変身しなくても、俺はゴブリンと戦える
探索者協会から試験運用の許可が下りてから、数日後。
俺は久しぶりに、ダンジョンの入口に立っていた。
目の前には、配信用のカメラと小型の通信機器を取り付けた装備一式がある。これらは協会の監視システムにも接続されていて、俺たちの位置や映像、身体の状態を可能な範囲で記録する仕組みになっていた。
「……ずいぶん大掛かりになったな」
「黒瀬さんの身体に何が起きるか分からないからね。協会としても、何かあったときにすぐ対応できるようにしておきたいんでしょう」
隣に立つセナが、装備を確認しながら答える。
彼女も今日は俺と一緒に探索へ入る予定だ。
もちろん、監視役として同行する神代恵理もいる。俺たちが予定外の行動を取ったり、身体に異常が現れたりした場合には、すぐに探索を中止して戻ることになっていた。
「まあ、何かあってからでは遅いからな」
「それはそうだけど……本当に大丈夫なの?」
「何が?」
「いえ、久しぶりに配信するんでしょう? もっと緊張しているかと思って」
「緊張はしてるよ。ただ、今さら緊張したところで、どうにもならないだろ」
俺がそう返すと、セナは小さく笑った。
確かに、以前のように気軽な気持ちでダンジョンに入れるわけではない。
三年前の事故で失ったものを取り戻したわけでもなければ、自分の身体に起きている変化を理解できたわけでもない。
それでも、生活していくには金が必要だ。
隔離されている間は何とかなっていたが、これから先もずっと誰かの世話になるわけにはいかない。
「よし。じゃあ、始めるか」
俺は機材の状態を確認してから、配信を開始した。
「こんにちは。今日は探索者協会の監視下で、試験的にダンジョン配信を再開することになった」
コメント欄が、すぐに動き始める。
『おおおおお!』
『黒瀬さん復活!』
『本当にダンジョンに戻ってきたのか』
『今回はちゃんと許可取ってる?』
「取ってるよ。今回は協会の許可を得た試験運用だ。指定された区域から出ないこと、同行者の指示に従うこと、異常があれば即座に撤退すること。このあたりが条件になってる」
『前回までが無許可だったみたいな言い方やめろw』
「前回までのことは忘れてくれ」
『無理です』
『アーカイブは永遠に残るぞ』
「……そうだったな」
俺は思わず苦笑した。
「まあ、今回は無茶をするつもりはない。まずは浅い階層で、身体の調子を確認しながら探索するだけだ」
『身体の調子って、変身後の?』
「それも含めてだな。ただ、必ず変身するわけじゃないぞ」
『変身する気満々で草』
「だから、そういう話じゃないって」
軽口を叩きながら、俺たちはダンジョンへと足を踏み入れた。
最初の階層は、これまで何度も探索してきた場所だ。
出現する魔物もゴブリンやスライムが中心で、経験を積んだ探索者なら、それほど苦労することはない。
もちろん、油断すれば怪我をするし、数に囲まれれば危険もある。それでも、今の俺たちが様子を見るにはちょうどいい場所だった。
「前方に二体。ゴブリンね」
セナが小声で告げる。
俺もすぐに気配を捉えた。
少し先の通路で、棍棒を持ったゴブリンが二体、こちらに気づいている。
「俺が右をやる。セナは左を頼む」
「了解」
短く言葉を交わし、俺たちは同時に動いた。
ゴブリンが棍棒を振り上げる。
俺は一歩踏み込み、その攻撃をかわしながら、手にした武器で相手の急所を狙った。
手応えは十分。
ゴブリンが倒れる。
ほぼ同時に、セナももう一体を仕留めていた。
「問題なし、かな」
「そうだな」
俺は自分の腕を軽く動かしてみた。
以前よりも身体が軽い。
ワーウルフとの検証でも感じたことだが、変身していない状態でも、身体能力が少しずつ戻ってきているようだった。
もちろん、かつてのSランク探索者だった頃と同じとは限らない。
だが、少なくとも、身体が以前より動かなくなっているという感覚はなかった。
『普通に戦えてるな』
『変身しなくても強いじゃん』
『元Sランクだしな』
「いや、今のはゴブリンだからな。これくらいで調子に乗るつもりはないよ」
俺はコメントに返しながら、周囲を確認する。
魔物の出現状況も、今のところは普段と大差ない。
少なくとも、俺の知っている浅い階層だった。
