MAの秘密とウォッチャーの思惑
◇
協会の確認を受け、ダンジョンから戻った俺たちは、負傷の確認と機材の点検を済ませた。
セナの肩の傷は軽いもので、念のための処置を受ければ問題ないとのことだった。
俺自身にも、目立った異常はなかった。
それでも、協会側はかなり警戒しているようだった。
浅層の出現記録にないオーガが二体も現れたのだから、当然だろう。
「今日は、もう少し探索できると思っていたんだけどね」
処置を終えたセナが、俺の向かいに腰を下ろした。
「俺もだよ。まあ、あの状況じゃ仕方ない」
「そうね……。それにしても、黒瀬さんは変身を自分で制御できるようになってきたんだね」
「ああ。少なくとも今回は、自分で変身して、自分で武器を出せた。解除もできたしな」
「それは、かなり大きな進歩だと思う」
セナは素直にそう言ったあと、自分の肩に触れた。
「でも、私のほうは考えないといけないことが増えたかな」
「オーガのことか?」
「それもあるけど……自分の装備のこと」
セナは真面目な表情で続けた。
「今の装備でも、ゴブリンや一般的な魔物なら問題なく戦える。でも、今日みたいな相手だと、攻撃を避けられても有効打を与えられない。防御にしても、一度まともに攻撃を受けたら危ないと思う」
「……確かに、そうだな」
「私なりに動き方を工夫しても、どうにもならない相手はいる。技術や経験だけで埋められる差じゃないんだと思う」
それは、俺にも分かる話だった。
身体が思いどおりに動かなければ、戦闘技術があっても限界がある。
攻撃をかわすことと、敵を倒すことは別なのだ。
「それで、前に話していたMAのことか?」
俺が尋ねると、セナは少しだけ表情を変えた。
「……うん。あれを使えば、今日みたいな相手にも対抗できる可能性があるから」
「MAって、特殊な試作兵装だって話だったな。詳しいことは、まだ聞いていないけど」
「実は、私も詳しい説明を受けたばかりなの」
セナは周囲を確認してから、声を落とした。
「黒瀬さん。ここから先は、配信では話せない内容なんだけど……聞いてもらっていい?」
「構わないよ」
「ありがとう」
彼女は少し考えてから、話し始めた。
「MAは、ウォッチャーが開発した兵装なの」
「……ウォッチャー?」
聞き覚えのある名前に、俺は思わず反応した。
以前、俺のもとを訪れた御堂という人物も、その組織の関係者だった。
俺の変身能力を観測し、三年前の事故についての情報提供や生活面での支援を持ちかけてきた、あの謎の組織だ。
ただし、俺はまだ契約には応じていない。
「セナも、ウォッチャーから接触されたのか?」
「うん。検査のあとにね。今日の戦闘で何を見たのか、黒瀬さんの変化について何を知っているのか、継続的に情報を提供してほしいって言われた」
「それで、MAの話も?」
「そう。あの人たちは、私にも協力してほしいみたい」
セナは小さく息を吐いた。
「MAは、普通のパワードスーツとは違うんだって。アビスの上位戦闘員が着ている全身装甲の技術と、黒瀬さんの変身に近い発想を組み合わせて作られたものらしいの」
「俺の変身に近い発想……?」
「環境適応細胞を利用して、装着者の身体そのものに変化を起こす。装甲を外から着込むというより、装甲と身体を一体化させる仕組みに近いみたい」
俺は腕を組んだ。
環境適応細胞。
俺の身体に残されていた、変身の原因と考えられているものだ。
その技術が兵装に利用されているのなら、確かに、通常の装備とは根本から違うのだろう。
「でも、それなら危険もあるんじゃないか?」
「あるみたい。MAは普段、宝石みたいな結晶の形で保管されていて、起動のための言葉を唱えると全身装甲へ展開する。そこまでは、普通に扱える人もいるらしいんだけど……問題は、そのあと」
セナの声が少し沈んだ。
「装着者の身体が変化するから、MAとの適合性が低かったり、変化を制御できなかったりすると、身体そのものが異常な変化を起こす危険があるんだって」
「異常な変化って?」
「最悪の場合、人間の姿を保てなくなる。ゴブリンみたいな姿に変わってしまう可能性もあるらしい」
「……それは、洒落にならないな」
「うん。しかも、適合できたからといって、必ずしも自分の意思で制御できるとは限らないみたい」
俺は、ワーウルフとの戦闘で起きたことを思い出した。
