第5話
今日も、今日とてゴールデンタイム(朝の四時)に魔法の自主トレをしている。
地道な自主トレの成果が出たのか、最近では手のひらに展開されるウォーターボールのサイズが、日に日に大きくなっている気がする。
扱える魔力の総量が増えたのだろう。オブジェクトを維持できる時間も目に見えて増えてきており、最近ではもう、あのお股へダイレクトアタックさせるような致命的なお漏らしは出さなくなった。
(というか、赤ちゃんとはいえ、あんな辱めは二度と経験したくない……。もういっそのこと、前世の記憶がなければ、純粋な赤ん坊としてノーダメージでいられたのに……)
あまりの精神的キツさを思い出し、俺の目から涙がポロリと一粒、頬を伝って落ちた。おじさんのメンタルは、時にガラスのように繊細なのだ。
とはいえ、順調に魔力量が増えている一方で、ルクス兄さんのように「ウォーターボールから別の形状へ変形させる」という高度なオブジェクト操作は、まだまだできる気配がなかった。ただの球体を維持するだけで精一杯だ。
ルクス兄さんはといえば、どんどんと魔法の腕を上達させていき、今ではウォーターボールから本物の鳥かの様に作り出し、まるで生きているかのように滑らかにコントロールしてみせる。
風の噂によると、ルクス兄さんのあの繊細な魔法操作は、大人顔負けの一流レベルだと周囲から絶賛されているらしい。
システムを完全に我が物とし、本当に自由自在に扱っている彼の姿は、俺に「魔法の楽しさ」を真っ直ぐに教えてくれていた。
(よし、俺も負けずに練習しよう――)
ザワザワッ、ザワザワッ…
思考を遮るように、部屋の奥から奇妙な騒音が聞こえてきた。
時計を見れば、まだ朝の四時を回ったばかりだ。普段であれば、屋敷の使用人も含めて全員が夢の中に入っている時間なのに、さっきから妙に騒がしい。
(何かトラブルでもあったんだろうか……)
耳を澄ませると、屋敷内を行き交うメイドたちの慌ただしい足音や声が響いてくる。
「清潔なタオルを早く持ってきて!」「温かいお水の準備を!」「お医者様はまだですか!?」
バタバタと、まるで大規模なサーバーダウンに直面したかのような緊迫感だ。
しばらくすると、ガチャリと扉が開いてメアリーが部屋に入ってきた。俺の様子を見にきたのだろう。
「ユークリッド様、起きてらっしゃいますか?」
メアリーがベビーベッドの中を覗き込んでくる。
「あい」
俺が小さく手を挙げて返事を返すと、メアリーはホッとしたように表情を緩めた。
「おはようございます。起きたばかりな時に申し訳ありませんが、とりあえず別の場所へ移動しましょうか」
そう言うと、手慣れた手つきで俺をベッドから抱き上げ、廊下へと歩き始めた。
一体何事だ、と俺が小さな眉をひそめて困った顔をしていると、メアリーが俺の視線に気がついたのか、クスリと笑顔を浮かべた。
「ユークリッド様、そろそろ『新しいご兄弟』が産まれますよ」
なるほど、この騒がしい理由の正体はそれか!
前にメイドたちが慌ただしくしていた一家一大プロジェクト――第二夫人であるマルティ様の出産がいよいよ予定日を迎えたわけだ。
メアリーに抱えられて大きな扉の前に着くと、そこにはすでにルクス兄さんとクリスティ姉さん、さらには母ヴェルディアと、珍しく父ベルゴの姿まであった。
「性別はどっちかしら、楽しみね!!」
「そうだね、僕も早く会いたいな」
ルクスとクリスティが元気よく、これからの新メンバー加入に胸を躍らせて話している。
そんな二人を見て、母ヴェルディアが聖母のような優しい微笑みを浮かべながら諭した。
「そうね。どっちの赤ちゃんが産まれてきても、お姉ちゃんとお兄ちゃんとして、優しくしてあげるのよ」
「「はーい!」」と元気よく返事をする二人。
だが、その微笑ましい光景のすぐ横で、普段は厳格で威厳に満ちているはずの父ベルゴが、焦った様子で部屋の前をウロウロと何度も往復していた。
(めちゃくちゃテンパってるな、父……。)
身内の大仕事に、父親としての威厳が完全にログアウトしているベルゴの姿は、見ていて少し面白かった。
その時――扉の奥から、静寂を引き裂くような声が響き渡った。
『おんぎゃあ! おんぎゃあ!!!』
とても元気で、これ以上ないほど逞しい産声。
その瞬間、父ベルゴと母ヴェルディアが慌ただしく部屋へと入っていった。俺たち子供組は、メアリーや他のメイドたちと一緒に、固唾を飲んでしばらく外で待つ。
数分後、再び扉が開き、ヴェルディアが中から優しく手招きをした。
「みんな、入っていいわよ」
扉の前でそわそわしていた4人は、促されるままに部屋の中へと足を踏み入れた。
ベッドの奥には、疲労のなかにも幸せそうな笑みを浮かべる第二夫人マルティ様と、その腕に抱かれた小さな赤ちゃんがいた。
どうやら、五体満足のとても元気な男の子が生まれたみたいだ。
名は、メルデスというらしい。
公爵家に新しくデプロイされた、俺の腹違いの弟だ。
「可愛いわ……! メルデス、初めまして! 私がお姉ちゃんよ!」
「メルデス、初めまして。僕がルクスだよ」
クリスティとルクスが、壊れ物を触るかのような優しい手つきで、生まれたばかりのメルデスに声をかけていく。
その様子をメアリーの腕の中から見つめながら、俺もまた、兄としての親愛を込めて、小さな声を張り上げた。
「あい!」
メルデス、これからよろしくな。
新メンバーを迎え、我が公爵家は、また一つ賑やかな日々を迎えるのだった。
しかし
この時の俺は、まだ知る由もなかった。
この温かく平穏な日常の裏で、我がアレクサンド家を狙う悪意ある暗雲が、すでに動き始めているということを…
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「……アレクサンド家には、産まれて一歳にもなっていない坊ちゃんがいるらしいな……」
どこか薄暗い部屋の中、低い声が空間に響く。
「へい、そうらしいでっせ……。確か、正妻ヴェルディアの息子だとかで……」
下卑た笑みを浮かべた男が、闇の中でペコペコと頭を下げた。
「そうだ。来週には、当主のベルゴは王国への招集がかかっている。屋敷の警備が最も緩くなるタイミングが必ず訪れる。……その隙を突き、その坊ちゃんを誘拐してこい」
「わかりやした……。報酬の方は期待していいんですね……?」
「今回は警備が手薄とはいえ、公爵家への侵入だからな。報酬は期待しておけ」
その言葉を聞いた男は、満足そうに口元を歪めた。
「さすが%#*<€=*$様、一生ついていきやす……!」
平和なひと時の中に、静かに、しかし確実に忍び寄る怪しい組織の影。
公爵家のセキュリティホールを突いた「ユークリッド強奪作戦」の実行キーが、今、静かに押されようとしていた。




