32 第7章:ギルド内の生存競争
第7章 第3節
サーティ派閥が放った刺客たちを廃教会で全員返り討ちにしてから数日、ギルド内部の緊張状態は極限に達していた。
サーティは、自らの手下が全滅したという報せを受け、表立った懲罰や詰問を行うこともできず、苛立ちと焦りを隠しきれずにいた。なぜなら、今回の刺客派遣は上層部への公式な届出を経ない「私闘」であり、それがことごとく返り討ちに遭った以上、サーティ自身の立場と無能さがギルド内で浮き彫りになるからだ。
しかし、やつらがそのまま引き下がるはずもない。自分の縄張りである密輸ルートを新参のガキ(レヴナント)に奪われ、メンツを潰されたサーティは、さらに巧妙で卑劣な手段で私の抹殺を試みようとしていた。
「——レヴナント様。サーティの幹部級構成員二名が、あなたの主たる潜伏先である下町の倉庫街周辺を包囲し始めています」
暗闇の中で、シルヴァが息を殺して報告してきた。彼女の指し示す地図の座標には、かつて「赤き蛇」が物資の保管庫として使っていた、湾岸地区の古びた巨大倉庫が刻まれていた。
「現れたのは『十四番』と『十九番』です。二人ともサーティの側近で、毒とトラップの扱いに長けたベテラン構成員です。彼らはあなたを倉庫内に追い詰め、建造物ごと毒ガスで封殺する構えです」
「十四番と十九番か」
私は黒磁の短剣の目打ちを確かめながら、冷淡に目を細めた。
同僚の暗殺者——それも毒とトラップを専門とする熟練者。
彼らは私を単なる「身のこなしの早い剣士」か、せいぜい「タフな駆け出し」としか認識していない。だからこそ、直接の刃の交え合いを避け、遠距離からの化学兵器と環境トラップによって安全圏から処理しようと考えたのだ。
(実に合理的で、暗殺者らしい選択だ。……だが、毒とトラップの分野において、前世の近代科学知識を持つ私に勝てると思っているのなら、片腹痛い)
「シルヴァ、お前は倉庫の外囲を遠巻きに監視しろ。逃走経路を塞ぐふりをして、奴らを倉庫の内部へ誘い込むための『壁』となれ」
「御意のままに」
影が消え去るのを見届けた後、私は一人、湾岸地区の巨大な廃倉庫へと向かった。
夜の海風が吹き荒れ、錆びついたトタン屋根が軋む音を立てている。倉庫の内部は、積み上げられた大量の木箱と巨大な醸造樽が入り組んだ、複雑な迷路のようになっていた。視界は最悪、足音は反響し、どこにでもトラップを設置できる「暗殺者のための狩り場」。
私はわざと重い足音を立て、いかにも追手を警戒しながら潜伏場所を探している風を装って、倉庫の最奥へと足を踏み入れさせた。
カチャリ。
倉庫の重い鉄扉が、外側から音もなく施錠された。
次の瞬間、倉庫の天井近くに設置された通気口から、濃密な紫色の煙がシューッという不気味な噴射音とともに激しく吹き出し始めた。
「ハハハハッ! 引っかかったな、四十二番……いや、レヴナント!」
倉庫の二階キャットウォーク(高所作業用通路)から、見下ろすように二人の影が現れた。
一人は全身に無数の小袋をぶら下げた細身の男・十四番。もう一人は大型の連発クロスボウを構えた背の低い男・十九番だった。
「その煙は、我がギルドが誇る極毒『紫蛇の吐息』だ!」十四番が狂気的な笑みを浮かべて叫ぶ。
「吸い込めば三秒で肺胞が焼け粘膜が融解し、五秒で全身の神経が麻痺して七孔から血を吹いて死ぬ! お前の自慢の身のこなしも、密閉された空間を充満する毒ガス相手じゃ何の役にも立たん!」
「おい、十四番。無駄口を叩くな。とどめの矢を撃ち込むぞ」
十九番が冷酷にクロスボウの狙いを私に定めた。矢先には、皮膚に触れただけで心臓を停止させる接触毒が塗り込められている。
密閉空間、無色無臭に近い強力な神経毒ガス、そして高所からの連発毒矢。
暗殺のセオリーとしては完璧な「詰み」の構図だった。
しかし、紫色の煙が充満する暗闇の中で、私の「死んだ目」は微塵も揺れていなかった。
(『紫蛇の吐息』……植物性の有機毒素と遊離シアン化物の化合体か。体内に入ればヘモグロビンの酸素結合を阻害し、細胞呼吸を完全停止させる)
前世の化学知識が、目の前で起きている化学変化を瞬時に分解・理解していく。
一般的な人間であれば、煙を一口吸った瞬間に吐血して崩れ落ちるだろう。
だが、私には「肉体再生」の異能が存在する。
吸い込んだ毒素が肺胞を灼き、細胞を破壊したそのコンマ数秒後、私の体内では破壊された細胞が猛烈な勢いで修復され、毒素そのものが代謝によって強制的に無毒化・排出されていく。激痛は走る。喉が焼け、胸が割れるような灼熱の感覚が襲う。だが、それは私の動作を止める理由にはならない。
「が……ごふっ……!」
私はあえて激しく血を吐き、その場に膝をついて見せた。
血を吐きながら胸を押さえ、苦しみに身悶える惨めな敗北者の演技。
「見たか! 効いているぞ! 完全に呼吸が止まっている!」十四番が歓喜の声を上げる。
「よし、油断するな。クロスボウで頭部を撃ち抜いて息の根を止める!」
十九番がキャットウォークの手すりに身を乗り出し、私の頭部へ狙いを定めたそのコンマ数秒の瞬間。
——私の演技は、すでに完成していた。
膝をついた私の右手の指先には、あらかじめ倉庫へ入る直前に仕込んでおいた、細い鋼糸が握られていた。その鋼糸は、倉庫の床を這い、二階のキャットウォークの支柱、そしてそこに積み上げられていた「高濃度の穀物粉末が入った袋」へと繋がっていた。
(密閉空間。乾燥した空気。浮遊する微粒子。そして……)
私は左手に持った火打石を、右胸の黒磁の短剣の刃へと力任せに打ち付けた。
バチッ!!
