49 第10章:追撃部隊(陸竜騎兵)の誘き寄せ
第10章 第5節
壊滅した「蛇谷の狭間」。
崩落した数千トンの岩塊と土砂の隙間で、陸竜騎兵隊の隊長、そして彼らが誇った最強の生体兵器・ドルザの首を直に狩り落とした直後、狭隘地の空気は不気味なまでの静寂と、生暖かい血の臭いに満たされていた。
しかし、私の冷徹な頭脳は、これで「処理」が完了したとは一切判断していなかった。
(生存者の確率——三二パーセント。重装甲の鋳鉄甲冑と、崩落した岩石の隙間に生じた『エア・ポケット(空気溜まり)』によって、息を保っている敵兵および陸竜の個体が依然として三頭以上存在している)
前世の災害工学および崩落事故における生還率のデータ。
どれほど巨大な土砂崩れや建物崩壊であっても、岩石同士が噛み合ってできた数センチの空間が存在すれば、強靭な肉体を持つ熟練の兵士や巨大生物は即死を免れ、息をひそめて救助や反撃の機会を窺うことができる。
もし、このまま私たちが現場を立ち去れば、生き残った兵士が岩の隙間から這い出し、国境の「第4生体実験プラント」へ向けて、私の『自傷再生の異能』や『複合トラップの特性』に関する重大な警告を打ち打つ危険性があった。
ハメ殺しの基本は、完全なる「証拠と生存者のゼロ化」だ。
「……レヴナント様、隊長の死を確認しました。これでこの部隊は瓦解したはずです」
崖上から降りてきたシルヴァが、足元に転がる隊長の死体を見下ろしながら呟いた。
「いや、まだ終わっていない」
私は冷淡に告げ、崩落した巨大な岩石の山へ向けて歩み寄った。
「岩の底で、まだ脈打っている肉の袋が幾つか残っている。息の根を止めるだけでなく、彼らが確保している『空気』そのものを奪い、死体と甲冑を二度と復元不可能な灰へと変える」
「追爆(追加爆破)を行うのですね」
シルヴァが悟ったように頷いた。
私は懐から、先ほどの粉塵爆発や熱化学反応層の設営で使い残していた最後の化学物質——「過酸化物と高濃度硫黄化合物の液体触媒」を取り出した。さらに、倒れた陸竜たちの傷口から溢れ出る大量の油脂と体液、そして彼らが背負っていた「魔導槍用の予備燃料(魔導オイル)」の樽を引きずり出した。
前世の化学・兵器工学における「燃料空気爆薬(FAE:サーモバリック爆薬)」の生成原理。
第一段階で液状燃料を広範囲に散布・気化させ、微粒子状の霧を生成する。
第二段階で遅延着火を行い、周囲の酸素を一瞬で枯渇させながら、超高圧の二次衝撃波を閉鎖空間の深部まで一気に叩き込む。
閉鎖された「岩の密室」において、このサーモバリック効果(燃料空気爆縮)がもたらす破壊力は、通常の爆薬の数倍に達する。岩の隙間に隠れている生存者の肺胞は、爆風の圧力ではなく「一瞬で空間の酸素がゼロになる圧迫と負圧」によって破裂し、内臓ごと押し潰されることになるのだ。
「シルヴァ、崖の上まで退避しろ。爆風の圧力が上昇する」
「……御意」
シルヴァが素早く影となって断崖の上へと駆け登っていくのを見届けた後、私は無造作に魔導オイルの樽を破砕し、倒れた陸竜たちの体内に残る体油と混合させ、崩落した岩石の隙間へと大量に流し込んだ。
ドバドバと不気味な音を立てて、液体燃料が岩の隙間、そして生存者たちが息を潜める暗闇の深淵へと伝い落ちていく。
「な……何だ!? 上から何かが流れて——」
「オイルだ! 燃えるぞ! 逃げ——」
岩の底から、かろうじて生き残っていた騎兵たちの悲鳴が届く。
私は冷ややかに右手の火打石を黒磁の短剣の背へ打ち付けた。
バチッ!!
鮮やかな火花が、流し込んだ液体燃料の表面へと落ちる。
——シュルルルルッ!!
燃料は一瞬で気化しながら岩の隙間を這い回り、数十メートルにわたって濃密な「燃料蒸気雲」を形成した。そして、コンマ数秒の遅延を経て、二次反応の火花が弾けた。
ドドォォォォォォォォンッ!!!!!!!!
