21 第5章:暗殺ギルド
第5章 第2節
第一の選別戦を生き延びた者に与えられたのは、安らぎなどではなく、さらに度を越した実戦形式の残酷な訓練カリキュラムだった。古代結界に護られた地下の養殖場において、指導官たちが私たちに求めるレベルは日ごとに跳ね上がっていった。もはや相手は同年代の未熟な訓練生だけではない。罪人として捕らえられた熟練の傭兵、狂暴化した中型魔獣、そして指導官自身が容赦ない殺気を孕んで刃を突き立ててくる。
その日の訓練は、薄暗い地下の第二闘技場で行われた。
「今日の課題は単純だ。五分間、目の前の相手から生き延びるか、あるいは息の根を止めろ。敗者に残されるのはゴミ溜めへの片道切符のみだ」
指導官の冷ややかな宣告とともに、私の前に引き出されたのは、両腕に巨大な異形の曲刀を装着された、身長ふた回りも大きな大柄の男だった。元はどこかの盗賊団の頭目だったというその男は、長年の殺戮で磨かれた狂気と、生き残るための執念を全身から放っていた。彼の首にはギルドの魔導首輪が嵌められており、私を殺せば解放されるという条件を突きつけられているようだった。
「ひははっ! ガキ相手なら楽勝だぜ! 痛い思いをしたくなけりゃ首を差し出しな!」
男は巨体に似合わぬ素早い足取りで石畳を蹴り、左右の曲刀を嵐のような連撃となって繰り出してきた。
(速い……そして重い)
私は手に持った小振りの短剣でかろうじて刃を受け流すが、一撃ごとに骨を揺らす強烈な衝撃が両腕を襲う。前世の物理知識や解剖学の理論をどれほど頭に叩き込んでいようとも、純粋な肉体の質量差と間合いの不利は覆しようがない。周囲には数人の指導官と、他の同期たちが壁際に冷ややかな視線を向けて立っている。私の異能——「肉体再生」の存在を悟らせるわけにはいかない。あからさまな治癒や異常な復元を見せれば、その場で解剖台へ送られるか、あるいは監視対象として自由に身動きが取れなくなる。
(かろうじて勝利する……それも、誰の目から見ても奇跡的な辛勝に見える形で)
私は脳内で激しく計算を巡らせた。相手の攻撃パターン、曲刀の軌道、そして自分の肉体の一部分を「代償」として差し出すことで生まれる一瞬の隙。
男の曲刀が、右上から左下へと容赦なく振り下ろされた。
私はあえて回避の動作をわずかに遅らせた。完全に避けるのではなく、相手に「首を撥ねられる」と確信させる罠としての遅延。
「死ねぇぇっ!」
男が歓喜の叫びを上げる。次の瞬間——。
ドスッ、ガキィンッ……!!
鈍い肉の切断音とともに、猛烈な衝撃が左肩を襲った。
男の曲刀は、私の首筋ではなく、身を捻って差し出した私の「左肘から先」を完璧に肉ごと骨ごと截断していた。
「なっ……!?」
視界の端で、自分の左腕が舞うのが見えた。鮮血が噴き出し、冷たい石畳の上へと激しい音を立てて転がり落ちる。
「あぁぁぁぁぁっ……!!」
私は絶叫した。それは演技ではない。左腕を失った真実の激痛と、切断面から溢れ出る灼熱の感覚。だが、その痛みの濁流の中で、私の意識だけは凍りつくほど冷徹に研ぎ澄まされていた。
腕を切り落とした反動で、男の体勢がほんのわずかに前傾姿勢へと崩れた。首を狙った攻撃が腕に当たったことで、相手のガードに「死角」が生まれたのだ。
「終わりだ」
私は悲鳴を上げた直後のコンマ数秒、激痛を強靭な意志力で力任せにねじ伏せ、右手に握りしめた短剣を繰り出した。
左腕の切り口から血を撒き散らしながら、男の懐へと滑り込む。相手が腕を切り落としたことに油断し、ニヤリと下種な笑みを浮かべたその咽喉元——解剖学的に最も脆く、太い動脈が集まるポイントへと、短剣の切っ先を一直線に突き立てた。
ゴツン、と手応えが手に伝わる。短剣は男の喉仏を貫通し、頸椎の隙間へと深々と突き刺さっていた。
「が……っ、ごふっ……!?」
男の瞳から狂気が消え、困惑と絶望の色が広がる。彼は自分の首に突き刺さった短剣に手を伸ばそうとしたが、神経を断たれた肉体はすでに言うことを聞かない。男は血の泡を吹きながら、そのまま棒立ちの姿勢から前のめりに石畳へと崩れ落ちた。
「ふぅ……はぁっ……はぁっ……!」