――そのはずだった。
少し先へ進んだとき、俺は足を止めた。
「……待て」
「どうしたの?」
セナも立ち止まり、俺の視線を追う。
通路の向こう側に、巨大な影が二つ見えた。
大きな身体。
太い腕。
そして、それぞれが手にしている巨大な棍棒。
見間違えるはずもなかった。
「オーガ……?」
セナが息を呑む。
俺も、すぐには言葉が出なかった。
オーガは、ゴブリンとは比較にならないほどの膂力を持つ魔物だ。
その巨体から繰り出される攻撃は、まともに受ければ人間の身体など簡単に破壊してしまう。
それが二体。
しかも、こんな浅い階層にいるはずのない相手だった。
『え?』
『オーガ?』
『ここって浅層だよな?』
『何でこんなところにいるんだよ』
コメント欄にも困惑が広がる。
俺はすぐに協会との通信回線を開いた。
「こちら黒瀬。前方にオーガが二体いる。指定区域での出現記録はあるか?」
返答まで、わずかな間があった。
『黒瀬さん、映像を確認しています。少々お待ちください』
その間にも、オーガたちはこちらに気づき、ゆっくりと歩き始めていた。
いや、正確には、歩いているだけではない。
こちらとの距離を測っているようにも見えた。
「……セナ、無理はするな。相手の動きを見て、危険ならすぐに下がれ」
「分かってる。でも、黒瀬さんも気をつけて」
「ああ」
やがて、通信機から協会職員の声が届いた。
『黒瀬さん、セナさん。現在の映像を確認しました。指定区域の巡回記録では、オーガ二体の出現は確認されていません』
「つまり、想定外ってことか」
『はい。現時点では出現原因を特定できていません。安全を優先し、可能であれば戦闘を避けて帰還してください』
当然の判断だ。
本来なら、ここは指定された浅層の探索区域である。オーガが出現すること自体、想定されていない。
無理に戦う理由はなかった。
だが、目の前の二体は、すでにこちらへ向かってきている。
それも、俺たちの退路を塞ぐような位置取りだった。
「……セナ、下がりながら隙を見てくれ。俺が前に出る」
「一人で二体を相手にするつもり?」
「できれば、一体ずつ相手にしたいところだけどな」
冗談めかして返しながらも、俺は気を引き締めた。
この相手に、今の装備と身体でどこまで対応できるのか。
そして、必要になったとき、俺は自分の意思で変身できるのか。
試されているのは、そこだった。
次の瞬間、先頭のオーガが吠えた。
巨体が、信じられない速度で突っ込んでくる。
「っ!」
俺は横へ飛び退いた。
直後、棍棒が地面を叩き、鈍い衝撃音がダンジョン内に響く。
砕けた岩片が飛び散った。
まともに受ければ、ただでは済まない。
それでも、動きそのものは見えていた。
身体が少しずつ戻ってきているという実感は、間違いではないらしい。
俺は距離を取って体勢を整えた。
そこへ、二体目のオーガが迫る。
「黒瀬さん、右!」
「分かってる!」
身をひねって攻撃をかわす。
その隙にセナが側面へ回り込み、武器を振るった。
刃がオーガの腕に当たる。
しかし、わずかな傷をつけただけで、決定打にはならなかった。
「硬い……!」
セナがすぐに離れる。
判断は正しかった。
無理に攻撃を続ければ、反撃を受ける危険がある。
ただ、俺も同じ問題を抱えていた。
通常の武器では、オーガの巨体と耐久力を相手に十分なダメージを与えられない。
攻撃をかわすことはできても、決着をつけるには火力が足りない。
ならば――。
「変身!」
俺は、自分の意思で変身を選んだ。
身体の奥から、何かが切り替わる感覚が走る。
黒い装甲が全身を覆い、視界や感覚が変化していく。
だが、今回は以前のように、身体が勝手に機能を生み出すのを待つ必要はなかった。
俺は右手を握りしめた。
次の瞬間、手の中に黒い剣が現れた。
「……よし」
ちゃんと出せた。
それだけで、少しだけ気持ちに余裕が生まれた。
だが、喜んでいる暇はない。
目の前では、オーガが再び棍棒を振り上げていた。
俺は踏み込む。
真正面から迫る一撃を剣で受け流し、相手の懐へと入った。
振り抜かれた棍棒が空を切る。
その隙に、黒い剣を振るう。
腕に刃が食い込んだ。
オーガが苦痛の声を上げ、体勢を崩す。
