イゴールは、気付かない。
冒険者ギルド内に入った彼は、依頼書を眺めていた。
今日はどの依頼にしようか。
彼はいつも、食堂で食べる昼食のメニューを選ぶような気楽さで、依頼を選んでいる。
側から見ると、壁を貫きそうな、悪魔のような悍ましい視線を発しているように見えるのだが、彼は普通に依頼を選んでいるだけだ。
その事を、冒険者ギルド内の冒険者達は分かっている。なので、気にしない。
彼の異様な圧力を伴った空間の中で、至って普通に過ごす様は、なかなかにシュールである。
そんな中。
きぃ、きぃ、と。
階段を踏みしめる音。
この街の冒険者ギルド有数の実力者、数人だけが気付いている。
わぁわぁ、と、ギルド内は、いつも騒がしい。
冒険者ギルドの中は安全だ。気が抜けてしまっているのだろう。階段が軋む僅かな音を、聞き逃してしまうのも無理はない。
だが、実力者たちはその僅かな音を、聴き逃さなかった。
そしてーーー重厚な圧力を伴っている彼、イゴールも、その”実力者”達の一人なのだった。
きぃ、きぃ、きぃ。
次第に音は大きくなってきた。
軋む音の質感から、機関長ではない、と、実力者達は判断する。あの体格にしては、音が軽すぎるのだ。
かといって、副機関長でもない。彼女にしても、軽すぎる。
そして、現れる、音の主。
それはーーーー、幼女であった。
「む……」
イゴールから、声が漏れる。
言葉ではない。ただの声。
だが、その、"ただの声"で、彼の放つ重圧感は、段違いのものとなる。
重圧に慣れているとはいえ、急にその圧力の重さが変わった事もあり、周りの冒険者達は、ぶるり、と、体を震わせ、動きを一瞬止めた。
だが、すぐ、その重圧に適応し、各々の行動を再開させた。彼の重圧の、急な変化にも、この街の冒険者達は慣れているのだ。
閑話休題。
音の主は、一人の幼女だった。
彼女は受付に向かい、受付嬢と、会話をしている。
どうやら、彼女は冒険者登録をしにきたようだった。
茶髪ショートに、なんの装飾も無い、布の服。
そんな、どこにでも居るような、幼子。
だが。実力者達は、彼女の姿を見てーーーー戦慄した。
一部の例外を除き、ヒト族なら誰でも持っている、魔力。
一定以上、魔力を感知する能力を鍛えた者ならば、人から漏れ出す魔力を感じ取ることが出来る。
誰であろうと、ゆらゆら、と、オーラのように、動きながら、魔力は漏れ出しているものだ。
だが。
彼女の魔力はーーーー流動していなかった。
漏れ出てはいたが、完全にーーーー停止していたのだ。
その様をみて、魔力の感知に長けているのが当たり前な、高ランクの実力者達は、皆、全く同じ事を考えた。
“ありえない”————と。
魔力の停止。
それは、"賢者の領域"なのだから。
ーーーー通常、ヒトに限らず、多種族の他、動物や魔物などを含め、魔力を扱う者達は、絶対に魔法の行使が出来る。
基本、誰でも、最低一つは属性を持っている。自分に合った魔法の行使が出来るのだ。
だが、その力の強さは、”個人差”が激しい。
古代の勇者が開発したと言われている、”ステータス”。
その基準上の、”MATK”の値が同じ人が、二人いたとしよう。だが、その二人が、同じ魔法を同じ魔力だけ消費して使っても、魔法の威力には差が出るのだ。
例えば。
地獄の業火の如き炎を操る者もいれば、火種になる程度の小さな火花しか飛ばせない様な者もいる。
魔物を軽く氷漬けに出来るような者もいれば、指先に乗せるとすぐ溶けるような、小さな霜しか生み出せない者もいる。
烈風で全てを吹き飛ばし、鋭い風で敵を切り刻む、嵐そのもののような者もいれば、髪の毛一本を少し揺らす程度の風しか吹かせられない者もいる。
杖の一振りで巨大な壁を作ったり、岩石を飛ばし、魔物を木っ端微塵に出来る者もいれば、細い砂を、一粒、二粒程度しか動かせないような者もいる。
聖なる光で敵を消し飛ばし、不死者をも葬る事の出来る者もいれば、小さな小さな米粒程度の光の粒しか生み出せない者もいる。
全てを深淵の闇に葬り去る事の出来る者もいれば、少しの光でも消えてしまう様な、弱い闇の粒しか生み出せない者もいる。
何故、これ程までに、魔法の使用適性には個人差があるのか。
多くの偉大な魔導師達が、この難題に挑んできた。
そして、長い年月の研究の末、一つの結論に辿り着いた。
それが、————”魔力の変換効率”。
魔力を現象に変換する際、エネルギーの損失が生まれる。
その損失の度合いが、個人の練度の差によって変わる。
そう、結論付けられた。
そして、エネルギーの損失の度合いは、身から漏れ出す魔力の流れの速さーーーー”流動度”というもので、測られる様になった。
流動が早ければ早いほど、エネルギーが無駄に損失され続け、遅ければ遅い程、エネルギーの無駄が少ないのだ。
流動が遅ければ遅い程、練度が高い。
ならばーーーー彼女は。
受付で冒険者登録をしている幼女。
彼女の様に、”魔力の流動が止まっている”彼女は。
どれだけの練度の魔法を操るのか。
どれだけのーーーー鍛錬を。
針に糸を通す様な精密な魔力制御を身に付けるのに、どれだけの鍛錬をーーーー積み重ねたのか。
恐らく、彼女は、見た目通りの年ではないだろう。
彼女の様に、魔力の流動を止める事の出来る者。
魔導の極地に至った者を、人は————“賢者”と呼ぶ。
ヤバい奴が来た。
実力者達は皆、そう思った。
唯一人————イゴールを除いて。
彼は、彼女の魔力の流動が、止まっている事に、気付かない。
いや、気付けないのだ。
何せ、彼にはーーーー魔力が全く、無いのだから。
機関長と副機関長が、TASさんの魔力流動停止の件に気付いていないのは仕様です。
その辺も追い追い解明します。




