第13話
……ちょっと待ちなさいよ。ターゲットを見たけれど、まだ子供どころか、ただの赤ちゃんじゃないの……!
公爵邸の裏庭。手にした熊手を動かしながら、闇ギルドのマスター(ユティ)は内心で激しく頭を抱えていた。
クライアントは、あんな赤ちゃんを誘拐して一体何を考えているのやら……。
もちろん、あの冷酷な男への私怨もあるのだろうけれど……。いくら裏稼業の私だって、何も罪のない赤ん坊を拉致するのは流石に気が引けるわ……
――思考は、数時間前。屋敷内での「新人挨拶回り」が行われていた、昼時へと遡る。
「ダラスさん、次はユークリッド様にご挨拶をしますよ」
案内役の先輩執事に導かれ、ダラス(ユティ)はターゲットが割り当てられている本館の部屋へと足を踏み入れた。
本館立ち入り禁止の制限を、新人執事という権限を利用して一時的に潜り抜けたのだ。
中々、立派な屋敷じゃない。
金目の物の配置もざっと記憶しつつ、ターゲットを拝んでやろうじゃないの……
そう身構えていると、ガチャリと部屋の扉が開き、数人の新人メイドたちが少し浮足立った様子で部屋から出てきた。どうやら彼女たちの挨拶回りがちょうど終わったところらしい。
扉が閉まると、彼女たちは周囲を気にしながら、声を潜めて熱っぽく語り合い始めた。
「ねえ、あんなに小さいのに、私たちにちゃんとお返事をしてくれるなんて……なんて可愛いの……!!」
「本当に愛くるしいお姿でしたわ……!」
「無駄口を叩かないで、さっさといきますよ」
新人の浮かれた会話を遮るように、指導係の先輩メイドがピシャリと声をかける。そのまま新人のメイドたちは小言を言われながら去っていった。
可愛い……? はん、ただのガキでしょ。さっさと逃走経路を確認して、ターゲットを拉致してずらかりたいものね
ダラスとしてのポーカーフェイスを維持するユティだったが、思考をめぐらしていると足を止めてしまっていた。
「ダラスさん、どうしたんですか?部屋に入りますよ…?」
部屋に入ると、ユティは心の中で毒づく。
なんなの、部屋にベビーベッドがあるなんて聞いてないわよ。どれどれ、金目の物は……まあまあありそうね。さて、ターゲットに挨拶でもしましょうか…
だが、ターゲットの姿をその視界に捉えた瞬間――。
ユティは、先ほどメイドたちが廊下で浮かれていた「真の理由」を、文字通り脳髄で理解することになった。
何よこれ……ガキというよりも……まだ生まれたばかりの赤ん坊じゃない……! クライアントは、こんな小さな赤ん坊を欲しがっているの……!?
想定外の「幼さ」にフリーズしかけているユティの横で、先輩執事が「ゴッホ」とわざとらしい咳払いをした。
ハッと我に返ったユティは、慌てて「新人執事ダラス」としての挨拶を出力する。
「ご挨拶を申し上げます。新規に採用されました、ダラスと申します。今後お見知りおきを……」
ターゲットに向けて、深く頭を下げた。
すると――。
「よしくっ……」
ベビーベッドの向こうから、まだ舌の回らない、ひどく小さな可愛い声が聞こえてきた。
驚いて顔を上げると、そこには――こちらを見つめ、天使のような満面の笑顔を浮かべながら、小さな小さな手をパタパタと挙げて挨拶を返してくれている赤ん坊の姿があった。
その瞬間、ユティに致命的なエラーが発生した。
トクン、と胸が高鳴り、気づけば男装していることすら忘れて、自然とこちらも締まりのない笑顔を浮かべてしまっていたのだ。
…
…
あっ、可愛い……
…
…
……って、ダメよダメよダメよ……!
正気を保て、ユティ……!
お前は誰だ、裏社会に名を轟かせる闇ギルドのマスターだぞ!? こんなガキ一人捕らえるなんて、本来なら造作もないはずでしょ……!
必死に精神を落ち着かせ、再びターゲットと目を合わせる。
すると、こちらの様子を観察していたターゲットは、一瞬だけ何かを察したように困ったような顔をしつつ――すぐにまた、ふにゃりと無邪気な笑顔を向けてきた。
…
…
可愛い…
あっ……これはやばいわ。メイドたちが廊下で限界化していた理由が分かったわ……。
愛想がいい子供って、これもう存在自体が凶悪な兵器じゃない……! なんて、なんて可愛いの……!!
完全に心を奪われたダラス(ユティ)が、その場に釘付けになっていると、ガシッと後ろから肩を掴まれた。まるでコンサート会場でのアイドルの引き剥がしのような強引さで、先輩執事がユティの体を引っ張る。
「ダラス、何をしている。ずっとそこにいるつもりですか? 次の挨拶回りにいきますよ」
「あ、はい……」
言われるがまま、若干ずるずると引っ張られる形で、ユティは後ろ髪を引かれながらターゲットの部屋を後にしたのだった。
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side ユークリッド
な、なんだったんだ……? あの新人の執事は……?
挨拶回りにやってきた「ダラス」とかいう髭面の新人執事を見送りながら、俺はベビーベッドの上で冷や汗を流していた。
俺が挨拶を返した瞬間、あの男、とんでもない角度にまで顔の筋肉を笑顔に変形させて固まっていたぞ。前世を含めても、大人の男があんな表情(限界オタクみたいな顔)をしているのを見たことがない。ホラーかと思った。
まあ、公爵家の人間たるもの、下で働いてくれる部下にも手厚い対応をしないと……という意識があって愛想を振りまいているんだが……。もしかして、この対応はやりすぎか? やめた方がいいのか……?
とはいえ、一度やり始めたことだ。今さら塩対応にするのもシステムに一貫性がなくなる。
まあ、最後までやり切ろう。途中で投げ出すのはエンジニアとして良くないな
俺は少し首を傾げつつ、次の面接組を迎え入れるために、切り替えるのであった。
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side ダラス(ユティ)
それにしても……あの赤ん坊を一人誘拐できないなんて、私の部下たちは一体全体、現場で何をしていたのかしら……?
夕暮れ時。再び庭掃除の雑用タスクに戻ったユティは、熊手を動かしながら眉をひそめていた。
あり得ないわ。いくらターゲットの愛嬌が凶悪だからって、それで任務を失敗するようなタマじゃないはず。……いや、違うわね。逃走にも問題はなさそうだったし……やっぱり、あのターゲットを守護している『何か』を知らない限り動きようが無いわ。
現状、怪しい実力者といえば、公爵家の老練なヘッド執事か、あるいは騎士団の部隊長あたりが妥当だが、ユティの観察眼から見れば、「連絡の暇すら与えず瞬殺」できるほどの実力者には見えなかった。
……一人、あの部屋の片隅に控えていた、お人形さんみたいに無表情なメイド……彼女だけは、ほんの少し気にはなったけれど……
ユティは、ユークリッドの傍らに静かに佇んでいたメアリーの姿を思い出す。
ふん、まさかね。メイドごとき、何ができるはずもないわ。だけど……なぜか、やけに直感に引っかかるのよね。何かあるのかしら……?
裏社会で培った直感が、かすかな危険信号を発している。
そんな正体不明の違和感を胸にくすぶらせながら、男装のギルドマスターは、静かに暮れゆく




