24 第5章:暗殺ギルド
第5章 第5節
古代結界に隠された地下施設に足を踏み入れてから、5年の月日が流れた。
かつてスラムの泥に塗れ、ガリガリに痩せこけていた十歳の子供の面影は、今の私には微塵も残っていない。十五歳を迎えた私の肉体は、過酷極まりないトレーニングと、毎夜のように繰り返された「自傷再生」の激痛を耐え抜いたことで、無駄な脂肪の一切ない、しなやかで硬質な鋼のしなりを獲得していた。
青白く明滅する魔導ランプの下で、私は静かに己の両手を見つめる。
無数の修羅場を潜り抜け、幾度も肉を削がれ骨を砕かれながら、そのたびに異能によって強引に復元されてきた皮膚は、一見すれば傷一つない滑らかな状態に保たれていた。だが、その皮膚のすぐ下には、死の淵を何度も往復した者だけが纏う、冷え切った異様な気配が深く澱んでいた。
「四十二番。上層部がお待ちだ。中央大ホールへ向かえ」
独房の鉄格子越しに、指導官の低く無機質な声が響く。
私は言葉を発せず、静かに立ち上がった。ついにこの日が来たのだ。
数多の選別戦、毒物耐性試験、仲間同士の騙し合いと共食いを勝ち抜き、五〇人いた同世代の候補者のうち、生き残ったのはわずか数名。その極小の生き残りの中から、晴れてギルドの正規構成員——「影の執行人」としての名を与えられる儀式、襲名式が執り行われる。
静まり返った地下回廊を歩く足音は、静寂に溶け込み、一切の足音を立てない。
私の背後には、あの銀灰色の髪を持つ三十八番の少女が、気配を殺しながら静かに従っていた。彼女もまた、私の「ハメ殺し戦術」の踏み台、あるいは背後を守る便利な道具として利用されながらも、しぶとくこの地獄を生き残っていた。彼女の目からも、かつての迷いや恐怖は消え去り、ただ私という存在に盲従する冷ややかな影へと変貌を遂げていた。
回廊を抜け、重厚な黒鉄の扉が開かれると、そこにはギルドの全容を象徴するかのような、広大で壮麗な「中央大ホール」が広がっていた。
高天井からは漆黒の魔導クリスタルが吊り下げられ、妖しく紫がかった光を空間全体に投げかけている。ホールの奥、一段高くなった壇上には、黒いローブと仮面で顔を隠したギルドの最高幹部たちが居並んでいた。周囲の闇の中には、先輩にあたる正規の暗殺者たちが、気配を限りなく削ぎ落とした状態で壁と同化するように佇んでいる。
「——面を上げよ、生き残りし者たちよ」
中央に立つ、ギルド長と思われる老人の声が、大ホール全体に重重しく反響した。その声には強力な精神圧力が込められており、並の人間であればひざまずいて服従を誓ってしまうほどの威圧感があった。だが、私の「死んだ目」は微塵も揺らがない。前世の冷徹な合理性と、幾度もの死を克服してきた自傷再生の経験が、精神への干渉など一切寄せ付けない壁となっていた。
「五年の歳月をかけ、お前たちは泥を啜り、仲間を殺し、自らの肉体を完璧な殺戮の道具へと磨き上げた。恐怖も、慈悲も、不要な感情はすべてその地獄の中に捨て去ったはずだ」
老人は静かに腕を掲げ、私たちの前へ歩み寄る。その手には、ギルドの正規構成員だけに与えられる、黒磁で鍛えられた特別な短剣と、真鍮の仮面、そしてギルドの紋章が刻まれた黒い指輪が握られていた。
「今日この時をもって、お前たちはもはや『商品』でも『試作品』でもない。王国の裏社会、そして国家の興亡をも陰から支配する我がギルドの刃——正規構成員として認められる」
老人は一人ひとりの前で立ち止まり、番号で呼ばれていた私たちに、新たな「暗殺名」を授けていく。
「三十八番。お前には『銀影』の名を与える。闇に溶け込み、敵の喉元を静かに断つ刃となれ」
少女は無言で膝をつき、黒磁の短剣と仮面を恭しく受け取った。
そして、老人は私の前で足を止めた。
漆黒の仮面の奥にある老人の鋭い眼光が、私の顔面を、そして一切の感情を宿していない「死んだ目」を深々と射抜く。彼は一瞬、何かを吟味するように沈黙を守った後、低くかすれた声で宣告した。
「……四十二番。お前の戦い方は歪み、狂っている。死を恐れず、自らの肉体すら捨て駒にして敵を泥沼へハメ殺すその異様な戦術。お前には『死に損ないの棺』の名を授ける」
『レヴナント』。
死の淵から何度でも這い上がり、敵を地獄へ引きずり下ろす者。
私の「自傷再生」の本質を、隠し通しながらもその戦い方の異常性から見抜いたかのような、不吉で完璧な襲名だった。
「これより、お前たちの主は国家でも王でもない。ギルドの意志であり、提示される金と契約のみだ。外界へ出よ。影となりて敵を屠り、我がギルドの糧となれ」
老人の言葉とともに、幹部たちが一斉に短剣を掲げ、不気味な祝辞の呪文を低く唱え始めた。
黒磁の短剣を受け取り、指輪を右手の薬指にはめた瞬間、私の皮膚を通じて冷たい魔力の契りが全身に刻み込まれる感触があった。正規構成員としての襲名。それは、5年間に及ぶ地下の「養殖場」での下積み時代が終わり、私が外界へと解き放たれることを意味していた。
外界。
古代結界の壁を隔てたその外側には、私からすべてを奪った世界が広がっている。
我が伯爵家を惨殺し、父親の首を撥ねた他国の軍勢。
母親を泥の中で踏み潰した陸竜と、それを操る国家の権力者たち。
そして、この世界の理不尽な構造そのもの。
(ようやく……準備が整った)
手に持った黒磁の短剣の冷たさを確かめながら、私の胸の奥底で、氷のように冷え切った殺意が爆発的に燃え上がった。
十五歳になった私の肉体には、前世の物理・化学の知識、ギルドで叩き込まれた解剖学と毒物学、そして何よりも「死なずに相手をハメ殺す」狂気の自傷再生理論が完璧に組み込まれていた。
暗殺ギルドの正規構成員としての立場、その情報網と資金力、そして自由に外界へ出入りできる「仕事」という名の通行許可証。これらはすべて、私が個人的な復讐を果たし、すべての仇敵を地獄の底へと叩き落とすための最高の足がかりに過ぎない。
「行くぞ、シルヴァ」
私は振り返ることなく、静かに低く命じた。
「……はい、レヴナント様」
背後で銀灰色の髪の少女が、影のように私の後に続く。
鉄の扉が重々しい音を立てて開き、5年ぶりに外の風が私の頬を撫でた。
古代結界の光が遠ざかり、目の前に広がるのは、夜の闇に包まれた巨大な王都の夜景と、広大な大陸の影。
「待っていろ」
暗闇の中で、私の「死んだ目」が妖しい光を放つ。
白亜の城を血で染めたすべての者たちへ。
死に損ないの棺となった私が、今度はお前たちのすべての選択肢を奪い、逃げ場のない地獄へとハメ殺してやる。
暗殺者アレンとしての第一歩が、いま、静かに、そして確実に踏み出されたのだった。




