第16話
無事に鑑定の儀という一大イベントを終えて、自室のベッドにひっくり返り、ようやく一息つくことができた。
どっと押し寄せてきた精神的な疲労感を感じながら、俺はふと、先ほどマリウスから貰ったばかりの、表紙に『アレクサンド・ユークリッド』と金色で印字された本を手に取った。
パラパラとページを読み返してみると、本当に色んなデータが記載されている。
自分のスペックや最適化の状況を管理するUIとして、これがいちいち本を取り出さなくても、いつでもシステムウィンドウのように見られるようになれば、圧倒的に扱いやすいんだが……
(……なぁ、俺の固有魔法。これ、どうにかなりませんかね?)
ダメ元で、自分のユニークスキルに向けて念じてみる。すると――。
「ピコン」と、軽快な通知音が鳴り響いた。
──『最適化』がアクティベート中です。──
──ステータス本を最適化し、いつでも閲覧できるようになりました。──
(……やっぱできちゃうんだ……)
もはや、『最適化』とは何なのかと自分でもツッコミを入れたくなってくる。こちらの要望を汲み取って即座に対応してくれる。全く便利すぎる固有魔法である。
(前世の社畜時代にも、こんな素晴らしいチート能力があれば、さぞ生きやすかったんだろうな……)
天井を見つめながら、ふと思う。
最近少しずつだが、前世の記憶が薄れてきているような感じがするのだ。
転生した最初の頃こそ、社畜時代の記憶や現代知識を鮮明によく覚えていたが、今では毎日繰り返していたルーティン業務や、理不尽に怒鳴られたトラウマのことを思い出す「きっかけ」そのものが減ったからだろうか。公爵家のこの温かい環境が、俺のすり減った精神を上書きしてくれているのかもしれない。
(そういえば……あの後輩は、今頃何をしているんだろうな……)
そんな、もう戻ることのない過去の残像が脳裏をよぎる。
だが、この世界では前世とは何もかもが違う。俺を心から愛してくれる家族がいて、未来がある。
「とりあえず……今日はもう疲れた。おやすみ」
静かに目を閉じ、俺は深い眠りへと落ちて行っ――。
パチン、と目が覚めた。
枕元の時計に目をやると、針は朝の「四時」を指している。
「……はは、この習性が無くならない限り、前世のことを忘れる事は無さそうだな……」
いつも通りの早すぎる目覚めに、ふと自嘲気味に笑ってしまった。どれだけ環境が変わろうと、身体に染み付いた習慣だけは、最適化スキルでも除去できないらしい。
最近では、一人でこっそり魔法の研究もしているのだが、3歳児の身で派手な中級魔法や上級魔法をぶっ放すわけにもいかない。そのため、昼間のうちに図書室から誰にも見つからないように拝借してきた本を、この時間に読み漁るのが日課になっていた。
俺は枕の下に手を差し込み、隠しておいた分厚い魔導書を取り出した。
「今日はここからか……ええっと……ふむふむ」
小さな指でページを捲り、インフラの仕様書を読み解くように文字を追っていく。
「……っ! なるほど……!」
俺は思わず小さく声を漏らした。本には、心を激しく揺さぶる画期的なロジックが記載されていたのだ。
『――魔法式を予め道具や紙に記述しておく事で、術者本人が魔力を流し込むだけで、複雑な詠唱を破棄して魔法を発動できる。この方法を用いれば、術者自身に使えない魔法属性が有っても、擬似的にその魔法を行使することが可能である』
(これ、めちゃくちゃ有用な情報だな……!今日は、これを試してみるか…!)
