80 第17章:全世界への存在誇示
第17章 第1節
重厚な石造りの柱が幾重にも並び立つ、ガレス=アルド帝国中央省庁・特別軍事会議室。
幾重もの防音魔導結界と、厳重な警護兵によって遮断されたその密室には、普段の威厳と絶対的な支配の空気は一片として存在しなかった。室内に満ちていたのは、焦吐するような羊皮紙の匂いと、参謀や高級将校たちが発する刺すような冷汗の気配であった。
「……あり得ん。そのような失策、我が帝国の軍事史において断じてあってはならんのだ!」
円卓の最奥、帝国軍総司令部次長であるルードヴィヒ中将が、血管の浮き出た拳を重厚なオーク材の机へと激しく叩きつけた。
ドガァンッ!
「『第3師団が全滅』だと……!? 将軍ヴァルター閣下が戦死、ザハール魔導中佐も消息不明、さらには現地に配置されていた増援連隊一千二〇〇名、ならびに『完成型不死兵士』三〇〇体が全滅したという報告は真実なのか!?」
ルードヴィヒの叫びに、円卓を取り囲む高官たちの顔が青ざめた。
最前線である旧ヴァルハイト伯爵領——通称『白亜の要塞』。
そこは、帝国軍が5年の歳月と膨大な国家予算、そして莫大な生体資源を投じて築き上げた絶対の不落の陣地であった。モース硬度9に達する『金剛血統』の肉体を持ち、単体で一軍に匹敵すると謳われた将軍ヴァルター。そして皇導魔導院の至宝であり、生体魔導の第一人者であったザハール中佐。
その二人が直接指揮を執り、最新鋭の防衛設備と生体兵器を配置していた拠点が——たった一晩で、文字通り「完膚なきまでに消滅」したのだ。
「報告は……紛れもない事実でございます」
震える手で打電の羊皮紙を掲げたのは、情報参謀の若き将校であった。彼は額の汗を拭う暇もなく、顔面を蒼白にさせながら報告を続けた。
「現地からの偵察魔法映像の解析が完了いたしました。……白亜の要塞本館は、地下主冷却炉の誘爆および最上階の謎の大規模化学爆縮により、外郭ごと完全に崩壊。要塞内部に存在していたすべての駐屯兵力、ならびに通信施設は全滅……。生存者はゼロです」
「バカな……! 相手は他国の正規軍なのか!? サンクチュアリ王国の聖騎士団か、それとも北方同盟の魔導大隊が隠密裏に侵攻してきたとでもいうのか!?」
「いいえ……」
情報参謀はゴクリと唾を呑み込み、信じがたい事実を口にした。
「……要塞を崩壊させ、第3師団を全滅させた敵の規模は……たった、『一人』です」
「——な……何だと……!?」
会議室全体が、凍りついたような沈黙に包まれた。
一人。
一千を超える正規軍歩兵連隊、金剛の将軍、不死の生体兵器、そして堅固な要塞。それらをすべてたった一人の人間が、わずか一夜のうちに討ち果たし、全滅させたというのだ。
「ふざけるなッ! 一人の人間がどうやって要塞ごと一軍を消滅させるというのだ!? どのような広域破壊魔法を使おうと、そのような芸芸ができるはずが——」
「魔法ではありません」
参謀は震える手で、黒焦げになった要塞の現地写真を卓上へ滑らせた。
「現地に残された痕跡の解析結果……敵は外部からの攻撃ではなく、要塞内部の『給水管』、『魔導伝導ライン』、ならびに『薬品精製プラント』へと直接侵入し、内部の構造そのものを利用して要塞全体を『自爆用殺傷部屋』へと変貌させた模様です」
高官たちの目に、写真に写し出された惨状が飛び込んできた。
溶接された鋼鉄扉。内部から高圧で破裂した肉と鉄の残骸。筒状の昇降シャフトの中で、三千度の熱波によって骨ごと焼き尽くされた一千の歩兵たちの惨絶な死体の山。
「さらに……将軍ヴァルター閣下の死因は、外傷によるものではありませんでした」
「何……? ヴァルターが外傷以外で死んだだと……!?」
「はい。閣下の死体は、傷一つない金剛の表皮の内側で……ご自身の肉体と内臓が異常増殖を起こし、体内の過剰な生体圧力によって内側から内臓を押し潰されて死亡していました。……まるで、体内に直接『過剰な再生の毒』を流し込まれたかのように……」
「過剰な……再生の毒……!?」
ルードヴィヒ中将の顔から、一気に血の気が引いた。
過剰な再生。受容体の限界を超えた治癒魔力の注入による細胞の暴走と内部破壊。
その単語が意味するものを、この会議室にいる帝国高官たちで知らぬ者はいなかった。
5年前、帝国軍がその血を喉から手が出るほど欲しがり、夜襲によってその一族を惨殺し、その身体をすり潰して「不死兵士」の実験材料とした——あの呪われた血統。
「……ヴァルハイト……」
高官の一人が、かすれた悲鳴のような声を漏らした。
「ヴァルハイト伯爵家の……『再生』の生き残りか……!?」
「5年前、あの屋敷で殺し損ねた幼子……アレン・フォン・ヴァルハイト……!」
ルードヴィヒが両手を激しく震わせた。
彼らが「使い捨ての実験材料」として踏みにじり、命を奪い、故郷を奪ったはずの15歳の少年。その死に損ないの子供が、自らの血を猛毒に変え、物理と化学と解剖学の知見を駆使して、帝国が誇る最精鋭師団を内側からハメ殺して全滅させたのだ。
「化け物だ……」
高官たちの口から、漏れ出たのは恐怖の吐息であった。
単なる強い戦士ではない。単なる強力な魔法使いでもない。
自らの肉体を傷つけることを辞さず、敵の構造や生体システムを冷徹に分析し、最も残酷で最も効果的な方法で内側から崩壊させる、計算し尽くされた殺戮の精密機械。
「ルードヴィヒ中将! 占領部隊の生き残りからの通信によれば……その少年は要塞を全滅させた後、領民たちをも平然と見捨て……今、我が帝国の本国へ向けて北上を開始しているとのことです!」
「何だと……!? 本国へ向かってきているだと!?」
「奴は……奴は『害獣の駆除を完遂させる』と……帝国そのものを解剖すると言い残して……!」
ガタガタガタッ!
会議室の何人もの高官が、あまりの恐怖に立ち上がれず、椅子ごと床へ転げ落ちた。
5年前、自らが種を撒いた惨劇の報いが、いまや「再生」という解剖学的な猛毒の刃となって、帝国本国へと向かって一歩一歩迫ってきている。
「全軍に……全軍に緊急警戒事態を発令しろ!!」
ルードヴィヒ中将が、狂乱したように怒号を上げた。
「北方国境の全関門を封鎖! 第1、第2師団を即座に動員せよ! 皇導魔導院の全防術士を集め、首都への進入路を完璧に遮断しろ! 奴を……アレン・フォン・ヴァルハイトを本国へ足踏みさせるな! 何が何でも……あの動く死体を殺せぇぇぇっ!!」
旧領地部隊の全滅という衝撃のニュースは、ガレス=アルド帝国の心臓部を、底知れぬ恐怖と戦慄の渦へと叩き落とした。
かつて虐げ、すり潰したはずの死に損ないの少年が、いまや帝国という巨大な肉の塊を解剖するために、暗黒の地平の先から刻一刻と近づきつつあったのだった。




