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59 第12章:ギルド脱走と領地への進軍

第12章 第5節


旧ヴァルハイト領の深部、かつて城下町の地下を密かに貫いていた古の避難通路。


湿った暗闇と古びた石造りの地下回廊に、不気味な赤紫色の光が明滅していた。


私はその回廊の最深部、要塞の冷却水脈と地下水系が交差する巨大な水門機構の前に佇んでいた。左手首の肉に融合した「思考封殺結界」の魔導腕輪から不気味な生体電流が流れる。私の切り開いた掌から滴り落ちる過剰な再生血が、水門を流れる黒々と澄んだ水面へ向けて、一滴、また一滴と波紋を描いて広がり、水脈そのものを赤く不気味に染め上げていく。


「……循環の完了まで、あと二十分」


暗闇の中で、私の感情を削ぎ落とした低い声が響いた。


前世の生化学および流体力学に基づいた精密な計算。この地下水脈は、地上に君臨する帝国軍第3師団の前線要塞全体へ向けて、毎分数千リットルという圧巻の量で冷却水および生活用水を汲み上げている。


私が投入した「過剰な再生魔力を帯びた血液」は、水脈のなかで極限まで希釈されながらも、その凶悪な生体毒としての特性を一切失うことなく、要塞の隅々へと巡り渡っていくのだ。


基地内部の兵士たちが飲む喉の渇きを潤す水に。

「不死兵士」の試作型たちの肉体を安定させるための生体調整槽に。

そして、要塞の主砲である巨大魔導砲の冷却ジャケットの内部に。


敵が自分たちの「絶対の安全圏」だと信じて疑わない前線要塞。その血脈とも言える水循環システムそのものが、私という存在の手によって、すでに一網打尽の「ハメ殺し用の遅効性毒薬」へと完全に変貌を遂げていた。


「レヴナント様、基地上層の配置と敵の全動線の確認が完了しました」


影の中から、シルヴァが音もなく姿を現した。


彼女の手には、第4生体実験プラントと暗殺ギルドの最高統括者・ファーストの残骸から回収した、帝国軍の最高機密である「前線要塞立体構造図」と「全軍配置暗号表」が握られていた。


「上層には、ヴァルター大佐率いる重装歩兵大隊ならびに魔導砲兵部隊。地下の実験区画には、ザハール魔導中佐が指揮を執る『不死兵士』の第三次調整部隊、全数百体が待機しています」


シルヴァの言葉には、かつて暗殺ギルドに縛られていた頃の迷いや恐怖は微塵も存在しなかった。

彼女の瞳に宿っていたのは、私という「絶対の死神」の影として、世界そのものを破滅させるハメ殺しのシステムへ殉じるという、絶対的な狂信と服従の光であった。


「ヴァルターとザハールは……」


「はい。彼らはまだ、陸竜騎兵隊の全滅も、暗殺ギルドの崩壊も把握していません。プラントとの通信が途絶えたことを単なる『結界の障害』と誤認し、要塞の全魔導砲座を起動して、外郭の警戒を強めている段階です」


「そうか」


私は濡れた短剣の刃を鞘へと滑り込ませ、不気味な暗闇の中で「死んだ目」をゆっくりと開いた。


敵の行動原理は、完璧なまでに予測可能だった。


彼らは自分たちが「高貴な支配者」であり、「不死の軍勢」を手に入れつつある無敵の存在だと信じ込んでいる。だからこそ、外部からの敵襲に対しては最新鋭の魔導砲座と頑丈な壁で備えようとする。


しかし、彼らの足をすくう最大の脅威が、すでに自分たちの体内——飲む水、使う冷却水、そして自分たちが作り上げた「不死兵」の細胞の中に深々と侵入していることには、露ほども気づいていないのだ。


(敵の総兵力、二千四百。魔導砲座、三十二。不死兵士の試作型、三百)


