第19話
数日後……
日課の過酷なフィジカル訓練を終えてフラフラになっている俺のところに、メアリーが冷たい水と清潔なタオル、そして――なぜか鈍い音を立てそうなほど分厚い紙の束を持ってやってきた。
「メアリー、それは一体なんなんだい……?」
「ユークリッド様。これは、私が不在の間にこなしていただく自主トレ用のカリキュラムとなっています」
あまりの分厚さに、視覚情報だけで脳が眩暈を起こしそうになる。
「まさか、これ全部というわけじゃないよね……?」
「いえ、全部ですけど……?」
一切の曇りがない、あまりにも平然とした顔でそう言い放つメアリーを見て、俺は再び恐怖でゾッとした。
「メアリーの不在期間って一週間だよね……? そんなに大量のメニューあって、本当に一週間で消化できるかなぁ……」
「もし期限内に終わっていなければ、私が帰ってきてから一緒に居残り練習を頑張りましょう」
その真剣な眼差しを見た瞬間、(あ、これリップサービスじゃなくてマジなやつだ……)と悟り、俺はそっと目を逸らした。
「それと……私の不在期間中は、こちらのメイド達にユークリッド様のお世話役をお任せいたします」
そう言ってメアリーが促すと、背後から緊張した面持ちの母娘がひょっこりと姿を現した。以前、屋敷で挨拶をした母と娘のペアだ。
「以前、そういえば顔を合わせたね」
すると、母親のほうが少し驚いたように、しかし上品に頭を下げて話し始めた。
「はい。以前のご挨拶の際に、一度お目にかかりましたね。私はセレスと申します。どうかお見知りおきを。そして、こちらは娘のリリアと言います」
母親の影に少し隠れていた少女が、セレスに優しく背中を押されて一歩前に出た。
「り、リリアといいます……。よ、よろしくお願いします……!」
俺と年齢はほとんど変わらなそうではあるが……これから一週間、この母娘が身の回りの世話をしてくれるらしい。
補足するように、メアリーが真面目なトーンで告げた。
「以前、新規の召喚……もとい新規侍女の募集をした際に、当主のベルゴ様が直々に連れてこられた親子となります。多少の事情はあるようですが、私が厳しく見定めてきた中では信頼における人物たちです。この一週間、ユークリッド様の身の回りのサポートは彼女たちに一任いたします」
あの鬼教官であるメアリーがここまで太鼓判を押すのだから、信用は十分に置けるだろう。
「わかったよ、セレスさん、リリアちゃん、よろしくね」
そっと小さな手を差し出すと、それぞれと柔らかい握手を交わし、当たり障りのない軽い挨拶を済ませた。
「それでは、私は明朝早くに出発いたします。しばらくの間、ユークリッド様とお会いできなくなるのは非常に心苦しいですが……どうかお元気でいてくださいね」
いつもの鉄壁のメイド服とは違い、旅支度を整えた彼女の姿を見ていると、自然と少しだけ名残惜しい気持ちが胸の内に湧き上がってきた。
「うん……待ってるからね」
気恥ずかしさを隠しつつ、ポツリとそう告げるのが精一杯だった。
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ふと目が覚めると、時計の針は朝の四時を示していた。
いつも通り、静寂に包まれた早朝の屋敷。しかし、耳を澄ますとわずかに馬の蹄の音が聞こえる。
ヒヒーン、と静かな嘶きと共に、ガラガラと重厚な馬車が屋敷の門を出発していくのが窓越しに見えた。
(メアリー、気をつけて元気で戻ってきてね…)
心の中でそう呟きつつ、俺はベッドから這い出ると、さっそく朝の自主トレ、そして魔法の訓練を開始した。
ここ最近は、フィジカル強化による肉体疲労が著しかったことや、屋敷の蔵で見つけた新しい魔導書を読むことに没頭していたため、肝心の「魔法の訓練」のほうが少し疎かになっていた。
まずは、リハビリがてら初歩的なやつからいってみるか。
『ウォーターボール』……からの、形状変化――ッ!!
ボシュッ! と音を立てて生成された水球が、俺の意思の出力に合わせてみるみるうちに圧縮され、鮮やかな「鳥の形」へと変貌していく。
……?
あれ、なんだかサイズが以前より一回りどころか、圧倒的にデカくないか……?
以前、出した時はスズメほどの小鳥サイズだったはずだが、いま目の前を優雅に旋回している水鳥の魔力体は、どう見ても立派なサイズ感に成長していた。
ふと気になって、自分のステータスを呼び出してみることにした。
ここ最近は自分の体力の数値ばかり気にしていて、ステータス画面をまともに確認していなかったが……
【名前】 アレクサンド・ユークリッド
【年齢】 三歳
【種族】 人間(転生者)
【レベル】 1
【HP】 300 / 300
【MP】 14990 / 15000
【固有魔法】
《最適化》 《雷魔法 NEW level2》 《&@“:¥/>€|€》
【称号】
《社畜戦士》 《異世界からの転生者》 《雷帝の守護》
【魔法適正】
火属性:C+ / 水属性:B+ / 風属性:– / 土属性:− / 光属性:− / 闇属性:A+
「……MP、1万5千近くまで増えてやがる……っ!?」
HPやMPの最大値が、いつの間にか初期値から跳ね上がっていた。
振り返ってみれば、あの地獄のフィジカルブートキャンプで肉体を限界まで酷使し続けた結果、肉体だけでなく魔力回路の許容量まで一緒に強制拡張されていたということか。
それにしても、この3歳児のスペックとしてはあまりにも異常すぎる伸び率だ。
さらに、画面の下の方に目をやった瞬間、俺は思わず動きを止めた。
「……レベル? そんな項目、今まであったか……?」
これまでに読んだステータス関連の専門書には、魔力の習熟度や練度によって魔法の精度や威力が向上することは書かれていたが、「レベル」という数値がステータス表に直結して明記されるなんて話は聞いたことがない。
これも、俺の固有チートスキル《最適化》のオートアップデート機能のせいなのか……?
とはいえ、この数値の伸びは、自分の地道な努力が確実に実を結んでいる動かぬ証拠だ。少しだけ、自分の魔法戦闘に対する自信が湧いてくる。
よし、この調子でさらに魔法の精度を磨き上げていこう。
俺は再び、魔法の自主訓練へと没頭していくのであった。
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――その頃
メアリーが屋敷を離れたことで、屋敷の外では、少しずつ、しかし確実に不穏な影が動き始めていた。
「ふふふ……やっと、あの女が屋敷を離れてくれたか……」
長かった。本当に、長かった。
あらゆる準備はすでに完璧に整えられている。計画は練り上げられた。
決行は、今から3日後。確実に、一切のミスなくユークリッド誘拐を成功させる。