俺はすぐに距離を取った。
もう一体が背後から迫ってきている。
振り返ると同時に、棍棒が頭上から降ってきた。
俺は剣を掲げて受け止める。
激しい衝撃が腕に伝わったが、踏ん張ることはできた。
そのまま攻撃を横へ流し、相手の体勢を崩す。
今度は、逃さない。
俺は一歩踏み込み、黒い剣を振り抜いた。
刃がオーガの胴を捉える。
巨体が揺らぎ、そのまま地面へ倒れ込んだ。
「一体!」
セナが声を上げる。
だが、まだ終わりではない。
傷を負った最初のオーガが、怒りに任せて突進してくる。
その攻撃は、先ほどよりも荒々しかった。
俺は動きを見極め、棍棒の届く範囲から外れる。
そして、相手が体勢を立て直す前に踏み込んだ。
黒い剣が、オーガを斬り裂く。
巨体が膝をつき、そのまま動かなくなった。
周囲に静けさが戻る。
俺は剣を構えたまま、しばらく相手の様子を確認した。
やがて、完全に動かなくなったことを確かめてから、ようやく息を吐く。
「……何とか、なったか」
その言葉と同時に、黒い剣が消えた。
続いて、全身を覆っていた装甲も失われていく。
そして、俺は自分の意思で変身を解除できた。
思わず、自分の両手を見つめる。
今までは、身体が勝手に変化することも多かった。
変身そのものを、自分の意思だけで自由に扱えるとは限らなかったのだ。
それが、今回は違った。
変身するタイミングを自分で選び、必要な武器を呼び出し、戦闘を終えたあとには変身を解除できた。
完全に自由自在というわけではない。
それでも、これは大きな一歩だった。
『え……』
『今、自分で変身した?』
『黒い剣が出たぞ!?』
『オーガ二体を倒した……?』
『待って、ここ本当に浅層なの?』
コメント欄は、先ほどまでとは比べものにならないほどの勢いで流れていた。
「……どうやら、配信は無事みたいだな」
「そこを気にするの?」
セナが、呆れたような顔でこちらを見る。
「いや、ほら。せっかく再開したんだから、配信機材まで壊れていたら困るだろ」
「それはそうだけど……」
セナは言葉を切り、倒れたオーガへ視線を向けた。
彼女の肩口には、浅い傷ができていた。
「セナ、怪我をしたのか?」
「少しかすっただけ。大したことはないよ」
「本当に?」
「本当。動かせるし、痛みもそれほどじゃないから」
俺は念のために様子を確認したが、少なくとも、すぐに動けなくなるような怪我ではなさそうだった。
とはいえ、危険だったことに変わりはない。
セナは通常の装備で二体のオーガを相手にし、攻撃をかわしながら隙を作っていた。だが、攻撃そのものは有効打になりにくく、まともに受ければ防具もどこまで耐えられたか分からない。
彼女が弱かったわけではない。
相手が、彼女の現在の装備と火力では厳しい敵だったのだ。
そこへ、協会から通信が入った。
『黒瀬さん、セナさん。二体のオーガを撃破したことは確認しました。ですが、指定区域での出現は想定外です。負傷の有無を確認したいので、これ以上の探索は中止して戻ってください』
「了解。こちらは帰還する」
俺はすぐに返事をした。
今は戦闘を続けるよりも、状況を報告することのほうが重要だ。
そもそも、オーガが浅層に現れた理由すら分かっていない。
同じような異常が、別の場所でも起きている可能性だってある。
俺たちは周囲を警戒しながら、来た道を戻り始めた。
配信は続いていたが、視聴者もさすがに先ほどまでの調子では騒いでいなかった。
『黒瀬さん、無事でよかった』
『セナちの肩、大丈夫か?』
『二人とも早く戻ってくれ』
「心配してくれてありがとう。セナの怪我も、今のところは大きな問題はなさそうだ。ただ、協会から指示が出たので、今回はここで切り上げる」
俺はカメラに向かってそう説明した。
「今日のところは、これで終了だ。次にいつ配信できるかは分からないけど、またよろしく頼む」
そう言って、配信を終了した。
――これで初回の試験配信は終わりだ。
ただ、俺の気持ちは、すっきりしなかった。
変身を自分の意思で制御できたことは、大きな進歩だったと思う。
だが、浅層にオーガが二体も出現した理由は分からないままだ。
あれが偶然だったのか、それとも何かの前触れだったのか。
今はまだ、判断できなかった。