鮮やかな火花が散った瞬間、私は右手の鋼糸を力任せに引き抜いた。
二階のキャットウォークの上で、破られた袋から大量の穀物粉末が舞い散り、十四番と十九番の頭上を白く覆い尽くす。
「なっ……!? 粉……!?」
「何だこれは! 視界が——」
粉塵が充満した密閉空間に、火花が飛び散る。
——粉塵爆発。
前世の物理・化学における基礎的な現象。可燃性の微粉末が空気中に充満している状態で着火源を与えれば、空間全体が巨大な爆弾へと変貌する。
ドドォォォォンッ!!!!!
凄まじい衝撃波と炎の濁流が、巨大倉庫の内部を突き抜けた。
トタン屋根が吹き飛び、二階のキャットウォークが鉄骨ごとへし折れて崩落する。毒ガスを一瞬で焼き尽くす圧倒的な熱量と圧力の爆発。
「ぐあぁぁぁぁぁっ……!?」
「ひぃぁぁぁっ……!!」
高所にいた十四番と十九番は、爆風をダイレクトに受けて全身を焼き尽くされ、破片とともに一階の石畳へと激しく叩きつけられた。
爆心地点の真下にいた私もまた、無傷では済まなかった。
爆風によって全身の皮膚が炭化し、鼓膜が破れ、左腕の骨が何箇所も破砕されていた。炎に包まれ、瓦礫の下敷きとなる絶望的な重傷。
しかし、静まり返った煙と炎の中で、私はゆっくりと瓦礫を押し退けて立ち上がった。
バキバキバキッ……!!
全身の炭化した皮膚が音を立てて剥がれ落ち、下から滑らかな新しい肉体が猛烈な速度で再生していく。折れた左腕の骨が引き寄せられ、完璧に噛み合っていく。
「はぁっ……はぁっ……」
脳髄を突き刺す強烈な激痛。だが、私の瞳は氷のように冷ややかなまま、石畳の上で全身を大やけどし、血を吐いて身悶えする十四番と十九番の元へと歩み寄った。
「な……な……に……が……」
十四番が、焦げた顔面の中で血走った目を剥き出し、信じられないものを見るかのように私を見上げた。
「毒ガスが……効かない……? 爆発の中で……なぜ……生きている……!?」
「毒も、トラップも……お前たちの科学は生ぬるい」
私は冷淡に言い放ち、倒れた十九番の首元を踏みつけた。
十九番は声にならない悲鳴を上げながら、胸骨を砕かれて絶命した。
「ひ……ひぃぃぃっ! 助けてくれ! サーティ様に頼んで、利権を全部お前に譲る! 命だけは——」
十四番が這いずりながら命乞いを叫ぶ。
私は無言のまま、黒磁の短剣を彼の咽喉元へと静かに垂直に突き立てた。
ドスッ。
温かい血が私の手元を濡らし、十四番の瞳から光が消え去った。
同僚の暗殺者二名の処理。
毒とトラップという彼らの得意分野において、前世の近代科学知識と「自傷再生」の異能を組み合わせた完璧なハメ殺し。
炎が燻る廃倉庫の中で、私は血のついた短剣を拭い、静かに鞘へと収めた。
外の闇から、シルヴァが音もなく姿を現し、崩落した倉庫の惨状を見渡して息をのんだ。
「……十四番と十九番の死亡を確認しました。これで、サーティの側近は全滅です」
「行くぞ、シルヴァ」
私は振り返ることなく、崩れた扉から外の夜気へと足を踏み出した。
「サーティの首を狩る準備は、これで整った」
ギルド内部の権力闘争。私を狙う同僚の暗殺者たちを一人また一人と泥沼のハメ殺しへ叩き落としながら、私はギルドの真の支配権、そして故郷ヴァルハイト領への足がかりを確実に手中に収めつつあったのだった。




