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40 第9章:破壊される日常(胸糞の惨劇)

第9章 第1節


ギルド第一幹部・サーティとその派閥を解体し、王都の裏社会における実質的な覇権と莫大な利権を掌握してから数日。


旧ヴァルハイト領国境付近に位置する「第4生体実験プラント」、そしてそこに潜む両親の仇——ヴァルター大佐とザハール魔導中佐への進攻計画を冷徹に練り上げていた私の隠れ家に、ひとりの女が滑り込んできた。


ギルドの訓練生時代からの同期であり、現在は私の忠実な「影」として暗躍する三十八番——シルヴァ、あるいは裏街で情報を売り捌く毒婦マルタとはまた異なる、異質な気配を纏った女。


情報屋の「クロエ」だった。


彼女はサーティの派閥が崩壊した混乱に乗じ、ギルド内部の記録保管庫から極秘裏に盗み出した羊皮紙の束を抱え、安っぽい革の外套を夜風にはためかせながら、私の足元へと滑り込んできた。


「……はぁ、はぁ……相変わらず、ここは湿気とカビの匂いが酷いわね、レヴナント。……ううん、元ヴァルハイト伯爵家のお坊っちゃま、と言った方がいいかしら?」


クロエは乱れた銀茶色の髪を細い指先で払いのけ、不敵な笑みを浮かべながら私を見上げた。


彼女は元々、暗殺ギルドの「養殖場」で私と同期として拾われた候補生の一人だった。しかし、刃を交える直接戦闘の才能に乏しかった彼女は、選別戦のさなかに自らの指を詰めて「使い物にならない脱落者」を装い、地下の情報処理部門へと滑り込んだ狡猾な女だった。以来、彼女は持ち前の要領の良さと、人間の弱みを見抜く鋭い観察眼を武器に、ギルド内外の機密を売り買いする独自の「情報屋」としての立ち位置を築き上げていた。


そして、私が「レヴナント」として台頭し始めてからというもの、彼女は何かにつけて私の周囲へとまとわりついていた。


「用件を言え、クロエ」


私は黒磁の短剣の目打ちを点検する手を止めず、感情の削ぎ落とされた低い声で短く応じた。


「冷たいわねぇ、相変わらず。昔からそう。養殖場の冷たい石床で死にかけていた時も、同期が血を吐いて倒れていくのを、あなただけは『死んだ目』でじっと見つめていただけ。……でもね、あたしはその目が大好きなのよ。どんな甘言にも騙されず、欲望にも狂わない……完璧な『壊れた鏡』みたいなその目がね」


クロエはあざとらしく肩をすくめると、私の制止も聞かずに距離を詰め、私の膝元へと擦り寄ってきた。

安っぽい香水と、古びた羊皮紙のインクの匂い、そして微かな生の肉香が漂ってくる。


彼女が私にまとわりつく理由は、娼婦のルシアや落ちぶれ貴族の娘エレナのような「甘い情愛」や「庇護への依存」ではない。また、シルヴァのような「崇拝に近い忠誠」とも異なっていた。


クロエが私に惹かれ、つきまとう理由は——生き残るための「最も頑丈で冷酷な舟」としての実利と、私という存在が撒き散らす「異常な死と狂気」への抑えきれない好奇心だった。


「これ、あなたが探していたヤツよ」


クロエは私の膝の上に、盗み出してきた羊皮紙の束をぽんと置いた。


そこには、敵国の特務部隊「黒の死神」が王都の裏社会に流していた秘密の暗号通信、そして旧ヴァルハイト領の「第4生体実験プラント」における兵力配置と魔導結界の周波数データが、極めて詳細に記録されていた。


「サーティの残党を絞り上げて手に入れたの。……凄いわね、レヴナント。あのサーティを自傷再生のトラップで血の海に変えて、恐怖で失禁させたんですって? ギルドの上層部も、今やあなたの名前を聞くだけで奥歯をガタガタいわせているわ」


クロエは細い指先で私の頬に触れようとしてきた。その指先を、私は素早く黒磁の短剣の背で冷たく叩き落とした。


「痛っ……相変わらず容赦がないわね。でも、あたしがどれだけのリスクを冒してこの資料を盗み出してきたか、分かってる? 一歩間違えれば、ギルドの処刑部隊に首と胴体を生き別れにさせられていたのよ?」


