41 第9章:破壊される日常(胸糞の惨劇)
第9章 第2節
国境の「第4生体実験プラント」への進攻へ向けて、ハメ殺しの方程式を最終調整していた矢先のことだった。
王都の最底辺に位置するスラム街の路地裏。私に盲目的な好意を寄せ、私の「潜伏用の迷彩」として部屋を提供し続けていた娼婦・ルシアの住処である薄暗い娼館の二階——その空間が、唐突に狂気と死の匂いによって満たされた。
夜霧が濡れた石畳を覆う深夜。私が潜伏拠点のひとつとして使っていたその部屋へと足を運んだ瞬間、私の鼻腔を突いたのは、使い古された安っぽい香水の匂いでも、スラム特有の生ゴミの臭いでもなかった。
人間の肉が焼き焦げ、骨髄が露出した際に生じる、濃密で酸鼻を極める「過剰な解剖」の匂いだった。
「……ほう。ようやく戻ったか、『ヴァルハイト伯爵家の生き残り』……いや、暗殺者レヴナント」
部屋の奥、月光も届かない影の中から、低い機械的な重音が響いた。
そこに佇んでいたのは、敵国の特務部隊『漆黒の処刑手』の先遣隊を率いる男——漆黒の魔導甲冑に身を包み、右手に歪んだ大型の生体解剖刀を握りしめた、敵国の異端魔導技師の一人だった。
部屋の中央、血の海と化した木製のベッドの上。
そこに転がっていたのは、数時間前まで私に愚かな好意を向け、温もりを貪ろうとしていた娼婦・ルシアの「残骸」だった。
その死に様は、生半可な殺害などという言葉では到底表現できない、文字通りの「過解体(過度な生体解剖)」の惨状だった。
敵国の特務部隊は、私という「肉体再生の因子を持つ素体」がこの部屋に潜伏していた痕跡を察知し、急襲を仕掛けたのだ。そして、部屋に残されていたルシアを捕らえ、私が持つ「血」の因子が彼女の体内にも微量に伝染・共有されていないかを確かめるため、生きたまま凄惨極まりない解剖実験を行ったのだった。
彼女の四肢は精密な手さばきで関節ごとに切断され、胸郭は肋骨ごと左右に大きく観音開きに押し広げられていた。露出した心臓や内臓は、魔導薬品によって強制的に脈動を維持されたまま、肉体の再生反応が起きるかどうかを試された痕跡——焼灼痕や異常な組織切除の傷で埋め尽くされていた。
顔面は恐怖と激痛で歪みきり、出なくなった声で命乞いをし続けたのであろう、口角は破れ、全血を吐き散らしていた。
それは、人間としての尊厳を微塵も残さず、ただの「実験器具にかけられた肉の標本」へと変果てさせられた凄惨な死だった。
「クックック……期待外れだったよ」
魔導技師は、ルシアの血液と内臓の脂で濡れた解剖刀を無造作に振り払い、冷笑を浮かべた。
「この女の肉体には、何の再生因子も宿っていなかった。単なるスラムの薄汚い牝豚に過ぎん。……だが、お前を誘い出すための『肉の撒き餌』としては、上出来だったろう?」
敵の魔導技師は、私の反応を伺うように、不気味な片目を細めて私を注視した。
彼らの狙いは明白だった。
自分に好意を寄せ、長年匿ってくれた女が、目の前で文字通り「過解体」されて無惨な肉塊に変えられた光景を見せることで、私の精神を激昂させ、冷静さを奪い、怒りに任せて突進してくるよう誘い出すこと。
感情に狂った人間は、動作が大振りになり、死角が生まれやすくなる。そこを『漆黒の処刑手』が誇る生体拘束術式で捉え、生け捕りにする——それが彼らの描いた完璧なハメパターンだった。
「どうだ? 自分の愛した女が、豚のように解体された気分は? 怒りに身を焦がし、我らを呪うか? 『血』を持つ悲劇の貴公子よ!」
魔導技師が煽り立てるように、ルシアの観音開きになった胸郭を解剖刀の尖端で小突き、不気味な笑い声を上げた。
しかし——。
月光が差し込む暗闇の中で、私の「死んだ目」は微動だにしていなかった。
激怒? 絶望? 狂乱?
