ワーウルフとの戦闘によるさらなる変化?進化?
右腕から力が抜けた。
「……え?」
巨大化していた右腕が、何事もなかったかのように元へ戻っていく。背中と脚の推進器も消えた。
「またかよ!」
ワーウルフが再び飛び込んでくる。
俺は咄嗟に腕を上げた。
その瞬間、右手に何かが出現した。
「……は?」
黒い銃身を持つ、大型のリボルバーマグナム。
人間が片手で扱うには明らかに大きすぎる。無骨な銃身と巨大なシリンダーを備えたその姿は、拳銃というより小型の砲に近かった。
それでも、なぜか俺の手には吸い付くように馴染む。
握った瞬間、その名前が頭の中に浮かんだ。
「……イグニス?」
右手に現れたのは、火炎爆裂弾を装填したリボルバーマグナム――イグニス。
そして、ほとんど同時に左手にも別の銃が現れた。
こちらも人間用とは思えないほど大型のオートマチックマグナム。分厚いスライドと長い銃身を持ち、見るだけで重量を感じさせる無骨な造りだ。銃口の周囲には、白い冷気が薄く漂っている。
「グラキエース……?」
氷結拘束弾を装填したオートマチックマグナム――グラキエース。
右手に熱。左手に冷気。
二つの異なる力が、まるで最初から一対の武器だったかのように手の中へ収まっている。俺自身、どうして名前が分かるのかも、なぜこの二丁が現れたのかも分からない。
だが、もっと妙なことが起きていた。
ワーウルフが、動きを止めていたのだ。
「……?」
さっきまで俺を追い詰め、何度も爪を振るってきた相手が、目の前で立ち尽くしている。
最初は、次の攻撃を仕掛ける隙をうかがっているのかと思った。
しかし、違った。
ワーウルフの耳が、ぴたりと頭に伏せられていた。
逆立っていた毛がさらに膨らみ、剥き出しの牙の隙間から、低い唸り声が漏れている。けれど、その声には、先ほどまでの威圧感がなかった。
喉の奥で震える、かすれた音。
まるで、自分でもどうすればいいのか分からず、それでも必死に何かを遠ざけようとしているようだった。
「……おい?」
俺が一歩踏み出す。
ワーウルフは、びくりと全身を震わせた。
そして、後ずさった。
たった一歩。
それだけなのに、俺には信じられなかった。
ついさっきまで、こいつは俺の突進を見切ってかわし、巨大な砲から放たれたコンクリート弾すら避けていたのだ。
こちらの攻撃を恐れるどころか、隙を見つければ迷わず飛び込んでくる。そんな相手が、今は俺との距離を広げようとしている。
「……え、何?」
思わず二丁の銃を見下ろした。
まだ撃っていない。
引き金に指をかけてもいない。
そもそも、俺はこいつに銃口を向けることすら、ちゃんと意識していなかった。
なのに、ワーウルフは明らかに二丁を警戒していた。
いや。
警戒という言葉では足りない。
こいつは、怯えている。
「……怖がってる?」
神代の声が、かすかに震えた。
「ええ……。ですが、普通の武器に対する反応とは思えません」
彼女は自分の眼を細め、ワーウルフの動きを観察していた。
「さっきまでの攻撃的な姿勢が崩れています。こちらの動きを見て隙をうかがっているというより……」
「逃げようとしている?」
俺が尋ねると、神代は小さく頷いた。
「そう見えます」
その間にも、ワーウルフはじりじりと後退していた。
俺が右手を少し動かす。
それだけで、ワーウルフの視線が右手の銃へ吸い寄せられた。
左手を動かせば、今度はそちらを追う。
目の動きが速い。
俺の身体がどこへ動こうとしているのか見極めようとする、戦闘中の鋭い視線だ。
だが、いつものように反撃の機会を探しているわけではない。
右手。左手。そして銃口。
ワーウルフの視線は、その三つから離れなかった。
まるで、俺の身体よりも、二丁の銃の方が恐ろしいものだとでもいうように。
「……何なんだよ、これ」
俺は二丁を持ったまま、困惑していた。
この武器が何なのか、どんな仕組みで現れたのか、どう使えばいいのかも分からない。
それなのに、目の前の怪物は、俺が知らない何かを知っているようだった。
ワーウルフが、低く唸った。
次の瞬間、身体がわずかに沈む。
「来るか!?」
俺は身構えた。
だが、ワーウルフは飛びかかってこなかった。
代わりに、横へ跳んだ。
俺から離れる方向へ。
そして、二丁の銃口から逃れるように、大きく回り込もうとする。
「……は?」
さっきまで、こいつは俺の動きを読み、逃げ道を塞ぐように追い込んできた。
なのに今は、俺を攻めるどころか、距離を取ることばかり考えているように見える。
しかも、俺が銃を動かすたびに、ワーウルフの身体が小さく跳ねた。
撃っていない。
何もしていない。
ただ、手に持っているだけだ。
それでも、こいつは怯えていた。
「黒瀬さん、無理に撃たないで!」
セナの声が響いた。
「今のあいつ、さっきまでと全然違う! 攻撃の機会を探しているんじゃなくて、二丁から離れようとしてる!」
「分かってる! 俺だって、どうすればいいのか分からないんだよ!」
俺は引き金に指をかけないよう、意識して手を握り直した。
撃つつもりはない。
そもそも、撃ったら何が起こるのかも分からない。
それでも、ワーウルフの反応は変わらなかった。