私は右腕一本で息を荒らげ、その場に膝をついた。切断された左肩からは絶え間なく血が流れ出し、視界が貧血で白く霞んでいく。
「判定……四十二番の勝利」
指導官の無機質な声が響いた。周りの同期たちは、腕を失いながらも相打ち覚悟で相手の喉を撃ち抜いた私の狂気的な戦闘スタイルに、引きつった視線を向けていた。奇跡的な辛勝。誰の目から見ても、一歩間違えれば死んでいたギリギリの泥仕合に映ったはずだ。
「おい、四十二番。その腕はもう使い物にならん。廃棄するか?」
指導官が足元に転がる私の左腕を指差し、冷淡に問いかけてきた。
「……持ち帰る」
私は激痛に歯を食いしばり、途切れ途切れの声で答えた。
「自分の……体の一部だ。……埋めるなり……処理するなり……自分でやる……」
「勝手にしろ。明日の訓練までに動けないようなら、そのまま処分だ」
指導官はそれ以上追及せず、興味を失ったように踵を返した。私は右腕だけで冷たくなった自分の左腕を拾い上げ、血を滴らせながらフラフラとした足取りで独房へと戻った。
◇
ガチャン。
鉄格子が閉まり、完全に一人きりの密室となった暗い独房。
青白く明滅する魔導ランプの薄明かりの下で、私は床に崩れ落ちた。
「くっ……ははっ……痛ぇな……死ぬほど痛ぇ……!」
切り落とされた自分の左腕を取り出す。切断面はすでに血が固まり始めており、腐敗が始まる前の肉の冷たさが伝わってくる。自傷再生の理論は頭の中にあった。だが、完全に截断された部位を「接合」させる実験は、これが初めてだった。
もし失敗すれば、私は片腕を失ったままこの地獄を生き抜かなければならない。
だが、迷っている暇はなかった。
「……くそがっ……!」
私は意を決し、ボロ布を噛み締めながら、切り落とされた左腕の切断面を、自分の左肩の痛々しい傷口へと力任せに押し当てた。骨の断面と、引き裂かれた筋肉の繊維を無理やり合わせる。
——次の瞬間、体内で狂気的な治癒の波長が爆発した。
バチバチバチッ……!!
傷口から滲み出た淡く禍々しい光の粒子が、二つの切断面を包み込む。
肉と肉が、骨と骨が、意思を持った蠢く蛇のように激しく引き寄せ合い、絡み合っていく。
「んぐぅぅぅぅぅぅっ……!!??」
噛み締めたボロ布が破れ落ちそうなほどの激痛が、脳髄を直撃した。
ただの擦り傷や骨折の修復とは次元が違う。一度死んだ肉体の組織が、強引に神経を繋ぎ合わされ、血管が脈打ち、血液が再び流れ込んでいく感覚。それは腕を切り落とされた瞬間の痛みの数倍——全身の肉を内側から万力で押し潰されるような、発狂寸前の激痛だった。
骨が軋む音。筋肉が縫い合わされる不気味な音。
冷たかった指先に、急速に熱い血液が流れ込み、神経が一本ずつ繋がっていく。
「あ……がっ……ふぅぅぅっ……!」
痛みのあまり目が血走り、涙と汗がボロ布を濡らした。数分間が、永遠の拷問のように感じられた。
やがて、治癒の光が静かに収束していった。
静まり返った独房の中で、私は荒い息を吐きながら、自分の左手を見つめた。
指先を曲げてみる。ぴくり、と動いた。拳を握りしめてみる。切断される前と変わらないどころか、強引に接合された骨と筋肉は以前よりも頑丈に噛み合っている感触すらあった。鏡もない暗闇の中だが、皮膚の継ぎ目にはかすかな赤い痕跡が残っているだけで、傷口は完璧に塞がっていた。
「……ははっ、繋がったか」
私は血のついた手で顔を覆い、暗闇の中で静かに笑った。
激痛という巨大なリスクはある。だが、この能力は間違いなく本物だった。腕を失おうが、肉体を削られようが、切断面さえ残っていれば私は何度でも元通りに復活できる。
「自傷再生」——相手に「致命傷を与えた」と誤認させ、油断した一瞬の隙に確実に息の根を止める、狂気の戦闘理論。
人目のある戦闘中はこの異能を隠し通さねばならないが、いざとなればこの能力こそが、私をどんな死地からも生還させる最強の切り札となる。
私は新しく繋がった左手を何度も握り締め、冷たい独房の壁を見据えた。
白亜の城を滅ぼし、我が家系を血の海に沈めた仇敵たち。そしてこの理不尽な世界そのものを、いつか我が手でハメ殺すための「牙」が、また一つ、狂気と激痛の中で研ぎ澄まされたのだった。