ブースターも、砲も、イグニスもグラキエースも、最初は俺の意思とは関係なく現れた。
その力を使いこなせなければ、強力な機能があっても意味がない。
そして、MAの場合は、それだけでは済まない可能性がある。
失敗すれば、身体そのものが変わってしまうのだから。
「……それでも、使おうと思っているのか?」
俺が尋ねると、セナはすぐには答えなかった。
少しの間を置いてから、ゆっくりと口を開く。
「まだ、決めたわけじゃないよ。私も、危険があることは分かってるから」
「なら、もう少し情報を集めてからでもいいんじゃないか?」
「そう思ってる。でも……」
セナは、俺の目を見た。
「今日の戦闘を見ていて、考えたの。黒瀬さんの変身みたいな切り札になるかもしれないって」
俺は、返事に困った。
俺の変身は、まだ分からないことばかりだ。
それでも、今回は自分の意思で変身し、黒い剣を出し、オーガ二体を倒すことができた。
あの力がなければ、通常の装備だけで同じ結果を出すのは難しかっただろう。
「今の私の技術や経験だけでは、対処できない相手がいる。だったら、危険があっても、それに対抗できる手段を持つことは考えないといけないと思う」
「……そうだな」
俺は頷いた。
ただし、危険を理解することと、危険を軽く見ることは違う。
「でも、焦って決める必要はない。MAがどういう仕組みなのか、どこまで制御できるのか。失敗した場合に何が起きるのか。それを確認してからでも遅くないはずだ」
「うん。私も、まずはできる限り情報を集めるつもり」
「ウォッチャーの説明だけを信じるのも、まだ早いかもしれないしな」
セナは少し驚いたように目を瞬かせ、それから小さく笑った。
「黒瀬さんも、あの人たちを信用していないんだね」
「信用するだけの材料が足りないからな」
俺は、御堂との会話を思い出していた。
あの人物は、俺を守るためだと言った。
しかし、契約には身体の観測だけでなく、変身や世界移動についての報告、緊急時の介入に関する条項まで含まれていた。
保護のためなのか、管理のためなのか。
その境界は、まだ見えない。
「とりあえず、俺も契約については保留にしている。ウォッチャーが何を考えているのか、もう少し見極めたい」
「分かった。MAのことも、すぐには決めないでおくよ」
セナはそう答えた。
ただ、その表情には迷いが残っていた。
自分の力だけでは届かない相手がいる。
それを、今日の戦闘で思い知らされたのだろう。
俺には、その気持ちが分からないわけではなかった。
だからこそ、俺たちは慎重に判断しなければならない。
強くなるために手に入れた力が、いつか自分自身を壊してしまう可能性だってあるのだから。
◇
探索者協会とは別の場所にある、ある監視室。
壁一面に並ぶモニターには、黒瀬旭と星宮セナのダンジョン探索映像が表示されていた。
そのうちの一つには、変身した黒瀬が黒い剣を振るい、オーガを倒す瞬間が何度も再生されている。
映像を見ていた男は、顎に手を当てたまま、しばらく黙っていた。
「……自発的な変身。武器の形成。戦闘終了後の解除。しかも、前回の記録と比べて動作の乱れが少ない」
隣に立つ職員が、手元の資料を確認する。
「はい。変身そのものの制御が進んだ可能性があります。身体能力についても、非変身時の動きに改善が見られます」
「改善、か。単純な回復なのか、それとも変身を繰り返したことで身体が適応したのか……」
男は、画面を切り替えた。
黒瀬の変身前後の身体データが並ぶ。
その数値を追っていた男の口元に、わずかな笑みが浮かんだ。
「面白いな。観測を始めたときには、ここまで変化するとは思っていなかった」
「黒瀬を、今まで以上に重点的に観測しますか?」
「当然だ。これだけの変化が起きているんだ。見逃す理由がない」
職員が頷き、端末を操作する。
だが、別のモニターに目を向けたところで、その表情が変わった。
「……もう一件、報告があります」
「何だ?」
「協会の指定区域で、通常の出現記録にないオーガが確認されました。しかも二体です。過去数日の記録でも、魔物の分布に不自然な変化が出始めています」
男の表情から、笑みが消えた。
「例の侵入事件との関連は?」
「まだ断定できません。ただ、あのとき仕込まれた細工が原因なら、進行が想定より早い可能性があります」
