30 第7章:ギルド内の生存競争
第7章 第1節
バルトロメウス男爵の殺害ミッションを皮切りに、「赤き蛇」の幹部や密輸ルートに関与する裏貴族たちを相次いで暗殺した実績は、ギルド内において「レヴナント」という暗殺名の価値を急速に高めていた。
だが、古代結界に護られた地下の養殖場に始まり、王都の裏社会に根を張るこの暗殺ギルドという組織は、決して一枚岩の絶対的な忠誠で縛られた集団ではない。
そこは純粋な力と成果、そして「利権」がすべてを支配する、血生臭い欲望の坩堝だった。
正規構成員として外界へ出る許可を得た暗殺者たちには、それぞれの能力に応じた「管轄区域」と「闇の利権」が配分される。王都の特定の貴族家との密約、違法薬物の流通ルート、あるいは人身売買の仲介権——これらは莫大な金貨を生み出し、ギルド上層部における発言力を決定づける強力な権力の源泉となっていた。
そして、私が「赤き蛇」の拠点を潰し、旧ヴァルハイト領へ続く密輸ルートを次々と乗っ取っていった行為は、ギルド内部でその利権を独占していた既存の「派閥」にとって、明確な領域侵犯であり、許しがたい越権行為に他ならなかった。
「……レヴナント様。ギルド内部の空気が変わってきています」
貧民街の路地裏にある隠れ家で、漆黒の夜気に溶け込むように潜んでいたシルヴァが、低く張りつめた声で報告してきた。銀灰色の髪を夜風に揺らしながら、彼女の瞳には鋭い警戒の光が宿っている。
「第一幹部の直属である『三十番』の一派が、私たちの動きを執拗に監視しています。上層部への報告書でも、あなたの戦闘手法の不自然さ——『致命傷を受けているはずなのに翌日には平然と任務をこなしている』という点について、疑念を差し挟む動きがあるようです」
「そうか」
私は手元で黒磁の短剣の手入れを続けながら、冷淡に短く応じた。
ギルド内部の権力闘争。それは驚くべきことでも、予想外のことでもない。
組織が肥大化すれば、外部の敵よりも内部の足引っ張りと縄張り争いが優先されるのは、前世の近代組織においても、この世界の血塗られた暗殺ギルドにおいても全く同じ力学だった。
特に「サーティ」と呼ばれる男は、私よりも二期ほど前に正規構成員となったベテランで、王都の裏社会における利権の三分の一を握る「武闘派派閥」の顔役だった。彼らにしてみれば、弱冠十五歳の新参者が、自分たちのシマである密輸ルートを勝手に荒らし、上層部での評価を独占していく現状が面白いはずもない。
「上層部は黙認している。誰が勝ち残り、誰が死のうが、最後に利益を運んでくる優秀な『道具』が手に入ればそれでいいからだ」
私は黒磁の短剣を鞘へと滑り込ませ、静かに立ち上がった。
「サーティどもは、私をギルドのルールに従って粛清するか、あるいは事故に見せかけて処理する気だろう。……くだらない」
「……どうなさるのですか?」
「向こうが刺客を放つというなら、舞台を整えてやるだけだ。外部の敵も、内部の泥鼠も、私にとってはただの『ハメ殺しの実験台』に過ぎん」
◇
その夜、雨が王都の裏街を激しく叩きつけていた。
石畳の路地には重い水たまりができ、激しい雨音が周囲のあらゆる生活音をかき消していく。視界は遮られ、臭いも雨水によって洗い流される、暗殺者にとっては格好の狩りの夜だった。
私はあえて警戒を緩め、単身で貧民街の最奥にある崩れかけた廃教会へと足を踏み入れた。シルヴァにも離れた位置での待機を命じ、自分一人で「無防備な隙」を晒す演出を施していた。
廃教会の破れたステンドグラスから、冷たい雨水が吹き込んんでいる。
腐ちかけた木製のベンチが並ぶ静寂の空間へ踏み込んだ瞬間——。
カチャリ。
背後の扉が、金属音とともに重々しくロックされた。
