54 第11章:血統(レガリア)の真実
第11章 第5節
第4生体実験プラントの地下最深部、怪しく明滅する中央精製タンクの陰で、私は「血統保持者」たちの生体エネルギーを逆流させる仕掛けの最終確認を進めていた。
だが、その緊張感漂う暗闇の空間へ、静寂を破るように軽やかな拍手の音が響き渡った。
パチ、パチ、パチ……。
「見事な立ち回りだ、レヴナント……いや、『アレン・フォン・ヴァルハイト』伯爵令息と呼ぶべきかな?」
無機質な機械音と重苦しい沈黙が支配する地下空間に、妙に良く通る、洗練された男の声が落ちた。
影の中から姿を現したのは、帝国の軍服を着た男でも、ザハール中佐の配下の魔導技師でもなかった。
黒い上質なシルクの外套を羽織り、貴族的な品格を漂わせた白髪交じりの紳士。その顔には、一切の隙を感じさせない穏やかな笑みが浮かべられていた。
暗殺ギルド「三十の影」の頂点に君臨する最高統括者——「一番」。
王都の裏社会を牛耳り、決して表舞台に姿を現さないはずのギルドのトップが、なぜ今、敵国の極秘実験プラントの最深部に立ち、私の本当の素性をそらんじているのか。
背後に控えていたシルヴァが、即座に黒磁の短剣を構え、影となって身構えた。
「ファースト……!? なぜあなたがここに……!」
シルヴァの動揺を余所に、ファーストはゆったりとした足取りで歩み寄ってきた。その足音は一切響かず、彼自身が恐ろしいほどの暗殺の達人であることを雄弁に物語っていた。
「驚くことはないよ、三十八番。私がここにいるのは当然の帰結だ。……なぜなら、この第4生体実験プラントの建造、そして帝国への『血』の供給ルートを裏で差配していたのは、他ならぬ私なのだからね」
ファーストの唇から滑り出した事実。
ギルド最高統括者の裏切り。いや、裏切りという言葉すら生ぬるい。
暗殺ギルドそのものが、最初から帝国皇導魔導院やザハール中佐と手を結び、旧ヴァルハイト領の人間やすり潰された領民たちを「生体資源」として帝国へ売り飛ばす巨大な仲介組織として機能していたのだ。
「そうか」
私は黒磁の短剣の目打ちを冷ややかに確認しながら、微動だにせずにファーストを見すえた。
「サーティ派閥が『黒の死神』と裏で通じていたのも、お前が裏で手綱を引いていたからか」
「クックッ……冴えているね、アレン君」
ファーストは満足そうに目を細めた。
「サーティなど、ただの使い捨ての集金係に過ぎない。彼が君に消されたことも、私にとっては計画の想定内だ。むしろ君がギルド内部の泥鼠どもを掃除し、その凄惨な『自傷再生戦術』で成長してくれたおかげで、最高の『熟した検体』がこうして自ら足を踏み入れてくれたわけだからね」
ファーストは穏やかな笑みを崩さないまま、私の全身を舐めるように視線でスキャンしてきた。
「知っていたよ、アレン君。君が5年前の夜襲の惨劇から生き残った、ヴァルハイト伯爵家の唯一の嫡男であることを。養殖場で君を買い取り、四十二番という番号を与えて暗殺者として育て上げたのは、他ならぬ私だ」
あの日、スラム街で、冷たい「死んだ目」をした少年を拾い上げ、ギルドの地下養殖場へ投げ込んだ黒幕。
「君の体内に眠る『再生』の因子は、幼少期に激しい苦痛と死の恐怖に晒され、自らの肉体を何度も破壊・再構築することでしか、真の極限値まで励起しないことが分かっていた。だからこそ、私は君に地獄のような選別戦を潜り抜けさせ、数々の刺客を送り込み、君の『肉体と自傷再生』を極限まで研ぎ澄ませたのだ」
ファーストの言葉には、狂気的なまでの打算と冷酷な教育者としての自負が込められていた。
私という存在。
両親を殺され、暗殺ギルドで血を流し、サーティ派閥を屠り、そして今ここへ辿り着いたこれまでの足跡のすべて。
それら全てが、ファーストという男の手の上で、私という「至高の生体兵器」を完成させるための『育成プログラム』として仕組まれていたという事実。
「君は実に完璧な作品へと育ってくれたよ、アレン君」
ファーストは両手を広げ、心からの称賛を贈るように微笑んだ。
「君の『自傷再生のハメ殺し理論』……あえて自分の肉体を切り刻ませ、骨で相手の刃を噛み合わせて固定し、過剰な再生血を流し込んで殺害する狂気の戦闘スタイル。それこそが、帝国が喉から手が出るほど欲しがっていた『不死兵士』の最高到達点だ。……君のその肉体と脳髄があれば、帝国は世界を平定できる」
ファーストの視線には、私という「人間」に対する敬意や関心など微塵も存在しなかった。
