炎の魔犬と氷の魔狼
数日後、適合試験と装備の点検を終えたセナは、MAの試験運用に参加することを決めた。
協会の監視下で、異常があれば即座に撤退すること。MAの起動時には身体データを継続して計測すること。そして、装着者が制御不能になった場合に備え、停止手順を準備しておくこと。
そうした条件を整えたうえで、俺たちは再びダンジョンへ向かうことになった。
「今回は、MAの試験も兼ねた探索になる。前回と同じ指定区域を中心に、無理のない範囲で行動してくれ」
協会の担当者から説明を受け、俺たちは機材を確認した。
今回も配信は許可されている。ただし、MAについては、公開できる情報を限定することになっていた。
「セナは、配信でどこまで説明する?」
「特殊な試作兵装を使う、とだけ伝えるつもり。詳しい仕組みについては、今は話せないから」
「それでいいと思う」
俺はカメラを確認し、配信を開始した。
「こんばんは、黒瀬旭です。今日は協会の監視下で、前回より少しだけ探索を進める予定だ。引き続き、異常があればすぐに撤退する」
『お、再びダンジョン配信!』
『今回はオーガ出ないよな?』
「出ないでほしいな、俺も」
『フラグ』
「そういうこと言うなって」
軽口を叩きながら、俺たちは指定区域へ入った。
同行者はセナと神代。協会の監視システムも、俺たちの位置と映像を追っている。
前回のオーガ戦から、まだそれほど日数は経っていない。だからこそ、今回は慎重に進むつもりだった。
ところが、通路を進んでしばらくしたところで、俺は妙な気配を感じた。
「……止まってくれ」
俺の声に、セナと神代が足を止める。
「何かいるの?」
「分からない。ただ、魔物の気配にしては……」
そのとき、通路の奥から低い唸り声が響いた。
続いて、空気が急激に熱くなる。
岩肌の向こう側から、炎をまとった巨大な犬型の魔物が姿を現した。
全身を覆う炎が揺れ、その口元から熱気が噴き出している。
「……魔犬か」
俺が呟いた直後、反対側の通路からも、別の影が現れた。
こちらは狼型。
青白い冷気をまとい、足元には霜が広がっている。吐き出す息が白く凍り、周囲の空気まで冷え込んでいく。
炎の魔犬と、氷の魔狼。
まるで性質の異なる二体の魔物だった。
『何だあれ』
『犬と狼?』
『どっちもデカすぎるだろ』
『浅層で出るような魔物じゃないぞ……』
コメント欄にも、戸惑いが広がっていた。
協会の通信が入る。
『こちら監視班。該当する出現記録は確認できません。黒瀬さん、セナさん、警戒を強めてください。危険と判断した場合は、即座に撤退してください』
「了解」
俺は短く返事をした。
ただ、二体の動きを見ているうちに、別の違和感を覚えた。
炎の魔犬は、こちらの様子を窺うように歩みを緩めている。
一方の氷の魔狼は、俺たちの立ち位置を確認するように視線を動かしていた。
互いの動きを確認し合い、こちらの逃げ道を探っているように見える。
普通の魔物が、ここまで連携するものなのか。
「……セナ、神代さん。警戒してくれ。こいつら、ただ突っ込んでくるだけじゃなさそうだ」
「私もそう思う」
セナは武器を構え、落ち着いた声で答えた。
神代も、二体の動きをじっと観察している。
「……来るよ」
セナがそう告げた直後、炎の魔犬が地面を蹴った。
巨体が、信じられない速度で迫ってくる。
「っ!」
俺は黒い剣を呼び出し、正面からの突進を受け流した。
だが、魔犬はそのまま通り過ぎなかった。
攻撃をかわした俺の進行方向へ、身体をひねって追撃を仕掛けてくる。
「しつこいな!」
俺は短く叫び、ブースターを噴射した。
横へ跳び、巨体の突進を避ける。
その瞬間、氷の魔狼が口を開いた。
冷気が床を走る。
俺が着地しようとしていた場所が、一瞬で薄い氷に覆われた。
「なっ――!」
足が床に触れた瞬間、身体が滑った。
踏ん張ろうにも、靴底が氷を捉えられない。横向きの勢いが残ったまま、俺の身体が予想以上に流れていく。
慌ててブースターを吹かせば、今度は壁に激突しかねない。
「くそっ……!」
何とか身体をひねったものの、肩が岩壁にぶつかった。
痛みが走る。
その隙を、炎の魔犬が見逃すはずもなかった。
低く唸り、俺の倒れ込んだ位置へと飛びかかってくる。
起き上がろうとした足元には、氷が広がっていた。
体勢を立て直せない。
魔犬の顎が迫る。
「黒瀬さん!」
セナが飛び出した。
だが、通常の装備のままでは間に合わない。
セナは迷うことなく、手にしていた結晶を握りしめた。
「MA、起動! 変身!」
結晶が光を放った。
その光はセナの手首から腕へ、肩から胴体へと一気に広がり、全身を包み込む。
白い装甲が腕と脚を覆い、ピンク色のラインが胸部から腰へ走った。関節部には滑らかな銀色のパーツが展開し、腰にはスカートを思わせる分割装甲が広がる。頭部には細いアンテナ状のパーツが伸び、額の結晶が明るく輝いた。
背後に光の輪が広がり、きらめく粒子がセナの身体を一周する。
最後に、両腕の装甲がカチリと固定された。
……思った以上に、華やかな姿だった。
いや、華やかというより。
「……魔法少女?」
俺は思わず口にしていた。
「黒瀬さん、感想はあとでね!」
セナはきっぱりと言い返した。
その声はいつもどおり落ち着いていたが、装甲に覆われていない顔の頬が、ほんの少し赤くなっているように見えた。
……もしかして、本人もこの格好を気にしているのか?