同時に、教会の天井の梁、崩れた祭壇の影、そして壁の凹みから、気配を殺していた四つの影が音もなく舞い降りてきた。
全員が黒い覆面を着用し、手に仕込み杖や歪んだ曲刀を握り締めている。その身のこなし、無駄のない集団包囲の陣形。ギルドの訓練場で叩き込まれたものと全く同じ、生粋の「仲間(暗殺者)」たちの動きだった。
「……サーティの差し金か」
私は中央に立ったまま、傘もささずに濡れた服のまま冷ややかに呟いた。
正面に立つ巨漢の刺客が、覆面の奥で低い嘲笑を漏らした。
「察しが良くて助かるぜ、四十二番……いや、『レヴナント』様よ。若くして正規構成員へ成り上がり、上層部の覚えもめでたいようだが……調子に乗りすぎたな」
「サーティ様のお命じだ」と、左手の細身の刺客が刃を滑らせながら付け加える。
「お前が手を出した『赤き蛇』の密輸ルートは、我らサーティ派閥の貴重な資金源だった。それを新参のガキが手柄顔で奪い取るとはな。ギルドの規律違反——『独断専行による組織への不利益』を理由に、ここで処刑させてもらう」
「規律、か」
私は微動だにせず、死んだ目を刺客たちへと向けた。
「反吐が出るな。単に自分たちの利権を脅かされた老害どもが、若い芽を摘もうと脅えているだけに過ぎん」
「死に際まで減らず口を……! やれっ!!」
巨漢の号令とともに、四人の刺客が同時に地を蹴った。
雨音に紛れさせた極小の足音。四方からの同時波状攻撃。
一人は上空から頭部を狙う手裏剣の投擲、左右からは膝と頸動脈を狙う曲刀の挟み撃ち、そして正面の巨漢が重い仕込み槍で私の心臓を正確に穿とうと突き出してきた。
常人の剣士であれば、回避の選択肢すら奪われた完璧な殺陣。
だが、私の脳内では、前世の物理的計算と解剖学のデータが冷徹なプログラムとなって瞬時に起動していた。
(全員がギルドの正規構成員……動きに無駄がない。だからこそ、行動の予測が立つ)
私はあえてステップを踏まず、その場に留まった。
回避でもなく、完璧な防御でもない。
——自傷再生を前提とした、絶対の「ハメ殺し配置」。
「死ねぇっ!!」
正面の巨漢が放った仕込み槍の尖端が、私の胸の中央——あえて心臓の軌道をわずかに外した「右胸の肋骨の間」へと深々と突き刺さった。
ドスッ……!!
猛烈な衝撃と、肉が引き裂かれる鈍い音が響く。
同時に、左右からの曲刀が私の両太腿の肉をえぐり、血が激しく噴き出した。
「入った……! 勝ったぞ!!」
巨漢の刺客の瞳に、歓喜と勝利の確信が広がった。
槍の手応え、手に伝わる骨と肉の打撃感。彼らにとって、相手の胸を貫いたこの瞬間こそが「戦闘の終了」を意味していた。槍を引き抜き、追撃の止めを刺そうと、巨漢の全身の筋肉が一瞬だけ「弛緩」する。
コンマ数秒の、絶対の死角。
「……甘いな」
「なっ……!?」
巨漢の顔から笑みが凍りついた。
胸を深々と貫かれ、大量の血を吐いているはずの十五歳の少年の瞳が、光の一片すら宿さない「死んだ目」のまま、冷ややかに自分を見つめ返していたからだ。
私は逃げなかった。それどころか、右胸に突き刺さった槍の柄を、自らの「右手の肉と骨」で力任せに掴み取った。
バキッ!!
右胸の内部で、引き裂かれた筋肉と肋骨の隙間が、槍の尖端を万力のようにガチリと締め付ける。自らの肉体を「槍を固定するための鞘」として利用する狂気の肉体拘束。
「な、槍が……抜けない!? こいつ、正気か……!?」
巨漢が慌てて槍を引き抜こうと腕に力を込めたが、私の胸の肉と骨が噛み合わさった槍は微動だにしなかった。完全に体勢が前のめりになり、巨漢の無防備な咽喉元が、私の目の前に丸裸となって晒される。
「ハメ完了だ」
私は激痛で全身の神経が焼き切れるような感覚を完全に無視し、左手に握りしめていた黒磁の短剣を、下から上へと垂直に振り抜いた。
シュッ!!
