55 第12章:ギルド脱走と領地への進軍
第12章 第1節
中央精製タンクの配管が不気味な赤紫色の光を放ち、高圧の生体魔導薬品が重い咆哮を上げ始める中、地下最深部の重厚な鋼鉄扉がけたたましい警報音とともに一斉に全閉した。
ガチャン! ガチャン! ガチャン!
「思考封殺結界、ならびに生体遮断術式……展開完了」
ギルドの最高統括者・一番が、白銀の魔導注射器を指先で滑らせながら、冷ややかに告げた。
「無駄だよ、アレン君。この部屋の壁面には、暗殺ギルドが誇る最高級の対術式鉱石が埋め込まれている。外部との魔導通信はもちろん、空間転移や組織の急速肥大による肉体膨張すらも、結界の物理圧によって抑え込まれる『完全密室の檻』だ」
結界が稼働した瞬間、室内に張り詰めた空気の圧力が跳ね上がった。
鼓膜を圧迫する不快な重圧。自傷再生の異能によって細胞を励起させようとしても、微小な魔導結界の干渉波が皮膚表面を駆け巡り、細胞分裂の運動エネルギーを削ぎ落とそうと干渉してくる。
そして、閉じられた鋼鉄扉の壁際、陰影の濃い影の隙間から、音もなく無数の人影が滑り出してきた。
「ファースト様のお言せの通りに……」
「三十の影……残存実行部隊、配置完了……」
現れたのは八人の暗殺者たち。
かつて王都の暗殺ギルド「三十の影」において、一桁から上位の番号を与えられていた最精鋭の刺客たち——「二番」「五番」「七番」をはじめとする、ギルドの頂点に位置する殺戮の専門家たちだった。
彼らはそれぞれ、対・再生用に特殊精製された黒色塗料の濡れた大型曲刀や、高濃度の神経麻痺毒を塗布した鋼糸、さらには肉体そのものを骨格ごと不可視化する光学迷彩衣を纏っていた。
「見事な育成結果だな、ファースト様」
二番と呼ばれる、両腕に異形の爪状の甲冑を装着した大柄の男が、歪んだ笑みを浮かべた。
「サーティの派閥を屠り、陸竜騎兵隊すら潰した『レヴナント』……だが、この密室結界の中で、我ら『上位の影』全員を相手にどれほど持つか。生け捕りにして肉を削ぎ落としてやる」
八人の精鋭暗殺者と、最高統括者のファースト。
そして、彼らが展開した「能力抑制の密室結界」。
普通の人間の暗殺者であれば、己の得意とする再生能力を封じ込められ、かつて自分を指導・選別した上位陣に囲まれたこの絶体絶命の状況下で、絶望に身を震わせ、戦意を喪失するだろう。
「……レヴナント様」
私の背後に構えるシルヴァの足元が、わずかに震えていた。
彼女もまた暗殺ギルドで育った暗殺者。ギルドの「上位(シングル数字)」たちが持つ圧倒的な殺傷技術と、密室結界の絶望的な物理圧力を、身体が恐怖として覚えていたからだ。
だが——。
結界の物理圧が皮膚を締め付け、八人の死神たちが間合いを詰めてくる中で、私の「死んだ目」には、一切の動揺も、焦りすらも存在しなかった。
私の頭脳の中で激しく回転していたのは、絶望ではなく、前世の物理・化学・運動力学に基づいた「密室空間における運動方程式の書き換え」であった。
(密室結界による外部魔導波の遮断……内部空気密度の十五パーセント上昇……敵の配置、間合い、ならびに各自の重心の位置)
私は右手に握った黒磁の短剣の刃を、あらかじめ切り裂いていた左手の傷口へと押し当て、自らの血液を結界の干渉波に触れさせた。
ジュッ……!
結界の干渉波が、私の過剰再生血に触れた瞬間、微小な熱エネルギーが発生して弾けた。
敵の魔導技師、そしてファーストは致命的な錯覚をしていた。
この密室結界は、外部からの魔導干渉を遮断し、肉体の巨大化や外部への魔力放出を抑え込むためのものだ。しかし、この結界は「内部に滞留する熱エネルギーと化学反応物質を外部へ逃がさない」という物理的特性を同時に持っていたのだ。
(密閉された空間で、逃げ場のない熱と高濃度の生体毒を循環させればどうなるか? ……答えは単純だ。この結界そのものが、私ではなく『敵全員を逃がさず煮殺す高圧鍋』へと変貌する)
「二番、五番。脚を潰せ。頭部と心臓は傷つけるな」
ファーストが冷酷に命じた。
「御意——!」
コンマ一秒の躊躇もなく、二番と五番が影を蹴った。
音のない突進。二番の異形の爪が私の右大腿部の動脈を狙い、五番の毒塗りの曲刀が私の左膝の皿を粉砕せんとしなる。
完璧な暗殺術。回避の隙間を与えず、こちらの動作の出鼻を挫く絶妙のタイミング。
しかし——私は逃げなかった。脚を引くことすらもしなかった。
ドスッ! ガチィィィンッ!
