51 第11章:血統(レガリア)の真実
第11章 第2節
連絡用前哨陣地の冷たい床の上に転がるシュタイン准尉の死体を見下ろしながら、私は黒磁の短剣の刃を拭い、静かに鞘へと収めた。
彼が死間際に吐き出した戦慄の告白——「血統因子の強奪」。
その言葉の残響が、暗く湿ったテントの空気の中に重く漂っていた。
五年前、白亜のヴァルハイト城が焼き払われ、一族が徹底的に殺戮されたあの日。私はそれを単なる帝国の領土拡張欲や、貴族社会における政治的粛清の一環に過ぎないと考えていた。しかし、その根底に存在していたのは、政治的意図などという生ぬるいものではなく、帝国皇導魔導院による「生物学的資源の略奪」という極めて打算的かつ冷酷な国家規模の侵略であったのだ。
テントの奥に置かれていた重厚な鉄製の保管箱。シュタインの所持していた解錠鍵を用いてそれを開くと、中から現れたのは、羊皮紙ではなく、特殊な保冷魔導薬品で厳重に密閉されたガラス管群と、厚手の黒革に綴じられた研究記録手記であった。
手記の表紙には、皇導魔導院の印章とともに、冷徹な筆致でこう刻まれていた。
——『血統検体コード:ヴァルハイト(肉体再生因子の生体解析および量産化に関する報告書)』
私はその手記をめくり、前世の生物学・生化学、そして解剖学の知見を総動員して、記載された数式と生体魔法理論のデータを冷徹に解読し始めた。
手記の冒頭には、我がヴァルハイト伯爵家(旧血統名:ハメ・ゴロシの原流)の血脈に受け継がれてきた「異常性」の真実が、客観的なデータとして詳細に記録されていた。
(……なるほど。これが、私の体に流れる『再生』の科学的・魔導的構造か)
手記によれば、ヴァルハイト伯爵家の一族の体内に存在する血液および細胞組織には、常人とは根本的に異なる「原初の生体復元コード」が遺伝子レベルで組み込まれていた。
通常、人間が傷を負った場合、損傷した組織は血小板の凝集や肉芽組織の形成、細胞分裂の繰り返しを経て、数日から数週間の時間をかけて緩やかに修復される。しかし、ヴァルハイトの血脈が持つ魔導因子は、肉体が損傷したコンマ数秒の瞬間に、体内の生体魔力を爆発的に「生体エネルギー(復元パラメータ)」へと変換し、細胞の自己複製速度を物理的な限界を超えて加速させる能力を持っていた。
それは単なる「治癒」ではない。
物理的破壊に対する「強烈な拒絶と細胞の狂乱的自己再構築」である。
切り裂かれた皮膚、粉砕された骨、断裂した筋肉——それらが本来あるべき正常な「自己の設計図」の記憶に従い、狂乱的な速度で引き戻され、結合される。前世の知識に照らし合わせれば、幹細胞の爆発的誘導と幹細胞ニッチの極限増殖、そして生体電位の狂乱的な整流現象が同時に引き起こされている状態だった。
そして、手記には帝国皇導魔導院がこの「再生」の血に提示していた、狂気的なまでの国家価値が明記されていた。
第一に、「不死の軍事兵器(不死兵)の創出」。
帝国が目指していたのは、ヴァルハイトの血統因子を人工的に抽出し、自軍の精鋭兵士や巨大な生体兵器(陸竜など)の体内に強制注入・定着させることで、いかなる斬撃や砲撃を受けてもその場で再生し続ける「死なない無敵の軍隊」を作り出すことだった。
第二に、「過剰生体エネルギーによる魔導結界・兵器の永久機関化」。
この血に含まれる再生魔力は、適切な触媒を通すことで、周囲の物理環境や魔導回路に対して無限の修復・自己増幅効果をもたらす。帝国はこの血液を「生物学的永久エネルギー源」として抽出し、国の最深部に位置する大魔導兵器の動力炉として据え置く計画を立てていた。
つまり、我がヴァルハイト伯爵家は、帝国軍にとって一国の貴族などではなく、「量産可能な不死の兵装資源」「生きた精錬プラント」として狙われていたのだ。
手記の頁をめくるにつれ、記録はより一層凄惨で具体的な解剖データへと移行していた。
『……五年前の夜襲において、ヴァルハイト伯爵家の当主(アレンの父)およびその配下の肉体からは、十分な濃度の血統因子が検出されず。因子は幼少期の個体、あるいは当主の直系卑属において最も高い純度で固定される傾向あり……』