「頼んだ覚えはない」


「頼まれてなくてもやるのが、優秀な『パートナー』でしょう?」


クロエは不敵に微笑むと、自ら衣服の襟ぐりを大きく寛げ、私の胸元へと自らの身体を強く押し付けてきた。


「ねえ、アレン……ううん、レヴナント。あたしに『対価』を頂戴。お金や利権なんかじゃないわ。あたしが欲しいのは……あなたという『怪物』の温もりよ。……あたしを抱いて。あの地下の冷たい籠から生き残った、あたしたちだけの儀式として」


彼女の瞳には、打算と、己の命を危険に晒すことでしか得られない狂気の快楽が揺らめいていた。


彼女は知っているのだ。私という男が、どんな女を抱こうとも一かけらの情も抱かず、ただ解剖学的なパーツとして、あるいは生存のための「肉の迷彩」としてしか人間を見ていないことを。そして、その冷酷極まりない男の腕の中で、自らの命のやり取りを体感することに、彼女自身が異常な快楽を見出していた。


私は彼女の髪を乱暴に掴み上げ、壁へと押し付けた。


「がっ……っ! ふふ……そう、その力任せなところも好きよ……」


言葉を交わす必要も、甘い睦言を囁く必要もない。

そこに存在するのは、完全なる「利害と狂気の肉体関係」だった。


彼女は私に身体を差し出し、密動の情報と裏のルートを提供する。私は彼女の肉体を貪り、自らの「人間の皮膚の感触」を解剖学的なデータとして脳内に維持しつつ、過酷な激痛と殺意で張りつめた神経を一次的に弛緩させるための「道具」として処理する。


息が荒くなり、汗と香水の匂いが暗い小部屋に満ちていく。

私の首筋に深く爪を立てながら、クロエは快楽の混じったうめき声を漏らした。


(この女の骨格、動脈の位置、皮膚の引っ張り強度……)


彼女の体を抱きしめながらも、私の頭脳は恐ろしいほど冷め切っていた。

クロエが背中で息を荒らげるたび、私の脳内では「もしこの女が裏切った場合、どの角度で頚椎を折れば一瞬で沈黙させられるか」という冷酷な殺戮シミュレーションが、自動的に更新され続けていく。


「んっ……あぁっ! レヴナント……あなた、あたしを抱きながら……また誰かを殺す算段をしているでしょう……?」


クロエが恍惚とした表情で、私の耳元に唇を寄せて囁いた。


「やっぱりね……最高だわ。あなたは誰も愛さない。あたしのことも、シルヴァのことも、スラムの娼婦のことも……全員ただの『駒』としてしか見ていない。だからこそ、あなたなら……あの敵国も、この狂った世界も、全部ハメ殺して地獄へ連れて行ってくれる……!」


彼女の言葉は、私の本質を正確に穿っていた。


そう、誰も愛さない。

父親の首が飛ばされ、母親がペチャンコに潰されたあの日、私の心から「人間への愛着」という機能は完膚なきまでに削ぎ落とされた。私の周囲にまとわりつく女たち——ルシア、エレナ、マルタ、シルヴァ、そしてこのクロエ。


彼女たちがどれほど私に身を寄せ、肌を重ね、情をぶつけてこようとも、私にとってはすべて「ハメ殺し戦術をするための環境・資源」でしかなかった。


行為が終わり、汗に濡れた肌を寄せ合って横たわるクロエの髪を、私は冷たく撫で下ろした。


「資料の解析は完了した」


私は彼女の身体を無造作に押し退け、服を整えて立ち上がった。


「クロエ。お前が持ち込んできたデータのおかげで、第4生体実験プラントの『ハメ殺し配置』が完成した」


「……ふふっ、お役に立てて光栄だわ。で、あたしへのご褒美は?」


「生かしておいてやる」


私は冷ややかに言い放ち、腰に黒磁の短剣を滑り込ませた。


「お前がギルド内部で私の手足として働き、裏の情報を流し続ける限り、お前に死は訪れない。……だが、一歩でも私を売るような真似をすれば、その喉を骨ごと噛み合わせて引きちぎる」


「素敵な愛の告白ね。期待に応えられるよう、精一杯あなたの『影の情報屋』として立ち回ってあげるわ」


クロエは傷ついた様子もなく、ベッドの上で裸のまま艶めかしく微笑んだ。


まとわりつく女たちの存在、その欲望と情愛すらも冷酷な毒へと昇華させ、私はついに本丸——仇敵ヴァルハター大佐とザハール中佐が待ち受ける、国境の第4生体実験プラントへの進攻を開始する。


暗闇の中で静かに光る黒磁の刃とともに、私は過酷な復讐の最終章へと、躊躇なく足を踏み出していくのだった。


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