第6話
メルデスが産まれてから、早いもので1週間が経った。
人間の幼少期における成長速度というのは、本当に恐ろしいものだ。
肉体の成長に伴い、あんなに手こずっていた魔法の操作が、徐々に形になってきたのだ。
(よし、今朝もゴールデンタイムの特訓だ……。ウォーターボール、起動! からの――形状変形……ッ!)
脳内で最適化されたソースコードを走らせる。
手のひらの上で展開された水球の輪郭がじわじわと揺らぎ、徐々に形を変えていく。そして、かつてルクス兄さんが見せてくれたような、翼を広げた「鳥」の形へと成っていった。
(……よし、歪ながらも成功だ……!)
鳥というか、前世のゲームで見た初期スポーン地域の雑魚モンスターみたいな謎の生命体が出来上がったが、エラーを起こさずに形を維持できている。
ほんの数週間前には、ただの球を出すだけでお股に直撃を起こしていたのだ。それを思えば、これはとんでもないバージョンアップ、大きな進歩である。
(よし、もっと練習を重ねて、兄さんみたいに完璧にコントロールできるようになるぞ!)
小さな手のひらを握りしめ、俺は密かにモチベーションを燃やした。
だが、そんな俺の個人的な開発フェーズを大きく揺るがす、アレクサンド家の一大イベントが翌日に控えていた。
なんと、公爵家の領主である父ベルゴと母ヴェルディア、さらにはルクス兄さんとクリスティ姉さんまで含めた「本家メンバー」が、総出で王都へ向かうというのだ。どうやら公式な行事か何かで、1ヶ月ほど家を空けるらしい。
その間、この広大な屋敷には、俺と、第二夫人のマルティ、そして生まれたばかりのメルデスがお留守番をすることになる。
幸いなことに、屋敷には一部の精鋭の護衛が残るらしいので、最低限のセキュリティは担保されているようで一安心だ。
(本当は、俺も王都っていう新しい環境に行ってみたかったが、まだ一歳にも満たないこの赤ん坊のボディじゃ無理だよな……)
両親や兄姉と1ヶ月の間会えなくなるのは確かに寂しい。だが、俺の目線で言えば、これは「悪いことばかり」ではなかった。
なぜなら、まとまった『自由な開発時間』が手に入るからだ。
今までは、毎日のように部屋に突入してくる兄姉や、母ヴェルディアの定期面会があった。そのため、どうしても人目を盗んでトレーニングできるのは朝の四時だけに限られていたのだ。
だが、メインの監査役たちが1ヶ月も不在になる。となれば、朝の四時だけでなく、お昼でも夜でも、人目を盗んでいくらでも魔法の検証に時間を割くことができる。
(実質、開発時間が今までの三倍……! これは熱い、熱すぎるぞ。一気にレベルアップしてやる!)
そんな風に不敵な脳内計画を立てていた、翌朝のこと。
いつもよりもかなり早い時間、まだ朝日が昇りきらないうちに、ルクスとクリスティが俺の部屋にやってきた。旅支度を整えた二人は、俺のベビーベッドに駆け寄ってくる。
「おはよう、ユーク! 今日から一ヶ月ほど会えなくなっちゃうけど……お姉ちゃんの顔、絶対に忘れないでね? 帰ってきたら、またいっぱいいっぱい抱っこしてあげるからね……!」
「おはよう、ユーク。しばらく会えなくなるのは、僕も本当に寂しいよ……。いい子でお留守番してるんだよ」
クリスティは今にも泣き出しそうな顔で俺をぎゅーっと抱きしめ、ルクスもまた、寂しげな、だけど優しい笑顔で俺の頭を撫でてくれた。
(……ああ、俺も悲しいよ……)
言葉にはできないが、胸の奥が少しキュッと締め付けられるような感覚があった。
俺は精一杯の力を込めて、
「あい……」
と、力なく小さな手を挙げた。忘れるわけないだろ。
その後、父ベルゴや母ヴェルディアともそれぞれ挨拶(親父はまた少し泣いていた気がする)を済ませ、朝日が完全に昇りはじめる頃、馬車の車輪の音と共に、みんなが出かけて行ってしまった。
ガランとした広い部屋の中で、メアリーがそっと俺を抱き上げる。
「これから、ちょっとの間だけ寂しくなりますね、ユークリッド様……」
メアリーが優しく声をかけてくれたが、俺はその言葉に、すぐにはいつもの愛嬌を返すことができなかった。
前世の俺には、兄弟がいなかった。
一人っ子であり、両親との関係もそれなりに良好ではあったが、世間でよく語られる「兄弟愛」とか「家族の絆」といった特有の話題には、どこか疎いところがあった。歳の近い従兄弟はいたが、あちらにはあちらの家庭があり、本当の兄弟とは違った。
