十月二十四日 『最後の審判』まであと七日――其の弐
人類が滅びるはずがない。
そういう風に妄信的に信じている人間は決して少なくない。彼らは理論として、宇宙の大きさに対して地球やエニグマがどれだけ小さいのかだったり、地球にかつて幾つもの隕石が降り注いできたという事実を掲げる。恋人の瑞樹もそのひとりだった。
好きにすればいいと思う。
ただ、人類がこれまでも続いてきたのだからこれからも続くはずだ、という考え方は論理的ではないし、どちらかと言うと逃避的だ。自分が死ぬはずがないと思い込んでいるだけ。それは祈りにすらなっていない。彼らが彼らの理論を振り翳すなら、お前らは本質的には終末論者となにも変わらない、というのが俺の理屈だ。
お前、なんて呼称はプライドの高い瑞樹には使えないけど。
もちろん、時代が時代だし生徒にも使えない。先輩にはもちろん、後輩にも使えない。だから、大人になって以来その言葉を遣った記憶がない。最後に誰かを『お前』と呼んだのは、きっと大学生の頃に安食をそう呼んで以来だろう。
「安食……ね」
噛み砕くようにその名前を口にした。あとには、ビターチョコレートを食べた時のように仄かな苦みが残るだけだった。
話を戻そう。
俺の主張は、隕石が降ってくると思っている人間も、そうでない人間も、その思考に至る経路が違うだけで、根っこのところでは同じ考えを持っている、ということだ。
だから、どうせ一週間で死ぬなら大切な人と思い出を遺したいと学校を休んでいる生徒も、それを嘲笑して登校している生徒も、結局は同じ。所詮は同じ穴の貉。
誰も彼も。
俺も。
「今日は小テストするから、教科書はしまえー」
二年一組の着席率は、だいたい半分くらいだった。
つまり、十五人くらいが学校を休んでいるということだ。これがなにかの流行り病が原因だったら余裕で学級閉鎖になるのだが、そうではないので仕事はサボれない。学校によっては隕石が通り過ぎるまで特別休校にしたところもあるそうだが、ウチの校長は日常の続行を選択した。
五十パーセント。
だから、それがだいたいの指標なのだろう。おおよそ日本人の五十パーセントはエニグマが人類を滅ぼすと思っている。実は、教員連中もそれくらいの割合で仕事をサボっている。
教師なんて生き物は、学校などという異常な閉鎖的社会空間しか知らない。だからなのかは別に知らないが、こういう非常時には簡単に職務を放棄する。それが異常なのか、それとも正常なのか、議論の縺れるところではあるかもしれないが。
「寺島先生、今日もテストすか?」
手を挙げて微妙な敬語を遣ったのは、クラスのお調子者の門倉だった。どことなく軽薄な空気感を持っているが、あれで意外と真面目な性格をしている、と職員室では専らの噂だ。
「仕方ないだろ。柏原先生がバックレちまったんだから。誰かがやらかしたら、その穴埋めを他の誰かがやらなくちゃいけないのが大人社会の悲しい現実なんだよ。今日も二年二組と掛け持ちだよ。向こうは現国の小テストな。俺、英語の教師なんだぜ? 英語と現国って、ほぼ逆の教科だろ」
「高校教師の免許って、違う教科の授業やってもいいんすか?」
「ダメってことはないな。小テストの試験監督するくらいならなんの問題もない。たぶんな」
「あやふやじゃないすっか。俺、先生が捕まったら証言しますよ。いやー、寺島先生はいつかやると思ってましたー、って」
「警察はデモ隊との攻防で大忙しだから大丈夫だろ。捕まらなきゃ犯罪じゃないんだよ」
「教師の発言とは思えないっすね」
門倉がくつくつと笑った。伝播するみたいに、教室が笑いで満ちた。門倉はそういう役回りを演じてくれる生徒だった。
俺は切り替えるようにして、手を二回鳴らす。
「さ、二組も待たせてることだし、さっさと小テスト始めるぞー。俺、二組と行ったり来たりするからずっと教室にはいないけど、カンニングはバレないようにやれよ」
「バレなきゃやってもいいんすか?」
「バレたら反省文だけどな。そのリスクを覚悟してやるなら、止めはしないが……評定にも響かない小テストでカンニングするメリットと、バレたときの反省文とかいうクソ怠い罰のリスクが見合ってないってことだけは、教師として教えとくわ」
「教師は勉強教えてくださいよ。ズルい計算の仕方じゃなくて」
「教えてるだろ、勉強も。今日のテストは教えた範囲からしか出ないから、授業でやってないは通用しないからな、門倉」
「なんで名指しなんすか⁉」
もうひとつ笑いを取って、用意してきた小テストを配る。
その辺の書店で買ったワークから、授業でやった範囲の問題をほとんどそのまま抜き出しただけの小テストだ。それなりに自主学習している生徒なら、もはや既知の問題かもしれない。そういう意欲がある生徒にも新しい学習の機会を設けるために、テストはできるだけ手作りが好まれる。
だけど、俺はそうしない。
他の業務に忙殺されているから、という言い訳は一応できる。
しかし、本当のところは、ただ、その意欲がないからに過ぎなかった。人類がもうすぐ滅亡するからじゃない。俺は教師になったときから、生徒と向き合う熱意を持ち合わせていなかった。
それだけのことだ。
「じゃあ、俺は行くから。うるさいようだけど、カンニングは俺にバレないようにやれよ。いや、マジで。このクソ忙しいときに、仕事増やしてくれるなよ。わかったか、門倉」
「だから、名指しやめてください。俺、カンニングなんてしないっすよ」
「しても頭よくなるわけじゃないからな」
「俺が馬鹿だって前提で話進めんのやめません⁉」
また、小笑い。人数が半分だと、活気は半分以下になるらしい。
それから二組に赴いて、二組の門倉的な存在と似たようなやり取りして、小テストを開始した。
職業病で内向きに着けた腕時計を見る。
教室は十分ごとに行き来するのでいいだろうか。そんなことを思いながら窓の外に視線を向ける。なんの気なしに空を見ると、なるほど瑞樹の気持ちが少しだけ理解できた。人類が滅亡しそうだとはとても思えないほど、空は澄み渡っている。
ただひたすらに、どこまでも吸い込まれそうなほどの、青。




