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60 第13章:旧領地の地獄絵図

【第3巻】領土潰滅


第13章 第1節


地下水脈からの潜入経路を確保し、冷却回路への過剰再生血の流し込みを終えた私は、要塞の通気坑の暗がりから、かつての城下町——現在は帝国軍第3師団前線要塞の「第三居住区兼第一生体素材収容区」となっているエリアへと、音もなく降り立った。


夜霧と魔導薬品の排気が混ざり合い、視界を不気味な白濁色に染め上げている。


かつてこの場所には、朝になれば焼きたてのパンの匂いが漂い、昼には商人たちの活気ある声が響き渡り、夕暮れには領民たちが穏やかな笑顔で家路につく、美しい石畳の広場が存在していた。


私が十五年の人生の最初の十年を過ごし、父の優しさと母の暖かな眼差しに包まれていた、かけがえのない故郷。


だが、私の「死んだ目」が捉えたのは、かつての面影など微塵も残されていない、凄惨極まる「人間の解剖学的屠殺場」の光景であった。


「……ひどい……これは、あまりにも……」


背後に降り立ったシルヴァが、影の中で息を呑み、絶句していた。


かつての石畳の広場は打ち壊され、地面はぬかるんだ黒土と、無数の血痕によって泥状に変貌していた。広場の中央には、かつて領民たちの憩いの場であった大噴水の代わりに、高圧の電気刺が張り巡らされた巨大な鉄籠(生体素材収容檻)が何十とも並べられていた。


その檻の中に押し込められていたのは、ボロ布のような衣類を身に纏い、骨と皮ばかりに痩せ細った無数の領民たちだった。


かつて私の父に笑顔で挨拶をしてくれた老商人。

私に野摘みの花を届けてくれた近所の少女。

領地の畑を黙々と耕していたたくましい農夫たち。


彼らの身体には、生体実験用の太い吸血魔導管や、肉体を強制的に麻痺させる金属製の抑制具が直接打ち込まれており、そこから滲み出た体液と血が泥土へと滴り落ちていた。


「おい、死体(素材)が出たぞ! 担ぎ出せ!」


高圧鞭を持った帝国軍の重装歩兵が、乱暴に鉄籠の扉を蹴り開けた。


籠の隅で動かなくなった老人の遺体が、まるでゴミ袋のように引きずり出され、広場の脇に積み上げられた「廃棄肉の山」へと無造作に投げ捨てられた。その肉の山からは、腐敗臭と高濃度の防腐魔導薬品の匂いが混ざり合った、吐き気を催す悪臭が立ち上っている。


「適合率ゼロの廃棄検体だ。肉砕機(ミートグラインダー)へ放り込んで、陸竜の餌か不死兵の培養液の培地にしろ」


「へっ、ヴァルハイトの泥鼠どもめ。いくら血を絞り取っても、ロクな不死因子が抽出できん。使えない雑魚どもだ」


帝国兵たちが下劣な笑い声を上げながら、老人の遺体を蹴り飛ばす。


さらにその奥、かつて領民たちが祈りを捧げていた大聖堂の跡地には、ガラス張りの巨大な「生体精錬プラント」が建ちそびれていた。


精錬プラントの内部では、まだ生きている領民たちが全裸で台座の上に固定され、無慈悲な自動魔導針によって全身から血液と体液を搾り取られていた。苦痛に歪む彼らの悲鳴は、防音魔導結界によって遮断され、ただ虚しくガラスの内側で口をパクパクと開かせるだけの「無音の地獄絵図」として処理されていた。


搾り取られた血液は、パイプラインを通って地下の「不死兵士」の培養槽へ、そして要塞の高級仕官たちの若返り用魔薬として精製されていく。


奪われたのは命だけではない。

人としての尊厳、名前、人生、そして肉体の細胞の一つに至るまで、帝国という巨大な侵略国家の「軍事資源」として、生きたまま解剖され、すり潰され、使い尽くされていたのだ。


「……レヴナント様……」


シルヴァの声が、激しい憤りと悲哀で震えていた。


「彼らは……あなたの父君を慕い、ヴァルハイトの家名を誇りに思っていた領民たちです。それが……敵国の手によって、肉の材料として買い叩かれ、使い捨ての家畜のように処理されている……っ!」


普通の人間であれば、この光景を目にした瞬間、正気を失うほどの激怒に身を焦がすだろう。

「おのれ帝国兵ども、許さん!」と叫び、武器を手に取って監視兵たちへ突撃し、領民たちを助け出そうとするはずだ。かつての故郷を破滅させられた少年の復讐劇として、怒りの涙を流しながら刃を振るうだろう。