「蛇谷の狭間」全体が、先ほどの粉塵爆発を遥かに凌駕する超高圧の衝撃波と、白熱の熱線によって震え上がった。
崩落した岩石の隙間という密室の中で、膨張した熱気が逃げ場を失い、岩と岩の数十トンの噛み合わせを内部から強引に押し広げながら弾け飛ぶ。
「あぁぁぁぁぁぁっ!?」
「呼吸が……空気がぁぁぁっ!!」
岩の底に閉じ込められていた生き残りの騎兵たち、そして陸竜たちの断末魔。
彼らの肺胞は、一瞬でゼロになった空間の負圧によって内側から強引に吸い出されるように破裂し、高熱の爆風によって全身の肉と内臓が甲冑の中でドロドロに融解していった。
圧搾、焼灼、そして酸素の枯渇。
崩落した岩の山全体が凄まじい地鳴りとともに再沈下し、岩の隙間に存在していたわずかな空間すらも、潰された缶詰のように一瞬でペチャンコに押し潰された。
ドシャァァァァンッ……!!
やがて、爆煙と黒煙が夜空へと立ち昇り、狭隘地には二度と声も息遣いも聞こえない、絶対の沈黙が訪れた。
追爆による、陸竜騎兵隊の消滅。
生存者ゼロ、残されたのは高熱で溶けて岩石と一体化した鋳鉄甲冑の残骸と、炭化した黒い灰だけだった。
◇
煙の収まった崩落の山の頂点。
私は全身に返り血と煤を浴びたまま、静かに黒磁の短剣を鞘へと滑り込ませた。
父の城を踏みにじり、剣術の師範を肉の袋に変え、そして何より——目の前で母親の身体をペチャンコに押し潰した、因縁の陸竜騎兵隊。
その最精鋭部隊が、私の構築した近代科学トラップ、建築破壊ロジック、そして追爆による燃料空気爆縮の前に、誰一人として生きて帰ることなく全滅した。
最初の復讐の完了。
普通の人間であれば、ここで膝をつき、亡き母や師範の霊前に向けて涙を流すのだろう。
「お母様、ついに仇を討ちました」と感傷的な言葉を呟き、胸の仕えを下ろすのだろう。
しかし——。
夜風が吹く荒涼とした谷底で、私の「死んだ目」には、一片の熱量も、哀愁すら浮かんでいなかった。
胸の奥底を覗き込んでも、去っていった肉親への愛おしさも、仇を倒したことによる達成感すら存在しなかった。存在するはただ、冷ややかな解剖学的データと、「障害物(害獣)をひとつ完璧に排除し終えた」という客観的な計算結果だけだった。
「……終わりましたね、レヴナント様」
崖の上から降りてきたシルヴァが、不気味なほど静かな私の横顔を伺いながら低く囁いた。
「あなたからお母様と師範を奪った陸竜騎兵隊は……一人残さず、この谷底で灰となりました」
「あぁ」
私は感情の削ぎ落とされた低い声で短く答えた。
「一つ目のハメ殺し工程が、予定通りの精度で完了した……ただそれだけのことだ」
「涙は……流さないのですか」
「泣く理由がない」
私は北の空——旧ヴァルハイト領の国境線の向こう側、黒く渦巻く暗雲を見据えた。
「母が潰された感触も、父の首が飛んだ音も、私にとっては過去の傷などではない。……私という『死に損ないの棺』を駆動させるための、永遠に冷めない燃料だ。泣いてそれを薄めるつもりなど毛頭ない」
そう、私は泣かない。感傷に浸り、復讐の完了に酔いしれることなど絶対にしない。
陸竜騎兵隊の全滅は、私から全てを奪った巨大な国家と権力構造に対する、最初の「微小な削り」に過ぎないのだから。
本番は、これからだ。
この先で私を待ち受ける、生体実験の統括者『ザハール魔導中佐』。
そして、あの日、父の首を直に刎ね、我が家を屠殺場に変えた『ヴァルター大佐』。
奴らが統括する「第4生体実験プラント」には、今もなお旧ヴァルハイト領の生き残りたちが捕らえられ、肉と臓物の材料として生きたまま解剖され、すり潰され続けている。
「行くぞ、シルヴァ」
私は足元に広がる灰の山を踏み越え、北へ向かって一歩を踏み出した。
「陸竜騎兵隊の全滅の報せが届く前に、国境の第4生体実験プラントの目と鼻の先へ潜入する」
「……御意のままに、レヴナント様」
自らの肉体を囮にし、物理と化学の法則で敵を密室へ閉じ込め、激痛を殺意に変えて喉元を喰いちぎる。
私の中から全ての人間性を押し潰した陸竜騎兵隊を灰へと変え、私の「自傷再生ハメ殺し理論」は、一国の正規軍すら呑み込む絶対の死神として完成の領域へと達していた。
冷たい夜風が谷間を吹き抜ける中、黒磁の短剣を携えた死に損ないの少年は、真の仇敵たちが待つ最終的な屠殺場へ向けて、迷うことなく足を踏み進めていくのだった。




