79 第16章:復讐の終焉と空虚
第16章 第5節
静寂が支配する街道の闇の中、私の足音だけが、硬い石畳を淡々と叩いていた。
かつての領地を覆っていた爆炎の余韻も、仇敵たちの断末魔の叫びも、すべては夜風の彼方へと散り失せ、あとに残されたのはどこまでも深く、冷え切った暗黒だけであった。
私の数歩後ろを追うシルヴァの足取りは、重く、迷いに満ちていた。
彼女は、要塞の全滅という途方もない惨劇を一人で完遂し、かつての領民たちを躊躇なく見捨て、さらには「復讐を果たしても何一つ戻らない」というあまりにも冷烈な真実をそのまま受け入れた私の背中を、悲愴な眼差しで見つめ続けていた。
「……レヴナント様」
耐えかねたように、シルヴァが足を止めた。
彼女の銀灰色の瞳には、私という存在の狂気に対する底知れぬ戦慄と、あまりにも過酷な運命の中に身を置き続ける十五歳の少年に対する、消し去ることのできない困惑が歪んでいた。
「あなた様は……これから先、どこへ向かわれるのですか? 仇敵ヴァルターも、ザハールも倒し、故郷を占領していた軍勢も全滅させました。ご両親の直接の怨恨は、すでに果たされたはずです……」
彼女の声が、震えを帯びて街道に木霊する。
「ですが、あなた様の肉体は……いまも自らの手足を切り刻み、骨を叩き折り、血を流し続けておられる。激痛を電気信号と割り切り、感情を殺し、人間としてのすべてを削ぎ落として……。あなた様は、一体何のために生きようとしておられるのですか!?」
シルヴァの問いは、人間としての情緒と「生の価値」を信じる者として、至極当然の疑念であった。
目的であった復讐は完遂された。
故郷は滅び、両親は戻らず、領民すらも捨て去った。
ならば、これ以上自らの肉体を傷つけ、過剰再生の激痛を耐え忍びながら戦い続ける理由など、どこにも存在しないはずだ。人間であれば、ここですべてを投げ出し、刃を置き、安らぎを求めるか、あるいは自らの命を絶つはずだった。
しかし——。
立ち止まった私は、ゆっくりと振り返り、冷たい月光の下で自らの右手を眼前に掲げた。
黒磁の短剣を握りしめる、私の右腕。
そこには、先ほどの爆縮劇で三千度の熱波によって骨ごと気化され、過剰再生の魔力によってコンマ数秒で強引に再構成(治癒)されたばかりの、透き通るように白い皮膚が横たわっていた。
だが、その皮膚の裏側を流れる血液は、生きている人間のそれではない。細胞を異常増殖させ、内臓を破裂させ、敵をハメ殺すための「過剰な生体毒」そのものであった。
「生きる?」
私は感情の起伏を完全に失った、高低差のない声で静かに呟いた。
「シルヴァ、お前は根本的な前提を間違えている」
「……え……?」
「私は『生きて』などいない」
私の「死んだ目」が、月光を反射して不気味に光る黒磁の短剣の刃と、自らの再生した肉体を冷ややかに射抜いた。
「アレン・フォン・ヴァルハイトという生きている人間は……五年前のあの夜、白亜の城が火の海に包まれ、父の首が落ち、母の肉体が陸竜の自重でペチャンコに押し潰された、まさにあの瞬間に完全に死んだ」
私の脳内で機能していたのは、前世の生物学、解剖学、ならびに存在論における冷酷な計算式だけであった。
医学的・存在論的定義。
人間が「生きている」と言えるための条件とは何か。それは単に心臓が鼓動し、肺が酸素を循環させていることではない。
未来への希望を抱き、過去の思い出に胸を痛め、他者の温もりに共感し、喜怒哀楽という脳内ホルモンの代謝によって自己の存在を認識すること——それこそが「人間としての生存」の定義だ。
しかし、私の胸の中に存在する心臓は、単に「過剰再生の毒血を全身へ送り出すための生体ポンプ」に過ぎない。
