(8)愛の書
その夜、フィアは出征の支度をしながら物思いに耽った。
(ゼンと一緒に戦える……)
徴集の報せを見た後、彼へ戦場というものの成り立ちを説明した。過去に書物で得た知識と、実地で得た経験を交えている。
彼は地頭がいい。その説明を難なく飲み込み、どういった構造になっているかすぐに把握した。そして、どのような手を打てば良いか提案してくる。
(さすがゼン。飲み込みが早い。そして私は付いていくのに必死)
彼女の隣へいつもゼンが来る。それはその知識と洞察力を目当てにしているからだ。少年のように目を輝かせ、純粋な瞳で求めてくる。もっとも、実年齢は少年と青年の境なのだが、見た目は完全に成人である。筋骨隆々で背が高い。
(小さかったのに、気付いたらあっという間にすごく大きくなった)
出会ったばかりの頃は小さな少年だった。無属性で、神言石は何も働かない。人間かどうかも疑われていた。そして今もこの世の理から外れたままだ。それでも強く逞しく生きている。
(私は、ずっと、あなたの傍にいて、いいのでしょうか)
フィアはそんな思いを飲み込み、小さな一冊の本を胸に抱く。
その本は「愛の書」という。彼女が幼い頃より頼りにしてきた一冊だ。育った場所から唯一持ち出した、彼女の心の支えである。
魔具の一種なのかは分からない。頁を捲ると様々な物語が紡ぎ出される。そこに記されているのは、有用な知識などではない、愛の物語だった。
その書から何か知識が得られるわけではない。疑問に応えてくれるものではない。教訓を示すものでもない。ただ、人々の営みが記されていた。人を想い、苦しみ、悲しみ、喜ぶ。それを愛と題している、そんな書だ。
その書には彼女が特に好きな話がある。
人々の安寧のため礎となる定めの少女が扉の外へ出たいと願う。少女は大人になり、女となった。女は一人の男と扉の外へ出る。そこは見たことのない景色が広がっていた。それを目にすることができた喜びを男と分かち合い、愛し合った。
――女は名を持たなかった
女は男から名を与えられた。それは、生涯の宝となったという。
この話を繰り返し読んだ。今日も彼女はこの話を読み直す。
(私はもう、扉の外にいる)
物語と自分を重ねて、彼女は立ち、歩み、生きてきた。だから強くなれた。
魔法も、知識も、鎧だった。世界を歩くための靴だった。
(本当は、私、強くはないけれど。ただ、あなたの傍にいたいから、ずっと頭を働かせてきた)
きっと、生まれが違えば難しい本を読むこともなく、知識を頭に詰め込むこともなく、ただ好きな人のことを考えて生きていたと思っていた。友達と恋の話をして、愛する人と結ばれることを願う。そんな少女、女として生きるのだと思った。
そして書を閉じる。
(私は精契者。大地の加護を受けし魔道の子。フィアという名の元に、あなたの道を切り拓きましょう)
月明かりに手をかざし、彼女はそう宣誓した。
この命が尽きるまで、この誓いは覆されない。そんな誓約だった。




