。
それも、アレクサンド公爵のベルゴすら凌駕する、歴史上にその名を刻まれた『歴代最高と呼ばれた魔導士の一人』だったのだ。
「ユークリッド様…全勢力を挙げて、必ずや助けます」
冷徹な魔女の瞳に変わったメアリーが、怒りのままにその一歩を踏み出した。




