37 第8章:自傷の殺戮戦闘術
第8章 第3節
サーティ派閥の幹部である十一番を地下の廃加工場で屠ってから、私は自身の異能「肉体再生」における新たな属性と、それを応用した「戦闘理論」の拡張に着手していた。
従来の自傷再生戦術は、相手の刃をあえて自分の肉体や骨で受け止め、傷口を高速で再生・収縮させることで敵の武器を噛み合わせて固定し、至近距離から急所を穿つという「物理的なハメ殺し」が主軸であった。しかし、私を狙う刺客や敵国の特務部隊「黒の死神」の戦闘レベルが上がるにつれ、彼らが剣術だけでなく、広範囲の術式や遠距離からの魔導牽制を組み合わせてくることは明白だった。
間合いを詰めさせず、遠距離から囲い込まれた場合、いかに再生能力があろうとも相手を拘束する「接点」を作ることができない。
ならば、どうするか。
(接点がないのなら、自分自身の肉体の一部を『遠距離の拘束具』および『環境破壊の触媒』として飛散させればいい)
暗い地下調剤室の静寂の中で、私は自分の右腕の静脈に短剣の切っ先を浅く突き立てていた。
赤い鮮血が静かに溢れ出し、あらかじめ用意しておいた透明なガラス瓶へと満ちていく。
自傷再生の異能が発動している最中、私の体内を巡る血液には、常人の数千倍という異次元の密度で「生体復元パラメータを過剰に孕んだ特殊な魔導波長」が乗っている。ただの血ではない。生命力を強引に再構築し、細胞分裂を爆発的に加速させるための「過剰な生体エネルギーの濁流」だ。
前世での生物学および生化学の知見が、この異質な血液の特性を冷静に解明していた。
適量の回復魔法や整った生体魔力は傷を癒やす良薬となる。しかし、受容体の許容量を遥かに超えた「過剰かつ狂乱的な生体魔力」が、他者の体内や粘膜、あるいは術式の展開面に直接注入された場合、それは「治癒」ではなく、細胞のガン化や代謝異常、神経系のオーバーロードを引き起こす「最悪の生体毒」へと変貌するのだ。
(水も過剰に摂れば水中毒を引き起こし、ビタミンも過剰摂取すれば障害を生む。回復の力もまた、度を超えれば肉体を崩壊させる絶対の毒となる)
私は溢れ出る血液に、ギルドの調剤室から精製した微量の可溶性試薬と、魔導波長を増幅させる触媒を混ぜ合わせた。
バチバチッ……!
ガラス瓶の中で、私の血液が淡く不気味な赤紫色の光を放ち始める。
過剰な再生魔力を帯びた血液は、空気に触れることで急激に気化・飛散し、目に見えない「生体撹乱の微粒子」へと変化する性質を持っていた。
これこそが、私が新たに考案した「血液による目眩ましと生体毒殺」の戦術だった。
◇
実戦の機会は、すぐに訪れた。
王都の北側、旧羊毛加工場の裏手に広がる湿地帯の廃墟群。
サーティ派閥の残党であり、遠距離からの魔導狙撃と広範囲術式を得意とする「十五番」と「二十二番」の二人が、私が十一番を殺害した現場の調査に現れていた。
「……間違いない。十一番様たちはここで殺された」
「だが、おつむのイカれた新参の姿はないな。どこへ消えた……?」
崩れた石壁の影から、二人の暗殺者が魔導杖を構えて周囲を警戒している。彼らは十一番の死に様から私の近接戦闘の異常性を察知しており、決して間合いを詰めず、見つけ次第遠距離からの高威力魔導で跡形もなく焼き尽くす構えをとっていた。
彼らの配置、視線の動き、そして魔導杖に溜め込まれる魔力の波長。
隠れ家の陰に潜む私の脳内で、前世の幾何学と弾道計算が瞬時に完了する。
(間合いは二〇メートル。相手は完全に遠距離の警戒モード……申し分のないテスト環境だ)
私は黒磁の短剣を抜くと、躊躇なく自らの左太腿の太い静脈を深く切り裂いた。
ドスッ……!
激痛が走る。だが、その痛みを殺意へと変換しながら、私は切断面から激しく噴き出す大量の鮮血を、あらかじめ手に保持していた風魔術の極小スクロール(巻物)の展開面へと叩きつけた。
「肉体再生」の異能が発動し、体内の過剰な再生魔力が爆発的に血液へと流れ込む。
バキバキバキッ……!!
傷口が強引に塞がり始める直前、過剰な再生魔力を帯びた私の大量の血液は、風のスクロールの破裂とともに、赤い霧となって十五番と二十二番の潜む空間全体へと、爆風に乗って一気に飛散した。
パンッ!!
「なっ……!? 赤い霧……! 血液か!?」
「くそっ、目眩ましだ! 敵襲——」
二人の暗殺者が慌てて魔導障壁を展開し、視界を奪った赤い血の霧を吹き飛ばそうとした。
彼らはこれを、単なる視界を遮るための「血煙」だと高を括っていた。
しかし、それが彼らの決定的な死に体の始まりだった。
赤い霧となって散布された私の血液は、彼らの展開した「魔導障壁」の表面に付着した瞬間、障壁を構成する魔導数式そのものへ過剰な再生魔力を強制的に干渉させ始めた。
バチバチバチバチッ……!!
