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63 第13章:旧領地の地獄絵図

第13章 第4節


過去の思い出を宿した木彫りの人形を踏みにじり、感傷という名のノイズを完璧に遮断した私は、第1生体実験中枢の外郭を囲む重厚な二重防衛障壁の直下へと到達していた。


「白亜の記憶」と呼ばれた回廊の終点。そこはかつて、ヴァルハイト伯爵家が客人を出迎えるための美しい応接間や執務室が存在していた区画であった。しかし今や、その上広な空間は数メートルの厚みを誇る魔導コンクリートと、高圧の雷撃結界を付与された特殊鋳鉄板によって完全に密閉されていた。


「……レヴナント様、前方の結界密度が跳ね上がっています」


追従するシルヴァが、暗視魔導鏡の焦点を合わせながら低い声で報告する。


「第1実験中枢の防衛陣地……全方向に自動追尾型の『多重魔導砲座』が16基。さらに床面と壁面には、生体反応を感知してコンマ0.1秒で即死級の熱線を放つ『感知式陣地防衛術式』が隙間なく敷き詰められています。……正面からの突破は物理的に不可能です」


「正面からの突破など、最初から計算に入れていない」


私は壁面の陰に潜みながら、黒磁の短剣の先で、魔導コンクリートの目地に刻まれたかすかな「継ぎ目」を指し示した。


「敵の技師長——ザハール魔導中佐は、この要塞の防衛陣地を構築するにあたって、極めて理詰めで合理的な『軍事ロジック』を採用している。生体反応を感知して熱線を照射し、侵入者の質量と魔力を検知して自動で砲撃を加える。一見すれば隙のない完璧な絶対防衛システムだ」


私は自らの左手の平を黒磁の短剣で静かに、そして躊躇なく切り裂いた。


ジュッ……。


切開された肉から溢れ出る、高濃度の過剰再生血。私はその血液を指先ですくい取ると、防衛陣地の感知エリアの限界線の手前——石畳の亀裂へ向けて一滴だけ垂らした。


ポタリ。


その瞬間、防衛陣地の魔導回路が微かに明滅し、壁面の16基の砲座が一斉にわずかな角度調整の機械音を立てた。


「……ほう」


私の口元に、冷ややかな確信の笑みが浮かんだ。


「予想通りだ。ザハールの構築した防衛ロジックの根底にあるのは『過剰なまでの効率主義と排他性』……つまり、あらかじめ登録された帝国軍の魔導ID、ならびに試作型不死兵士の生体波長以外の『全ての動的・魔導的変化』を、即座に排除対象として自動攻撃するアルゴリズムだ」


「それが……何か問題なのですか?」

シルヴァが問う。

「あらゆる異物を自動で排除するのであれば、侵入者である私たちにとって最も脅威的な防衛網だと思うのですが……」


「システム工学、ならびに自動兵器の制御論における根本的真理を教えてやろう」


私は切り開いた左手から流れる血液を、懐から取り出した金属製の噴霧容器へと移しながら語り続けた。


「『あらゆる変化に無条件で反応する自動システム』ほど、外部からの偽装入力と共鳴攻撃(オーバーロード)に対して脆いものはない」


敵の防衛陣地は、あまりにも精密すぎた。

侵入者の生体魔力や体温、空気のわずかな振動を即座に感知して攻撃を加えるよう設定されている。しかし、それは裏を返せば「生体魔力や熱源のノイズを大量に叩き込まれた場合、システムの演算処理が追いつかなくなり、誤作動を起こす」という決定的な構造的弱点を抱えていることを意味していた。


そして、私が保持しているのは単なる生体魔力ではない。コンマ数秒で細胞を異常増殖させ、爆発的な生体エネルギーを撒き散らす「再生の過剰血」なのだ。


(潜入工作の第一工程……防衛陣地のセンシング回路に対する『過剰生体情報の飽和攻撃』)