むしろ、俺が動かずにいると、少しだけ落ち着きを取り戻すように見えた。
しかし、二丁の銃から目を離すことはない。
俺が呼吸するたびに、肩が動くたびに、ワーウルフの視線がわずかに揺れる。
その様子を見ているうちに、俺の背筋が冷たくなった。
こいつは、単に銃が怖いわけじゃないのかもしれない。
銃という形をしたものを、危険な武器として認識しているだけなら、ここまで怯えるだろうか。
まだ一発も撃っていない。
威力を見せたわけでもない。
それなのに、まるで実際に攻撃を受けたかのように、身体が拒絶している。
「……おい。こいつ、これが何だか分かってるのか?」
俺が呟く。
神代は答えなかった。
ただ、ワーウルフの反応を観察し続けていた。
やがて、彼女が小さく息を呑む。
「……通常の武器に対する恐怖とは、明らかに違います」
「どう違うんだ?」
「単に攻撃を警戒しているだけではありません。まだ発射していないのに、二丁が現れた直後から、行動そのものが変わっています」
神代は俺の両手を見つめた。
「まるで、その武器が自分にとって何を意味するのか、身体が理解しているかのようです」
「……意味?」
「ええ。ただ、それが何なのかまでは分かりません」
管制室のセナも、画面に映ったワーウルフを見つめていた。
彼女はワーボア戦で、黒い剣が敵の再生を妨げるような現象を起こしたところを見ている。だが、今回はそれとは違った。
「黒瀬さん」
「ん?」
「その二丁、さっきの大砲とは反応が違うんだと思う」
「どういうことだ?」
「コンクリート弾を撃ったとき、ワーウルフは攻撃を見て避けた。あれは、弾道を読んで回避したように見えたんだ。でも今は、一発も撃っていないのに逃げようとしてる」
セナは画面を切り替え、さっきの砲撃の映像を一時停止した。
「つまり、攻撃を見てから危険だと判断したわけじゃない。武器が現れたこと自体に反応している可能性がある」
「……なるほど」
俺は二丁の銃を見た。
右手のイグニス。
左手のグラキエース。
どちらも、俺には初めて見る武器のはずだった。
なのに、名前も、どういう弾を装填しているのかも、なぜか頭の中では分かっている。
そして、このワーウルフは、俺以上にこの二丁の恐ろしさを理解しているように見えた。
「……こいつ、これが怖いのか?」
俺が改めて尋ねると、神代は慎重に頷いた。
「そう考えるのが自然だと思います。ただし、恐怖の原因までは分かりません」
ワーウルフは、なおもじりじりと後ずさっていた。
その眼には、さっきまでの獰猛さがない。
代わりに、どうにかしてこの場から逃れたいという切迫したものが浮かんでいた。
俺は、二丁の銃を少し下げた。
すると、ワーウルフの身体から、ほんのわずかに力が抜けたように見えた。
だが、銃を持つ俺の両手を警戒する姿勢は変わらない。
「……マジかよ」
俺は思わず呟いた。
黒瀬の身体が生み出した武器を、敵が恐れる。
それ自体は、別におかしなことではないのかもしれない。
強力な武器なら、相手が警戒するのは当然だ。
だが、今回は違う。
このワーウルフは、コンクリート弾を撃ち出す砲を見ても怯まなかった。
俺の突進を避け、何度も攻め立て、こちらを追い詰めてきた。
そんな相手が、まだ一発も撃っていない二丁のマグナムを見ただけで、戦うことそのものをためらっている。
しかも、その恐怖は、俺が感じるよりもずっと明確だった。
「……何なんだよ、本当に」
俺が銃を見下ろす。
イグニスとグラキエース。
その名前が、再び頭の中に浮かんだ。
まるで、ずっと前から知っていたかのように。
だが、俺はこの二丁を知らない。
少なくとも、今の俺にはそう思える。
「黒瀬さん、無理に動かさないでください」
神代が静かに告げた。
「ワーウルフの反応が、まだ安定していません。これ以上刺激すると、恐怖から予測不能な行動を取るかもしれません」
「分かった」
俺は二丁を構えず、その場に立ち尽くした。
やがて、研究員の声が響く。
「検証を一旦中止します!」
隔壁が動き始め、区画内の防護設備が作動する。
ワーウルフは最後まで俺の両手を警戒しながら、ゆっくりと後ろへ下がっていった。
隔壁の向こうへ消える直前、一度だけ、こちらを振り返る。
その眼が見ていたのは、俺の顔ではなかった。
俺の手にあった二丁の銃だった。
そして、隔壁が完全に閉じると同時に、俺の身体を包んでいた黒い装甲が薄れ始めた。
二丁のマグナムも、音もなく消えていく。
残されたのは、いつもの自分の手だけだった。
「……終わったのか?」
「はい。まずは身体に異常がないか確認しましょう」
神代が近づいてくる。
俺は、空になった両手を見つめた。
「……あいつ、何であんなに怯えてたんだ?」
神代はすぐには答えなかった。
管制室のセナも、しばらく画面を見つめたままだった。
やがて、彼女が静かに口を開く。
「黒瀬さん。あの二丁が何なのか、ちゃんと調べた方がいいと思う」
「……ああ」
「ただ強力な武器というだけじゃないのかもしれない。少なくとも、ワーウルフはそう受け取っていたように見えた」
俺は、さっきまで銃を握っていた手を開いた。
そこには何もない。
けれど、手のひらには、まだ二丁の重みが残っているような気がした。




