83 第17章:全世界への存在誇示
第17章 第4節
旧ヴァルハイト伯爵領の境界を越え、帝国本国へと続く「黒鉄の峡谷」の暗い街道。
両脇にそそり立つ巨岩の壁が月光を遮り、冷たく湿った夜気が足元を這うように漂っていた。かつて帝国の軍用輸送路として使われていたこの街道は、いまや第3師団の崩壊によって補給部隊の行き来も絶え、不気味な死の静寂に包まれていた。
「……来ます、レヴナント様」
私の数歩後ろを歩むシルヴァが、影のように身を低くし、腰の短剣の柄に指をかけた。その銀灰色の瞳が、前方と左右の巨岩の陰、そして上空の暗闇へと冷ややかに向けられる。
「単なる野盗や占領軍の残党ではありません。……気配の消し方、魔力の遮蔽精度、そして統制された配置。何らかの国家的機関、あるいは大規模な組織から派遣された『特級の刺客』たちです」
「放置する」
私は歩みを止めることなく、感情の削ぎ落とされた声で短く応じた。
「私の前進を物理的に阻害しない限り、無価値な雑音に割く演算領域はない」
だが、私の言葉が終わるよりも早く、周囲の空間が不自然な歪みを見せた。
シャァァァン……!
峡谷の暗闇から、光を吸収する漆黒の法衣を身に纏った三つの影が、音もなく舞い降りた。それと同時に、背後の頭上、左右の巨岩の頂からも、異様な魔導波長を放つ異形の手者たちが現れ、街道の前後を挟撃・包囲した。
「……実に見事な手際だ、ヴァルハイトの遺児……いや、暗殺者『レヴナント』殿」
正面に立った刺客の先頭——顔の半分を真鍮製の生体仮面で覆った細身の男が、歪んだ恭しさを含んだ声で静かに口を開いた。
その仮面と衣装に刻まれていたのは、帝国軍の紋章ではない。サンクチュアリ王国裏組織「聖陰の盾」、ならびに北方諸国を暗躍する大規模闇ギルド「無貌の仮面」の混成印章であった。
「我々はガレス=アルド帝国の者ではない。むしろ、君が第3師団という帝国の巨大な病巣を完膚なきまでに屠殺してくれたことに、心からの喝采を送る者たちだ」
男は薄く笑い、仮面の奥の瞳を怪しく光らせた。
「君が成し遂げた成果は、大陸全体の政治的バランスを劇的に塗り替えた。今や帝国の威信は失墜し、諸国の王族や大名たちは君の存在に狂喜し、同時に怯えている。……だからこそ、我々はここに遣わされたのだ」
男は懐から、紫色の魔導光を放つ羊皮紙の契約書を取り出し、私に向けて差し出した。
「我が主に仕えよ、レヴナント。サンクチュアリ王国、ならびに北方同盟の諸侯はお前の『再生の力』と、その圧倒的な自爆解剖術を高く評価している。君が我らに下るなら、破格の金、領地、そして帝国本国を攻略するための新たな『生体実験の検体』すらも望むままに与えよう。お前が帝国を滅ぼすための『公式な英雄』としての地位を用意してやる」
政治的思惑。
帝国軍第3師団の全滅という前代未聞の惨劇は、周辺諸国の政治家や王族たちに「新たな切り札」としての私に対する強い執着を抱かせていた。
彼らは自ら帝国と正面切って戦うリスクを避けつつ、自傷再生という最悪の生体兵器を手に入れた私を自国の「秘密兵器(傭兵)」として取り込み、自国の権益を最大化しようと企んでいたのだ。
そして、男の言葉には隠されたもう一つの暗黙の了解が存在していた。
もしこの提案を拒否すれば——自国の脅威となる前に、この場所で私を「処理」するという、力による強制の意思であった。
「……提示は以上か?」
私は歩みを止め、両手を力なく垂らしたまま、仮面の男を冷ややかに見上げた。
私の「死んだ目」——そこには、彼らが提示した金、領地、英雄の地位、さらには背後に透けて見える国家的権力に対する興味など、一片として存在しなかった。
「ふむ……? 満足のいく条件ではなかったか? ならば条件はいくらでも吊り上げ——」
「論理学、ならびに軍事資源管理における基本だ」
私は男の言葉を静かに遮り、感情の存在しない声で淡々と解剖学的な数式を口にした。
「お前たちが提示した政治的思惑、国家の権益、地位、金……それらはすべて、私というシステムを運用する上で、何の意味もなさない無価値な『不純物』だ」
「……何だと……!?」
男の仮面の奥の眉が跳ね上がった。
「私は英雄になりたいわけでも、他国の犬になりたいわけでもない。……私にあるのは、自分からすべてを奪い、世界に理不尽な暴力を振りまく帝国という病巣を、物理的・化学的に解剖し尽くすという『ただの遅延された運動現象』だけだ」
「くくく……交渉決裂、か」
男は仮面の奥で嘲笑を漏らし、右手を高く掲げた。
「ならば致し方あるまい! 諸国の王族はお前の存在を求めているが……もしお前が何者の制御も受け入れぬ狂犬であるならば、ここでその首を刎ね、その『再生の血』の検体だけを持ち帰るまでのこと!」
シュッ……!
