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75 第16章:復讐の終焉と空虚

第15章 第1節


本館最上階の化学爆縮、そして地下主冷却炉の熱暴走による連鎖誘爆から数時間が経過していた。


かつて「白亜の城」と称えられ、この五年間にわたっては帝国軍第3師団の絶対的な威光を示す殺傷要塞へと改築されていたヴァルハイト伯爵邸。その中心構造物は落城し、天を衝くほどの漆黒の煙と、焼き尽くされた生体薬品の異臭が、寒烈な夜風に乗って領地全域へと棚引いていた。


だが、ハメ殺しの方程式は本館の崩壊だけで完結したわけではない。


「……第3遊撃隊、左翼の警戒陣地を放棄して撤退を開始!」「落ち着け! 将軍閣下と連絡を取れ! 主指令部はどうなっているんだ!?」


要塞の外郭、そして旧ヴァルハイト領の城下町や集落を分断・占領していた帝国軍の残存占領部隊——約五百の兵装歩兵ならびに監理兵たちは、極限の混乱状態に陥っていた。


本館の煙を見上げ、通信魔導具から聞こえるのは途絶えた絶叫とノイズのみ。将軍ヴァルターも、ザハール中佐も、そして暗殺ギルドの精鋭たちも、誰一人として司令部から命令を発する者はいない。指揮系統は完全に麻痺し、彼らはただ暗闇の中で互いに背中を寄せ合い、見えざる死の影に怯える野犬の群れと化していた。


「指揮系統の消滅を確認。……敵占領部隊の心理的崩壊率、九〇パーセント」


崩壊した本館の瓦礫を背にし、夜陰に紛れて城下町の外郭陣地を見下ろす高台に、私は佇んでいた。


私の隣には、過剰再生血の防波堤によって命を拾い、全快した肉体で短剣を低く構えるシルヴァが控えている。


「レヴナント様……本館の主力を全滅させたとはいえ、領地内に散らばる敵の占領部隊は依然として五百を超えています。彼らが開き直って領民たちを人質に取り、街に籠城すれば、排除には時間がかかります」


「彼らが『人質を取る』という集団的判断を下すためには、それを指示する明確な指揮官と、統制された情報伝達が必要だ」


私は黒磁の短剣の刃先で、暗闇の中にぼんやりと浮かび上がる三個の敵野戦陣地を指し示した。


「ザハールとヴァルターを失った今の彼らは、司令部という脳を失った多頭の蛇だ。そして、私はすでに彼らが街や外郭に敷設していた『防衛連絡網(通信パイプライン)』のすべてに、私自身の高濃度過剰再生血を巡らせておいた」


軍事心理学、ならびに感染症疫学における集団パニックの伝播理論。


本館を陥落させる直前、私は要塞から領地全域へ伸びる魔導通信線と給水ライン、そして伝令兵の巡回ルートの要所に、自らの血液を混入させた遅効性の「生体音響・精神攪乱試薬」を配置していた。


敵の兵士たちが不安に駆られて通信魔導具に触れ、あるいは給水管の水を口にした瞬間、彼らの脳神経には過剰再生魔力の微弱なスパークが走り、「幻覚」と「過剰な生存本能の暴走」が同時に叩き込まれる仕組みとなっていたのだ。


「第三段階の最終処理を開始する」


私は左手首の傷口を軽く開き、暗く冷たい夜気の中へ、自らの血液が持つ励起波長を微弱な音波として放った。


バチッ……。


その瞬間、城下町の各陣地に潜んでいた帝国兵たちの間で、恐ろしいパニックが爆発した。


「う……うあぁぁぁぁっ!? 影だ! 影の中に何かがいる!」「逃げろ! ヴァルハイトの亡霊が……死に損ないの化け物が追ってくるぞ!」「退却だ! 全員、後方の関門へ逃げろ!!」