そう企みつつ、俺はステータス画面を展開した。
俺の適正がない魔法属性は、風、土、光、そして――闇。
(いや、闇はあるか……)
改ざん前のオリジナルデータにあった、闇属性の魔法適正『A+』。
俺は生まれてから一度も闇魔法なんて使ったことがない。それなのに、なぜ闇属性の適正が、他のどの属性よりも圧倒的に高かったのだろうか。
気になって図書室の関連書籍を漁ってみたのだが、闇の詠唱や魔法式が書かれた本は、このお屋敷の膨大な蔵書を以てしても非常に少なかった。
元々、使い手が極端に少ないのもあるが、最大の理由は政治的なものだ。教会の人らが使う「光魔法」と完全に対比をなす、絶対的な悪の魔法として扱われてきた歴史がある。昔から、魔王や悪の軍勢が扱っている属性ということで、歴史的にも人々から激しく忌み嫌われてきた属性だ。
図書室を探してみても、「闇属性の魔法というものが存在する」という概念以上に、書かれた本は一冊もなかった。
(使う事も無いだろうな、と思っていたが……)
人間、禁止されればされるほど、そして「お前はこれの適正が最高ランクだ」とシステムからお墨付きを貰えば貰うほど、試してみたくなるものだ。
闇の魔術……かっこいいな……
思わず中二病的なロマンにワクワクしてしまう。
自分の思考が実に単純であることに苦笑しつつも、俺は静かに魔導書を閉じた。
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アレクサンド公爵邸の広大な庭の片隅。
手際よく庭の掃除をし、落ち葉を集めている一人の「男」がいた。
周囲に人の気配がないことを完全に確認した瞬間、ダラスは懐から一羽の伝書鳩を取り出すと、その足に小さな暗号文を括り付け、早朝の空へと静かに放ち、呟いた。
「……そろそろか……」
ターゲットであるアレクサンド公爵家の次男、ユークリッド坊ちゃんを誘拐する任務のため、自ら男装してこの屋敷に潜入してから、他の雑事をこなしながらではあったが、気付けばほぼ2年が経過していた。
ターゲットの周りの護衛が薄くなる、最適なシステムダウンのタイミングを、彼女はずっと一番近くで伺い続けていたのだ。
最初は、潜入して直ぐにでもガキを攫い、クライアントの元へ持っていくつもりだった。
だが……思った以上にあの屋敷は居心地が良くて…
…
…
いや、違う。思った以上に、ターゲットの周囲を固める護衛の存在が大きすぎたのだ。
何よりも、ユークリッド坊ちゃんのすぐ傍にいつも控えている、あのメイド。
あれが一番の、そして最悪の厄介者だった。
気になって、外にいる自分の手下どもに独自のルートで徹底的に調べさせていたのだが、上がってきた報告書を見て、ダラスは思わず冷や汗をかいた。とんでもない大物だったのだ。
メアリー
彼女の正体は、『元宮廷魔導士』であった。
若くして宮廷魔導士の地位に上り詰めた彼女は、歴代の化け物どもの中でも、頭一つ抜けたトップクラスの実力者だったという。
何よりも恐ろしいのは、彼女が【雷魔法】に特化した魔導士という点だ。
数ある固有魔法のなかでも、最も破壊力と速度に秀でた超レアな魔法。それをまともに、かつ軍隊レベルで広域運用できたのは、歴史上でもメアリーくらいのものだ。
まさに一国を物理的に揺らし、滅ぼしかねない戦闘兵器。そんな存在だった彼女は、数年前、ある日を境に突如として公式記録から姿を消した。詳しい事情は分からないが、過去のある凄惨な戦争がきっかけではないかと噂されている。
(しかし、何故そんな化け物が、公爵家で大人しくメイドなんかしているのかは分からんが……私たちの人間にとっては、悪夢だ)
ダラスは男装の奥で、苦々しく顔を歪めた。
(少し前に、外から手を出して連絡が途絶えた私の部下どもは……間違いなく、あの化け物メイドに跡形もなく消されたと考えている。)
流石の私とて、あのメイドの目を盗んで、ユークリッド坊ちゃんを誘拐するなど、簡単ではない。セキュリティが強固すぎて正面衝突すればまず無事では済まないだろう。
だから、ダラスは別のルートから屋敷の侵入を企てていた。メアリーにバレないように、精神魔法で慎重に周りの護衛やメイドらに記憶操作を行い、情報を吐かさせている。内部から侵食をしていきいずれかは乗っ取れるとベストではある。
そんな中、ひとつの転機が訪れた。
ユークリッド坊ちゃんが、3歳になった事により屋敷の周りの護衛が緩くなり、外出する事が許可された。それも、領地内とはいえ、私の闇ギルドにとってはまさに自分たちの庭とも言える、公爵邸近隣の「深い森」にも近々訪れるようになるらしい。
(2年もいたから、このお屋敷に少し名残惜しい気持ちもあるけれど……。そのタイミングなら、あのメイドの目を盗んで誘拐する計画が練れる。きっちり組み立てなきゃね……)
ダラスはスコップを握る手に力を込め、落ち葉の山を見つめた。
そして、ふっと緊張感を緩めると、小さくお腹をさすった。
(あっ、そういえば今日の夕飯は何だろうな。美味しい肉料理だといいんだけど……)
自分の食いしん坊な思考に苦笑しながら、潜入員としての顔に戻ったダラスは、再び何食わぬ顔で庭掃除を再開するのだった。
「お腹すいたなぁ…」