そんな生ぬるい感情の波は、私の心の中に1パーセントすら沸き起こらなかった。
両親が惨殺され、母親が陸竜の足の下でペチャンコに潰されたあの日、私の心から「人間への共感や愛着」は完全に消失している。私にとってルシアは、最初から「潜伏用の便利な隠れ家」であり、「人間の解剖学的データを再確認するための肉の道具」に過ぎなかったのだ。
「……何だ、その目は?」
魔導技師の笑みが、不気味な違和感によって固まった。
目の前で自分の女が過解体され、肉の標本にされているというのに、十五歳の少年の瞳には、悲しみも怒りも存在しなかった。そこにあるのは、凍りつくほどに冷冷とした「構造物の損壊率を測定する解剖学者の目」だけだった。
「なるほど」
私は感情の削ぎ落とされた声で、静かに呟いた。
「胸郭の左右開放に伴う胸膜腔の負圧崩壊、および第一肋骨からの精密な離断。……お前たちの生体解剖の手技は、前世の近代外科医学と比較しても、なかなか興味深い精度だ」
「な……何だと……!?」
魔導技師が思わず絶句した。
私は血の海の中に転がるルシアの残骸を一瞥し、頭脳の中で冷徹な計算を完結させた。
(ルシアの解体痕……切断面の角度、魔導薬品の残留成分、そしてこの魔導技師の甲冑の関節部の構造。……敵国の『第4生体実験プラント』で用いられている生体解剖術式と拘束魔法の周波数が、これで特定できた)
そう。ルシアの凄惨な死体は、私にとって感情を揺さぶる悲劇などではなく、敵国の生体魔導技術の精度と弱点を解析するための「最高のサンプルデータ」へと変貌していたのだ。
敵は私を挑発し、怒らせて冷静さを奪うためにこの残酷なショーを演じた。
しかし、私には最初から感情など存在しない。敵が提示した凄惨な死の光景すらも、私は冷酷な計算資源として丸ごと呑み込み、自らの「ハメ殺し方程式」へと組み込んでしまったのだ。
「お前たちは、この女を使って私を怒らせようとしたようだが……無駄だ」
私は右手の黒磁の短剣を、だらりと下へと向けた。
「私には、怒るための『心』など存在しない。……存在するはただ、お前たちという異物を、この世から最も効率的に消去するための『構造計算』だけだ」
「な……生意気なガキがっ!拘束術式・展開——」
魔導技師が慌てて魔法陣を展開しようとしたそのコンマ数秒の瞬間。
——私は逃げず、防御もせず、あえてルシアの解体された肉体の上を泥のように踏み越えて、魔導技師の間合いへと一直線に突進した。
「なっ……死体の上を……踏み越えてきただと……!?」
魔導技師が恐怖に目を見開いた。
普通なら、自分が好意を寄せられていた女の肉塊を踏みつけることなど、精神的な禁忌として躊躇が生まれる。だが、私にはその1ミリの躊躇すら存在しなかった。ルシアの死体すらも、私は踏み台としての「物理的な足場」として利用したのだ。
ズドンッ!
魔導技師の放った生体拘束用の魔導針が、私の右肩と腹部を深々と貫いた。
強烈な麻痺毒と激痛が全身を駆け巡る。
しかし、私はその激痛を絶対的な殺意へと変換し、「自傷再生」の異能を起動させた。
バキバキバキッ……!!
貫通した魔導針を自分の筋肉と骨で強引に噛み合わせて固定し、身動きの取れなくなった魔導技師の眼前へと、肉迫する。
「ハメ完了だ」
「ひ……ひぃぁぁぁっ……! 化け物……お前は人間じゃない!!」
絶叫する魔導技師の甲冑の隙間——首筋の動脈へと、私の黒磁の短剣が垂直に深々と突き立てられた。
シュッ!!
ド黒い血が天井へと吹き出し、魔導技師は解剖刀を握りしめたまま、ルシアの死体の上に重なるように崩れ落ちた。
静寂が、再び惨劇の部屋を支配した。
過解体されたルシアの凄惨な死体と、その上に転がる敵の魔導技師の死体。
私は全身に返り血を浴びながら、自分の右肩に刺さった魔導針を力任せに抜き捨て、再生していく傷口の激痛に耐えながら、静かに息を整えた。
ルシアの死体を見下ろしても、私の胸には一片の涙も、後悔も浮かばない。
「……役に立ったぞ、ルシア」
私は冷ややかに呟き、黒磁の短剣の血を拭った。
「お前が死に際に残した解剖データのおかげで、敵国の『第4生体実験プラント』の防衛術式は解読できた。お前が私に寄せていた愚かな好意は、敵をハメ殺すための最高の毒となった」
女の好意も、その凄惨な死すらも、私は一切の情を挟まずに冷酷な「駒」として使い潰す。
自らの肉体を刃にし、他人の死すらも罠の材料へと変える狂気の暗殺者レヴナント。
ルシアの血で濡れたスラムの隠れ家を後にし、私はついに両親の仇——ヴァルター大佐とザハール中佐が待ち受ける、国境の最終決戦場へと足を踏み出すのだった。