いや、今はそんなことを考えている場合じゃない。
セナは気を取り直したように、魔犬へ向き直った。
「さあ、行くよ!」
その声と同時に、彼女は地面を蹴った。
炎の魔犬が、セナへ向かって突進する。
セナは正面から受け止めようとはしなかった。相手の突進に合わせて身体をずらし、腕で攻撃の軌道をそらす。
それでも、巨体の勢いを完全に殺すことはできない。
セナの身体が大きく押し流され、靴底が岩の上を滑った。
「っ……重い!」
それでも、彼女は倒れなかった。
通常の装備なら、一撃を受けた時点で体勢を崩していただろう。MAによって強化された身体能力と防御力があってこそ、踏みとどまることができた。
「黒瀬さん、立って! その犬、起き上がるところまで狙ってる!」
「分かってる!」
俺は腕をついて身体を起こそうとした。
その瞬間、氷の魔狼が再び冷気を放つ。
床が白く染まった。
逃げ道を塞がれた。
炎の魔犬はセナを振り切ろうと身体をひねり、再び俺へ向かってくる。
その動きに、迷いはなかった。
まるで、俺がどこへ逃げるか、どの瞬間に体勢を崩すか、すべて把握しているようだった。
「……こいつら、俺の動きを読んでいるのか?」
「違う!」
セナが即座に否定した。
「黒瀬さんが動いてから対処しているんじゃない! 先に逃げ道を潰して、選択肢を減らしてるんだよ!」
その言葉で、俺はようやく気づいた。
ブースターで飛べば、着地点を凍らされる。
横へ逃げれば、滑る氷で体勢を崩される。
転倒すれば、起き上がる瞬間を狙われる。
そして、俺が一匹に対応している間に、もう一匹が次の攻撃の準備を整えている。
ただ強いだけの魔物じゃない。
互いの攻撃を利用し、相手の行動を制限する戦術を取っているのだ。
「神代さん!」
セナが叫ぶ。
「氷の狼を止められる?」
「一瞬なら」
神代は即座に答えた。
その目が、氷の魔狼を捉える。
だが、魔狼は神代の視線を感じ取ったのか、頭を少しそらした。視線を合わせないようにしている。
「……警戒してるね」
神代は淡々と呟いた。
「でも、こちらも黙って見ているわけにはいかないわ」
神代の目が、再び魔狼を捉える。
魔狼が一瞬だけ別の方向へ視線を向けた。
その隙を逃さず、神代は能力を発動した。
魔狼の身体が硬直する。
「今よ!」
神代の声が響いた。
俺は立ち上がり、右手を構える。
黒い剣を消し、代わりに別の武装を呼び出した。
腕を覆うように、炎を放つ兵装が形成される。
イグニス。
身体の奥から、熱が立ち上る。
「まずは、足場を取り戻す!」
俺は床へ向けて炎を放った。
氷が一気に溶け、白い蒸気が広がる。
滑っていた足元に、再び岩肌が現れた。
視界を覆う蒸気の向こうで、炎の魔犬が唸り声を上げる。
しかし、今はまだ動かない。
俺はその隙に、武装を切り替えた。
今度は、冷気を伴う兵装が現れる。
グラキエース。
「動きを止める!」
俺は、神代の能力で動きを封じられている氷の魔狼へ狙いを定めた。
床から氷の拘束が伸び、魔狼の前脚に絡みつく。
だが、拘束が完全に決まる前に、魔狼の身体が動き始めた。
訓練された魔物は、拘束された状態でもがくだけではなかった。
体重を後方へ移し、前脚を引き抜こうとする。
氷が軋んだ。
「黒瀬さん、長くは止められない!」
「分かってる!」
俺はさらにグラキエースを操作し、拘束を強めた。
その間に、炎の魔犬が動き出す。
セナの腕を振り払い、こちらへ突進してきた。
「セナ、下がれ!」
「大丈夫!」
