36 第8章:自傷の殺戮戦闘術
第8章 第2節
地下の廃加工場に転がる十一番とその手下たちの死体。血の匂いと焼けた肉の臭いが充満する静寂の中で、私は自分の左腕をじっと見つめていた。
十一番の大太刀をあえて左腕で受け止め、筋肉と骨の隙間で刃を噛み合わせて固定したあの瞬間——全神経を灼熱の万力で押し潰すような、狂気的な激痛が脳髄を直撃した。
普通の人間の脳であれば、失神という防衛本能(安全装置)が働いて即座に意識を閉ざすか、あまりの苦痛に精神が耐えかねて狂乱するレベルの痛み。あるいは、魔導士や暗殺者が用いるような「精神麻痺の薬物」や「痛覚遮断の呪術」を用いて、痛みの信号そのものを麻痺させて戦うのが、本来の人間としての理屈だった。
しかし、私は痛覚を一切遮断していなかった。
薬物も、精神麻痺の術式も、何一つ使っていない。十一番の大太刀が肉を断ち、骨を削り、そして「肉体再生」の異能によって強引に肉と骨が再結合されていく最中の——数倍に膨れ上がった地獄の苦痛を、私はありのまま、生の信号として全神経で受け止めていた。
「……ハッ……ははっ……」
血のついた手で顔を覆い、私は暗闇の中で静かに笑った。
指先が微かに震えている。それは恐怖からではない。全身を駆け巡る激痛の余韻が、私の交感神経を極限まで励起させ、脳内物質を狂ったように分泌させているからだった。
痛覚遮断を行わない理由。それは、単なるマゾヒズムや狂気の沙汰などでは断じてなかった。
そこには、前世で培った生理学・神経科学の知識と、この世界で洗練させた暗殺術の、どこまでも冷徹で合理的な計算が存在していた。
痛覚とは、生物が生存するために獲得した「物理的損壊の位置と深度を知らせる絶対的なメーター」だ。
もし薬物や呪術で痛覚を遮断してしまえば、肉体がどの程度破壊され、骨がどの角度で砕け、異能による再生がどの段階まで完了しているのかを、脳がリアルタイムで正確に把握できなくなる。
コンマ数秒の間合いと肉体の精度が命を分ける死闘において、自分の肉体の損壊状況を直感的に察知できないことは、決定的な「動作の遅れ」を生み出す。
だからこそ、私は痛みを遮断しない。
切り裂かれた皮膚の範囲、骨に食い込んだ刃の角度、そして異能の光が肉を縫い合わせる際の「筋繊維が引き締まる剪断力」まで——すべてを激痛という名の高精度なセンサーとしてそのまま脳に受け入れる。
そして、その脳髄を叩き割るような苦痛のエネルギーを、私は「恐怖」や「悲鳴」として放出するのではなく、100%純粋な「冷酷な殺意」へとダイレクトに変換するのだ。
「……痛みは、思考を加速させる試金石に過ぎない」
私は冷たい石畳の上に座り込み、息を整えながら深く思考を潜らせた。
人間は痛みを恐れる。だからこそ攻撃を前にして身をすくませ、刃が届く直前に目をつむり、回避動作という隙を晒す。
だが、痛みを恐れないどころか、激痛が走った瞬間に脳が極限まで覚醒し、視界がスローモーションのように研ぎ澄まされ、相手の喉元を穿つ最短軌道だけが鮮明に浮かび上がる人間がいたとしたら——相手にとっては、それこそが理解不能な「異形」であり、生存確率をゼロにする絶対の恐怖となる。
「……レヴナント様」
崩れた扉の影から、気配を殺していたシルヴァが音もなく姿を現した。
彼女は床に広がる血の海と、首を撥ねられ、あるいは喉を貫かれて転がる十一番たちの惨状を見つめ、次いで私の顔を覗き込んだ。
彼女の銀灰色の瞳には、畏怖と、どこか痛々しいものをを見るような揺らぎが宿っていた。
「……また、痛覚を遮断せずに戦われたのですね」
「何度も言わせるな。遮断すれば精度が落ちる」