私の脳内では、前世の軍事物理学と解剖学の知見が融合し、前線要塞を丸ごと解体・崩壊させるための「最終大攻勢の方程式」がカチリと噛み合っていた。


この大攻勢に、哀しい復讐の涙や、正義のための悲壮な叫びなどは一切存在しない。


かつて両親を殺し、母親の身体を陸竜の足の下でペチャンコに押し潰し、領民を生きたまますり潰して「不死の兵器」を作ろうとした仇敵たち。


彼らが誇る軍事力、生体技術、そして彼ら自身の「肉と臓物の袋」を、私が構築した完璧な環境・化学・自傷再生トラップの密室の中に一撃で閉じ込め、一人残さず泡を吹かせてハメ殺す。


ただの「害獣の一括全滅作業」が、これから始まるのだ。


「シルヴァ」


「はっ」


「要塞の中央冷却塔、ならびに地下生体調整槽の二箇所に、生体爆薬(私の過剰再生血の触媒小瓶)を設置しろ」


私は冷酷に命じた。


「水脈に行き渡った過剰再生血が、兵士たちの体内と魔導兵器の内部で極限の励起状態に達するコンマ数秒のタイミング……そこで二箇所の生体爆薬を同時に起爆させる」


「……っ!」


シルヴァの息が詰まった。


その作戦が意味する物理的惨状を一瞬で理解したからだ。


二箇所の生体爆薬が起爆した瞬間、要塞全体の冷却回路が一気に逆流し、高熱の魔導オイルと過剰再生血のエアロゾルが基地全域へ噴出する。


その空気を吸い込み、その水を飲んだ二千四百人の兵士たち、そして三百体の「不死兵」たちは、一斉に体内の細胞をガン化・異常増殖させ、己の肉体が膨れ上がって破裂する狂乱の自滅劇(パンデミック)を引き起こす。


逃げ場のない鉄条網と結界の中に閉じ込められた要塞全体が、自らの肉と血で埋め尽くされる「巨大な生体屠殺場」へと変貌するのだ。


「それが……あなたのお描きになった、最終大攻勢の全貌ですね」


「そうだ」


私はゆっくりと立ち上がり、かつて父の居城が存在していた直上の天井を見上げた。


「人間はただの肉と臓物の袋だ。ヴァルターも、ザハールも、そして不死を夢見た帝国軍の兵士どもも……皮を脱がせば、誰もが同じ臭いたつ血と内臓を詰め込んだ容器に過ぎん」


私は右手の黒磁の短剣を低く構え直した。


「奴らが誇ったすべての威光と技術を、奴ら自身の肉体の解剖学的弱点によって内側から破壊してやる」


暗殺ギルドを解体し、己の正体と血の呪縛すらもハメ殺しの武器へと昇華させた暗殺者レヴナント。


私を縛る組織も、私を管理する番号も、もうどこにも存在しない。

自由を得た死に損ないの棺は、ただ己の冷酷な計算と自傷再生の方程式だけを携えて、仇敵たちの待つ要塞の心臓部へと向けて、静かに爪を伸ばすのだった。


◇


「——各員、警戒を怠るな! 結界の出力、最大維持!」


要塞上層、巨大な魔導砲座が並ぶ司令デッキで、ヴァルター大佐の怒号が響き渡っていた。


「プラントとの通信途絶など、恐れるに足らん! 我らには絶対の防衛要塞と、ザハール中佐の作り上げた『不死の兵団』が存在するのだ! 伯爵家の死に損ないめ……来られるものなら来てみろ! この要塞の足元で、肉のペーストにしてくれるわぁぁっ!!」


ヴァルター大佐の叫びが、夜の要塞に虚しく木霊する。


彼には見えていなかった。


自分たちが立っているその足元の床から、自分たちが今まさに口にした水から、そして自分たちの背後に控える不死兵たちの土気色の肌から——すでに、殺意に満ちた赤紫色の過剰血が、静かに、そして絶対の精度で忍び寄っているという事実に。


パン……。


要塞の最深部で、小さなガラス瓶が割れる甲高い音が響いた。


物理と化学、そして解剖学の法則に基づいた「世界をハメ殺す最後の大攻勢」のカウントダウンが、いま、零に向かって静かに刻まれ始めたのだった。

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