黒磁の刃が、巨漢の顎下から脳髄へと一直線に貫通した。
巨漢は絶叫を上げることすら許されず、瞳の光を失ってそのまま私に覆いかぶさるように倒れ込んだ。
「が……ごふっ……!?」
「ひ、ひぃぁぁぁっ……!? 槍を刺されたまま、反撃しただと……!?」
左右から太腿を切り裂いていた二人の刺客が、眼前で起きた常軌を逸した光景に恐怖し、思わず後方へと飛び退いた。
胸に深々と槍を突き刺されたまま、死体を足元へ蹴り飛ばす。
雨水と鮮血に濡れた私の姿は、もはや人間ではなく、地獄から這い上がってきた悪霊そのものだった。
「化け物……こいつ、痛覚がないのか!? 命が惜しくないのか!?」
「質問に答える筋合いはない」
私は右胸に刺さった槍の柄を自らの手で掴むと、力任せにズブズブと自分の肉体から引き抜いた。
ドス黒い血が溢れ出す。
本来なら、この時点で血胸と失血性ショックで意識を失い、死に至る激痛だ。
だが、密室となった廃教会の中、刺客たちしかいないこの完璧な空間において、私は隠す必要のなくなった異能の解放を許した。
バキバキバキッ……!!
傷口から、淡く禍々しい治癒の光が静かに漏れ出した。
砕けた肋骨が音を立てて繋ぎ合わされ、引き裂かれた右胸の筋肉が蠢きながら塞がっていく。太腿の切り傷も、まるで最初から傷などなかったかのように滑らかな皮膚へと修復されていく。
脳髄を突き刺す強烈な激痛。しかし、私の「死んだ目」は微動だにせず、刺客たちを冷ややかに射抜いていた。
「な……ななな……治って……!? 傷が、一瞬で……!?」
「ひっ……『再生』……! 伯爵家の、あの都市伝説の……!!」
刺客たちの精神は、完全に崩壊した。
暗殺者として訓練され、幾多の修羅場を潜り抜けてきた彼らにとっても、「刺しても死なず、その場で傷が塞がる存在」など、理解の枠組みを超えた絶対の絶望でしかなかった。
逃げ出そうと後方へ背を向けた刺客二人に対し、私は修復されたばかりの足で石畳を強く蹴った。
——ザシュッ!!
「がっ……!?」
逃走を図った一人の背後から滑り込み、首筋に短剣を深々と突き立てる。
残る一人——天井から奇襲を仕掛けていた細身の刺客が、破れたステンドグラスの窓へ向かって必死に飛び跳ねた。
「助けて……サーティ様っ……! こいつは、こいつは本物の化け物——」
その言葉が完成することはなかった。
窓枠に手をかけた刺客の喉骨を、背後から放たれた黒磁の短剣が完璧に貫いていたからだ。刺客はステンドグラスの破片とともに、外の雨の泥水の中へと無造作に転落していった。
静寂が、再び廃教会を支配した。
激しい雨音が屋根を叩く音だけが響く中、私は血のついた手を雨水で洗い流し、転がった死体から黒磁の短剣を引き抜いた。
「……見事な手際でした、レヴナント様」
教会の影から、音もなくシルヴァが姿を現した。彼女の足元にも、外で見張りをしていたと思われるサーティの末端の刺客が、首を折られて転がっていた。
「サーティは、本気であなたを消す気でしたね。これでギルド内部での抗争は不可避となります」
「抗争など起きない」
私は濡れた髪を無造作にあげ、冷ややかに死体を見下ろした。
「サーティが刺客を放ったということは、向こうも秘密裏に私を処理したかったということだ。刺客が全員返り討ちに遭った以上、サーティは自分の立場を守るために焦り、さらに無理な手を打ってくる」
相手が焦り、感情的になり、手数を増やせば増やすほど、そこに「不可避の死角」と「ハメパターン」が生まれる。
「サーティ派閥の利権、資金網、そして王都での拠点……すべてを内部から食い破り、乗っ取る」
私は短剣を鞘に納め、雨の降りしきる闇へと足を踏み出した。
暗殺ギルド内部の権力闘争。
それは私にとって妨害などではなく、ギルドの真の中核へと喰い込み、より強大な力と情報を手に入れるための、格好の「内部侵食の機会」に過ぎなかったのだった。