『……当主の妻(アレンの母)の肉体を陸竜の自重により超高圧破砕。漏出させた生体体液の検体採取を実施するも、ショック死に伴う生体魔力の急速な減衰により、因子の抽出率は予定の十二パーセントにとどまる……』
『……残された唯一の未回収個体——当主の長男の身柄確保が最優先課題。当個体の生の肉体から、直接因子を抽出し続ける「永久抽出器」の設置が待たれる……』
カチリ、と手の手元で黒磁の短剣の柄が鳴った。
手記に記された冷酷な文字の数々。
母の肉体を陸竜の自重でペチャンコに潰し、その生々しい体液をガラス管で採取したプロセスの記録。父の首を切り落とし、その血管から絞り取った血液の純度測定データ。それら全てが、私の家族の死が単なる「戦争の悲劇」などではなく、まるで屠殺場で豚や牛の肉質を査定するかのような、冷酷極まりない「生体資源の歩留まり計算」として処理されていたことを物語っていた。
だが——。
手記を読み終えた私の瞳に宿っていたのは、激怒の熱量でも、絶望の涙でもなかった。
そこにあったのは、冷ややかな解剖学者が新事実を確認した時と同質の、完璧に計算し尽くされた「冷酷な納得」だった。
(そうか……お前たちは、この『再生』の血を、自分たちの不死の兵器を作るための「至高の良薬」だと信じ込んでいるのか)
私は自分の右手の掌をみつめた。
皮下に流れる、過剰な再生魔力を孕んだ血潮。
帝国皇導魔導院、ザハール魔導中佐、そしてヴァルター大佐。
彼らはこの血を「究極の治癒の力」だと信じ、喉から手が出るほど欲しがり、私を生け捕りにして永久抽出器の生体標本へ変えようとしている。
しかし、彼らは根本的な物理化学的心理を見落としていた。
「過剰な治癒の力は、受容体の許容量を超えた瞬間、細胞をガン化させ、神経系を焼き尽くす最悪の『生体毒』へと変貌する」
水も過剰に摂れば中毒を起こして死に至り、酸素も高濃度で吸い続ければ肺を壊して細胞を破壊する。回復の魔力も全く同じだ。他者の肉体や術式の中に、私の狂乱的な再生エネルギーを直接注ぎ込めば、それは傷を治すどころか、内側から細胞を過剰増殖させて自己崩壊を引き起こす、絶対の破壊物質となるのだ。
奴らが至高の宝として欲しがっているこの「絶対血」こそが、奴らの組織、兵器、そして肉体そのものを内側からハメ殺すための「最悪の毒薬」であるという事実に、奴らはまだ気づいていない。
「……レヴナント様」
テントの影から、シルヴァが静かに姿を現した。彼女もまた、手記に記された恐ろしい侵略の真実と、私の一族に流れる血の価値を聞き、隠しきれない戦慄を身体に走らせていた。
「一族の死……あなたの母親の死すらも、彼らにとっては『因子の抽出率』という数字に過ぎなかったのですね……」
「そうだ」
私は研究手記を無造作に閉じると、それを手元の魔導オイルで濡らし、火を放った。
メラメラと燃え上がる黒革の手記。
父の無念も、母の苦悶も、帝国が算定した「血の価値」も、すべてが橙色の炎の中で黒い灰へと変残されていく。
「彼らはこの血を欲しがり、私を生け捕りにするために『第4生体実験プラント』で待ち構えている。自分たちが絶対の支配者であり、私を研究材料として捕獲できると信疑わずに」
私は燃えさかる炎を見つめながら、感情の存在しない声で静かに言い放った。
「ならば、望み通りその血をたっぷりとお見舞いしてやる。……私自身の肉体を切り裂き、骨で相手を固定し、奴らが欲しがった『血』をその喉元へ直接流し込んでやるのだ」
一族の悲劇の血統。
それを、死者への悼みや復讐の涙といった生ぬるい感傷で汚すつもりは一切ない。
帝国が血眼になって追い求めた「再生」という絶対の価値。
それを、奴ら自身の肉体と組織を内側から破滅させ、泥沼の地獄へと叩き落とすための「最悪の罠」として完遂させること——それこそが、暗殺者レヴナントとして私が提示する、最も冷酷で完璧な回答であった。
「行くぞ、シルヴァ。第4生体実験プラントの敷地内へと足を踏み入れる」
「……御意のままに」
手記の灰が夜風に舞い散る中、私は一度も振り返ることなく、暗雲の垂れこめる北の山脈——両親の命を奪い、領民をすり潰し続けている最終的な屠殺場へ向けて、静かに足を進めていくのだった。