しかし——。


生体精錬プラントの影からその凄惨な惨状を見下ろす私の「死んだ目」には、涙の一滴も、激怒の熱量すらも浮かんでいなかった。


私の脳内で急速に回転していたのは、感傷的な憤怒などではなく、冷酷なまでに研ぎ澄まされた「敵前線基地の生体循環システムと、その解剖学的崩壊プロセスの計算」だけであった。


(領民たちの生体体液の抽出ライン……毎分二〇〇リットル。精錬プラントから中央要塞への循環経路……)


前世の生化学、生理学、そして病理学の膨大な知見。


帝国軍のザハール魔導中佐、そしてヴァルター大佐は、かつての私の故郷をただの「生体資源の採掘場」と見なし、効率よく肉と血を搾り取るためのシステムを組み上げた。


しかし、そのシステムが完璧であればあるほど——そして、彼らが領民たちから搾り取った血液を要塞全体へ無駄なく循環させていればいるほど、私の仕掛けた「過剰再生血のハメ殺し毒」は、一瞬で要塞の全域へと行き渡るのだ。


「……レヴナント様? 涙すら……お流しにならないのですか?」


シルヴァが、あまりにも静かな私の横顔を仰ぎ見た。


「彼らは……あなたの生まれ故郷の住人たちです。あなたが愛していたはずの景色と人々です……」


「愛していた景色?」


私は冷ややかに首を振った。


「そんな不確かな記憶(データ)は、五年前の夜に母の肉体が陸竜の足の下でペチャンコに潰された瞬間、私の脳内から完全に焼失した」


私は黒磁の短剣の柄に静かに指をかけた。


「私にとって、この目の前の光景は『故郷の悲劇』などではない。敵が勝手に組み上げた、欠陥だらけの巨大な生体爆薬(要塞)の構造図に過ぎん」


「……欠陥、ですか……?」


「そうだ」


私は死んだ目を冷たく光らせ、精錬プラントから中央要塞へと伸びる太い吸血パイプラインを指し示した。


「奴らは領民たちから絞り取った血と、我が一族の再生因子を『至高の良薬』だと信じ込み、要塞の全兵士、全生体兵器の循環系の中に組み込んだ。……だが、彼らが循環させているその血の中に、私が地下水脈から注ぎ込んだ『本物の過剰再生毒』が混ざり合った時、何が起きると思う?」


シルヴァが息を呑んだ。


そう。帝国兵たちが領民たちを痛めつけ、その血を搾り取り、要塞の動力や自分たちの肉体へ補給すればするほど——彼らは自分たちの手で、自分たちの体内に「自爆用の毒」を注ぎ込み続けていることになるのだ。


領民たちを家畜として扱う傲慢。

人間を肉と臓物の袋としてしか見ない侵略者の冷酷さ。


それらすべてが、物理化学の法則によって完璧に逆転し、彼ら自身を地獄の苦悶へと叩き落とす最悪の罠(ハメ)として完結する。


「領民たちを救出するつもりはありませんか?」


シルヴァが静かに尋ねた。


「救出はしない」


私は断言した。


「衰弱し、生体管を打ち込まれた彼らを安全に外へ連れ出すなど、兵術的に不可能な選択肢だ。生ぬるい救出劇を試みれば、敵の魔導砲の餌食となって全員が灰になるだけだ」


「では……」


「だが……彼らを『この地獄から解放』することはできる」


私は切り開いた己の掌から、一滴の濃縮された過剰再生血を、足元の泥土——精錬プラントの吸血パイプラインの基部へと静かに垂らした。


ジュッ……!


私の過剰再生血がパイプラインのガラス面に触れた瞬間、内部を流れていた領民たちの血液が共鳴反応を起こし、不気味な赤紫色の発光を始めた。


「彼らの流した血、奪われた命、そしてこの故郷の破滅……その全てを、帝国軍二千四百人を一瞬でハメ殺すための『最悪の起爆剤』として使ってやる」


泣かない。怒らない。感傷に流されない。


ただ、敵が作り上げた惨状そのものを利用し、敵の傲慢さとシステムの欠陥を突いて、完璧な物理化学的計算によって全員を屠殺する。


それが、亡き両親の仇であり、故郷を屠殺場に変えた敵国に対する、暗殺者レヴナントの提示する唯一にして最高の回答であった。


「行こう、シルヴァ。要塞の心臓部……ヴァルターとザハールが待つ、最終的な解剖台の上へ」


かつての故郷の哀れな残骸を踏み越え、私は冷酷な殺意とともに、敵国前線基地の深部へと静かに侵入していくのだった。


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