(36)精契者
彼女は貧しい家の出だった。
数多くある貧困階級の名もなき家庭。そんな家では、意図的に子供を増やすことがある。それは単純な労働力を目的としていることもあるが、別の目的もある。
王都やその近辺のある地方において、暗黙知として広まっているものがあった。
――魔造体の精製
その術式を編み出した大元の賢者が直接施したり、その術式を買い取った者が行うことがある。彼女は前者により造られた。
その精製方法は、妊娠した者が魔法陣を施した土の上に横たわり、誕生を待つというもの。精霊召喚の応用で編み出されたものである。これにより誕生した者は必ず地属性になる。地属性の術式を行う理由は、最も手頃であるからである。土に横たわるだけでいいからだ。貧困層の胎を利用するとあって、手頃さが求められた。
彼女は名も与えられず親元で物心付くまで育てられ、賢者サモシエルの元へ納められた。それにより、生家に大金が支払われる。
「十三よ、精霊契約と属性についての書を出せ」
「はい」
彼女は通し番号で呼ばれていた。これは歴代の魔造体の数だ。この時点で現存したのは彼女のみである。
体罰があるわけではない。衣食住も与えられる。読み書きなどの教育もされた。だが、それは賢者の求める仕事をこなすための土台である。魔造体として魔力を抽出されることはさほどなかった。助手としての仕事が殆どである。
そして、多くの時間を土の上で過ごした。体内に魔力を蓄えるためだ。体の成長は滞るが、魔力は成長していった。魔力の成長のために体の成長が阻害されているのだ。それは視力にも及んでいた。
賢者の求める仕事をこなせるかが命綱だと感じていた彼女は、神言石を眼鏡の形に変えた。結果、視力を補正することができ、記憶の保持、分析をする能力を得た。
(私は、いつかここの土の中へ眠るのでしょうか……)
敷地内の庭へ食材や触媒の残骸を埋めようとした時、彼女は小さな骨を見つけた。これはかつてこの館にいた同胞なのだろうと悟った。
涙を流すこともなかった。このために造られ、育てられ、ただあったものだから。いつか訪れるであろう、終わりの日まで粛々と生きた。ただ、一冊の本を支えに生きた。
――「愛の書」
賢者はそれを何の役にも立たない本としていた。ただ、人々の営みが記された本だった。人を想い、苦しみ、悲しみ、喜ぶ。それを愛と題している、そんな書だ。頁を捲るたびに物語が紡がれる。
彼女にとって、愛というものは物語の中のものであった。愛し愛される、いつかそれを知ることはできるだろうか。それは淡い夢だった。
賢者は老齢により、視力が低下していた。なので、彼女が書物を読み上げていた。神言器の能力も相俟って、否が応でも知識が蓄積されていく。賢者の問いに対して答えを返すことも求められた。賢者の思考の補佐だ。
彼女は、生まれが違えばこのように知識を詰め込むこともなかったと思った。人のことを想い、そんな物語を心の中で温める。そうして生きるのだと思った。
しかし、こうして賢者の補佐をすることにより、ずっと生き延びられるのではと思い、粛々と日々の仕事をこなした。
だが、その日は訪れる――
「儂は高みへ至る……!」
賢者は幾度めかの精霊との契約を試みた。触媒を用い、その魔力を捧げる。その触媒こそが――
彼女は悟った。この儀式こそが同胞を骨へと変えたものなのだろうと。
そう、魔造体はこの時のために造られるものなのだ。生活や軍事に利用されることもあるが、精霊への贄としての用途が発端だ。
精霊召喚には膨大な魔力を必要とする、というのが研究結果であった。
精霊との契約を果たした者は「精契者」と呼ばれる。実在が疑われるほど稀少な存在である。過去の文献や英雄譚などでしか確認できないほどの伝説的存在であった。そこへ至るということは、知恵や魔道を求める者にとって最上級の栄誉なのである。いずれ至るべき場所というわけだ。
賢者は神言器の鎖で常に彼女を繋いでいた。そのまま彼女を契約の魔法陣へ横たわらせた。そして術式を発動する。
(私はもう、あなたに会えないのでしょうか。もう一度会いたい……)
己の死を予感した彼女は、ある人物のことを思い出す。庭に用事を済ませに行くたび柵越しに話した少年のことを。
生への未練を抱くほどの熱はないと思っていた。骨となって地に溶けたほうがもう、苦しまずに済むと思った。愛の書とその想い出がなければそれでいいと彼女は思っただろう。
ドクン、心臓が鳴る。体内の炉が燃えた。彼女は胸を押さえる。
「我は地の精グランナ也。土に刻まれし契りの呼び声を聞き、ここに顕れた」
彼女の魔力を吸い、魔法陣が発光する。そして精霊が顕現した。厳かで美しい女の姿をしている。よく、大地は母に例えられる。それを体現したかのような姿であった。
「おぉ……、おお……!」
賢者は狂喜した。これまで幾度も召喚を試みたが、顕現したのは初めてであったからだ。これまで召喚に用いた魔造体たちの魔力は魔法陣に吸われて消え、魔造体たちは息絶えていた。この累積があって魔力が満ち、今回の顕現に至ったのである。
「我こそは賢者サモシエル。英知の深淵へ至らんとする者。地の精グランナよ、我が契約に応じ、その力を捧げよ!」
両手を掲げ賢者は精霊へ乞うた。ついに深淵に至れる。長い時を生き、積み重ねた研鑽が形になる時が来たと歓喜する。
「……汝は何を捧げた?」
精霊は賢者へ問うた。
「贄を。其方への贄を。そのために造り育てた上質な魔力の贄を」
賢者は高らかにそう答えた。精霊は如何様な表情も見せず、賢者を見下ろす。
「汝の望みは?」
「英知の深淵への到達、栄誉」
「承った。叶えよう」
「おぉ……!」
「汝が礎となり、それを目の当たりにするがよい」
「……!?」
賢者はガク、と膝を付いた。彼女を繋いだ鎖を通じて魔力が魔法陣へ流れ込む。
そして精霊は彼女の元へ立つ。
「汝は我へ命の源を捧げた。さすれば、その対価を与えるに値する」
「え……?」
彼女から魔法陣へ魔力が流れゆくのが止まっていた。優しい温かさが彼女を包む。
「汝の望みは?」
改めて精霊がそう問う。それは、彼女への問い。
「……会いたい。あの人に」
彼女は両手で顔を覆い、ぽろぽろと涙を流した。もしかして、願いが叶うのだろうか。そう思い。
「汝の名は?」
「そいつに名などないわァ!!」
激昂した賢者が精霊の問いを遮る。
「……私はフィア。フィアと申します」
彼女は名乗った。柵越しに語らった少年から与えられた名を――
これまで誰にも名乗ることのなかった名を。
「魔造体が名を名乗るなァ!! 貴様など魔力袋に過ぎぬわァ!!」
賢者の怒号が響く。醜く這いつくばり、手を伸ばし叫んだ。
「承りました。フィア。我は汝と契りを交わし望みを叶えましょう」
こうして伝説的存在である精契者が誕生したのである。賢者はその誕生を目の当たりにし、英知の深淵を目撃したことになる。望みは叶ったのだ。
「畜生、畜生……ッ!! 下賤なる魔造体如きがァァ!!」
賢者は怨嗟を叫びながら息絶えていった。
彼女はこうして足枷を外し自由を手に入れた。そして、力を手に入れた。
それは想い人に会うための靴だった。
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