男の手合図とともに、包囲していた八人の刺客が一斉に跳躍した。
彼らが繰り出したのは、単なる斬撃ではなかった。
対「再生能力者」用に特化された、高圧の「凍結魔導陣」と、筋肉の運動神経を麻痺させる「神経毒塗布の鎖」であった。
彼らはすでに要塞の戦闘記録を分析していたのだ。
私がどれほど強力な再生能力を持っていようと、全身を絶対零度の氷で強固に固定し、神経伝達を麻痺させれば、自傷再生の魔力を循環させることも、自爆の火花を散らすこともできずに「生きたまま封印できる」と計算していたのだ。
「固着完了! 逃がすな! 凍結陣、展開!!」
刺客たちの足元から放射状に広がる青白いのルーン文字。
氷結の魔力が一気に大気を凍りつかせ、私の両足と腰、そして両手首を分厚い氷の結晶が強固に押し包んでいく。同時に、四本の神経毒の鎖が私の首と四肢に食い込み、過剰な麻痺毒が皮膚を通じて体内に注入された。
「ハハハハ! 捉えたぞ! いかに全滅の怪異とて、神経を麻痺させられ、四肢を絶対零度の氷で固定されれば身動き一つ——」
仮面の男が勝利を確信して笑い声を上げた、そのコンマ0.1秒後。
バキバキバキバキバキッ……!!!!
「……な……に……っ!????」
男の笑い声が、唐突に凍りついた。
私の口から漏れたのは、苦悶の悲鳴でも、焦りの声でもなかった。
私は、神経毒が流し込まれた自らの「四肢の筋肉」と「麻痺した神経回路」を、意識の演算領域から力任せに切断すると同時に——凍結された両手首と両足の骨格を、自らの「過剰再生の爆発的筋力」によって内側から無理やり破砕・逆方向に折り曲げたのだ。
「神経が麻痺しているならば、麻痺した肉ごと骨を破壊して内部から再構築すればいい」
ガクンッ! ゴキィィィンッ!
自らの手足の骨を自ら砕く凄惨な破砕音。
絶対零度の氷に閉じ込められていた私の両腕と両足が、破砕された自らの骨の破片を内側から突き破り、過剰再生の狂乱的な筋組織の膨張によって、氷の結晶ごと木っ端微塵に粉砕・炸裂した。
「ひ……ひぃぃぃっ!? 自ら手足の骨を破砕して……氷を打ち砕いたというのか……!? 痛覚はないのか……!?」
刺客たちが顔面を蒼白にして後退しようとした、その瞬間。
私は破壊され、過剰再生によってコンマ数秒で強引に繋ぎ合わされた自らの左手首の傷口から、高濃度の過剰再生血を大量に噴出させ、首に巻き付いていた「神経毒の鎖」へと塗りつけた。
生化学・電気化学における触媒反応。
私の過剰再生血に含まれる極限励起状態の魔力粒子が、刺客たちが使用していた「神経毒の液体」と接触した瞬間、毒の成分が激しい化学連鎖重合を起こし、高圧の可燃性気体へと一瞬で変質した。
「第二段階……連鎖反応の開始」
私は右手の短剣を、鎖の金属環へ向けて一閃させた。
ガチィィィンッ!!
弾けた火花。
ドガァァァァァンッ!!!!
「ぎゃあああぁぁぁぁっ!????」
刺客たちが私を捕獲するために張り巡らせていた「神経毒の鎖」と「凍結魔導陣」が、過剰再生血との触媒反応によって一気に高圧自爆を起こした。
爆縮波が峡谷の暗闇を激しく照らし出し、包囲していた刺客たちの身体を内側から吹き飛ばす。凍結陣の氷の破片が鋭利な散弾となって刺客たちの肉体を穿ち、神経毒の気化ガスが彼ら自身の気管へと逆流して、全身の細胞を猛烈なガン化と異常増殖によって破裂させていった。
「あ……が……あぁぁぁぁっ……!」
わずかコンマ三秒。
政治的思惑と捕獲の企みをもって群がってきた諸国の特級刺客八名が、自らが仕掛けた捕獲器具と毒をそのまま「ハメ殺しの自爆装置」へと反転させられ、泥と血の海の中に全滅してのたうち回った。
最後まで生き残っていた真鍮仮面の男が、下半身を失い、口から肉の泡を吹き出しながら、必死の思いで私を見上げた。
「ば……化物……! 貴様は……政治も……権力も……金も……何一つ通じぬというのか……!?」
「お前たちが持ち込んできた思惑など……物理法則の前にはただのゴミだ」
私は自らの左手首の治癒した皮膚をさすりながら、瀕死の仮面の男の頭元へと冷ややかに立ち寄った。
「私に群がる者が何者であろうと関係ない。帝国の刺客であろうと、他国の王族の手先であろうと……私というシステムの前では、すべて等しく『解剖し、自爆させるための検体』に過ぎん」
ドスッ……。
黒磁の短剣が、男の眉間を容赦なく穿った。
峡谷に、再び静寂が戻る。
「……見事な手際でした、レヴナント様」
影から姿を現したシルヴァが、刺客たちの残骸を見下ろし、深い溜息とともに短剣を納めた。
「帝国の破滅に乗じ、あなた様を自国の道具にしようと企む者たちは……これからも絶えることはないでしょう。諸国の王族も、裏のギルドも、あなた様という『絶対の暴力』を放っておきはしません」
「群がるなら群がればいい」
私は踏み砕かれた刺客の仮面を踏みにじり、峡谷の出口——帝国本国へと続く暗い平原を見据えた。
「検体の数が増えるだけだ。私の『ハメ殺しの方程式』において、敵の数が増えることは、それだけ爆縮の燃料が増えることに過ぎんのだから」
政治的思惑も、国家の陰謀も、すべてを自傷再生の血と物理法則の刃によって踏みにじりながら。
暗殺者レヴナントは、全滅の影をその背に引き連れ、帝国本国という巨大な解剖台へ向けて、静かに、そしてどこまでも冷酷に歩みを進めていくのだった。




