イゴールは、見た。
その男は、がちゃん、と、手に持っていた双眼鏡を落とした。
ぱりん。
レンズが割れた音が、彼の耳には入らない。
彼は、立ち尽くす。
彼には、今し方起きた出来事が、現実のものだとは思えなかったのだ。
だが。彼はその目で見た。
彼の目に映ったそれは、紛れも無い現実だったーーーー
◆◆◆◆
その男は、”悪人”の様な見た目をしている。
黒髪。
左瞼に裂傷跡。
右頬に大きな火傷跡。
その他様々な傷跡が、点在しており、異常なまでに目つきが悪く、目を合わせているだけで、背筋が凍るような感覚に陥ってしまうほどの、悪人面。
どこからどう見ても、”悪人”にしか見えない男。
だがーーーー彼は別に、何も悪い事はやっていない。
“お節介焼き”、”優しい”、”いい人”。
彼と少しでも話したりした者たちは、皆、彼に対してそんな評価を出す。
どんな人でも、だ。
それ程までに、”悪人面”の彼はいい人なのである。
しかし、周りの者から彼を見ると、そんな評価が信じられなくなるほどの”悪人”感を、常にばら撒いている、恐ろしい男にしか見えないのだ。
さらに、彼に対していい評価をしている人達は、みんな彼に何かしらの弱味を握られ、脅されているが為に、そんな評価を言いふらさざるを得ないのだ、と、彼に対する誤解は、どんどん広がっていった。
そんな、悲劇の男。
名は、イゴールという。
只今、散歩中である。
彼の通る道には、誰も居ない。いや、居なくなる。
そして、彼が通りかかった道に面している、店などは、次々に店仕舞いをしたふりをし始める。
ばたん、ばたばた、かさ、かさささ、といった、ドアを閉める音や、店先の幕を降ろす音が鳴り響いて後には、何も残らない。
ひゅぅぅ、と、遮るものが無く、風が吹く道を見据えた彼の細い目は、どっしりと据わっている。
彼にとっては、いつもの事だ。
◆◆◆◆◆
歩き始めて数十分。
がやがや、と、賑やかな道。
そこに店を構える者や、道端の通行人達。
この通りの人々は、彼の姿を見ても、怯える事は無い。
それどころか、彼に挨拶をしたりしている。
———ここは、ソルド王国、ガルムの町、三番地、五十二番通り。
通称、ギルド通り。
この街の冒険者ギルドに続くその道は、筋肉ムキムキな男や荒くれ者が闊歩し、名のある武器店や防具屋が連なる、”怖いもの知らず達の通り”だ。
彼の放つ重圧は、この通りの人間には、慣れたものなのであった。
何より、この通りを通る人々は、新顔でもない限り、皆、彼の事を知っている。
彼の優しさを、知っているのだ。
この通りにある場所こそ、この街で唯一つの、掛け替えのない彼の居場所。
彼は、ギルド通りを進む。
その先には、冒険者ギルド。
今日も、彼は冒険者として、活動をする。
自分の為ではなく、この通りの為に。