あるのはただ、極上の芸術品や、天文学的な価値を持つ「生体商品」を眺める商人としての所有欲だけであった。
普通の人間の少年であれば、この瞬間に絶望し、己の人生すべてが仕組まれていた手のひらの上だったという現実に打ちのめされるだろう。育ての親とも言えるギルドのトップへの激怒に正気を失い、涙を流して刃を振るうはずだ。
しかし——。
地下最深部の明刺する光の中で、私の「死んだ目」は一切の揺らぎを見せなかった。
私の胸の奥底に沸き起こったのは、絶望でも激怒でもない。
ただ、前世の物理・解剖学者が新たな前提条件を得た時と同質の、淡々と冷え切った「計算領域の更新」であった。
(ギルドのトップ・ファーストの正体と関与の特定……ギルド全体が敵の生体供給プラントの外部補給機関として機能していたという事実)
脳内で、これまで解けなかった不審な点が一瞬で一枚の図面として組み上がった。
なぜサーティのような無能が巨大な派閥を維持できていたのか。
なぜ私の「再生」に関する情報が、これほど精確に敵国の特務部隊へ漏れ渡っていたのか。
すべてはこの男——ファーストが、私という「肉の袋」の価値を極限まで跳ね上げ、自らの利益と権力を最大化するために裏で糸を引いていたからに他ならない。
「……何か言い残すことはあるかい、アレン君?」
ファーストが優雅に懐から、白銀の魔導注射器を取り出した。
「君の戦術、君の思考、君の復讐心……そのすべてを私は把握している。君がここで暴れようと、プラントの防衛結界と私の持つ『生体麻痺術式』の前には、君は動くことすらできずに捕獲される。……おとなしく提供してくれたまえ。君が一族の血統の頂点として、帝国の不死の礎となることをね」
完璧な掌握、完璧な支配を確信した最高統括者の不敵な笑み。
だが、私は黒磁の短剣の柄を握り直し、感情の削ぎ落とされた低い声で静かに応じた。
「お前は、私を育て上げた『教育者』のつもりでいるようだが……」
「ん?」
ファーストの眉が微かに動いた。
「大きな勘違いをしているぞ、ファースト」
私は一歩、足を踏み出した。
「お前が私に与えた地獄、私に刺客を送り込んだ過去……その全ては私にとって、お前という『肉の袋』を最も効率的にハメ殺すための、最高の実験データとして蓄積されている」
「……何だと?」
「お前は私が自分自身を『人間』だと思っているとでも勘違いしているのか?」
私は自分の左手の平を黒磁の短剣で躊躇なく深く切り裂いた。
ドスッ!
鮮血が溢れ出し、過剰な再生魔力が周囲の空気をバチバチと弾けさせる。
「私にとって、人間はただの肉と臓物の袋だ。そして自分自身の肉体すらも、お前たちという異物をハメ殺すためのただの『物理的な拘束具』に過ぎん」
「な……ッ!?」
自分の肉体をためらいなく切り刻み、その激痛を一切の表情の変化もなく殺意へと変換してみせる私の異様な佇まいに、ファーストの完璧だった笑みがコンマ数秒、凍りついた。
彼が計算していたのは、「復讐心や恐怖に狂う人間」の心理データだった。
だが、私の前に存在していたのは、自分の命も、肉体も、血族の命すらも、ただの物理的化学的リソースとして割り切って処理する「死に損ないの棺」という狂気のシステムそのものだったのだ。
「お前が私の正体を知っていたということは……」
切り裂いた手の平から溢れ出る血液を、私は中央精製タンクの主配管へと無造作に擦り付けた。
「お前自身もまた、私の過剰な再生血がもたらす『生体毒の不可避のハメ連鎖』の中に、すでに足を踏み込んでいるということだ」
バチバチバチバチッ……!!!!!
主配管に触れた私の過剰再生血が、タンク内部の希釈血液と共鳴し、狂乱的な異常増殖反応を起こして配管を真っ赤に発光させ始めた。
ファーストの表情から、ついに余裕の笑みが消え去った。
「な……何をした……!? タンクの生体バランスが……狂う!?」
「お前の『育成プログラム』の最終試験だ、ファースト」
私は死んだ目を冷たく光らせ、黒磁の短剣を不気味に構えた。
「お前が手塩にかけて作り上げた暗殺者レヴナントが、お前という暗殺ギルドのトップを、どのように肉と骨で拘束してハメ殺すか……その身をもって解剖学的に理解しながら死ね」
暗殺ギルドのトップが明かした衝撃の真実すらも、私は冷酷な殺戮の方程式の中へと呑み込んだ。
地下最深部の密室で、自分を育て上げた最大の黒幕との、逃げ場のない絶対のハメ殺しの死闘が、いま静かに幕を開けたのだった。