私は過剰再生血を満たした金属容器に、高濃度の遅延発泡薬品を混ぜ合わせた。前世の化学知識に基づく、自作の「高密度生体エアロゾル(血液霧)」の完成である。


「シルヴァ、通気口の吸気ファンへ向かって、この小瓶を三つ投擲しろ」


「……これを、吸気口へ……?」


「この要塞の防衛陣地は、内部の機密性を保つために各エリアの空気を強制循環させている。吸気ファンへこの生体毒の霧を送り込めば、循環配管を通って防衛陣地の全センサーへ一瞬で過剰な生体波長が拡散する」


「御意……!」


シルヴァは影となって壁面を駆け上がり、天井付近に設置された巨大な換気ファンの隙間へ、寸分の狂いもなく三つの試薬品を放り込んだ。


パリン! パリン! パリン!


割れるガラスの音。コンマ数秒後、遅延発泡薬品によって極限まで気化・霧化された私の過剰再生血が、強力な吸引気流に乗って要塞の防衛回路全域へと吸い込まれていった。


次の瞬間——。


バチバチバチバチバチッ!!!!


「警告! 未知の生体反応を多数検知!」「第1〜第16砲座、ターゲットロック不能!」「術式回路に過大負荷(オーバーロード)発生!」


防衛陣地全体を包み込んでいた静寂が一瞬で崩壊した。


換気管を通じて散布された私の血液の粒子が、壁面や床面の全センサーに付着した瞬間、防衛システムは「要塞の空気全体が、膨大な質量の怪物に埋め尽くされた」と誤認したのだ。


ズドドドドドドドッ!! カコン! カコン!


16基の多重魔導砲座が、誰も存在しない空間へ向けて狂ったように無差別砲撃を開始した。床面からの熱線照射術式が誰もいない空気を灼き焦がし、回路の処理能力を超えた過熱によって、壁面の制御盤からバチバチと黒煙が吹き上がり始める。


「な……何ごとだ!? 侵入者か!? どこにいる!?」

警報を聞きつけた帝国軍の重装防衛部隊が、慌てふためいて防衛陣地へと雪崩れ込んできた。


だが、彼らが飛び込んだ瞬間、誤作動を起こした自国の自動砲座が、味方であるはずの重装歩兵たちへ向けて全力の熱線と魔導弾を叩き込んだ。


「ギャァァァァァっ!?」

「やめろ! 味方だ! 砲撃を止め——」


ドガァァァン! ドォン!


自らが誇った最高峰の防衛ロジックが、たった一滴の血液の気化によって無差別殺戮マシンへと化し、自軍の兵士たちを肉片へと変えていく惨劇。


「完璧なシステムほど、前提条件を狂わせた瞬間の自滅が速い」


狂乱と爆炎が渦巻く防衛陣地を、私は冷ややかに見下ろした。


弾薬を撃ち尽くし、制御盤が焼き切れて沈黙していく16基の砲座。床に転がるのは、敵自らの防衛兵器によって肉を削ぎ落とされた帝国兵たちの死体の山だった。


銃撃も、剣技も、命がけの突入すら必要ない。

敵の構築したシステムの計算式(ロジック)を解読し、その前提条件を化学と物理の法則で狂わせ、自爆させる。


これが、暗殺者レヴナントの行う「潜入工作」の神髄であった。


「……恐ろしいお方です」


煙の収まった防衛陣地を見下ろし、シルヴァが心底からの戦慄を込めて呟いた。


「敵が苦心して作り上げた絶対の陣地が……指一本触れることなく、ただの味方の屠殺場へ変貌いたしました……」


「工作はまだ終わっていない」


私は静かに歩み出し、焼き切れた防衛扉の残骸を踏み越えた。


「システムが自爆し、混乱が要塞全体へ広がった今この瞬間こそが、仇敵ザハールとヴァルターの喉元へ『本物の自傷再生のハメ』を叩き込む、最大の物理的アプローチの瞬間だ」


防衛陣地の崩壊を確認した私は、黒磁の短剣を低く構え直し、無防備となった第1生体実験中枢の扉へ向けて、静かに足を進めていくのだった。

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