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25 第6章:初任務と冷徹な日常

第6章 第1節


暗殺ギルドの正規構成員「レヴナント」として暗闇の表舞台へと放たれてから数日。私に下された最初のミッションは、王都の賑やかな商業区の裏側に潜む、ある汚職貴族の暗殺だった。


ターゲットの名はバルトロメウス男爵。表向きは王室御用達の貿易商として莫大な財を成し、慈善家として名を馳せている人物だが、裏では他国の密偵と通じ、人身売買や過激派組織への資金提供を行っている男だ。そして何より、彼が私腹を肥やすために裏で手を回していた非合法な奴隷ルートこそ、かつて私がスラムから買い叩かれ、この地下施設へと送り込まれる原因となった流通網の「上位ノード」でもあった。


「ターゲットの身辺警護は厳重だ。私兵の騎士が十数名、さらに元・高位冒険者の護衛が常に二名張り付いている。屋敷の周囲には検知系魔導具が隙間なく設置されており、正面からの侵入は不可能に近い」


ギルドから与えられた薄い皮の書類には、男爵の行動パターン、警備の配置、屋敷の構造図が詳細に記されていた。背後に控えるシルヴァが、私の手元を覗き込みながら静かに声を落とす。


「どう動くの、レヴナント? 私が表で騒ぎを起こして、警備を引きつけようか?」


「不要だ。そんな大雑把な手法は、生存確率を無駄に下げるだけでしかない」


私は冷淡に言い放ち、書類を魔導ランプの火で焼き捨てた。

「正面突破も、力任せの強襲も要らない。ターゲットの完璧な防衛網そのものを、彼自身の『墓場』に変えてやる」


夜深まり、月が重い雲の隙間に隠れた時刻。バルトロメウス男爵の豪華絢爛な館は、王都の高級住宅街の静寂の中に佇んでいた。屋敷の周囲には、外敵の侵入を感知する魔導の光がかすかに揺らめき、重装備の私兵たちが絶え間なく巡回を行っている。


だが、どれほど強固な要塞であっても、人間が居住し、活動する以上、必ず物理的・化学的な「循環システム」が存在する。


私は屋敷の敷地外にある、地下水路へと続く汚水排出口の影に音もなく潜み込んだ。前世の科学知識と、ギルドで叩き込まれた毒物・解剖学の知見が、脳内で瞬時に融合する。


屋敷の警備は完璧だ。しかし、彼らが使用する給水塔のろ過装置、そして男爵が毎夜好んで嗜む最高級の熟成ワイン——そこには目に見えない隙が存在していた。


私は懐から、かつて地下の調剤室から精製した特殊な無色無臭の化合物の小瓶を取り出した。それは単体では人間に対して何の毒性も持たない。だが、一定の熱(人間の体温)と、胃酸のペーハー(pH)に触れることで、体内で強烈な呼吸不全と全身麻痺を引き起こす、遅効性の合成神経毒へと変化する物質だった。


私は屋敷の厨房へ繋がる給水管のジョイント部分へ、音もなく滑り込んだ。暗闇の中で手際よく工具を扱い、配管の接合部に微量の化合物を塗布する。魔導感知器は魔力を帯びた物質や危険な毒物を検知するが、この化学的化合物は一切の魔力を持たず、塗布された段階では毒として判定すらされない。


「これで、お膳立ては完了だ」


私は濡れた暗闇の中で、静かに口元を歪めた。


深夜二時。男爵の執務室。

豪奢な革張りの椅子に深々と腰掛け、上機嫌でワイングラスを傾けているバルトロメウス男爵の姿があった。彼の周囲には、身の丈を超える大剣を携えた巨漢の護衛と、魔導杖を構えた熟練の術士が控えている。結界は正常に機能しており、ネズミ一匹の侵入すら許していない。男爵は完璧な安全の庇護下にいると固く信じ切っていた。


しかし、ワインを飲み干してから数分後。男爵の顔色が不自然に土気色へと変わり始めた。


「……な、なんだ……? 急に、息が……」


男爵が喉を掻きむしり、グラスを床に叩き落とした。豪奢な絨毯の上に赤い液体が広がる。

「男爵様!? どうされた!?」

「毒だ! 毒を盛られたのか!?」


護衛たちが狼狽し、魔導士が即座に解毒解呪の詠唱を始める。だが、彼らの魔法は一切の効果を発揮しなかった。なぜなら、男爵の体内で起きているのは魔導的な呪いや一般的な毒素の作用ではなく、過剰に摂取された化学物質による細胞レベルでの酵素阻害反応だったからだ。解毒魔法の概念そのものが噛み合わない。