私の脳内に存在する神経回路は、過去の思い出を「ハメ殺しの方程式を狂わせるノイズ」として物理的に切断している。
私の肉体は、敵を殺し、自らを爆砕し、コンマ数秒で骨格から再構成するための「使い捨ての戦闘用弾薬」に過ぎないのだ。
「今の私にあるのは……一度死んだ肉体が、自傷再生という物理的異能によって、滑稽にも動かされ続けているという『遅延された運動現象』だけだ」
私は黒磁の短剣の刃を、あらかじめ切り裂いていた自らの左手首の傷口へと滑らせた。
ジュッ……。
流れ出る赤紫色の過剰再生血。
痛みの電気信号が脳幹を駆け抜けるが、私の心拍数は一分間に六十回。完璧な一定のリズムを刻み続け、眉ひとつ動かすことはなかった。
「激痛を耐えているのではない。死体に痛覚の苦悶など存在しない」
「未来を求めているのではない。死人に望むべき明日など存在しない」
私は左手首から流れる血液を、無造作に足元の黒ずんだ石畳へと垂らした。
「俺は……ただの動く死体だ」
揺るぎない、絶対的な自己定義。
仇を殺したからといって、生き返るわけではない。
世界を救うために戦うわけでもない。
亡き父母の遺志を継ぐ正義の騎士でもなければ、哀れな領民を救う慈悲深き領主でもない。
五年前の惨劇の中で死に損ない、感情と人間性を完璧に失ったまま、ただ自らの肉体を刃として敵を解剖し尽くすためだけに動き続ける、歩く棺桶。それこそが、私というシステムの唯一にして絶対の存在理由であった。
「……動く……死体……」
シルヴァの口から、絶望と戦慄の混ざり合った細い息が漏れた。
彼女はついに理解したのだ。
目の前に立つ少年を、どんな言葉で説得することも、どんな感情で動かすことも、どんな過去の思い出で引き戻すことも絶対に不可能なのだということを。
彼は絶望に打ちひしがれて狂っているのではない。自らが「すでに死んでいる」という冷酷な物理的事実を完璧に受け入れ、冷血と無感動の防壁の中で、ただ淡々とハメ殺しの方程式を実行し続ける「完璧な自爆機械」なのだということを。
「ヴァルターやザハールを殺したくらいで、この動く死体の運動が止まるわけがない」
私は黒磁の短剣の血を滑らかに拭い取り、鞘へと収めた。
「我が一族の血をすり潰し、この狂った生体実験のシステムを作り上げ、世界に理不尽な暴力を撒き散らす『帝国という巨大な病巣』……そのすべてを解剖し、分子レベルで破砕し尽くすまで、この動く死体の足が止まることはない」
暗闇の街道の先。
月光の届かぬ北の地平線には、仇敵たちの本国であり、この惨劇のすべての元凶である「帝国」の巨大な影が聳え立っていた。
そこには、さらに強大な軍勢が待ち構え、さらに陰惨な生体実験が繰り広げられ、さらに苛烈な死の罠が巡らされているだろう。
だが、私にとってそれらは恐怖の対象などではない。
自らの肉体を切り刻み、骨を刺し込み、前世の物理・化学の法則に従って一つずつ解剖し、内側から自爆させて全滅させるための「新たな実験用検体」に過ぎないのだ。
「行くぞ、シルヴァ」
私は一度も振り返ることなく、暗黒の街道へと一歩を踏み出した。
「動く死体には、休むための夜も、立ち止まるための墓標も必要ない。……ただ敵を解剖し、ハメ殺し、完璧な全滅を完遂させるだけだ」
過去の温もりを捨て、人間性を殺し、徹底的な無感動という最強の防壁を身に纏った暗殺者レヴナント。
自らを「ただの動く死体」と完璧に定義した少年は、自傷血塗られた刃を手に、帝国という巨大な肉の塊を解剖するための新たな惨劇の舞台へと、静かに、そしてどこまでも冷酷に姿を消していくのだった。