幻覚と恐怖に支配された帝国兵たちは、陣形の維持どころか、自分たちの武器すら投げ打って一斉に逃走を開始した。


しかし、彼らが逃げ込もうとした外郭の唯一の脱出ルート——「東の黒鉄関門」は、すでに私が計算し尽くした『第二の殺傷密室』へと変貌していた。


「行け、シルヴァ。パニックを起こして関門の隘路(あいろ)へ押し寄せる敵の脚を、左右から削ぎ落とせ」


「……御意!」


シルヴァの身体が、黒い影となって跳躍した。


脱出を焦る数百の帝国兵が、狭い黒鉄関門の前にすし詰め状態となって押し寄せ、お互いを踏みつけ合い、押し合いながら悲鳴を上げる。


「開けろ! 関門を開けろ!」「後ろから来ている! ヴァルハイトの死神が来ているんだぁぁぁっ!」


彼らが必死の思いで押し開けようとした関門の巨大な鉄扉。


だが、その扉の固定軸には、すでに私の過剰再生血によって高圧化された「防衛用魔導バリスタ」の給薬管が直結されていた。


ギギギギギ……ガコンッ!!


パニックに陥った兵士が強引にレバーを引いたその瞬間。


敵自身が城下町の防衛用に設置していた十二基の連装魔導バリスタが、過剰な生体圧力の逆流によって自動照準装置を狂わせ、関門の前に押し寄せていた自軍の歩兵集団へ向けて、無差別かつ狂乱的な斉射を開始した。


ドバババババババババッ!!!!


「ギャァァァァァっ!??」「味方だ! 射撃を止め——ぐぁぁぁっ!?」


太い鋼鉄の矢が、狭い隘路に密集していた帝国兵たちの胸郭を、頭蓋を、腹部を容赦なく穿ち、串刺しにしていく。


逃げ場のない狭い関門。自らが設置した防衛兵器によって自軍の兵士が挽き肉のように押し潰され、流れた血が石畳を滑らせてさらにパニックを加速させる。


そこへ、暗闇から影のように現れたシルヴァの短剣が舞った。


サクッ、サクッ、サクッ!


彼女の刃は、パニックの先頭に立つ小隊長や中隊長たちの喉元だけを的確に、そして静かに切り裂いていく。指揮を執ろうとする者が一瞬で物言わぬ死体と化し、残された兵士たちは狂乱状態となって、互いの剣で刺し刺されながら自滅していった。


銃撃も、大規模な魔法も必要ない。


敵の通信網を奪い、パニックを演出し、脱出路という隘路へ兵力を誘導して自国の防衛兵器で圧殺する。


これが、領地を占領していた五百の敵残存部隊を、たった一時間で完全鎮圧するための、私の「解剖学的・集団力学の方程式」であった。


◇


東の黒鉄関門の周囲に、死の静寂が戻っていた。


転がるのは、パニックの果てに自滅し、バリスタの矢によって関門の壁に張り付けにされた帝国兵たちの凄惨な死体の山。


五年間にわたってヴァルハイト伯爵領を占領し、領民たちを虐げ、故郷の空気を汚し続けていた敵国「漆黒の処刑手」の部隊は、この一撃をもって完全に、そして徹底的にこの地から駆逐された。


「……領地内の敵残存部隊、完全鎮圧完了」


血塗れの短剣の血を滑らかに拭いながら、シルヴァが報告する。その声には、五百の敵軍が一瞬で自滅していく様を目前で目撃した、底知れぬ戦慄が混ざり合っていた。


「要塞の主力だけでなく……領地を占領していた軍勢まで、ただの一人も外へ逃すことなく……完封なきまでに処理されました……」


「ただの清掃作業だ」


私は踏み砕かれた敵の軍旗を踏みつけ、煙の立ちのぼるかつての城下町を見下ろした。


街のあちこちから、物陰に隠れていた領民たちが、恐る恐る顔を覗かせ始めていた。

彼らの目には、五年間の奴隷生活からの解放への困惑と、そして要塞を一晩で一人で解剖し尽くした私という「死に損ないの怪物」に対する、絶対的な恐怖が浮かんでいた。


だが、私にとって彼らの感謝も、恐怖も、何の意味も持たない。


「行くぞ、シルヴァ」


「……レヴナント様、次は……どこへ?」


私は黒磁の短剣を鞘へと納め、月光が照らし出す北の遠い空——帝国本国へと続く暗黒の地平線を見つめた。


「本校の毒を絶っただけでは、害獣の根絶とは言えん。……この戦争を仕掛け、我が一族をすり潰そうとした帝国の『深部』へ向かう」


徹底的な無感動と、完璧に計算された自傷再生の方程式を携え、暗殺者レヴナントの歩む破滅の解剖劇は、次なる惨劇の舞台へと静かに動き出していくのだった。


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