セナは魔犬の進路へ再び踏み込み、突進の衝撃をまともに受けないよう、肩と腕で軌道をそらす。
魔犬の巨体がわずかに横へ流れた。
その隙に、セナが武器を振り抜く。刃が魔犬の肩口を捉えた。
深い傷ではない。
それでも、魔犬の動きが一瞬止まった。
「黒瀬さん、今!」
セナの声に、俺は即座に反応した。
グラキエースの拘束を解き、炎の魔犬へ向き直る。
だが、魔犬は傷を負っても怯まなかった。
むしろ、こちらの攻撃を避けるように身体をひねり、再び突進の姿勢を取った。
その動きに合わせて、氷の魔狼が床を凍らせようとする。
連携が崩れていない。
こちらが対応策を見せるたびに、次の動きを変えている。
俺はブースターを起動した。
今度は、横へ大きく飛ぶのではない。短い噴射で身体を浮かせ、氷の届いていない壁際の岩の突起へ移動するつもりだった。
床を滑るより、足場を変えたほうが安全だ。
そう判断したのだが――。
着地しようとした瞬間、岩の表面が青白く光った。
「……は?」
突起の根元から、鋭い氷柱が突き上がってくる。
一本ではない。
俺の着地点を囲むように、複数の氷柱が一斉に伸びていた。
「おい、マジかよ!」
足を下ろす場所がない。
空中では、すでに移動の勢いがついている。ここで何もしなければ、腹や胸に氷柱が突き刺さりかねない。
俺は反射的にブースターを最大出力まで吹かした。
軌道を無理やり変える。
だが、狙った方向へきれいに飛べるわけではなかった。
氷柱の先端が、装甲の脇腹をかすめる。
次の瞬間、俺の身体は岩壁へ向かって吹き飛ばされた。
「ぐっ……!」
肩から壁に激突し、視界が揺れる。
そのまま床へ落ちかけたところで、俺は腕を伸ばして岩肌にしがみついた。
あと少し、反応が遅れていたら。
あと少し、ブースターの出力が足りなかったら。
氷柱に貫かれていた。
本当に、死んでいたかもしれない。
「黒瀬さん!」
セナの声が聞こえる。
だが、返事をする余裕はなかった。
足元には、すでに新しい氷が広がっている。
地面へ降りれば、また足を取られるかもしれない。かといって、この場所に留まれば、次の氷柱が飛び出してくる可能性がある。
そして、炎の魔犬は、俺が壁際に追い込まれたことを理解したかのように、こちらへ向き直っていた。
逃げ道を塞ぐ。
着地を狙う。
転倒したら起き上がりを狙う。
さらに、足場の安全を確保しようとしたら、その場所そのものを殺傷用の罠に変える。
「……お前ら、本当に犬かよ!」
思わず叫んだ。
返事の代わりに、魔犬が低く唸る。
どうやら、文句を言っても攻撃をやめる気はないらしい。
「黒瀬さん、今は下を見て!」
セナの声が、鋭く響いた。
「そのまま飛び続けたら、次も狙われるよ! フェンリルは、黒瀬さんが次にどこへ行くかを読んでる!」
「そんなこと、言われなくても分かってる!」
「なら、今は無理に飛ばないで!」
セナは、炎の魔犬から視線を外さずに言った。
「地上に降りる場所を、私が作る!」
彼女はMAの出力を上げ、魔犬の突進に合わせて踏み込んだ。
俺は、彼女の言葉を信じて次の機会を待った。
こちらが動けば、その先を潰される。
なら、敵の動きを変えるのは、俺ではなくセナの役目だ。
彼女は正面から受け止めるのではなく、突進の進路をわずかにずらし、魔犬の巨体を岩壁側へ誘導した。
巨体が壁へぶつかり、衝撃で足を止める。
セナは、その隙に後退した。
「黒瀬さん、今!」
俺は短くブースターを吹かし、氷柱が生えていない床へ飛び降りた。