前世の俺は、そんな温かい繋がりなんて「別に知らなくてもいいし、知る必要もない感情だ」と、冷めた目であきらめていたのだ。
だが――。
この異世界という特殊な環境とはいえ、いざ本当の「兄」と「姉」ができて、あんなにも無条件の愛情を注がれると……。
家族が増えるということが、これほどまでに嬉しく、そして、一時的な別れがこんなにも「寂しい」ものなのだと、生まれて初めて気がつくことができた。
(少しの別れとはいえ、やっぱり……寂しいな……)
ぽっかりと空いた心のバグを埋めるように、俺は静かに、お昼の魔法トレーニングの準備を始めるのだった。
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ガタゴトと揺れる、王都へと向かう豪華な馬車の中。
窓の外を眺めながら、クリスティが不安そうな表情でぽつりと呟いた。
「ユーク……今頃、元気にしてるかなぁ……」
「はは、クリスティ、まだ出発してから少ししか経ってないよ?」
ルクスは困ったように苦笑したが、その瞳はどこか寂しそうに揺れていた。やはり兄妹そろって重度の重いシスコン・ブラコンの気があるらしい。
「そういえば父上、今回はどんな行事で王都へ行くのですか?」
気分を変えるように、ルクスが対面に座る当主ベルゴに尋ねた。
「そういえば、まだ詳しく言っていなかったな」
ベルゴは腕を組み、厳格な表情で頷いた。
「王女殿下が15歳の成人を迎えられる。今回はそのお祝いのパーティーだ。国中の有力な貴族が集まる場だからな、二人とも礼儀には十分に気をつけなさい」
「はい! そうだったのですね、楽しみです!」
居住まいを正して笑顔で応じるルクス。だがその隣で、クリスティはまるでシステムフリーズを起こしたかのようにショックを受けた顔をしていた。
「えっ……! ちょっと、そんな大事なこと、もっと早く知りたかったわ!」
「それじゃあ、もっと可愛いドレスを持ってきたらよかったわ……! 周りに合わせて無難な服にしちゃったじゃないの……!」
お年頃の少女らしい切実な絶望に、馬車の中にはドッとひと笑いが起こった。
ひとしきり和やかな空気が流れた後、母ヴェルディアがふと、心配そうな目を窓の外へと向けた。
「……ですがあなた、しばらく家を空ける間、屋敷の護衛の方は本当に大丈夫なのでしょうか?」
「問題ない」
ベルゴは事もなげに答えた。
「アレクサンド家の部隊を一部残してある。それに……あそこにはメアリーがいるだろう?」
「そうでしたわね……。あの子は、あなたがどこからか見つけてきたメイドでしたものね」
ヴェルディアの言葉に、ベルゴは深く、絶対の信頼を込めて頷いた。
「あぁ。あれ以上に、ユークを任せるのにぴったりなメイドは他にはいないよ」
当主すらも全幅の信頼を置くメアリー。
その事実を、残された当のユークリッド自身はまだ知らない。
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公爵家のベルゴが消失したその瞬間を、闇に潜む者たちが逃すはずもなかった。
…
…
…
「……ベルゴをはじめとしたアレクサンド家の面々が、先ほど屋敷を離れて王都へと向かったようだな」
薄暗い部屋の奥の椅子に腰をかけていた男が仕入れた情報の報告をしていた。
また、もう1人影のように気配を消した、黒い服を纏った男がいた。
「へい、先ほど道中で確認を完了しやした。手筈通り、タイミングを見計らって屋敷に侵入したいと思いやす……」
「……手際よく進めろ」
短い指示を受けると、黒い服の男はまるで最初から存在していなかったかのように、サッと闇の中に姿を消した。
再び、静寂に包まれる薄暗い部屋。
そこに座る男が、低く、しかし驚くほど鮮明な、殺意に満ちた声を漏らした。
「……この苦しみ、絶望。……お前にも、全く同じように味合わせてやるぞ、ベルゴ……!」
男の大きな手の中には、一つの『ペンダント』が、骨がきしむほどの力で強く握りしめられていた。
それは、かつて彼が失った「何か」の、あるいは、消せない過去の執念の形なのか。
主人のいないアレクサンド公爵家。
残された護衛たちの目を盗み、ユークリッドという名の『初期オブジェクト』を奪い去るための悪意ある影が、静かに、そして確実に実行へと移されようとしていた。