二番の爪が私の右大腿部を深々と貫き、五番の曲刀が私の左膝の骨に打撃を与えた。
「捕まえたぞ……! 再生する前に骨を破砕——」
二番が狂喜の声を上げたその瞬間。
私は右大腿部の筋肉と骨格を、あらかじめ溜め込んでいた自傷再生の魔力で「強制的に収縮・噛み戻し」させた。
バキバキッ……!!
「な……ッ!?」
二番の爪が、私の大腿骨と硬化した筋肉の噛み合わせに挟み込まれ、ガチリと噛み合って引き抜けなくなったのだ。
「馬鹿な……!? 結界の中で、なぜこれほどの筋組織の瞬時硬化が……!?」
二番の顔面が恐怖に引きつる。
彼らは結界によって私の再生能力が抑え込まれると信じ込んでいた。だが、私は「再生」によって身体を治そうとしたのではない。傷ついた肉体と筋肉を「物理的な万力(ロック機構)」として使い、相手の武器と腕を自分の肉体の中に固定したのだ。
自らを傷つけ、自らの骨で相手の刃を噛み合わせて殺す——自傷再生のハメ殺し理論。
「間合いの固定、完了だ」
私の感情の削ぎ落とされた声が、二番の耳元で響いた。
「な……っ! 離せ! 離せぇぇっ!!」
動揺した二番が左拳で私の顔面を殴りつけようとしたが、私はその攻撃を一切無視し、あらかじめ左手の掌から溢れさせていた「過剰な再生血」を、二番の眼球と鼻腔へ向けて至近距離から叩きつけた。
バチャァッ!
「あがぁぁぁぁぁぁっ!???」
二番の悲鳴が密室に響き渡った。
高濃度の過剰再生血が二番の粘膜から体内へと侵入した瞬間、結界の密閉空間内で熱エネルギーを帯びた血液が、二番の眼球と顔面の細胞を一瞬で異常増殖(ガン化)させたのだ。彼の目蓋から巨瘤のような肉の塊が弾け飛び、鼻腔が自らの増殖した肉によって塞がれ、呼吸困難に陥って狂乱した。
「二番!?」
五番が驚愕して曲刀を引き抜こうとしたが、私は二番の巨体を盾として強引に引っ張り寄せ、五番の突撃のライン上へと投げつけた。
ドカァァァンッ!
「グハッ……!?」
二一番の肉の塊と化した巨体と激突し、五番の姿勢が大きく崩れた。
そのコンマ秒の隙を、私は逃さなかった。
シュッ!
黒磁の短剣が一閃。五番の無防備になった頸動脈を、正確に、そして深く切り裂いた。
ド黒い血液が吹き出し、結界の壁面に衝突して激しい音を立てた。
わずか数秒。
ギルドが誇る「上位の影」である二番と五番が、私の自傷再生による拘束と過剰再生血の生体毒によって、一瞬で戦闘不能および死体へと変えられたのだ。
「二番と五番が一瞬で……!?」
「バカな……結界の中で再生能力が落ちていないだと!?」
残された六人の暗殺者たちに、劇的な動揺が走った。
彼らは自分たちの「優位性」を信じていた。密室結界という檻の中で、自分たちが獲物を追い詰める捕食者であると信疑っていなかった。
しかし、この密室結界こそが、私の「狭小空間における密着ハメ殺し」の威力を最大限に引き出す最高の舞台であったという事実に、彼らは今さら気づき始めていた。
「動揺するな!」
ファーストの声が、冷ややかに響いた。彼の瞳から笑みが消え、鋭い殺意の光が宿っていた。
「奴は自分の肉体を傷つけて相手を固定しているだけだ! 間合いを伸ばせ! 遠距離から投擲線と魔導針で蜂の巣にしろ!」
ファーストの的確な指示。
六人の暗殺者たちが即座に跳び下がり、手裏剣、魔導針、毒塗りの小型ナイフを同時に構えた。
だが、私は血で濡れた右足を一歩踏み出し、床に転がる五番の曲刀を踏み折りながら、死んだ目で彼らを見据えた。
「遅い」
私は傷ついた右大腿部から溢れ出る自らの血液を、足元の床面——結界の魔導回路が走る石畳へと向けて力任せに踏み散らした。
過剰な再生魔力を持つ血液が、結界の物理圧と反発し合い、密閉された室内の空気を一気に加熱させていく。
「逃がさないと言ったはずだ、ファースト」
私は黒磁の短剣を低く構え直し、恐怖に顔を歪める暗殺者たちへ向けて、静かに爪を伸ばすのだった。




