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元Sランクの俺、今は底辺ダンジョン配信者ですが、三年前の事故現場に戻ったら突き落とされ、最強の力に目覚めました  作者: 水源


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俺は普通に雑談していただけなんだが

 協会での確認と機材の点検を終え、隔離施設へ戻った俺は、装備を外して部屋の入口脇へ置くと、そのままソファへ身体を投げ出した。背もたれに深く沈み込み、天井を見上げながら大きく息を吐く。


「……疲れた」


 今日は浅い階層だけだったとはいえ、久しぶりの本格的な戦闘だった。ゴブリン相手なら変身せずに戦える程度まで身体能力は戻りつつあるし、オーガ相手には自分の意思で変身できた。黒い剣も呼び出せたし、戦闘後には自分で変身を解除することもできた。


 結果だけ見れば、かなり大きな一歩だった。


 もっとも、セナは軽傷で済んだとはいえ、肩に怪我を負った。協会からも探索中止を指示されたし、浅層にオーガが現れた理由も分かっていない。


 手放しで喜べる状況ではないが、それでも、今日の成果まで否定する必要はないだろう。


「まあ、今日はよしとするか」


 そう呟きながらスマホを手に取り、配信のアーカイブを開く。案の定、すでに大量のコメントがついていた。


『変身制御おめでとう』


『身体能力もかなり戻ってるな』


『ゴブリン戦で変身しなかったのも、何か条件があるんだろうな』


『自分の意思で変身して、武器出して、解除までできたのは大きい』


『次はどこまで制御できるかだな』


「まあ、そうなるよな」


 画面を眺めながら苦笑し、スマホを膝の上へ置く。


「俺もまだ、完全に制御できたとは思ってないけどな」


 それでも、以前とは明らかに違う。


 そう考えると、張り詰めていたものが少しだけ解けて、胸の奥が軽くなった。


 ただ、変身について分かっていないことは、まだ多い。そもそも、こうなったのが俺だけとも限らない。


 三年前の事故では、俺と同じようにあの世界へ落とされた探索者たちがいた。


 もし、あいつらの中にも生き残った奴がいるのなら、俺と同じように身体が変わっている可能性もある。


「……魔物みたいな姿になってたり、獣人みたいな身体になってたりする可能性もあるのか」


 そこまで口にしてから、俺は眉を寄せた。


「まあ、まだ何とも言えないけどな」


 確かな根拠があるわけじゃない。今はただ、自分の身に起きたことから考えられる可能性を並べただけだ。


 俺はそこで考え込むのをやめ、いったん頭の中からその話を追い出した。


 夕食を簡単に済ませてシャワーを浴び、ようやく落ち着いたところで時計を見る。すると、ちょうどいい時間になっていた。


「……よし」


 俺は机の上に置いていた配信用カメラを手に取った。


 隔離措置が緩和されてから、この部屋でもある程度自由に過ごせるようになっている。もちろん、監視がなくなったわけではないが、施設内での生活に関しては以前よりずいぶん融通が利くようになった。


 今日は特に予定もないし、最近は何かと騒がしいことばかりだった。


「今日は雑談でもするか」


 変身だの、三年前の事故だの、協会だの、妙な組織だの。


 少しくらい、何も考えずに普通の配信をしてもいいだろう。


 俺はカメラをセットすると、その前に座って配信を開始した。


「こんばんは、黒瀬旭です」


 挨拶を終えると、待っていたらしいコメントが次々と流れ始める。


『こんばんは』


『今日もお疲れ』


『雑談待ってた』


『今日は何も起きないよな?』


「起きねえよ」


 俺は即答して、呆れたように眉を上げる。


「今日はただの雑談だからな。釈明配信じゃない」


『その発言が一番怖い』


『PON瀬さんだからな』


「その呼び方は忘れろって」


 思わず苦笑しながら、俺はソファの背もたれへ身体を預けた。


「今日はまあ、ダンジョンの話でもしようか。オーガ戦は――」


 そこまで話したところで、喉の渇きを覚える。


「あ、ちょっと待て。飲み物取ってくる」


『いってら』


『何かやらかすなよ』


「やらかさねえよ」


 コメントへ手を振るような仕草をしてから立ち上がり、部屋の小さなキッチンへ向かう。冷蔵庫を開け、ペットボトルの水を取り出して蓋を開ける。一口飲んでから戻ろうとしたところで、ふと部屋の隅にある空気清浄機へ目が留まった。