男は、画面に表示された出現位置を見つめた。
探索者協会への侵入。
そのときに仕込まれた細工。
そして、ここ最近になって表れ始めた、ダンジョン内の魔物の出現傾向の変化。
それらが無関係だとは考えにくかった。
「……これは、少々厄介だな」
「協会への情報提供と、調査要員の増員を進めますか?」
「協会への情報提供は、確認できた事実に限れ。原因を断定できない段階で、憶測まで渡す必要はない。こちらも、独自に調べる」
「黒瀬の探索については、どうしますか?」
男はすぐには答えなかった。
モニターでは、黒瀬がオーガとの戦闘を終え、変身を解除している。
彼は映像を見ながら、少し考えるように目を細めた。
「予定どおりの探索ができなくなったのは残念だが……」
「探索を中止させる必要がある、ということでしょうか?」
「そこまで単純な話ではない。黒瀬の変身は、まだ分からないことだらけだ。本人の意思でどこまで制御できるのか、身体がどう変化しているのか。調べるべきことは山ほどある」
男は、一度映像を止めた。
画面に映る黒い装甲。
そして、その右手に形成された黒い剣。
「それに、今日の戦闘は貴重な記録だ。あの状況で変身を選び、武器を形成し、戦闘後に解除した。本人にとっては一歩前進だろうが、こちらにとっても得るものが多い」
「ですが、アビス化が進行しているなら、観測対象を危険にさらすことになります」
「だからといって、ただちに保護するというのも違うだろう。黒瀬は我々の管理下にあるわけではない。彼自身の判断もある」
男は、机に置かれた資料を手に取った。
「ただ、あの変身能力を調べる機会が、アビスの侵攻によって失われるのは避けたい。事態が悪化すれば、彼が自由に探索できる環境そのものがなくなるかもしれないからな」
「黒瀬を救出する必要が生じた場合は?」
「状況次第だ。介入すれば観測を継続できるのか。それとも、こちらの存在を明かすことで別の問題が起こるのか。その場で判断するしかない」
男は、職員に視線を向けた。
「最初から助けると決めておく必要も、見捨てると決めておく必要もない。必要な情報を集めておけ」
「分かりました」
「それと、MAの進捗は?」
「適合者の選定と装備の調整を進めています。ただし、実戦投入できる段階には達していません」
「そうか。適合試験の結果を確認しておけ。今回の異常が一時的なものなのか、継続的な変化なのかも調べる必要がある」
男は少し間を置いてから、再び黒瀬の映像に目を戻した。
「星宮セナへの接触も続けてくれ。彼女がMAにどこまで関心を持っているか、判断材料を集めたい」
「MAを装着するよう、働きかけますか?」
「いや。こちらから結論を急がせる必要はない。彼女が何を考え、何を恐れ、何を求めているのか。それを知ることも、今後の判断には必要だ」
職員は一瞬だけ考えるような顔をしたが、すぐに頷いた。
「承知しました」
男は椅子の背にもたれ、モニターを見つめた。
未知の能力。
環境適応細胞。
アビス側の装甲技術。
そして、ダンジョンの内部で進み始めた、説明のつかない変化。
それらが一つのところへつながっているのか、まだ分からない。
しかし、分からないからこそ、確かめる価値がある。
もちろん、観察対象が失われれば話は別だ。
黒瀬が死ねば、それ以上の観測はできなくなる。変身能力の仕組みも、三年前の事故との関連も、解明できないまま終わる可能性がある。
それは、ウォッチャーにとって看過しがたい損失だった。
「……まだ、壊れてもらっては困るな」
男は、独り言のように呟いた。
その声には、単なるデータの損失を惜しむだけでは説明しきれない、微かな興味の色も混じっていた。
だが、それが黒瀬という人間への好意なのか、未知の能力に魅せられているだけなのか。
男自身も、わざわざ区別する必要を感じていないようだった。
◇
ウォッチャーもまた、侵入時に仕込まれた細工がどこまで影響を及ぼしているのか、まだ把握できていなかった。
これからダンジョンがどう変化していくのか。
そして、その変化が黒瀬やセナの未来にどのような影響を与えるのか。
その答えは、まだ誰にも分からなかった。
ただ一つ確かなのは、ダンジョンの異変が、もはや見過ごせない段階に入りつつあるということだった。