「う、あぁぁぁっ……助け……て……!」


男爵が苦悶の声を上げ、床に転がり回る。護衛たちが混乱の極みに達し、室内の意識が男爵へと集中したその瞬間——。


パリンッ。


執務室の窓ガラスが割れる音すら立てず、室内を照らしていた魔導ランプの光が突如として一斉に消失した。完全なる漆黒。


「敵奇襲! 結界はどうなっている!?」

「誰も侵入した形跡はないぞ! どこから——」


巨漢の護衛が大剣を構え、周囲を警戒した瞬間、彼の背後の「影」が不自然に伸びた。


闇の中。私は前世の物理的知見に基づいた「音の反響と空間認識」をフルに活用し、無音のまま巨漢の護衛の背後へと滑り込んでいた。相手が異変に気づき、振り返ろうとしたコンマ数秒の前。


シュッ。


短剣の切っ先が、相手の頸椎の隙間——第四頸椎と第五頸椎の間に滑り込む。一切の抵抗感なく神経叢を断ち切られた巨漢は、叫び声すら上げられずに膝から崩れ落ちた。


「な、なんだ!? 何が起きている!?」


残された魔導士が狂乱し、ランダムに広範囲の火炎魔法を全方向に放った。


炎の奔流が狭い執務室を焼き尽くす。

ドスッ!!

猛烈な熱風とともに、炎の渦の中から一枚の影が飛び出してきた。私だ。

魔導士の放った火炎は私の左半身を焼き、皮膚を炭化させ、左目を潰していた。本来なら激痛で即死するか、全身がすくんで動けなくなるほどの重傷。


だが、私の「死んだ目」は、灼熱の炎の中でも冷ややかに前を見据えていた。


「ひっ……!? バケモノ……っ!!」


自分の放った最大の攻撃を直撃させながら、全身を焼かれた状態で死神のように肉迫してくる私の姿に、魔導士の精神は完全に崩壊した。彼が次の呪文を唱えるよりも早く、私の右手に握られた黒磁の短剣が、魔導士の喉仏を正確に貫いていた。


ドスン、と静まり返る部屋。

残されたのは、床で泡を吹いて身悶えするバルトロメウス男爵と、全身から煙を上げる私だけだった。


「……が……あ……っ」


灼熱の痛みが全身の神経を焼き焦がし、脳髄を狂わせるような激痛が押し寄せる。

だが、誰もいない密室。ターゲットと私だけの空間。


バキバキバキッ……!!


私の焼けた皮膚と筋肉が、不気味な音を立てて蠢き始めた。炭化した皮膚が剥がれ落ち、下から滑らかな新しい肉体が猛烈な勢いで再生していく。潰れたはずの左目が視力を取り戻し、激痛の波が静かに収束していく。


床で麻痺し、動けなくなった男爵の目が、その狂気的な再生の光景を目撃して極限まで見開かれた。


「ひ……ひぃぃぃっ……!? 怪物……お前、は……何者だ……!?」


声を絞り出す男爵の前に、私は完全に元通りとなった足取りで静かに歩み寄った。

彼の首元を踏みつけ、冷徹な見下ろす。


「お前が肥やしてきたその富も、張り巡らせた警備網も、すべてはただの『ハメ技の舞台装置』に過ぎなかったな」


「頼む……金をやる! 領地も、奴隷も、何でも……っ!!」


「命乞いは不要だ。お前がスラムへ売り飛ばした無数の子供たちも、同じように叫んでいたはずだ」


私は躊躇なく、短剣を男爵の心臓へと垂直に突き立てた。


冷たい感触が手に伝わり、ターゲットの生命活動が停止する。

最初のターゲット殺害ミッションの完了。


私は血のついた短剣を男爵の服で拭い、静かに懐へと収めた。

足音もなく窓から夜の闇へと飛び出し、屋根の影に潜んでいたシルヴァの元へと合流する。


「終わったわね、レヴナント。……怪我は?」

「何もない」


私は冷淡に答え、王都の闇の中を見据えた。

自傷再生と現代知識を組み合わせたハメ殺し戦術。それは実戦においても完璧に機能した。

私からすべてを奪った者たちを地獄の底へ突き落とすための復讐の牙は、こうして最初の一滴の血を吸い、さらに鋭く研ぎ澄まされたのだった。

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