「ですが……! 腕を骨ごと切り込ませ、それを再生で噛み合わせるなど……いくら異能があっても、精神が持ちません! 普通の人間なら、一度の戦闘で心が壊れて発狂してしまいます……!」
シルヴァの声が微かに震えていた。
彼女は私の「自傷再生」のプロセスを最も近くで見続けてきた人間だ。傷が治る瞬間、私の全身の毛孔から噴き出す脂汗、血走った目、そして歯が砕けんばかりに噛み締められる顎の振動——それがどのような地獄の拷問であるかを、痛いほど理解していた。
だが、私は彼女の心配を冷たく一蹴した。
「心が壊れる? ふっ……笑わせるな」
私はゆっくりと立ち上がり、自分の胸元に手を当てた。
「私の『心』など、五年前のあの日……両親が惨殺され、我が家が炎に包まれた瞬間に、すでに壊れて消え去っている」
そう、壊れるような生ぬるい人間性など、最初から残っていないのだ。
父親の首が飛んだ音。母親が陸竜の足の下でペチャンコに押し潰された感触。スラムの泥の中で虫を喰らいながら生き延びた絶望。
それらに比べれば、肉体を切り刻まれる物理的な激痛など、単なる「復讐の工程表におけるただの摩擦音」に過ぎない。
激痛が身体を駆け巡るたびに、私の中で眠っていた氷の殺意が爆発的に跳ね上がる。
「痛い」と感じたそのコンマ数秒後、私の脳内では「この痛みを引き起こした原因(敵)」を最も合理的かつ悲惨な方法で破壊するための計算式が、光の速さで組み上がるのだ。
痛み=殺意のエネルギー。
苦痛=思考の純化。
この異常な精神構造こそが、私が「自傷再生のハメ殺し理論」を完成させられた最大の要因だった。
どれほど優れた回復魔法や異能を持つ者であっても、痛みに耐かねて悲鳴を上げ、判断を鈍らせるなら、それはただの「打たれ強い案山子」に過ぎない。
だが、私は激痛を受け入れ、それを即座に相手の喉元を抉り取る「加速装置」として利用する。
「私に好意を寄せる娼婦のルシアも、落ちぶれ娘のエレナも、そしてお前も……私に温もりや救いを求めて身体を寄せてくる」
私は冷ややかな視線をシルヴァへ向けた。
「だが、お前たちが見ている私は、ただの『死体』だ。激痛によって毎夜毎夜、生きながら肉体を再構築し、殺意だけで動き続けている殺戮の機械に過ぎん」
「……それでも」
シルヴァは瞳を強く見開き、私の前に恭しくひざまずいた。
「それでも私は、その冷たく狂気に満ちたあなたの影として付き従います。あなたが世界をハメ殺し、すべての仇を地獄へ引きずり下ろすその瞬間まで……私の命も、肉体も、あなたの痛みを和らげるための盾としてお使いください」
「盾など不要だ。お前は私の後ろで、打ち漏らしたゴミの首を刈っていればいい」
私は冷淡に言い放ち、転がった十一番の死体から黒磁の短剣を引き抜いた。
痛みは麻痺させない。
これからも、私は腕を切り落とされ、腹を抉られ、全身を焼かれるたびに、その地獄の激痛をダイレクトに脳髄で味わうだろう。
そして、その激痛を100%の絶対的な殺意へと変換し、私を傷つけた敵の油断した顔面へと、狂気の爪を突き立ててやるのだ。
感情を捨て、痛みを殺意の燃料へと変える異常性。
死に損ないの棺となった私の牙は、この狂気的な精神の基盤の上で、二度と折れることのない絶対の凶器として完成されていた。
「行くぞ、シルヴァ。サーティの残党を狩り尽くし、敵国の特務部隊『黒の死神』を招き入れるための舞台を整える」
「……御意のままに、レヴナント様」
血と焦げた肉の臭いが漂う地下室を後にし、私は更なる激痛と殺戮が待つ夜の闇へと、躊躇なく足を踏み出していくのだった。