「……そういや、これちゃんと掃除してたっけ?」


 俺は足を止めた。


 この部屋に備え付けられている空気清浄機だ。隔離施設だけあって、こういう設備は妙に充実しているし、普段から電源も入れっぱなしにしていた。


「まあ、動いてるなら大丈夫だろ」


 軽く肩をすくめ、そのまま何事もなかったように配信へ戻る。


「ただいま」


『早いな』


『水だけ?』


「水だけだよ」


 俺は再びソファへ腰を下ろし、ペットボトルを机に置く。


「で、さっきのオーガ戦なんだけど――」


『黒瀬』


「ん?」


『今、部屋で何か動いてる音しない?』


「ん?」


 コメントを見返してから、俺は少しだけ顔をしかめて耳を澄ませた。


 ウィィィィン。


 確かに、部屋の隅から機械音がしている。


「ああ、空気清浄機だな」


『それ、ちゃんと掃除してる?』


「……」


 俺は答えず、天井を見上げるようにして少し考えた。


「してる……はず」


『怪しい』


『PONの匂いがする』


『確認しろ』


「お前らなあ……」


 呆れた声を漏らしながらも、結局俺は立ち上がる。そのまま空気清浄機の前まで行き、正面の表示を確認した。


 特に異常はない。いつも通り普通に動いている。


「ほら。普通に動いてるじゃねえか」


『フィルターは?』


「……」


 その一言に、俺の動きが止まった。


 空気清浄機をじっと見つめ、それから本体の左右を見回す。前面、側面、背面と目を動かしていくうちに、妙なことに気づいた。


「……フィルターって、どこだ?」


『おいwww』


『そこからかよ』


『黒瀬、説明書読め』


「いや、だって……」


 俺はしゃがみ込み、本体の側面や背面を手で探りながら眉をひそめる。


「フィルターなんて、そんな簡単に見えねえだろ」


『普通そこを探すんだよw』


『買ってから一度も掃除してない説』


「……」


 コメントを見て嫌な予感が膨らみ、俺は恐る恐る本体のカバーへ手をかけた。


 カチッ。


 あっさり外れた。


「……あ」


 中にはフィルターがあった。


 しかも、目に見えて分かるほど埃が溜まっている。


「…………」


 俺はフィルターを手にしたまま、しばらく固まった。


『おい』


『それ掃除したことある?』


『黒瀬?』


「……」


 問いかけられても、すぐには答えられなかった。記憶を探るように視線を宙へ向け、それからフィルターへ目を戻す。


「掃除したことあったっけ?」


『ねえのかよwww』


『完全勝利』


『PON瀬www』


「いや、待て!」


 俺は慌ててカメラのほうを振り返り、片手を上げて言い訳する。


「そもそもフィルターの場所を知らなかったんだから、掃除できないだろ!」


『威張るなw』


『そこを含めてPONなんだよw』


『説明書は?』


「……」


 俺はその言葉に、ゆっくり机の端へ視線を向けた。


 そこには一冊の薄い冊子が置かれている。


 空気清浄機の説明書だった。


「…………」


『あるじゃん』


『読めw』


『そこに全部書いてあるだろw』


「いや、でも説明書って、買った時に一回見たら、そのままどこかにしまうだろ?」


『しまってないじゃん』


『机の上にあるぞw』


 思わず口を閉じる。


 言われてみれば、確かにその通りだった。


 俺は黙ったまま説明書を手に取ると、表紙をめくった。ページをめくっていくと、フィルターの位置も、取り外し方も、掃除の方法も、定期的な手入れについても全部きっちり書いてある。