「な……何だ!? 障壁の魔力回路が……狂う!? 制御が効かない!」
十五番が焦りの叫びを上げた。
障壁を守るための魔力が、私の血液に含まれる異常な再生波長と共鳴し、暴走を起こして弾け飛んだのだ。
さらに恐ろしい事態は、彼ら自身の肉体で起きた。
目眩ましの血煙をわずかに吸い込み、あるいは皮膚や眼球の粘膜に私の血液が付着した瞬間——二人の体内で、過剰な生体魔力が細胞の許容量を即座に突破した。
「が……あぁぁぁっ……!? 目が……目が熱い!!」
「は、呼吸が……!? 肺が、肉が……勝手に膨らみ……っ!?」
二十二番が悲鳴を上げて絶叫し、両目で顔を覆った。
彼の眼球の粘膜に付着した私の血液が、目の細胞を狂乱的に異常増殖させ、視神経を強引に圧迫・破壊したのだ。十五番もまた、吸い込んだ微量の血の微粒子によって肺胞が異常な組織増殖を起こし、自分の肉体の過剰な「再生反応」によって窒息状態へと陥っていた。
回復の魔力を乗せた血液による、細胞レベルでのオーバーロードと粘膜の機能不全。
相手は傷を負わされたわけではない。むしろ、過剰な「生体エネルギー」を強制注入されたことで、自らの肉体が悲鳴を上げて自滅していったのだ。
「ひ……視界が真っ赤だ……何も見えない……っ!」
「魔力が……練れない……! 何が起きて……」
視界を完全に奪われ、肺を狂わせ、魔導障壁を無効化された二人の暗殺者。
完璧な遠距離警戒モードを誇っていた彼らは、わずか数秒で「何もできない案山子」へと成り果てていた。
「ハメ完了だ」
赤い血の霧を突き抜け、私は足音もなく彼らの至近距離へと滑り込んだ。
太腿の傷は、すでに自傷再生によって塞がっている。
動惑し、空を切って魔導杖を振り回す十五番の背後に立ち、私は黒磁の短剣を彼のうなじ——第一頸椎の隙間へと一直線に突き立てた。
シュッ。
「が……っ」
一切の抵抗感なく神経を絶たれた十五番が、泥の上に膝から崩れ落ちる。
続いて、両目を押さえて狂乱する二十二番の喉仏へ、短剣の切っ先を下から上へと垂直に振り抜いた。
ドスッ!!
血の泡が夜の空気に弾け、二人目の暗殺者も石畳の上で動かなくなった。
静寂。
散布された赤い血の霧が、夜風に乗って静かに霧散していく。
二人の死体の傍らに立ち、私は自分の右手に残った血の痕跡を見つめ、静かに口元を歪めた。
(完璧だ……)
自らの肉体を刃として差し出す「肉体拘束」に加え、自らの血液を過剰な生体毒・目眩ましとして散布する「環境侵食」。
この二つの戦術が噛み合わさったことで、私の自傷再生理論は「近接戦闘での絶対殺」だけでなく、「中・遠距離からのアプローチに対するアンチ・戦術」へと進化を遂げた。
相手が距離を取ろうが、障壁を張ろうが関係ない。
自らの血を流し、その痛みを殺意へと変換して散布すれば、相手の防御構造そのものを内側から崩壊させ、至近距離へのハメパターンへと引きずり込むことができる。
「……見事な新戦術です、レヴナント様」
暗闇の深淵から、シルヴァが音もなく姿を現した。
彼女の瞳にも、私の放った「血液の毒」の凄惨な効果に対する、隠しきれない戦慄が宿っていた。
「自分の血すらも、相手を死に至らしめる毒と目眩ましに変える……あなたの戦闘理論には、もはや死角が存在しません」
「死角がないわけではない」
私は冷淡に答え、転がった死体の服で短剣の血を拭った。
「血を大量に散布すれば、それだけ自傷再生の負担と激痛が増す。一度の戦闘で使える回数には限界がある」
だが、それもただの「計算式の中の数値」に過ぎない。
痛みがどれほど増そうが、肉体の消耗がどれほど激しかろうが、相手を確実にハメ殺して喉を掻き切ることができるなら、どのような代償も安すぎるものだった。
「十五番と二十二番の死亡を確認した。これで、サーティ派閥の主要な構成員はほぼ全滅だ」
私は黒磁の短剣を鞘へと収め、夜の闇へと視線を向けた。
「残るは、サーティ本人……そして、彼らが引き込もうとしている他国の特務部隊『黒の死神』と、仇敵ザハールだけだ」
自らの肉体を囮にし、自らの血液すらも最悪の生体毒に変えて敵を泥沼へ叩き落とす狂気の暗殺者レヴナント。
研ぎ澄まされた反撃の牙は、いまや一国の戦術部隊をも呑み込む絶対の死神として、暗闇の中で静かに、そして確実に完成へと近づいていたのだった。