 その中に、これ以上ないくらい分かりやすい一文まで見つかった。


『フィルターは定期的に清掃してください』


「…………」


『読んでなかったんかい!』


『完全にPON瀬』


『変身は制御できるのに家電は制御できない男』


「家電を制御するって何だよ!」


 俺は思わず声を上げ、額を押さえる。


「いや、でも、この施設に来てからそんなに経ってないだろ?」


『いつからここにいる?』


「えーっと……」


 俺は視線を上へ向けて記憶を辿る。


「……結構経ってるな」


『ダメじゃんw』


『今日ちゃんと掃除しろw』


「分かったよ!」


 観念した俺は、フィルターを持ったまま部屋の流し台へ向かった。施設の備品なんだから、下手に壊すわけにもいかない。


 説明書を確認しながらフィルターを掃除し、元の位置へ戻す。最後に電源を確認すると、空気清浄機は何事もなかったかのように動いていた。


「……よし」


 俺は小さく頷き、腰に手を当てて満足げに空気清浄機を見た。


「これで完璧だ」


『いや、定期的に掃除しろよw』


『空気清浄機「やっと掃除された」』


『PON瀬健在』


「だから俺は普通に使ってただけだって!」


 俺は苦笑しながら言い返すと、再びソファへ戻って深く座り直した。


「……まあいい。これで部屋も少し快適になるだろ」


『今日も安心した』


『変身制御した回の次がこれなの草』


「いや、待て」


 俺はそこで少しだけ真顔になり、カメラへ向かって気まずそうに眉をしかめる。


「これ、変身より恥ずかしいな」


『それはそう』


『世界を救える身体より家電の掃除を忘れる男』


『最強の敵、魔物じゃなくて取扱説明書』


「お前ら、人の生活で遊ぶな!」


 思わず笑いが漏れそうになるのを堪えながら言い返したところで、俺は机の上に置いた説明書へもう一度目をやった。


 さっきまで気にも留めていなかった手入れの項目が、今になって妙に気になってくる。


「……これ、他にも何かあるのか?」


『読むな』


『今日はもうやめとけ』


『これ以上はPONが増えるぞ』


「……」


 しばらく説明書を見つめたあと、俺はそっと閉じた。


「今日はもう終わりにするぞ」


『なんでw』


「これ以上やったら、また何か見つかりそうだからだよ!」


 自分でも少し情けなくなって、俺は額を押さえた。


『それが一番正しい』


『今日は雑談配信なのに神回』


 俺は深いため息を吐きながら、苦笑交じりに呟く。


「変身能力のことより、家電の使い方を勉強したほうがいいのかもしれんな……」


 そんなことを言ったところで、机の上に置いたスマホが震えた。


 画面を見ると、協会からの連絡だった。


『本日の試験結果について、明日午前十時から面談をお願いします』


「……明日か」


 さっきまでのふざけた空気が一瞬で引き締まり、俺はスマホの画面をじっと見つめた。


 今日のダンジョンでは、確かに一歩前進した。


 自分の意思で変身し、黒い剣を呼び出し、戦闘のあとには解除することもできた。身体能力も回復しつつある。


 けれど、俺の身体について分かっていないことは、まだいくらでもある。


 それに、浅層にオーガが現れた理由も分かっていない。


 協会は出現記録にない異常だと言っていた。偶然なのか、それとも何かの前触れなのか。明日の面談では、あの戦闘についても詳しく聞かれることになるだろう。


 そして――。


 三年前の事故。


 あの世界。


 俺を取り巻く連中。


 さらに、俺の変身能力に興味を示しているウォッチャーという組織もいる。


 雑談で笑っていられる時間は、たぶんそう長くない。


 俺はスマホを机へ置き、短く息を吐いた。


「……まあ、今日はもういいか」


 そう呟いて、再び説明書へ目を落とす。


 さっきまで笑いの種にしていた一文が、今度はやけに目についた。


『フィルターは定期的に清掃してください』


「…………」


 俺は無言のまま説明書を閉じた。


『黒瀬?』


「うるせえ!」


 その夜の配信は、変身能力とはまったく関係のない理由で、過去最高クラスのPONとして切り抜かれることになった。

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